2007.
06.
15
「ぼくらの」を10話分、一気に鑑賞してしまって見事な鬱だ! ドコガヤ
こちらの公式サイトに大書してあることでもあり、ある程度の紹介はネタバレにならないものと判断してこれを書く。
突如現れた巨大ロボットの操縦者として選ばれた、15人の少年少女たち。
ついこの間までランドセルを背負っていた、ホントの子供に過ぎない彼ら。
だが、この巨大ロボットは、操縦エネルギーとして人の命を要求する。戦闘が終れば操縦者は必ず死ぬ。逃げることはできない。闘って死ぬか、地球もろとも滅ぶか、二つに一つ。次々と死んでゆく仲間。ゴミのように下劣な者も、非の打ち所も無い立派な者も。死に分け隔て無し。
そう、このアニメは、年端もゆかぬ子供たちを、1週間に1人ずつ、じっくりと丁寧に殺していくアニメなのである。
この設定だけでもトンデモないのに、1人1人のエピソードの内容がまた、ハンパじゃなかったりする。
闘いは残酷か? 死は凄惨か?
生きてることの方がよっぽど、地獄じゃないのか?
そう問いかけたくなるような情け容赦の無いバックストーリー。
特にアニメ会の人達が半狂乱になっていたくだりの展開のエグさなんぞ……。
「いったいこの話、どう着地させるんですか!?」
「着地って、そもそも原作完結して無いし」ぐぉマジか。
だが、結局この物語は「メメント・モリ」、死を想え、ということが主題なのだと感じる。
そこから導き出される収まりの良いオチの形はちゃんとあると思うのだが、ベタベタなモノになるから却下かなぁ、やっぱ。
だが、ベタだろうがなんだろうが、かつての「エヴァンゲリオン」TV放映時のラストのような無責任極まる放り投げ、にならなければ良いと思うのだった。
毎回襲ってくる敵などは笑っていいほどエヴァそっくりである。だがこれは非難することではなく、本歌取りと見るべきなのだろう。エヴァ放映から10年。子供たちを取り巻く日本の社会状況は、あの頃とは比べ物にならないほど厳しさを増している。
「もう死ぬすぐ死ぬ明日死ぬ」そのくらい容赦無く死を突きつけねば生を感じることも出来ない心。
どうしても開かない心の眼。
凄惨さがそれをこじ開けることが出来るとしたら、責めるべきではないはずだ。
でもやっぱり大勢いるんだろうな、「こんなもの放映するなんて」「酷すぎる」「ただでさえ現実が厳しいのに、物語でまでそんなものを観る必要など無い」なんて愚鈍な良識を振りかざす人達。
そんな言い分は逃避だ。姑息な責任逃れだ。物語の残酷からすら目をそむける者が、現実のそれをまともに見ているはずもない。自分フィルター透過済みの「こうあって欲しい世」をのみ見ているだけなのだ。まさにそういう、主観本位、自分本位の生き方の大人たちの、真相を見ようとしない身勝手さこそに、現代の子供たちは絶望し窒息しているという事実をも、この作品は明確に切り取って見せている。
「ぼくらの」
麗しい着地に期待する。
こちらの公式サイトに大書してあることでもあり、ある程度の紹介はネタバレにならないものと判断してこれを書く。
突如現れた巨大ロボットの操縦者として選ばれた、15人の少年少女たち。
ついこの間までランドセルを背負っていた、ホントの子供に過ぎない彼ら。
だが、この巨大ロボットは、操縦エネルギーとして人の命を要求する。戦闘が終れば操縦者は必ず死ぬ。逃げることはできない。闘って死ぬか、地球もろとも滅ぶか、二つに一つ。次々と死んでゆく仲間。ゴミのように下劣な者も、非の打ち所も無い立派な者も。死に分け隔て無し。
そう、このアニメは、年端もゆかぬ子供たちを、1週間に1人ずつ、じっくりと丁寧に殺していくアニメなのである。
この設定だけでもトンデモないのに、1人1人のエピソードの内容がまた、ハンパじゃなかったりする。
闘いは残酷か? 死は凄惨か?
生きてることの方がよっぽど、地獄じゃないのか?
そう問いかけたくなるような情け容赦の無いバックストーリー。
特にアニメ会の人達が半狂乱になっていたくだりの展開のエグさなんぞ……。
「いったいこの話、どう着地させるんですか!?」
「着地って、そもそも原作完結して無いし」ぐぉマジか。
だが、結局この物語は「メメント・モリ」、死を想え、ということが主題なのだと感じる。
そこから導き出される収まりの良いオチの形はちゃんとあると思うのだが、ベタベタなモノになるから却下かなぁ、やっぱ。
だが、ベタだろうがなんだろうが、かつての「エヴァンゲリオン」TV放映時のラストのような無責任極まる放り投げ、にならなければ良いと思うのだった。
毎回襲ってくる敵などは笑っていいほどエヴァそっくりである。だがこれは非難することではなく、本歌取りと見るべきなのだろう。エヴァ放映から10年。子供たちを取り巻く日本の社会状況は、あの頃とは比べ物にならないほど厳しさを増している。
「もう死ぬすぐ死ぬ明日死ぬ」そのくらい容赦無く死を突きつけねば生を感じることも出来ない心。
どうしても開かない心の眼。
凄惨さがそれをこじ開けることが出来るとしたら、責めるべきではないはずだ。
でもやっぱり大勢いるんだろうな、「こんなもの放映するなんて」「酷すぎる」「ただでさえ現実が厳しいのに、物語でまでそんなものを観る必要など無い」なんて愚鈍な良識を振りかざす人達。
そんな言い分は逃避だ。姑息な責任逃れだ。物語の残酷からすら目をそむける者が、現実のそれをまともに見ているはずもない。自分フィルター透過済みの「こうあって欲しい世」をのみ見ているだけなのだ。まさにそういう、主観本位、自分本位の生き方の大人たちの、真相を見ようとしない身勝手さこそに、現代の子供たちは絶望し窒息しているという事実をも、この作品は明確に切り取って見せている。
「ぼくらの」
麗しい着地に期待する。
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