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2013. 10. 08  
ネット上で発表される「体験談」というものが多々あります。

時には多くの感動を呼び、映画やドラマなどへの大々的展開に至るものもあります。

割りとそういうものを読むのが好きなので、けっこうあれこれ消化してきました。

そして、最近、なんとなく判るようになってきたことがあります。

「本当の体験なのか、そう見せかけた創作なのか」

の違いが、匂いを嗅ぐように感じ取れるようになってきた、ということです。


「こ、こりゃぁガチだぜ! まごうことなき生のレポだぜ!」

と、膝を打ちたくなるような感覚があるのです。シズル感、とでも言いましょうか。

そういうのを感じるとき、そこに何が有るかというと。

「乱調」です。
文法の謝り、誤字脱字、言いたいことが不明瞭な言葉の並び、構成力の無さ。


逆に「いやぁとても良い読み物ですが、どう見てもこりゃ釣り目的の創作、あるいは現実の大幅改変でしょ」と感じるとき、そこに何が有るかというと。

「ドラマティック」です。
そして妙に整った文体と文脈。


現実なんてものは、本当に身も蓋もない、煩雑でカオスで無駄の多いもの。
リアルはドラマを狙ったりはしないものなのです。

もし、とても良いお話、良くできた説明、そういうものに心楽しみ、感動をしたりしても。
それをそのまま丸ごと「本当」と信じきることはどうなのでしょう?

信じるほうが幸せな生き方なのは確かです。
ですが、あまりに良く出来た語りには、常にほんの僅かでも、眉唾の意識を持っている方が良いのかもしれません。
詐欺師というのは、いつだって幸せの看板を掲げてやってくるものだからです。


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2013. 08. 01  
ネット上ではさまざまな意見が飛び交います。

つい最近、あるトラブルに関して、対立する両方の表明を読む機会がありました。
当然ですが、主張は食い違っています。
どちらが正しいのか。
それは当事者でなければ判らないことなのでしょう。

司法はどういう裁定を下すのか。
またその結果を、世間という名の他者はどう受け止めるのか。
現時点では何も判りません。

でも私個人としては、

「こりゃもう勝負ついてるから」

と思える事例だったのでした。

一方の文面は、書式も文体も美しく、整然としています。
かつ、主張が明確で、毅然とした気持ちも伝わってくる力強いものでした。
テキストとしての完成度が高いのです。

ところがもう一方の文面は。
テキストとしての体をなしていないのです。
句読点が無い。改行も無い。文法が不適切。
結果としてとても不明瞭なのです。甚だしく幼稚な印象。

私にとって、後者は信頼に値しない内容と受け取れるのです。
書式というものは、とても大事なものなのだ、と思い知りました。

ネットでテキストを公開するというのは、実は相当に恐ろしいことです。
言いたいこと、書きたいことを自由に誰でも公開できる場でありますが、自由と危険はセットです。

自由だからこそ自律が大事。それを欠くと、世間の信頼をいっきに喪うこともある。



私も延々とブログなどで駄文を垂れ流していますが、今後なお一層の自制が必要だなぁ、と引き締まる思いです。
テニオハを怪しくしないよう心がけなくちゃ。




***********************

以下は蛇足的付け足しです。

テキストの体をなしてない方の文。
読んでいて更に思ったのが

「まるでロミオメールのような」

という感想でした。

ロミオメールについては端的な説明が困難ですが、客観性が希薄な、思い込みの強いタイプの人が主張しがちな内容ってことで。
検索結果から、なんとなく汲み取っていただきたいところです。
2013. 01. 23  
最近ずいぶん流行っているそうだけど、ピンと来てなかったネットサービスが2つ。

一つはニコニコ生放送。次にLINE。

ニコ生は、公式放送はたまに観ていた。プロ意識が高い放送は従来通りの感覚で楽しめる。ウザいCMも挟まらないし、下手なテレビ放送なんかよりずっと良い場合がある。

さっぱり判らなかったのは、素人がやる生放送のほうだった。魅力が理解できなかった。ボソボソと汚い声の放送が圧倒的に多い。何を話しているのかと思えば、内容の無いことばかり。あるいはただただ目立ちたいがための、奇をてらった行動。あれこれザッピングすればするほど

「こんなものが食えるかっ!」(ガシャーン)

と昭和のゴーマンオヤジ的気分になるばかりだった。

声も鍛えず、トークの内容も無く、何を見せたいのか、何を伝えたいのか、そもそもヒトサマに何かを表現して見せる聴かせる、という意味がどういうことなのかをほとんど考えずに、ズブの素人があれこれ「やってみた」と披露しているばかりの場。
これじゃ結婚式のダラダラスピーチやド下手余興をひたすら耐え忍ぶのと同じようなものではないか。少なくとも私が好きこのんで見に行く理由は無い、と。

が、最近さらに呆然とする話を聞いた。
ニコ生公式放送というのは割りと短く終わる。せいぜい1時間未満。長くても2時間ちょい。テレビの番組とそう変わらない。
が、素人のニコ生放送は、何時間も連続でやることが多いというのだ。特殊な手続きを踏めば最大6時間の枠が確保できる、と。

驚愕した。プロのタレントでさえ、鍛えぬかれたDJでさえ、6時間もの放送枠を与えられたらたいていは困惑するだろう。持て余すだろう。たった独りで6時間もの場を、どうやって繋ぐか、と。

一体全体、6時間もの間、何をやるというのだろうか? 観る方は、何をどう楽しむのだろうか? あまりにびっくりしたので、逆に興味が湧いてしまった。

結論から言うと、何をやる(見る)のが楽しいのか、という問いそのものがアホだった。

一緒に居ること。
時間を共にすること。
体験の共有。
共時性。やりとりから生まれる安心や刺激。

それこそが目的であり、「何」と問うのは無知で無粋なことだった。
「放送というからには、芸だの情報だの、コンテンツとしての品質や内容が充実しているべきだ」
という固定観念に縛られ、視野を狭窄させて観ていたのだ、と気づくことになった。

キーワードは「共」。あるいは「一緒」。

もちろん、なんの拠り所もない場の、何の縁も無い赤の他人と無闇矢鱈と繋がれるほど人心はオープンでは無いので、なにかしらの芯のようなものは必要であるようだ。
ゲームの実況であったり、動画の鑑賞であったり、自分の好きな本などの紹介であったり。
個人が自身そのものを芯にするケースも当然あるようだ。私には無理だけど、若くて肉体美に恵まれた女性が、ただそこに居るだけで、質問に答えるだけで、ありがたやありがたやと満ち足りる男性が多いだろうというのはなんとなく判る。

共にあれる喜び。独りぼっちではないのだ、と安心出来る場の提供。あるいはそういうコミュニティの芯あるいは触媒になれること。
そこに内容も芸も必要では無い。
無いとはどういうつもりだ! と憤っていた私の方がとんでもない心得違いだったということ。


というわけで、最近はたまに素人さんの生放送も見に行くのだった。見に行くというよりは、遊びに行く、という感覚のほうがふさわしい感じだが。

でもやっぱり私の好みは偏屈なので、どうしても「主様(ぬしさま)」のタイプにはこだわってしまうけど。声がクリアーであること。口調が明朗であること。滑舌が良いこと。才気煥発であること。人徳が感じられること。などなど。

内容も芸も必要ではない、と書いたが、やはりもちろん、あるに越したことは無いようだ。これは私個人の好みに限ったことではなく、放送そのものがいかに魅力的か、多くの人に評価されるか、ということはニコ生のシステム的にとても重要なことになるようで、人気があればあるほど、放送主が有利になるように工夫が凝らされているらしい。これも一つの判りやすい評価経済、と言うべきなのだろう。


さて、LINEの方だ。
こちらは、Facebookよりも早くユーザーが1億人を突破したとかで最近ニュースにもなった。
Skypeと似た機能を持っているらしいけど、SNSでもあるようで、既存のそれらとどういうところが違うのか、なぜそんなに若い人中心に素早く普及したのか。どうもよく判らない。

タイムライン、というアイコンがあるので、Twitterのようなものだろうと思い、試しに投稿してみる。
スタンプ、というものが貼れる、らしい?

「こりゃどう使ったらいいのかなぁ」と書いて、デフォルトで用意されてるスタンプの中から、ウサギの死体( ぬいぐるみ?)のようなものを掴んで眺めているらしいクマのスタンプを選んで、ポン、と貼って投稿してみた。

思いの他、大きくスタンプが表示された。

「あっ。可愛い。マンガみたい」

それを見た瞬間、人気の理由が判った気がした。
スタンプ。これは拡張された絵文字なのだ。進化した顔文字なのだ。

従来の、文字と同じ大きさでしか表示できない絵文字や、描画力に制限のある顔文字やAAには無かった楽しさがスタンプにはある。これは( ・∀・)イイ!!

そんなわけでLINE始めようとしています。
最近は電話番号を知らせなくてもFacebookを使っていればそちらで本人認証とみなす仕様もあるので、iPad(Wifiモデル)の方とPCで登録。IDは【obleen】です。まだ誰も個人的な友達登録が無いので、良かったらガンガン申請してやってください。


それにしても、「首相官邸」が「友だち登録」できて、なおかつ挨拶メッセージに絵文字が使われていたりするのを見ると、時代は変わったなぁと軽くクラクラするものがありますな。安倍総理の次のメッセージが楽しみ。


*******************

追記:iPadからだとLINEタイムラインへの投稿が出来ないぽい? さらには、同一IDのPCアプリからだと、タイムラインそのものが存在せず、登録しあった友だちと対話できる機能しか無いっぽい? う~ん、どうもよく判らない。iPhoneで使ってみたアカウントでは、いろんな機能があったのに。こちらは、電話番号を教え合ったリアル知人用に使おうと思ってるんだけどなぁ。分けるなってことなのかな。
2012. 08. 14  
夫の人が見つけた動画が我が家でプチブーム。
猫が猫らしくない鳴き声でなにかを訴え続ける動画。
なんとも人間臭い発音に、いろんな人が空耳で「訳」をつけ始めて、面白いことになっている。

ニコ動のここで視聴可能。

個人的には「我々は寝ないんだお~」という空耳が最高。何度もモノマネ。

夫の人に「あの猫を描いて!」と頼んだら、翌朝にはmixiの記憶スケッチにアップされてた。
可愛すぎるので拡散♪


15100265.jpg

猫という字と描っていう字は似てるねw

2012. 08. 11  
制ケータイ、というものを導入している学校があるらしい。

先日拾ったニュースでは、地域デバイス、というものもあるらしい。
震災によって町ぐるみで避難せざるを得なかった地域の人たちが、かつての地縁を保てるよう、独自のシステムをもったデバイスを配布されている、という話だった。告知や交流が主な用途だとか。

インドでは貧困家庭に政府がケータイを配布する、と決定した。

中国の僻地では、未だに水道すら通っていない村でも、スマホを持つのが常識になっているそうな。

なんという浸透の速さだろう。デバイス革命、と後の世で呼ばれる時代なのかもしれない。

1人1個のデバイスを常に携帯して生きる人生。それが当たり前の世界。
そんなふうにデバイスというものが当たり前の、空気のような存在になりつつあるならば。
次に来るのはデバイスのローカライズだと思う。それも様々な形の。
主に、小規模なコミュニティに特化したものが人気を呼ぶのじゃないだろうか。制ケータイや地域交流デバイスはそのさきがけだろうと感じた。
学校や行政という、ややお固い公共のものよりも、趣味や興味に絞りこまれた娯楽要素の強いデバイス。
そういうものは、むしろ機能は低くて良い。出来ることに制限が多いくらいの方が良い。
限られた目的のためだけに存在するデバイス。そういうものが、遠からずマーケットを賑わすようになると思う。

一番ありそうなのはファンクラブデバイス。アイドルやアーティスト、プロスポーツ、作家、作品etc。データベースやファン同士の交流の場を提供し、かつこまめに更新され続けるデバイスグッズ。

あるいは教育にのみ特化したデバイスなど。



ぶっちゃけですね、ソニーさん、任天堂さん、こっち方面に良い金脈がありそうですぞ?
子供のため、という目的に特化したデバイスを独自に造っちゃったらどうですか。
提供するのはゲームと教育。
そして、厳重で繊細なフィルタリングを設定して、子供に相応しくない情報は一切通さないデバイス。

うまく作れれば、飛ぶように売れまっせ。ネットが抱える闇の部分から、わが子をなるべく切り離しておきたいと望む親は多いので。

ゲーム方面はともかく、教育方面はノウハウが少ないでしょうから、既存の教育産業を抱き込んでしまうと良いかと。
さらには通信事業も抱え込めれば、フィルタリングや料金体系を含めたシステム構築がスムーズになるかも。

同様の発想で、高齢者層に特化したデバイスも当然需要があるはず。軽くて操作が楽で画面が大きくて、ライフログやモニターを自動でやってくれて、不測の事態にも対応してくれるシステム付きの。


とは言え、本来あるべきデバイスの未来は、どこまでも汎用性が洗練され続けることだとは思うけど。
理想がどうであれ、人間の本質は、他者との差異を求め、優位性を獲得することにあるのだから、多様で雑多な混沌に流れていくものなのだと思う、結局は。

問題は、そんな多様性を保てるほどに、人間社会が豊かさを維持できるかどうか、なんだけどね。アメリカの旱魃と不作の報道は、今実は一番怖い話だ。



2012. 06. 22  
招待メールが届くまで1~2週間かかるとのことだったのでノンビリ待つつもりでいたのだけど、もうキタ\(^O^)/

さっそくログインして(Facebookでイイネ! を押すのが最初の手続き)、ハンドルネームを入れる画面に進む。

はた、と脳内で立ち止まる。
そういえば、当時のニフティサーブで登録していたのは「星ゆう輝」じゃなかった。
「おぶりん」だった。
この名前をもじってゲームのキャラ名にしたり、このブログの登録名にしたりしていたはずなんだけど。

何故だろう、このかつてのハンドル、ひらがな四文字を見ただけで、いやさ思い浮かべただけで、なにやらイヤな汗が出る心地。

それは多分、学生時代の雑記帳なんぞを押入れの奥から発掘した時に流れる汗に似ている気がする。
どれだけ自分が幼稚で痛い人間なのかを再確認させられる文字列。
とりあえず、かつてのハンドルはあまりに痛いので、星ゆう輝で登録をして、ログインしてみる。

さてさて、どのフォーラムに居たっけなぁ、リストはたくさんあるけれど、私自身はそんなにアチコチを渡り歩いていたわけでもなくて。FCOMEDYとかSGAINAXとかフォーラムじゃないけど天狼PATIOとか、まぁいくつか……。

ざーっと流れていく会議室名を眺めていて、瞬時に悟った。
どれほどの年月が流れ去ったかを。
そして、もう決してあの頃に戻れはしないのだ、ということを。

ほんのしばらくうなだれて、そっとブラウザのページを閉じた。


昨日はFacebookに┐(゜~゜)┌ヤレヤレ 
今日は自分自身に┐(゜~゜)┌ヤレヤレ
なのでありました。

2012. 06. 21  
既に本名でアカウントはあったけど、ほぼ凍結状態だったFacebook。

今日、このブログの名義で登録し直しをしてみた。
ニフティサーブが25週年記念で限定開設されるとのことで、懐かしくなったというのもあるし。
「星ゆう輝」の名はニフティの記憶と密接に繋がった、思い出深いものであるから。
招待状、早くこないかな。


未だに、FacebookよりもGoogle+の方がお気に入りだし、後者の方に伸びてきて欲しいと思っているのだけど、時代の趨勢はどうやらとどまること無くFacebookまっしぐらのようだ。新しいiOSでは標準搭載になるようだし。


……ちょっとプロフィールをいじろうとして苛々。
こんなに自由度の無い仕様だったっけ?(すっかり忘れている)
好きな本だのテレビだの、いちいち作品名なんか入れてられませんよ、人生こんだけ積み上がってきたならば。
SFだのアニメだの特撮だのって、大雑把にジャンルを指定したいだけなのに、勝手に固有のコンテンツ名を割り振ってきて、しかも削除もままならないって、さすがに操作性が悪すぎでしょう。

エレガンスが足りない。
これがSNSとして標準になる未来なんて、軽くウツですわ。

ああ、元々は学生さんのためのSNSだったっけ。そりゃ年寄りにはキツいのは当然かなぁ┐(゜~゜)┌ヤレヤレ


2012. 01. 27  
小島慶子さんの「キラ☆キラ」を、私はポッドキャスト配信で聴いていた。(なので投稿カテゴリは『ネット』に放り込むのだった)平日昼間のダラダラした民放ラジオは好きじゃないので、私としてはかなり異例のことだった。

それが終わってしまうという。残念だ。
が、先程ポッドキャスト配信で降板の理由説明を聴いて、ああこりゃ仕方ないだろうなと納得。
ラジオ番組としての人気はかなり高かったらしい。
なので私には「金の卵を産むガチョウを〆ちまったねぇ」と見えるのだった。
どう考えてもあの番組は小島慶子という稀有なキャラクターゆえの個性が支えていたのだと思うし、それを矯めざるを得ないような局の指示に、あの気位の高い「女王」が従う気にならなかったというのもなんだかよく判る。

男のように考え、男のようにキッパリとモノを言う小島さんのパーソナリティは共感出来る部分も多く、また日替わりのパートナーも面白いトークの人が多い。特に好きなのは堀井憲一郎氏と吉田豪氏と町山智浩氏、この御三方のトークも聴けなくなるのかと思うと尚更淋しい。


この春の改編期以降については何もまったく決まってないとのことで、なんとかこの小気味良い中性的なノリを受け継ぐパーソナリティが来てくれないかと思うのだが、さてどうなることやら。
メインとは言わないけど、日替わりコーナーあたりにサンキュータツオちゃんを配置してくれんかねぇ(´ω`)
聴取率が取れるかどうかはまったく不明だけど。
まーいろいろ無理だろうなぁ。

2012. 01. 21  
ライフログ、という言葉をよく見るようになった。
毎日の記録、という大雑把な解釈で良いと思うのだけど、これ、今後けっこう流行るのじゃないだろうか。


私は、毎日あれこれ記録する。
朝、入浴後に体重を測って、手書きでグラフにつける。
iPhoneアプリの「瞬間日記」というものを使って、何を食べたかなどを書く。その他細々したこともついでに書く。
iPhoneのリマインダーとカレンダーに、予定ややるべき事を書く
ぼさーっと思いついたことを垂れ流したい時にはTwitterに書く。
あれこれ考えて形にしたかった場合は、こうしてブログに書く。
寝る前には大学ノートを見開きを一日ごとに使って、右側には散文記録を、左側には言葉にする気にならないような落書きを書く。

うわっ……私、ライフログ、つけすぎ?

だがライフログサービスというものをちょっと見てみると、ログとみなされるジャンルはもっと幅広い。
どこへ移動したか、とか何を聴いているか、とか、何を読んだか、とか。デジカメで撮った画像をひたすらアップしていくネットサービスもある。
場合によっては、パソコンやスマホのブラウザで、何を検索したかという記録まで。

うーむ。
いくらなんでもログり過ぎではないだろうか?
ぶっちゃけそこまで他人様の動向に興味なんか無いよ、という人が大多数なのじゃないだろうか。
個人的には、親しい人が何を読もうが観ようが移動しようが、私はかなりどうでも良い。
が、それによってどんな感想を抱いたか、という心の動きには興味がある。
人間とは、共感して満足を得たがる生き物なのだなぁ、と思う。


さて、他人様のログには興味は無いが、感想には興味は持てると結論付けた所で。

発想を変えよう。
ライフログはあくまでプライベートな、自分ただ独りだけのためのものだと捉えた場合。
むしろもっと徹底的にログを取っても良いくらいなのかも知れない。
というのは、ボケてきていて、3分前のことすら忘れるから。うん、マジで切実なんよ。

というわけで、中高年向けのサービスとして、簡易で判りやすい、しかも自動であれこれやってくれる総合ライフログサービスというのがこれから大いに伸びると思うのだ。
幸い、iPhoneを始めとして、操作性も携帯性も高いデバイスが普及し始めている。
何を食べたか、何を思ったか、何が欲しいか、というようなことは自分で記録するしかないけれど、デバイスで何を見て、何を聴いて、何を検索して、何を発言して、誰と連絡をとったか、ということは、それぞれ一日ごとのフォルダに自動に振り分け蓄えるようにして、さらにはそれをクラウドに自動保存していくようなサービス。
アプリごとに記録を分散させるのも良いけれど、それらすべての包括的バックアップとして、「その日一日」ずつ閲覧可能にまとめたライフログ集積。

それを3歳でも100歳でも使えるくらいの簡単設定にして、面倒な分類整理はデバイスまかせでOK、ってくらいにまで洗練させたサービス。

けっこう、稼げる市場になると思うのだけどね。

2012. 01. 15  
コメントくださった方にレスを返そうとしたら、コメントが出来ない。

何がどうなっているのやら。

確かに、一度、内容を書かないまま署名だけして送信になってしまったので
(これもなんだかおかしい、普段の操作ならそんないきなりアップロードにならないはず)
いったんそれを削除したのだけど。

その後ちゃんと内容を書いても撥ね付けられる。不正な投稿だとか、前回と内容が重複してます、とか。
ちょいと設定などをいじってみたけど変化無し。

う~~ん∩( ・ω・)∩オテアゲ


とりあえずしばらく放っとこう(´・ω・`)

プロフィール

星 ゆう輝

Author:星 ゆう輝
人生50年、オタク歴40年弱、母親業四半世紀。老眼とボケが迅速に進行中。麗しいロボ執事をはべらせるのが老後の夢。

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