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2013. 07. 23  
零式艦上戦闘機の美にすっかり魅せられてしまった私です。
もともと、シンプルでまろやかなフォルムをもったメカデザインが好きでした。
ゴテゴテしたメカは嫌い。
シャープさを強調するのもイマイチ。

ガンダムで言うなら、大河原邦男氏のデザインだけが好きで、それ以外はどうしても好きになれないのです。

零戦には理想的な美があるように思います。

セッセと画像を検索して、あの曲線美を我が物に出来ないかと、あれこれなぞってみたり。

で、フッと思い出しました。
大昔から大好きだったメカ群があります。

サンダーバード!!

どことなく、ゼロ戦と共通するイメージがある気がします。シンプルでまろやか。
特に2号の豊穣な曲線美は溜め息が出るくらい。

さらに、ベルヌーイカーブ、という言葉も思い出しました。

「ん? 飛行機の翼の断面のカーブのことだったかな?」

あやふやだったので調べてみますと、これがなかなかに複雑です。

ベルヌーイさん、という人物は2人いるのです。

飛行機を飛ばす原理である、揚力のベルヌーイさんと。
対数螺旋のベルヌーイさんと。
いろいろ混じったりしているようで、複雑。

さらに調べていると、フィボナッチ数列だの、黄金比だの、フラクタルだの、いろいろ出てきたわけです。

数学は一番苦手な教科でした。
数式が美しい、と言われてもなんのことやらサッパリでした。

でも、ある種の視覚的な美は、数学と深い繋がりがあるらしいのです。どうやら。

「風立ちぬ」の主人公が、計算尺片手にゴリゴリと数式を書きまくっていたこと。
そして、迷いの無い美しい曲線をひいていたこと。
それは密接につながった、ひとかたまりの才能だったのだなぁ、と思うのでした。




なお、飛行機の翼の断面は、ベルヌーイカーブとは関係ないそうです。
新式のハサミの刃に適用されたカーブのことだとか。根本から刃先に至るまで、均一な角度を保つためのカーブ。
サクサクと良く切れる、素晴らしいハサミだそうです。闇雲に欲しくなりました。

いや~曲線って、本当に良いものですね! 対数螺旋を想いながら眠ることにいたします。

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2013. 06. 03  
日本国憲法第19条。


思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。


さて、最近思い出したあるエピソードがあります。
アイザック・アジモフ氏の自伝で紹介されていた、とある一幕です。

御三家と讃えられた3人の偉大なSF作家。
ハインラインとアジモフ、そしてクラーク。

このうちアメリカ在住だった2人、ハインラインとアジモフは、軍関係の業務に共に従事していた時期がありました。
ハインラインの方が歳上でもあり、リーダーシップもあり、いろいろ提案をしては周囲を巻き込むことが多かったそうです。

そのうちの一つとして、

「なぁみんな、我が国の勝利のために我々もさらなる貢献をすべきじゃないかね? 差し当たっては、食堂で我々に饗される食事をほんの僅か質素にして、浮いた経費を軍のために役立ててもらおうと思うんだ」

というかなり強引な提案がなされ、その結果、食堂の食事はたいへん粗末になってしまったのだそうです。

ですがそのことに不満を漏らすとたちまちハインラインに睨まれてしまう。
国のために困窮を受け入れるという美徳の無いヤツとしての烙印を押されかねない。
そんな窮屈な空気が場を支配してしまい、アジモフたちは言いたいことも言えぬまま、鬱憤を溜め込む日常だったそうな。

ある日、別の部隊から派遣されてきた兵が、その食堂で劣悪なランチを一口食べるなり

「なんと、酷い食事だ!」

と大声でわめきました。

即座にアジモフが立ち上がり、こう叫んだそうです。

「諸君、私は彼の一言一句に反対だが、彼の言論の自由は命をかけて守るものである!」


****************************


さて、児童ポルノ規制改定法案が提出されました。

ありとあらゆる児童ポルノの単純所持を禁止し、しかもその範疇に「マンガ・アニメ・CG」などの創作物も含める、という点が反響と反発を呼んでいます。

なにしろ持っているだけで法律違反となるわけですから、誰も彼もが犯罪者になってしまうかもしれないという、そら恐ろしい法案と言えます。

自分の子供、あるいは孫、親戚の子供。
単に可愛いからと撮影した、プールや入浴、着替えなどのシーンのフォトや映像ですら、規制の対象たりえます。

また、自分の息子や親しい少年が思春期を過ぎる頃、突然に

「彼の部屋を捜索します」

とドヤドヤと警察に踏み込まれ、家中をひっくり返された挙句に

「自己の性欲を満たす目的の児童ポルノがありました」

と、彼らを前科者にされてしまいかねない法案なわけです。
ただ、「ドラえもん」のマンガを持っていた、というだけで。
あるいは妹や従姉妹の幼い頃の写真がアルバムにあったというだけで。

また、私自身も突然に警察の襲来を受けるかもしれないわけです。

「児童が性的虐待を受けている画を所持なさっていますね?」

と。

はぁ。それってこの「テレプシコーラ」のことですか。
それともこの「残酷な神が支配する」のことですか。

どちらも、親権者による児童の虐待を描くことで、その罪悪を明確にし、非難糾弾するためのこころざしでもって描かれた、まさに芸術の名に相応しいクオリティの傑作です。

ですがこの法案がまかり通れば、これらの作品も焚書にすべきものと見做されかねないわけです。

悪を悪として描くことすら「悪」として抹消すべき、というのであれば、一体全体、誰がどのようにして悪を裁けるというのでしょう?

そもそも、なぜ、描くことが罪悪なのでしょう? 
描かれたものを見ること、読むことまでもが罪悪なのでしょう?

それが実際に行われる児童虐待と等価とされる根拠はいったいなんなのでしょう?

誰にも迷惑をかけることなく心の中で空想を繰り広げること、それを絵空事として書(描)き表すこと。
それまでもを規制の対象として処罰することの意味は、これすなわち

「思想及び良心の自由の保証」

を明記した憲法を踏みにじる行為そのものだと思います。




この法案を推進するという方の発言をネットで見ました。(すでに件のページは削除されているようですが)

「性的欲望を満たす目的、そしてそのことで利益を得る目的でかかれたマンガやアニメなどというものを、文化であるなどと私は絶対に認めません。認めさせません」

という趣旨でした。


私は、この発言の一言一句に至るまで反対します。絶対に認めません、という言葉はそっくりそのままお返ししたい。

ですが、この発言者の言論と思想の自由は日本国民として守るものであります。
日本は憲法をいただく法治国家であり、民主主義国家であり、そこに生まれ育ち守られて生きてきた者の誇りをもって、そうするべきだと考えます。


これを読んで下さった皆様にも、憲法第19条の意味と、この児ポ法改定案の意味と、そしてこの改定案が法律として制定された場合、この国に何が起こるのかということを、どうか考えて欲しいと願います。



2013. 05. 23  
猪瀬東京都知事が、日本の標準時間を現在より2時間早める提案をし、政府が検討に入ったそうです。

提案書をネット上で見ましたが、つまりは金融市場の活性化および日本市場の優位性獲得が主な目的で、省エネとゆとりあるライフスタイル実現、という狙いもあるようです。

省エネやライフスタイル改造については、過去何度もサマータイム提案が受容されなかった例でも判る通り、およそ日本人の意識に沿わないことと見なすのが大多数の見解ではないでしょうか。


2時間早めることによる、金融の優位は納得できる話です。
ならば、金融業界だけが変貌すれば良いことではないのでしょうか?
なぜ、それ以外のすべての国民までもが金融業界に従って不自由を我慢せねばならないのでしょう?


24時間、休みなく従事する立場の人たちというのは数多く居ます。

その最たる例が、命に関わる人たち。
四六時中、世話が必要な対象をケアする人たち。
すなわち、乳児を抱えた保護者や、重篤患者の看護、介護に携わる職の方々。
他にも、警護や通信やインフラ保持、それが途絶えれば人命に関わるシステムに携わる方々。
命と社会のために24時間休みなく戦い続ける人々は数え切れないほど居ます。

そういう業態の人たちは、主に三交代などのシフト制で不規則に働くことが常態化しているはずです。
(乳児の母にはそんなシフト交代すらありませんがね)

金融業界がそういう制度になってはいけない、という理由は私には思いつきません。


「いやいや、それよりも全国いっせいに時間を変更した方がロスが無くて良いはずです」

ということですか?

冬の朝を2時間も早めたらどうなりますか?
様々な事情で遠くの学校に通わねばならない小学生を、寒い暗闇の中、通学させるのが国のためだと?
ただでさえ通常の生活に困難のある障害児と保護者が、適した学校が不足してるばっかりに、毎日遠距離通学せざるをえない現実を肌身で知っている私にとっては、なんと馬鹿げた提案か、と思ってしまうわけです。

まだサマータイム制導入の方がよほど現実的だ、という気すらします。

もしかして、アレですか。
交渉術の一つ。
とうてい無理! という要求をまず出して、それよりは少し低い水準の要求をのませるというテクニック。
落とし所というか、狙いどころはサマータイム制度?
個人的にはサマータイムにはさほど嫌悪感を持ってはいませんので、試行くらいはあっても良いかと感じます。

ですが、全国的に標準時間を変更するという案件は、これこそ国民投票レベルの民意確認が必要な事項ではないかとも思うわけです。



とは言え、都知事はご自身のTwitterにおいて

「そういう考え方もあるのか、ということから議論が深まっていくこと」

を重視なさっている意味のことを述べておられるので、そういう意味では無駄な提案ではないかな、と。




実際、24時間金融市場というのが実現した未来というのは結構ワクワクしないでもありません。

「兜町は眠らない」

なんて、映画か何かのタイトルみたいじゃないですか?

あっ、ぜんぜん省エネじゃないw
ダメかやっぱ。

2013. 03. 23  
明日の誕生日で50歳になる。
さすがに節目と感じる。精神的にも肉体的にも。
特に後者については、年の近い女性ならほぼ誰でも実感を共有してくれるのではないだろうか。
盛大に何かが終わろうとしている感覚。
生まれて、生きてゆく意味。存在の意義。
その根幹が喪われようとしていく、この感覚。

なので逆に、おおいに明日を祝いたいと思ったのだった。

というわけで、星ゆう輝生誕50年をことほぐ金品などは、今後10年に渡り365日受け付けますです( ̄▽ ̄)


精神的にも節目を感じる今日このごろ。
いろいろと思うところがあり、長年続けてきたこのブログをリニューアルしようと思う。

といっても移転などするわけでもなく、このアドレスのままではあるのだけど。
変更点はただ一つ。

「である調をやめる」


基本ずっと「である調」で、適宜「ですます調」を使い分けてきたが、明日から「ですます」に統一することにした。

まぁ大した違いじゃないのだけれど。
それなりにテンプレデザインも久しぶりに変えてみようとは思うのだった。春らしく明るくしてみたい。



さようなら、「である」の私。
さようなら、「40代」の私。
名残にもう一本くらいエントリ書いとくかな。


2013. 02. 24  
東京ポッド許可局の最新回で、新札が出るとしたら誰の肖像になるか、という話をしていた。

そろそろスポーツ界から出てもいいのじゃないか(長島・王およびなでしこの澤)、クリエイターならどうだろう(黒澤明)、誰でも知ってる人なら良いのか(渥美・寅さん・清)、と検討が進む。

そこはやっぱり手塚治虫さんじゃなかろうか、と思っていたら、やはり名が挙がった。

が、ここで即座に
「それはあり得ないですよ」
と指摘が入る。

なんでも、手塚さんはとある思想団体と関わりがあり、そのため国民栄誉賞も政府が難色を示して実現しなかったんだから、というエピソードも紹介された。



えー、それは知らなかったなぁ。びっくり。そういう理由で授与されなかったの? まったくの初耳だった。そして、おそらくはお札になることも無いだろう、という事も。なんだかなー。


クリエイター、アーティスト方面から黒澤明監督の名が挙がるのは当然という気もする。
でもオタクとしては、宮崎駿さんの方が望ましい気分。

ノーベル賞受賞の人なら良いのでは、とか、将棋の羽生名人なら良いのでは、とか、サザエさんもしくは長谷川町子さんとか、いろいろ挙がる。

ふーむ、国民的キャラクターってことか。
それなら藤子Fさんも有りじゃなかろうか。ドラえもんとサザエさんと、どちらの生みの親がより相応しいか?



結局いろいろ乗り越えさせてでも、1万円札には手塚治虫! という流れになったのが嬉しかった。


なお、歴史上の偉人でも、その子孫が現在の政府の要職などに就いておられる場合は選定対象にならない、という慣例も紹介されていて、なるほどなぁ、となった。公正を欠くからだろうか。

誰にとっても問題の無い、マイナス点の無い著名人という条件はなかなか難しい。そういうのをしみじみと考えさせる内容だった。


個人的に、この人ならかなり可能性高いだろう、と思った人物を一人、挙げておく。


宮沢賢治。

3年後でも100年後でも、多分いけると思うのだけど。

2013. 02. 05  
体調を崩して行きつけの医院へ行ったわけですよ。
点滴やらなにやらで症状は軽快。たいしたことなくて良かった。

で、それはそれとして。この医院、待合の暇つぶしように雑誌をいくつか置いてくれてるわけ。
たまーに行くと、そこで週刊文春を読むのを習慣にしてるわけです。林真理子さんのエッセイや池上彰センセイのコラム、読んで楽しい記事はいっぱい。
で、どの連載より読むのを楽しみにしているのが、中村うさぎ女王のコーナー。

うさぎ女王といえば、買い物依存症から来る借金地獄や税務署との丁々発止の大バトル、整形に次ぐ整形によるあくなき美の追求、ホストクラブ通いに代表される異性遍歴などなど

「なにゆえそこまで身を削りますか女王ー!」

と叫びたくなるほどの捨て身と赤裸々を基盤にして、人生の本質、哀しみや妬みや衝動の真実、なにゆえ人は欲しなにゆえ奪いなにゆえ不幸にまみれるのかを考察し、それを伝えてくださるお方。
私は常々、彼女こそが菩薩であると思っておるのであります。

とはいえ、どケチで貧乏の私はそのエッセイのためだけに雑誌を購入するにはとうてい至らないので、本当に稀に医院に行った時だけ、女王の近況に触れるのみ。

「最近はいかがなされてますか女王?」

そして読み始めるなり吹き出すのを必死でこらえる羽目に。

オントシ55になられる女王、突然馴染みの整形外科医師にお電話なさってこうおっしゃる。

「先生、私を30代にして!」

なんでも女王はネトゲで知り合った異性とリアルで会うことになったのでそれに備えたいとか。そりゃまぁ少しでも若く装いたいというのは女性の普通の気持ちでしょうなぁ。

で、医師がどんな風にしたいですか、と尋ねてきて、こうおっしゃる。

「鳥山明の絵にして!」

じょ、女王……もしかしてそのネトゲってのはDQXのことですかっ。

医師はネトゲの知識は無いらしく、意図を掴みかねてるご様子。

「だって相手は私のことを、鳥山明が描いた絵のキャラでしか知らないわけ! だから少しでもあの絵みたいにして欲しいのよ!」

今まで女優のダレソレとかモデルのカレソレみたいな目鼻にして、という類いの要求には慣れっこの凄腕医師もこれには困ってしまわれた様子。
結局、日にちも無いことだしということで、皺を取ってツヤツヤになる注射を施して、なんとか30代終わり頃な感じの若さを取り戻すうさぎ女王。
が、その後さらなる試練が女王を待ち受けていたのだ……! というところでコラム終了。


読み終えてつくづく思った。
嗚呼、女王は相変わらず女王であらせられる。なんというブレの無さ。日和ることなし。その剛毅なまでの突進ぶり、なんと羨ましいことか。


菩薩はその身を投げ出して衆生をお救いあそばされる。
が、菩薩は菩薩自身を救おうとはなさらないのである。
神よ、女王を護り給え。

2013. 01. 31  
これはさすがに痛々しすぎるでしょ。

AKB48という存在が大変魅力的であり、圧倒的なパワーもあり、集金システムとしても多大な成果を挙げる構造であり、社会に与える影響もまた大きい、ということも鑑みて。

このショッキングな動画の意味を深く問うべきなのじゃないだろうか。
なぜ、こんなことが起きるのか、を。

AKBという組織活動の価値はおおいに認めるものであるけれど、それはもう爛熟のピークを過ぎて、腐臭が漂い始める時期に至っているということなのじゃないのだろうか、と感じる。こんな無惨なものを見ることになるとはね。

偶像になるということ。若さ、美、処女性を売り物にするということ。
異性に夢を見たがる不特定多数の人間の、欲望の受け皿、容れ物になる、ということ。
それが、個人の人間性からどれほどのモノを奪い、否定し、自由を剥ぎ取るものであるかということを。

アイドルを夢見て志す側も。
アイドルに夢見て追う側も。

自分にとって都合の良い面ばかり見ていて良いものかどうか、しばし立ち止まって考えてみませんか。

あえて性差的な発言をするけど、女にとって髪は命なんだよ?
男子の丸刈りとはわけが違うのよ?!

2012. 12. 30  
「深淵を覗く時、深淵もまたお前を見つめているのだ」

という言葉がある。ニーチェだったと思う。

ネットを通じて個人が世界に繋がる時代。
つまり一つ事あらば、一個人に世界中からアクセスが注がれるということ。

ネットに何かを発信するということは世界と対峙する覚悟が必要なのだということ。
その理解も覚悟も無い野放図が、俗に言う「炎上」を招くのだろうと思うのだった。



話変わって今年も冬のコミケが開催された。
二日目も無事終わったようでホッとしている。

が、これを見て何も思わないわけにはいかない。

http://mantan-web.jp/2012/12/30/20121230dog00m200011000c.html


たった独りの悪意によって、幾万、幾十万の人心が害されたか。
これほど極端な例は少ないとしても、類似の問題が昨今多くはないか。

ごくごく少数の人間の非常識がもたらすクレームや狂乱によって、大多数の常識が破壊される。たった一人の問題行動が原因で社会のルールが変更を余儀なくされ、多くの利益や利便が損なわれる。そんな事例があまりに増えてはいないか。


深淵を覗ける位置に居れば、深淵の影響が及ぶ。
世界に届く方法を手に入れれば、世界にしっぺ返しも喰らう。

が、非常識を撒き散らして世に害悪を及ぼしたことへの支払いは如何なる形でなされるか?

因果応報というものが世の摂理だと思ってはいるけれど、こういう事例に出くわすとその信念がグラグラ揺らぐ。

怒鳴って脅せば世の中だって変えられる? そんなテロリズムが当たり前の世になっていいのか?
いや、よくはない。
そんな社会でどうして安心してやっていけるだろう。数しれぬタブーにビクビクしながらありとあらゆる人の顔色を伺って生きねばならない社会になっていいのか?
いや、お断りだ。

他者のクレーム、他者のテロに怯えずにすむ心と社会のために、今何をするべきか。
もう、今すぐ、なんとかせねばならない。もう猶予なんか無いのだ。とっくに手遅れなのかもしれないのだ。
他人任せにしてちゃいけない。
僅かな悪意で社会のルールが揺らぐのならば、その逆だって可能なはずなんだから。


2012. 12. 18  
総選挙が終わった。東京では知事選も同時に行われ、好天にも恵まれ、かつて無いほど混雑した投票所もあったらしい。

が、蓋を開けてみれば投票率は戦後最低。

自公が圧勝し、右傾化、改憲の可能性などを指して、

「危険だ」
「日本が終わる」

などの声も上がっているという。

何を言っているのだか。
そんなことよりも何よりも、この「投票率の低さ」こそが恐るべきこと、真の危険の正体のはず。

大災害にみまわれ、原発に代わるエネルギー確保のために貿易収支は赤字になり、日本経済は転がり落ちる一方。
これほど国が大変なことになっているのに。
戦後最悪の国難のさなかの総選挙だというのに。
投票率は最低。

これを怖れずに何を怖れるというのか。

投票に行った人は、それぞれが様々な想いをもっていたと思う。
そのひとつひとつは相反するものもあるし、すべての人が納得する政治などというものはあり得ない。
民意というものはバラバラなのが当たり前だろうと思う。

だが、この「投票に行かなかった人たち」の民意こそが実はもっとも大きなモノなのかもしれないのだ。

それはおそらくは、ごく単純なもの。だからこそ、大きなもの。

石原慎太郎氏が政見放送映像で語った「ふわっとした民意」という言葉は、実はこの「投票しない人たち」の意識を表すのにもっとも相応しいのかもしれない。

すなわち

「そんなものどうでもいい」

政治のこと、国のこと、税金のこと、生活の全てに関わること、国民としての生き方そのものに関わることであるのに。投票とは、自分自身がそれに参画できる最もカジュアルな手段なのに。

「そんなことどうでもいい」

それらを無価値とみなすこと。
無関心。無知。無責任。無気力。

「どうでもいい」という言葉に潜む心の意味には「無」がついて回る。

戦後もっとも「どうでもいい」とされた選挙。
選挙を終えれば、議員でもなんでもない庶民が政治に対して出来ることはほとんど無くなるように見える。

でもそうじゃない。
政治なぞできずとも、戦う力も持たずとも、私達に出来ることはある。

「どうでもいい」という無の意識をわずかでも減らすこと。
そのために出来る小さなことは数限りなくあるはずだと思うのだった。
どんな小さな事でも良いから。

それは、一日に言う「ありがとう」の言葉をたった一回増やすだけでも、そう出来るはずだと思うのだった。


2012. 11. 29  
「別海から来た女 木嶋佳苗 悪魔祓いの百日裁判」を読んだ。

この連続殺人事件は随分話題になったし、死刑判決も下ったし、なんとなく概要は知ったつもりになって、そのまま忘れ去るところだった。
が、東京ポッド許可局ラジオにおいて、二冊のレポート本を同時に紹介する回があり、その比較検討が実に興味深く、面白かったのだ。

曰く、女性の書いたレポと、男性の書いたレポとの差異。
そこから浮かび上がってくる、木嶋佳苗という存在の異様さ。

なかなかにただならぬ女性が引き起こした事件であったらしい、と感じ、その二冊ともを図書館に予約した。とても人気の高い本らしく、100人以上の待ち。ようやっと、男性の書いた方の本が先に届いたのである。

佐野眞一氏の文章は、明確で判りやすい。スラスラ読み進む。意欲的に飛び回って多くの取材をこなされている。
えっ、そんなとこまで? と驚くくらいの遠い縁の関係者にも会いに行かれて、僅かな情報も漏らさぬ丹念なお仕事ぶりである。

が、それなのに。
そんなに丁寧に、かつ熱心にお調べになったというのに、なんということだろう。
木嶋佳苗、という人物のことがおよそさっぱり判らないのである。読んでも読んでも判れないのである。
住環境、親族の感想、学生仲間の印象、卒業アルバムの内容。
彼女に騙され、金を毟られ、殺されかけて危うく難を逃れた男性たちの言葉。
裁判に臨む彼女自身の反応その他。

判ることはある。だが、どうにもピンと来ないのには心底困った。
周辺状況は判る。上っ面の反応は判る。何が起こったのかも判る。

だが、木嶋佳苗という女性の、「人物」が判らない。ツルツルとすべてが滑り落ちていくガラスの球に篭っているかのように、見えているのに触れられないもどかしさ。
彼女が何を思い、何を考え、何に一喜一憂して、何のためにこれほどの事件を引き起こしたのか。
そういうことが、肝心かなめのことがさっぱり判らないのである。

実際のところ、著者であられる佐野氏ご本人も「ゾッとするほど判らない」という状態になられていたのではないのだろうか、と思う。
なので佐野氏は、多く推論なさる。きっとこうに違いない、という判断を多く記されている。
この本には、様々な事実や情報、本人の反応を目の当たりにした上で、氏が感じ取り、推察なさったことはふんだんに書かれている。
が、そのほとんどが、私にはピンと来なかったのだ。納得しかねたのだ。氏の義憤、怒り、許してはならないという思い、それは痛いほど伝わってきた。
それでも、私はどうしてもそれに同調することが出来なかったのだ。
何よりの重要事である、被告の動機、被告の心、それが見えてこないからなのだ。

木嶋佳苗は、こういう者です。こんな風に思い、こんな風に考え、こんな事情と動機でもって行動します。

それを知ることの出来るレポートでは無かった。これほど綿密で熱意に満ちたデータの数々をもってしても、それが判らない。なんということだろう。この異様なまでの得体の知れなさは、いったいどういうことなのか。

「嘘つきなのだ」

と繰り返し書かれる。様々な証言、記録、情況証拠などからも、彼女の言い分が嘘偽り、ごまかし、すり替え、欺瞞に満ちていることは察せられた。
稀代の詐欺師。息するようにウソをつく者。業務のように淡々と殺人をこなす者。
心を閉ざし、多くを語らず、動揺を見せぬ者。
そんな人物の心が簡単に推し量れるはずもない。

が、どうにもこうにも「判らないことが落ち着かない」状態になってしまった。
そして、被告本人の長文の手記が、ネットで読めることを知り、すっ飛んで読みに行ったのであった。
読んだのはこのページ。一部伏字になってはいる。
興味のある向きは是非ご一読を。

感想を一行で書くなら

「他人事じゃねぇよ、おおブルブル((((゜Д゜;)))) 」

そして、まずこういう感想を持ってしまったあたりが、この女性のもっとも恐るべき部分なのかもしれない。
失礼ながら、美貌の主とは言いがたい御仁。が、次から次へと男性は夢中になり、言うがままに大金を彼女に貢ぎ続けた。何が彼らをそうさせたのか。肉体的魅力、応対の物腰の色香、理由は様々あったと思う。
人物の魅力というものは、美貌だけにあるのでは決して無い、という証明のような事情だったのだろう。

「ただならぬ、特別な人物。それが判る、心惹かれる自分自身も、また特別」

こういう感慨と共感と優越感を男性に持たせることが出来る、そういう部分があったのではないだろうか。

「大抵の人には判らないだろうけど、自分には判る価値」

ある意味、無敵で至高の想い。それを喚び起こせる能力があったのではなかろうか。

そしてその能力の礎になった部分にあるものは、人としての闇、魔性、魔物としか言いようがない、様々な混沌。
人間として持つべきではない、悪しき性根。
それについては彼女本人もはっきりと自覚があったらしく、手記にも何度も記されている。
何よりも私が「他人事じゃないなぁ」と感じたのもその部分だった。本当に、私も三歩間違えれば彼女と同じ道をたどったろうという気がする。

そうならずに済んでいるのは僥倖に恵まれたからでもあるし、まったく別の生き方を選んできたからだろう、とも思う。
かろうじて人道を踏み外さずに済む生き方。
現実と心がどうしても折り合いがつかず、生きてゆくことが辛く、それでもなんとか取り繕ってやって行かねばならないストレスから、少しでも自分を救う方法。
彼女と私は別の方法をとった。
ただそれだけが違いだったのかもしれない。


書くべきこと、知るべきこと、どちらもまだまだ膨大にあるわけだが、一足飛びに単純な結論を出して今日はもうオシマイ。

「私ゃ、オタクで本当に良かったよ」

プロフィール

星 ゆう輝

Author:星 ゆう輝
人生50年、オタク歴40年弱、母親業四半世紀。老眼とボケが迅速に進行中。麗しいロボ執事をはべらせるのが老後の夢。

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