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2005. 11. 27  
 最近夫の人から「ウルトラマンマックスが面白い」という話を聞いてはいた。
 なんでもウルトラマンが「アレアレ症候群」になってボケまくるとか、寝っぱなしの怪獣をなんとかする騒動のさなか、怪獣が起きそうになったと思ったら金縛りにあってるとか、聞けば聞くほど

「つまりなんだぁ、マックスってのは平成のウルトラマンタロウ路線ってことで納得して良いのかね?」
 という認識に落ち着きかけていたのだが。
 やーっぱモットクレロンに餅つき大会だよなw


 どうにもそれで収まるものではなかったらしい。物凄かったですな、26日放映の「胡蝶の夢」。
 マイミクのMashさんの日記にリアルタイムリポートがあって、これがあまりに簡潔で面白かったために、思わず夫の人の部屋に乗り込んで録画を見せてもらったのだった。

 内容はモロ、メタフィクション。夢と現実の境が曖昧模糊となっていく世界観は、多くの人が押井守氏の諸作品を思い出すだろうと思われる。
 そして、映像はもうどこまでもどこまでも徹底的に実相寺氏なのだった。
「宇宙家族カールビンソン」のキャラにちなんで、我が家ではしばしば「ジッソウ君、ジッソウ君」と呼ばれる氏ではあるが、言うまでも無く、「ウルトラマンを作った男たち」の偉大なるお一人である。

 だがしかし・・・・・・この内容は・・・・・・。
 私には基本的に「ヒーローというものは子供達のためのものである」という思想がある。
 ここまで本来の視聴者であるはずの子供を無視して超光速で趣味の世界にぶっ飛んでしまうというのは!

「俺がプロデューサーだったら絶対止める!」
「私がプロデューサーでも絶対止めるし、まっとうなスタッフならみんな止めるでしょうよ、だがしかし現場にどれほど良識が満ちていたとしても、「ちょいとお年を召した上の方のある御方」からの連絡一本で、無理が通って道理が引っ込むしかない、製作現場というのはそーゆー所じゃないのかいっ」

 ともかくも、夫の人は大変なダメージを被ったようで、「俺はウルトラファイトを見て心を洗うことにするよ」とへこたれていた。(余談だけど、唐沢なをき氏描くところのウルトラファイト、最高ですね!)

「胡蝶の夢」の後には、「狙われた街」(メトロン星人茶の間でモロボシダンと膝詰め談合するの巻)ならぬ、「狙われない街」というのが、やはり実相寺氏演出で放映が控えているという。

 うーむ。ううーーむむむ。

 私ゃね。
 こういうのは良くないとは思うんですよ。そんな、まるで、オールドオタクが同窓会やってそのノリで同人誌作るみたいな代物ってのは文字通り同人レベルでやってくれ、と。

 だがしかし、困った、誠に困ったことに、私はこのぶっ飛びカルトムービー調ウルトラマン「胡蝶の夢」を心の底から楽しんでしまったのだ。弱いんだよこーゆーの、好きなんだよ、たまらなくツボに入るっちゅーか、理性は全力で拒否するんだけど、情緒の黒い部分が暗ーい悦びにのたうちまわる、みたいな。

 実相寺氏の映像美はもともと好きであったし、「なんだこのチープさは、こんなものが観られるかっ!」とちゃぶ台を盛大にひっくり返して以来かえりみもしなかったマックスの低レベルな特撮部分というのが、恐ろしいほど今回の「胡蝶の夢」という内容にマッチしていたし。
 もしや実相寺氏は、この特撮がどうしようもないほど酷い、という弱点を逆手にとって生かすしかないと判断してこれを創ったのか?
 だとしたら老獪の極み、恐るべし、と言うしかないだろう。

「狙われない街」も観ちゃうな、きっと。
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2005. 11. 25  
まぁ何が一番疲れの元っていうかぶっちゃけ逆鱗に触れたかというと、前回紹介したリンクのページにはつい最近までこういう一文があったわけですよ。

【引用】
それは、ライター・評論家を自称する、一部の偏ったオタク
たちの存在です。彼らは、さも自分 たちがオタクの代表で
あるかのように、【オタク】という言葉を著書やホームペー
ジで使用しています。こうしたことも、【オタク】の矮小化
に拍車をかけているように思います。
【引用終】

つい先ほど確認したら、綺麗さっぱり削除されていたわけで。

削除に至った経緯の裏には、正々堂々たる論陣を張ってガチンコ勝負を挑んだ勇者の存在があったゆえ。

あえて名は出しませんが、オタクとして生き、オタクとして出版業界で長らく闘い抜いている、誰よりも誇り高いオタクの友人。今回のこの件に関するその人の対応には感服するしかなく、至上の賞賛を捧げるものであります。
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2005. 11. 23  
 FFXIやってないとネタが無いってのがバレバレなのかそうなのか。いや、そんなこともなくて、ただ疲れてるだけかも。疲れるニュース多すぎだし、昨今。
 震度5で倒壊する建築物ボコボコ建ってしまう世間とは一体どうなっておるのかとか、メロディのみならず映像までパクリまくその歌手のプロモビデオだとか、もうてめぇら片っ端からTP300%ランページでお仕置きしてやるからそこ座れ! ってか。

 本日疲れるというよりもう呆然としてしまったのがこちらである。↓
http://www.otaken.jp/oe/about.htm

 いったいこれはどういう妄言なのだろうか。阿呆とは付き合いたくないしスルーしておきたいのではあるが純血種オタクとしてはどうしても言いたいことはある。

 オタクとは趣味ではない。対象を限定されるようなものではない。

 オタク、それは一つの生き様である。ウェイ・オブ・ライフである。人間のあり方の一つの形なのである。
「これが我らの生きる道」
 そういうものなのである。

 オタク検定なるものが出現した時も大概呆れ果て嘲笑するしかなかったのだが・・・・・・一体全体、人の生き方というものを得手勝手な解釈で限定して数値化してランク付けするなどと言うことにどういう意味があると思っているのだろうか。いや、意味はあるのかもしれない。おそらく発案者にとってのみの個人的な何かが。

 生き方を、生き様を数値化されてたまるものか。愛に生きる人も数値化するのか。他者に奉仕する生き方する人も検定するのか。ハードボイルドな生き方してる人がいたらそれもランク付けするのか。「長いお別れ」読んでなきゃダメだとかバー行ったらドライマティーニ呑まにゃアカンとか「あーもうそんなの全然ダメダメだね君w」とか言い垂れて見下してささやかな自己満足得たいってことじゃないのか。

『オタクの矮小化に拍車をかけた』?
 今まさに、それをしているのは他ならぬそちらだ。
 寝言は独りの自分の部屋で垂れ流すがよろしかろう。
 愚かな見識に基づいた、本質をまったく理解していない自己中心的な主張、提言、そんなものを撒き散らされるのははっきり言っておくが大迷惑である。


 まーったく疲れる。勘弁して欲しいくらい疲れる。
 そんな疲れる今日この頃、見に行くのが楽しみになっているブログが1つある。こちらである。

http://ch.kitaguni.tv/u/310/

 幅広い話題、豊かな見識、恐ろしく高い知性を感じさせる怜悧と理路整然。
 特に11月15日付けの、人間関係というものについての一文は心の底から感嘆、震撼、感動なのだった。
 ただまぁ、高度すぎて私には実践はなかなか難しいことであるなぁ、とも思ったのだが、指針として精進いたしますですよ、ハイ。

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2005. 11. 16  
 日本のプリンセス、紀宮様の結婚式の報道を見ていて、この上ない清楚ぶりに実に和やかな気分なのだった。飾り気一つ無いつややかな白一色のドレス。皇后陛下のものであったという披露宴でのお着物もまた上品でいて地味ではなく、「本物の上流のセンス」を感じる物だった。


 一夜あけて、ネットを見て吃驚。なんとあのシンプルなドレスは、プリンセスが子供のころから憧れてやまなかった「ルパン三世 カリオストロの城」のクラリスのウェディングドレスを模したものだという!
 見事です。流石です。素晴らしいです。天下無敵のコスプレであることよ。
 紀宮様がオタクであられる、という噂は随分以前からオタク界ではいくつもの情報とともに流布したものではあったわけだが、かくも明晰な形でそれを実証なさることになったということに心からの感嘆を禁じえない。めでたくもご結婚なされ、一般人としての新しい人生、幸多からんことを。ごく普通の女性、黒田清子さんとして、年2回のオタクの祭典、コミックマーケットにもご自分の足で出かけて当たり前に楽しまれる、そんな日が来ますように。


 天野月子「天龍」、バンプオブチキン「ジュピター」を入手して聴く。
 天野さんについては「もっとがんばりましょう」のハンコ、ぽん。歌詞はセンス良いのに歌声が気取りすぎててミスマッチ、基礎をもっとしっかりやって、せっかく書いた良い歌詞に見合う唄い方ちゃんと精進しないと勿体無い。まぁ歌手というものを「こいつでどれだけ稼げるか」という目でしか見ない下衆な指導者に抑圧されてる可能性は否定しないけどさ。
 バンプのヴォーカルも表現力があっても基礎がなってなくて勿体無い印象はあるのだが、不思議と違和感無しに心地良いのは、気取らず、背伸びせず、カッコつけず、素直に自分を出した唄い方ができているからだと思う。かなり青臭い世界観にピッタリ合っているんだな。何度聴いてもダンデライオンは素直に泣けて、良いなぁ♪
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2005. 11. 13  
FFXIの濃い話********テクニカルターム多数注意

 さて、週に2回の固定LSによるリンバス活動である。

 各所でチップを集め、ある程度の種類をトレードすることで、特別なBCに入ることが可能になる、それがリンバスの特徴の一つだ。

 飛空挺BCで多くのプレイヤーに血反吐を吐かせまくってきたオメガ、アルテマウェポン。

 だが、60制限の飛空挺BCにおけるそれは、完全体ではなかったのだ。

 リンバスでの苦難を経て、ようやくプロトタイプ(まっとうな、と解釈していいのか)の奴らと対決権利が発生するのである。

 そして、ついにプロトオメガと決戦する日がやってきた。LSメンバー18人が一人残らず初めて集い、編成を練りに練っての出発。私はスタン要員の一人として、赤/暗で参戦である。
omega11121


 オメガは四つんばい時と、2足歩行時の時とで戦闘態勢が変化する。2足歩行時は、精霊ダメージを4分の1以下しか受け付けなくなるし、暴れまわる。スタンを回して抑え込みつつ耐えるしかない。
そして時々、子機を召喚する。この子機は撃破しても、また次の子機にヘイトが継続されるというイヤらしい仕様だ。
omega11122



子機のヘイト継続に気がつかず、赤Xさんが犠牲になってしまった。

 もちろん、オメガ本体の攻撃も凄まじい。ナイト二人と忍者、サポ召喚の真空回しなどでガチ固定、遠くから魔導師部隊の精霊射撃削り、という基本戦法だが(グラビデ、バインド、ディスペル入らず。赤魔にケンカ売ってんのかゴルァァ)蝉・ブリンク貫通の特殊技も多く、リアレーザーやガイデッドミサイルも健在、ナイトが1撃700オーバーの被ダメもあるというムチャクチャさだ。


 だがしかし、リンバス固定LSのメンバーは計り知れないほど高スキルの人たちばかりだった。それは今までも充分実感できてはいたのだが。装備も考えられる限りの最高だったり、カンストジョブが多数あって、敵と編成に応じてどんどん変えていける人が多かった。二人のリーダー、NさんとMさんの百戦錬磨のクールで的確な指揮能力がまた凄かった。

 制限時間は30分。撃破までに10分程しかかかっていなかったと思う。

 そして、アダマン鉱や古銭のほかに、オメガの後脚、尾がドロップ。これはホマム装備(通称赤バローネ)と交換可能な超絶エクレアアイテムである。後脚はヒュムナイトAさんがロット勝ち、尾は赤Xさんが入手であった。

 アダマン鉱はランダムで一番低い数値の人が貰えることになった。ダイスを振ってみる・・・・・・7! 7ってなんやwww「決まったな」「7キター!!」

 一年間にわたり裏に参加して終盤まで一つもAF2をゲットできなかった、ウォリアーマスクに伝説の5ポイントを叩き出して全米を泣かせた、この私の実力舐めんじゃねぇぇぇ!!!(それって違うしw)


 良い夜だった。凄いLSだった。

 だが、思うところあり、昨夜限りで私はこのLSを離脱させていただくことにした。

「ヴァナでやらねばならないことがある」

 そう思ってログインするだけで起きる最近の体調不調。頭痛、嘔吐感、肩こり(40肩じゃないYO!)などのもろもろのこと。どうにも治らない。

 義務感抜きで、合成などのためにログインするならばまったく起こらないこの不調。完全に精神的なものであり、内科的問題などではない。勝手気ままに過ごしてさえいればなにも起きないのである。
 どうか心配はしないで頂きたいものであります。


 そして、この不調が原因で長らく休んでいた金策LS・カバラの皆さんにも、今日、離脱の意思表明をし、お別れの挨拶をした。

 どちらのLSのリーダーからも、暖かい理解と慰労をいただき、感謝の念が尽きない。リンバスLSのミスラ白Jさんからはクリムゾンゼリーを贈って頂いた。別れを惜しんでくれる多くのフレ。ヴァナで多くの宝を得た私の、最高のものの一つが暖かい友であったことは言うまでも無いことだ。


 ふたつのLSの今後の益々の活躍と発展を心から祈って今日の日記の〆とするものである。




 いや、引退じゃないぞ、隠遁だぞ! 「アトルガンの秘宝」が来るまでやめるまいぞ、消えまいぞ!!w

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2005. 11. 11  
 朝方からムムム、と首を捻っている私である。ヒルコに続いてまたも「妖怪ハンター」が実写映画化されたらしいのだ。紹介サイトはこちらである。↓

http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=6398

 スチールみてますます首を捻る。ひ、ひ、稗田礼二郎がメガネ! ショートカット! うぎゃあぁぁぁあっ。「違うだろそれっ!」いくら私がメガネ萌えだといってもこりゃぁいかがなものか。長髪でないとは許しがたい!

 などと馬鹿げたことほざいてはいても、実は私、沢田研二が稗田を演じた「ヒルコ 妖怪ハンター」は結構好きだったのである。昔日の色気をほとんど喪い、くたびれた中年となった沢田研二が、それでも妙な存在感を持って独立した個性の稗田としてそこにいた。もちろん原作の稗田の面影など無かったのだが、不思議と私はそのことに違和感も嫌悪も覚えなかった。何故だろう? それはつまり、この映画が映像として堅実さを持ったものであったからだと思う。

 今回映像化される妖怪ハンターネタは、最高傑作の誉れも高いあの「*****いくだ」(ネタバレ禁止につき伏字)だという話。かつてマンガ好きはことさら諸星大二郎ファンでなくても、妖怪ハンターの話題が出ればたちまち判で押したかのように「*****いくだ」「*****いくだ」と口にしたという、それほどのインパクトをもった、アレである。

 不安だw

 よりにもよって、あれほど映像化が困難なエピソードをやるのか? とかなり不安だ。
 なまじのことではあの驚異のクライマックスシーンは表現できかねると思うからだ。下手を打つと「ゴジラ対ビオランテ」におけるとあるシーンが「沢口靖子の金メダル」と揶揄されたかのごとき代物になりかねない。

 まぁ観てみれば判る事なんだが。巧くまとめてあるなら拍手喝采。ある意味失敗してもちーっとも驚かない。それくらい困難なことに挑戦しようとしたということは確かだと思う。


 諸星大二郎氏の作品は本当に本当にほんとーーーーぉぉぉに好きだった。個性、というものにどれほどの価値があるか、誰にも真似できないなにか、というものがどういう事なのかをこれほど端的に読み手に叩き込むマンガ家もそうはいるものじゃない。

 恐怖もののマンガ家と思われている諸星氏だが、意外と昔はシュールなギャグも描いておられたりして、こっちも軽妙で実に良い。
「ドテッ腹に風穴あけてカツブシ3本突っ込んでネコけしかけるぞ!」ああ、あの作品が収録されている単行本、散逸しちゃったなぁ・・・・・・。
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2005. 11. 08  
 世に「怒髪天を突く」という言葉があるが、現在只今ワタクシそういう状態だと思ってもらって差し支えないものである。

 なぜかというとまぁここをご覧頂きたい。↓

http://www.geocities.jp/flutter_of_earthbound_bird/

 私は盗作をするやつが嫌いだ。
 どんなに罵ってもかまわないと思っている。
 人間として最も恥ずべき行為の一つだと思っている。

 だがどんなに恥知らずと罵り嫌い抜いても、これほどの激怒を覚えたことは無い。
 これはもう完全に私的、個人的感情であることくらいわかっているが。

 盗まれまくった作品は「はみだしっ子」。
 今は亡き三原順さんの代表作品である。
 これは私が生涯通して最高の評価を与え、いかなるマンガ作品より愛し続けている稀代の傑作なのだ。心の中の至上の宝物なのだ。

 かかる暴虐に対し私が感じる瞋恚のほどを表すことは私の貧弱な語彙ではとうてい無理なことである。
 今目の前にこの盗人がいたら、殴る。絶対殴る。泣いて謝っても許さん。殺す? そんな慈悲深いことするものか。100まででも生きて頂きましょう。死ぬまで汚らしい盗人の烙印背負って生き地獄を味わえ、というところですな。


 それにしてもこの恥知らずの作家は、ここまでえげつない盗作ぶっこいてバレないとでも思ったのかねぇ。

 三原順がとうに物故した過去の作家と見なして甘く見やがったのか。
 もはやアマゾンですら単行本の表紙すら表示されないほどマイナーな作品ということで侮りやがったのか。
 天網恢恢疎にして漏らさず。「はみだしっ子」の、いやさ三原順作品の持つ威力を舐めてもらっちゃぁ困るな。



 つい先日私は「多くの少女漫画の傑作が時の流れの中に埋もれて消えゆこうとしている」と書いた。
 それで良いのか! と感じる筆頭の作品が他ならぬこの「はみだしっ子」である。

 社会の規範が崩壊しつつあり、常識良識がバラバラになりつつあり、人間として最も大事なことが喪われつつあり、親が子を虐待し放置し遺棄し、あっさり殺す現代。

 こんな今だからこそ。
 まさに今、今だからこそ、この「はみだしっ子」という作品の価値を世に問い直すべき時代なのではないだろうか。

「はみだしっ子って、何?」とフレのMさんに問われてかるーくショックを受けてたホンの2、3日前からなんとなくそう考えていたところに飛び込んできたニュースだったのだ。

 いっそこのニュースがもっと喧伝されて、それがきっかけになってはみだしっ子が大々的に復刊され、また多くの人に読まれるスタンダードな作品としての地位を取り戻すようなことにでもなるのならば、盗人作家の罪一等、減じてやっても良いぞよ、うむ。
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2005. 11. 07  
 夫の人が「アホの坂田」(キダ・タロー作)を聴いてしまったばかりに頭から耳からフレーズが離れずフッと気が緩むと口ずさんでしまうらしい。もちろんリビングでもリフレインだ。なにか同じくらい脳に貼りつき易い楽曲を仕入れて相討ちにするのが良いと思うのだが、イマイチ私も思いつかないな、うーん。キダ・タローはある意味凄いわやっぱ。


 さてさて、ここ何日かはアマゾン経由で送られてきた伊集院大介シリーズを読み耽る日々。

 イイ(°∀°)!!

 面白いとか素晴らしいというより、もう万感こめてイイ!! なのである。

 特に、天才ミュージシャン矢代俊一(この人が主人公のシリーズも「キャバレー」以来長く書き続けられている)と大介さんとの出会いを描いた「身も心も 伊集院大介のアドリブ」の内容の深さ、描写の鬼気迫る模様は栗本さんの最高傑作の一つと言ってもいい気がする。

 また「聖者の行進 伊集院大介のクリスマス」は、全編が藤島樹という初老女性(50過ぎだろう)の一人称で書かれているが、この樹という女性の生き様、信念、思想というものがあまりにカッコ良く、「こういう存在になりたい!!」と激しい憧れを喚起する人だった。

 イイ! なぞと軽薄そのものの言葉で済ませてイイのか、というところなのだが、これほどまでに、心臓の下の奥のほうの人間にとってもっとも重要な魂の根底みたいな部分を掴まれて揺さぶられるというような深い感動、情動の動きみたいなものを表すのに「面白い」「素晴らしい」「感動する」というありきたりの言葉が似合わない気がするのだ。私如きの使える言語では追いつかない世界というのが確かにあるのである。

 そんな果てもなく広く遠く深く追いつけもしない世界を見る者、感じる者。もう言葉になぞ出来ないからこそ矢代俊一は演奏をするのだろう。作曲をするのだろう。

 そしてそれが一体どういうものなのか、という描写を小説という形で言語で実行することの超絶。

 天才だけが天才を知る、描ける、ということなのだろう。

 また、知る、判る、からといって、天才同士が人として絆を結び合えるというものでもなく、「神の器」として在る超絶レベルの才を持つものが、どれほど孤独を強いられるか、ということも栗本さんは繰り返し書いて来たことである。

 だからといって同情は不要なのだろう。孤独であること、理解されないこと、他人と対等な交流という形で関わりあえない哀しみ、悲劇、苦難がどれほど凄まじかろうと、だ。仕方が無いことなのだ。それもまた人間の一つの生き様なのだから。

 そういう存在に、理解とは程遠い勝手な思い込みを押しつけようとする一般人の動向そのものこそが天才にとっての最大の悲劇の元になったりするわけであるし。

 だがしかし、その理解、尊重、共感等というものと、自分の妄想を主体とした思い込みでしかないものとの区別が出来ない者の愚かな振る舞い、というものもまた、「人間というのは哀しい物だ」ということになるわけで。


 大介さんは、天才だろうが愚か者だろうが、わけ隔てなくニュートラルな視点で見つめる人だ。
 ニュートラル、中庸であるからこそ総てを視られる位置、存在。そういうところが私は一番好きなのかもしれない。

 だがそんな大介さんをすらムッとさせ、逃げ出すか放置したくなるようなUZEEEEEEEE人間、伊庭緑郎というド阿呆を描く筆致もまた容赦が無い、これもまた凄い。(陽気な幽霊 伊集院大介の観光案内)
 新撰組! のステスケ同様、この伊庭ってのが登場するだけで私も本の世界から逃げ出したくなるほどキライだ。ウザさで言うならグイン・サーガのサイデンと良い勝負。

 奇妙なことに、マリウスとこの伊庭というのは言動パターンが似ているのに、私はマリウスをどうしようもないロクデナシだとは思っても、ウザさは感じないのだな。「いやぁあいつら同じくらいウザい」という人も多いのだろうけど。それはきっと多分、マリウスが矢代俊一クラスの天才を持っているからかもしれない。「あの唄を聴けば総てを許すしかない」というほどの。

 天才というのは表現を通して、己と他者を浄化する存在でもあるから、だろうか。

 不思議と「神の器」であってもマリウスというのには、あまり孤独や哀しみの影が強くない。特にブレイクスルーを果たして開き直ってからは、かな。やっぱ人間じゃなくなってしまったのかもしれないなぁ、コレ。



 さてさて、ハイクォリティな感動を沢山味わうと、私はとても消耗する。ずーっとダラダラ。まだ続くかも。

 FFXIの方はメリポ少々、リンバス少々、ますますログイン減ってるなー。

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2005. 11. 04  
「ほぼCGじゃないのか?」という疑いを持ってしまったコープスブライドであったが、製作レポートなど調べた限りでは
「ほぼCGに見えるほどのストップ・モーション」と断定して良さそうである。

 新技術(もちろんデジタル技術も含まれる)、新素材などの開発がもたらした人形アニメの新世界なのだろう。

 ハリー・ハウゼンは遠くなってしまったことである。
 でも現役スタッフに深く愛されているわけだけど。オマージュはコープスブライドにもモンスターズ・インクにもあった。

 ハウゼンへのオマージュは多数。ジェリー・アンダーソンへのオマージュはトレイ・パーカーや(チーム・アメリカはやりすぎだとは思うが)ニック・パークが実行してるし……。

 ジム・ヘンソンは!
 ジム・ヘンソンは埋もれて行ってしまうと言うのかーっ!

「ダーク・クリスタル」の素晴らしさをもっと世間にぃっヽ(`Д´)ノ!!
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2005. 11. 03  
「コープスブライド」を家族揃って観に行く。

 外したぁっ!!

 ティム・バートンの「コープスブライド」となってはいるが、皆々様方くれぐれもご注意めされよ、ティム・バートン監督の「コープスブライド」ではないのだ、ということを。

 確かにティム・バートンらしさはある。だが、彼の映像では無い。ティムのテイスト、エッセンスを取り込むことは出来ても、ティムの映像を真似できるはずも無いのだ。

 それなりに無難にまとまってはいるものの、私的にはダメダメであった。残念である。

 映像に興味の深い人なら、同じコンセプトのキャラによる「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」(まぁこれも実は監督はティム・バートンではなかったのだが)と比較検証してみることをお薦めする。個性的かつ明確なビジョンによる構図によって世界観を確立し、ファンタジーでありながら確かな実在感のあるキャラとワールドの表現に成功していた「ナイトメア」に比べて、「コープスブライド」の問題点が見えてくると思う。

 簡単に言うと、ビジョンが近視眼的なのだ。キャラも背景もガジェットとして配置されているに過ぎない。世界としてビジョンを浮かべることが出来ない監督の手による映像はこうなりがちだ。

 話はズレるが、先日メイドがヒロインのとあるマンガを読んだ。同様の感想を抱き、やはり私的にはゴミ認定。自分なりのこだわりを持って大量の資料を集め、「そこが大事なんですよ!」とこだわりぶりを強調しているようだが、「いやアンタにとってはいくら大事でも、読者(の私)にとってはどうでもいいことですから、それ」

 表現を自己満足や自慰行動と履き違えてはもらいたくないものだ。
「別にそれでもかまわないじゃないか」
 という意見も勿論あるが、私はそうは思わない。表現活動はすなわちコミュニケーションなのだ。受け手があってこそ、なのである。自己厨な趣味性より優先されるべきことはあるのだ。


 で、「コープスブライド」に話をもどすが、この作品、ストップモーションアニメ(人形などをコマ撮りで撮影する手法)として宣伝されているのだが、どうも私の目にはこれが疑わしく映って仕方が無かった。ぶっちゃけ「ほぼCG」なのじゃなかろうか? という疑いである。

 それともストップモーションアニメとコンピュータ画像処理の婚姻による、これが新時代の人形アニメということなのだろうか。

 それならそれでも別にいいのだが、どうもかつての人形アニメに当たり前に存在した、ぎこちない中にも手作りらしい温もり、というものが感じられなかったのがまた残念……いや、こりゃ単なる年寄りの繰り言かもしれないな。「昔は良かったのぉ」いやそれじゃ前へは進めんて、うん。温故知新って言葉もあるけど。
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2005. 11. 02  
 いかん。いかんのである。体調がよろしくないのである。
 どうにもだるさが取れず、デレデレ過ごす日々になっている。

 でもしつこくデスノートを読み返し続けていたりするのだった。

 ライトとLに激萌えの私であるが、どちらかと言うとやはりLに軍配が上がるか!?
 最初読んだときから、Lを見ているとなぜかとある探偵を思い出すのだった。
 その名は「伊集院大介」。グイン・サーガの栗本薫さん書くところの現代物ミステリーで活躍する探偵である。

 私はミステリーは苦手な方だ。頭が悪いせいなのか、謎解きや犯人を予測できたためしが無い。そして謎が解決してしまうと再読する気もなくなってしまう。だからもともとあまり読まないし、買わない。
 そんななかでもお気に入りの探偵はいる。エラリー・クイーンとシャーロック・ホームズ。ホームズはあの破綻しきった性格が、エラリー・クイーンは探偵としても作家としてもたまらなく好きだ。

 しかし誰よりも何よりも最愛の探偵はやっぱり伊集院大介なのである。
 伊集院大介のシリーズはとても長く書き続けられており、最初「絃の聖域」でデビューしたころ、まだ大学出て間もないくらいのピチピチ坊やだった大介さんも、時代と共に歳を重ね、もはや白髪の方が目立つ初老男性となった。

 大介さんは、一言でいうなら「とても不思議な人」である。論理性と直感の両方に秀でており、どこか人間離れしていながら、人間全体に対する眼差しが広くて深い。青年から初老に至る長い年月の間に、どんどん変化と成長を重ねていくところが、浮世離れしていながらもとても人間臭いのである。

 大介さんとLと、双方を知る人にとっては「どこが似てるの?」と思われるところもあるかも知れない。

 あの、どこかとぼけて飄々としているところか。
 それとも推理の進行の基本が「プロファイリング」であるところか。
 やはり何よりも、人間を見る深い目、冷徹さと暖かさを兼ね備えた視線が私には共通しているように感じられるのかもしれない。

 Lとライトの如く、大介さんにもシリウスという好敵手がおり、この二人の関係性や二人が絡む事件の流れにもホンの少しばかりデスノートの展開に似通った部分もあったりするのだが、ネタバレになるといけないので書かない方が良いと思われw

 そういえばここのところ大介さんの活躍する本読んで無いっ!? ダメじゃん私。思い立ってアマゾンで注文大展開! 早くコイコイ。愛しの大介さんは今日もきっと元気に活躍中!

「なんだかんだ言ってるけど、伊集院大介って確かギンブチ眼鏡……」

    えっへっへっへっへ♪

FFXIバッタリ話*******ああもう

 昨夜は固定LSでのリンバス突入日だったのだが、突入できるのが早くても22時過ぎとわかったとたんに崩れっぱなしの体調が見事なヘコタレを起こしたのでお休み。みなさんごめんなさい、ごめんなさい。
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2005. 11. 01  
 火星が接近中である。
 2年前にも古今未曾有の大接近ということで最高の火星ビューを堪能できたことを思い出す。

 で、夜空を見に行ってみた。薄曇の夜空、確認できる星は数えるほどしかない。そんな中、どんな星よりも際立って燦然と輝きわたる星、あれがまぎれも無く火星だ。



FFXIの濃い話******テクニカルターム多数


 2年前の大接近の頃、FFXIにおいて火星にちなんで「スターレッド」(by萩尾望都)というLSを作った。色の設定を間違えてオレンジのLSになってしまったのだが、実際の火星は赤い星とは言われていても、視認できる限りではやはり輝くオレンジだ。あれで良かったと思う。いろいろあって破棄してしまったスターレッドだったが、当時の主要メンバーだった人が珍しくもログインしていたりするのを見つけたりするとしみじみしたりすることもある今日この頃である。

 昨夜は久しぶりに古いフレであるヒュム女性Mさん(メインジョブ何でしたっけ?白赤吟侍がカンストだったような?w)とチャット三昧。

 PMをクリアしようと頑張っているMさん。やはり話の進行から目が離せない模様だ。私としてはやっぱり「ルーヴランス様ぁぁぁぁ~~~~っ!!!」なわけだったが。
「そこか、あなたの興味はやっぱりそこなのか!」

 当たり前じゃぁぁぁぁぁw
 イイ男に脳汁出してナンボの人生、それがア・タ・シ!


 しばらくヴァナから離れていたMさん、まだまだヴァナでやりたいことも沢山あるようで、是非頑張って頂きたいものです。
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プロフィール

星 ゆう輝

Author:星 ゆう輝
人生50年、オタク歴40年弱、母親業四半世紀。老眼とボケが迅速に進行中。麗しいロボ執事をはべらせるのが老後の夢。

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