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2009. 05. 27  
「栗本薫さんが亡くなられました…」
mixiのコミュ欄を見て、気が付いたらたっぷり30分は経っていた。
ついに逝ってしまわれた。
予感はあった。覚悟もしていた。4月28日の日記を最後に、近況報告の更新が止まっていた。
何よりも「(体調不良で)小説が書けなくなってしまって……」と記されていたことで、ああもう本当にお悪いのだな、と考えるより他なかったのだ。そういう方だった。過去、なにがあろうと、どんな大病をなされようと、書いておられた。書くことが生きることだった方だ。息をするごとくに書く。書かねば生きてはいけない。その方が「書けないでいる」とおっしゃる。だからその日が近いことを私は判っていた。判っていたからと言って、ショックを受けないわけにはいかない。
哀しむとか悼むとかお悔やみ申し上げるとか、そんな話じゃない。そんな段階じゃない。そんなありきたりの行動で済ませられる方ではない。
グイン・サーガは私の人生と寄り添って伴走する、もう1つの生だった。人生の半分以上をその世界の変転と共に生きてきた。人は普通、自分が居る世界を1つと信じて生き続けるが、私たちグイン読者はそうではなかった。2つ、世界を持っていたのだ。人生を両輪で走っていたようなものだ。
その両輪の片方が、逝ってしまわれたのだ。
人生の半分が消えてしまったようなものだ。
いったい、どうしたものやら。

いや、判っている。
梓さん(栗本さん)が、最期の最期まで、どこまでも自分自身をまっとうされ続けたであろう事を私は信じている。
人間すべてが信じられなかろうと、これだけは信じている。
だから私もそうする。自分に出来ることをやっていく。

「出逢うに時があり、愛するに時があり……」
梓さんが何度も繰り返してきた一節。すべてのことに、それにふさわしい時がある。
因果。
運命。
とどめることの出来ない流れの大いなること。
そのことこそがグインを始め、何百冊にも及ぶ著作の中であの方が書いてきたことではなかろうか。すべてヤーン(グイン世界の運命神)のしろしめし。

まだ、別れの時にあらず。
私たちの別れは、普通よりずっとゆっくりとやってくる。書きためておられた未刊の原稿が数多くあるはずだからだ。グイン最終巻の刊行まで何ヶ月かかるだろう。
まだ、泣く時にあらず。
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2009. 05. 23  
ヒロ君がCMしてるVieraの新機種P-07Aのサイトのあまりの美しさに脳髄が脳汁でほどよく茹で上がった私は、夫の人を引きずって駅前のドコモショップへ向かったのだった。

だが、そこで実際にP-07Aのモックを手にとってためつすがめつしてみたのだが……。
いかんせん、どうにも気に入らないのである。
どこが? と問われると微妙な答えしか出来ないのだが、とにかく手に持った時のしっくり感が無いのである。デザインはどこまでも凡庸。蓋が縦にも横にも開き、その都度キー配列が替わるギミックは面白いとは思ったのだが、構造が安っぽいのか、操作がし辛く、ちょっとした衝撃であっさり壊れそうな脆さがある。液晶も大きくない。色も白と黒とピンクしかない。白は汚れやすいし、黒はカバンの中なので見つけにくい、ピンクは元々好きではないし……(私は、血薔薇のごとき真紅を理想とする)。
どうにも、私の内なるミューズ的なものがおむずかりなのである。「こんなものに6万円も払っていいのか?」と。
「だってアンタの目的はこっちだろう?」と、モックの横に並んでいるヒロ君のドアップパンフを夫の人がツンツン突くのだが、確かに、ただそれのみのためにここまで来たのは確かなのだが、どうしても一線を踏み越える気がしないのである。それほど機種として魅力に欠ける。
「ドコモなら、もともとこっちが欲しかったんだよなぁ」とAQUOSを手に取る。大きい画面、横にスライドさせると、テンキーではなくキーボードが出現する意外性。丸みを帯びて手に馴染むフォルム。最低、これくらいの美的満足が高価な買い物には欲しい。

結局、うーんうーんと煩悶した挙げ句、私は購入を保留にした。
ヒロ君がどれほど美しかろうと、ブツがしょーもなさすぎる。

かなりテンパってしまった私は、フラフラと線路を挟んだ向かい側のソフトバンクショップに足を伸ばしてしまった。
実は、以前から超欲しかったiPhoneが、5月いっぱいまで機種無料キャンペーンをやっているのである。
「iPhoneは……一度でも触ったら終わり……そこで終わり……」とずっと念仏のように唱えてきたのだが、もう我慢が出来なかった。

モックしか飾ってないドコモショップと違って、ソフトバンクでは実際に稼動するiPhoneを触らせてくれるのだ。くそっ。ツボを突くのが巧いじゃないかソフバン!
手に取った瞬間、予感が的中したことを悟る。なんだ、この心地よさは! 丸みといい、なめらかさといい、一切の余分を排除した洗練の極みのコンセプトが瞬時に伝わってくるのである。
そして驚異のタッチパネルの操作感。
初めてiPhoneの記事を雑誌で見た瞬間に「きっと、こんな感じに違いない!」と夢想した感触が、そのままそこにあったのだ。
ああっ、ミスタージョブズ! 貴方の設計思想が、ダイレクトに伝わってきますよ! もっとクールに! もっとスマートに! もっと未来的に! 
誰にも追いつけぬ独創を!

我が家に初めてパソコンがやって来た日を思い出す。
それはアップルのMacintosh・LC-475であった。
それまで無理矢理の裏技でDOS化したワープロでパソコン通信をやっていた私にとって、それは驚異のマシンだった。
DOSコマンドというモノをまったく理解も使いこなしも出来なかった私にとって、コンピュータはどこまでもインケンな、イジワルな、傲岸無比で尊大なシロモノだった。「やだなぁ、気安く僕に触れるなよ。最低でもこれくらいは自分で学習してくれなくっちゃ。なに? こんなことも理解してないで僕を使いたいとか言ってるの? 馬鹿なの死ぬの?」てな、鼻持ちならない思い上がりの塊。

だがしかし、Macintoshというマシンは、私のパソコンに対する意識を底からひっくり返す設計思想で出来ていた。
直感で操作可能なGUI(グラフィック・ユーザー・インターフェイス)によるOSである。
その思想は「3才児から100才まで」と銘打たれたモノだった。
一言で言うなら「親切(フレンドリー)」。
パソコンは、万人のためのものであるべきだ。そのために必要とされるシステムはどういうものか。それが大前提となっていることが、PCを立ち上げて即判るようになっていた。MS-DOSが教則本を買って自学自習することが前提とされている時代に、電源を入れて画面をいじってさえいれば、基本操作が子供にも理解できる形で提供されていたのである。何という先進。何という未来性。DOSマシンがどれほど野暮ったい、脳みそカッチカチの視野狭窄野郎に見えたことか。
あえて情緒的な言い方をするならば、Macintoshには愛が満ちていたのである。真にユーザーのことを思いやった上での設計だと感じられたのである。

あの日の感動と同じものがiPhoneにあった。いや、さらにタイトに洗練されていた。「いかがですか奥様。お判りですね、奥様。さすがです奥様! ですが、私どものサービスはまだまだこんなものではございませんよ?」と耳元で甘くねっとり囁かれたかのごとく、私は籠絡された。もうすっかりおチャクラ全開脳内官能お花畑である。
「これ、ケータイじゃないよ。アップルの、マシンだよ」そうつぶやく夫の人を振り返り、私は宣言した。

「勝負になりまへん。水嶋ヒロ、破れたり」

ごめんねヒロ君。君はまったく悪くないんだ。これは極私論的バトルに過ぎないのよ。水嶋ヒロという若者が見せるたぐいまれな美貌がもたらす快楽か、スティーブ・ジョブズという稀代の天才が示す思想がもたらす快楽か、どっちが私にとって上なのか。スマヌ。君の美貌の価値は動かしがたいものではあるが、いかんせんジョブズの才は強大すぎる。

だが、購入手続きのための説明を聞いてる最中に問題が発生した。
店員の、料金体系の説明に、私がブチ切れてしまったのである。
いかに現状がお得か、これまで高価だった料金がどれほど削減されたか、月額がたったのこれだけに抑えられる、と得々と説明し、私に「じゃ、買うわ」と言わせ、商品を手提げ袋と共に用意させた時点でこう付け加えたのだ。
「ですが、実はiPhoneご契約に限りまして、以下の料金も必須で発生してしまうんです」

それを先に言え。
月額の説明をしているときに言え。月額さらに1500円以上の上乗せではないか。それを「買う」と決断させた後に付け加えるとは何という悪辣。
ぶちキレを称して瞬間湯沸かし器、という表現があるが、そのときの私は逆に瞬間冷凍機であった。それまで脳内が初夏の花畑のようなゴキゲン温度だった自分の声がたちまちブリザード級に冷え込んだのを他人事のように聞いているもう1人のア・タ・シ♪

「そういう流れで料金の説明をしろ、という指導でも受けてるわけ?」
「いえそうではございません」

0.3秒でばれるウソつくな。もとい、哀れな店員にそんなウソをつかせるな。ソフトバンクよ、私はこういう、店舗と顧客の間に生まれるべき信頼をぶち壊すような商売のやり方は大嫌いだ。安くなった、安くなった、といくら声高に喧伝しようが、実際の支払いは結局たいして下がってないではないか。こんな詭弁に騙されるのは朝三暮四のサルのみぞ。あまり世間をなめるでないわ。席を蹴立てて私はショップを出た。ああっ許してミスタージョブズ。貴方の設計思想を愛しているけど、日本の代理店の恥知らずなやり口が貴方の名誉を汚しているわっ! なんて気の毒な!

だがもっとはるかに誰よりも可哀想なのは、手続きに必要だからと言って引きずり回された上、喫茶店でエスプレッソまで奢らされた夫の人であろう。ご馳走様。美味しかった。(-人-;)(;-人-)


夜、「Mr.BRAIN」の初回鑑賞。
話はつまらなくはなかったけど、ありとあらゆるカットがわざとらしくウソくさく感じられ、感情移入できないまま消耗して終わった。ヒロ君が出てないなら観ることはないだろう。
ヒロ君は史上最悪にカッコ悪い役。だがなぜかそれがかえって良い感じだ。ビビリ症でへっぴり腰でおっちょこちょいなイビラレキャラ。けっこう素に近いのかもしれない。Sランク執事の理人には、棒を飲んだみたいな無理が感じられちゃったもんなぁ。今回はリラックスが見える。良い結果につながりますように。
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2009. 05. 20  
私のケータイは、ヴォーダフォン時代からソフトバンクに変わっても何ら変更のつもりも無いまま使い続けているロートルマシンである。
別に不自由も無いので(一度バッテリーを交換したくらい)変える気も無かったのだが、どうやらあまりに古いので、そろそろサービス自体が終了してしまうらしい。
だからどうしても買い換えが必要になってきたのだが、ソフトバンクで継続して安く上げるか、思い切ってiPhoneにするか、あるいは夫の人と息子に合わせてドコモに変更して家族割りを使うか、まぁ選択肢も多すぎて、いつまでもダラダラ決断しかねていたのだった。

あら。

決定打来ちゃった。

うん。コレ。コレだよコレ。
別にワンセグも高機能デジカメもまったく欲しくも無いのだけど、しょうがないよな。逆らえないよな。☆☆(゚-゚)ウンッ☆☆


ポスターとか等身大立て看とかなんかオマケ付けてくれよードコモー
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2009. 05. 20  
我が家はラジオと縁が薄い。FMだろうとAMだろうと、ガンガン流す、ということがまったくないのだ。
だが伊集院光氏の月曜JUNKは夫婦揃って中毒的に大好きで、もう何年も毎週聴いている。私は半田健人君のオールナイトニッポンも大好きなので、こちらもきょくりょく聴くようにしている。
でもそれだけ。
キレイさっぱり他は無し。以前はPodcastで鴻上尚史氏や唐沢俊一氏なども聴いていたのだが、配信形態が変わってしまったらそこまでとなってしまった。アニラジも少しは聴いたのだけど、コーナー形式など、あざとさが目立って、イヤになってしまったんだったなぁ。

そもそも夫の人はラジオに昔から縁が無いらしい。AMの電波入りは大変に悪いし、FMもほとんど聞き取れなかった環境だったのだと言う。なんでも、実家のすぐそばに米軍の大きな施設があったものだから、ラジオといってもFENがとにかく強烈に入るばかりで、他局の電波が圧倒されてしまっており、無いも同然だったそうな。

私は実家が山の上だったので電波状況に恵まれており、かなり深夜放送は聴いたクチである。
中でも一番懐かしいのが、KBS京都でやっていた「つボイノリオのハイヤング京都」である。水曜日に放送だったので、「ハイ水」と呼ばれていた。
とにかくハイ水は面白かった。他にも楽しいラジオはたくさんあったのだが、これは格別だったと思う。大変に卑猥なエロネタも多かったが、奔流のような教養ネタ噴出も頻繁、またリスナーの投稿のレベルが凄まじく高かった。これらの点は、現代の伊集院氏のラジオと共通する要素でもある。
ハイ水の凄さを示すエピソードとして、こういうのがある。
まず最初に聴き始めたのは姉だった。姉と私は好みも趣味も生き方もまったく共通点が無く、いがみ合いがデフォルトだったのだが、稀なことに、姉が喜んで聴いているハイ水に私もたちまちドップリはまってしまったのだ。
そして気がついたら、大正生まれの母までもが、毎週聴いているのである。
毎週水曜の深夜、姉の部屋と私の自室と階下の離れの母の部屋、てんでバラバラの3つの部屋から狂ったような爆笑が響き渡るという事態になっておったのだった。
下劣下品な内容も多かったので、私は何度かおそるおそる母に、気にならないのか、ええのんか? と尋ねたものである。
「たしかに気色悪いことも多いけど、腹の底から笑えるのってこの人くらいやしなぁ」
と言っていた。母はお嬢様育ちで気位が高く、特に芸能方面についての審美眼の厳しさと言ったらなかった。そんな母が心底喜んで聴いてる、という事実が結構嬉しく思えたものだ。

何年かのち、編成変更によって、「つボイのハイ水」はなくなってしまった。
深夜の代わりに、KBS京都の、一般向けの昼間の帯番組をつボイ氏は任されることになったのだそうだ。これはラジオ界的には「栄転」ということになるようである。
だがその後、母はこう言っていた。
「たまたま昼間のつボイの番組聴いたんやけど、まぁホンマ、さっぱりおもろないな。やっぱり昼間なんかアカンな。夜やったから、良かったんやろな」
昼間の放送と言うことは、主に奥様方や個人商店などで働く、大人の方たち向けの番組となる。
学生向けの深夜放送と同じノリでできるはずもない。
つボイ氏はDJとしてプロ中のプロである。完全なモードチェンジでお仕事なさっていたのだろう。
だが母には、猛獣が牙を抜かれた有様のように感じられていたようだ。

つボイノリオという個性と、若いリスナー達の破天荒なパワーががっちり噛み合って生まれた至福の娯楽空間。そこには世代や育ち、感性の壁なぞを軽々と破壊して浸透していく普遍性があったのである。誠に希有なことだったと思う。

先日、夫の人がネットに上がっているかつての放送をたくさん見つけ出してくれた。
久しぶりに聞き惚れて、シミジミと20数年前を回顧する。懐かしい。
ニコ動やyoutubeで、つボイ氏の名で検索すると、山のようにヒットするので興味のある方は是非……あーwラジオより、放送禁止歌の方がガンガン引っかかっちゃうかモナー(´∀`)♪

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2009. 05. 18  
かねてより面白いと噂の「へうげもの」ついに入手。
「へうげもの」とは「剽気者」の意だろう。主人公の異色の振る舞い、感性を評して、織田信長が「ひょうげたやつよ」と何度も言っては甲高く笑うのである。「ひょうげる」を辞書で調べると「剽軽(ひょうきん)なことを言ったりしたりする、おどける」とある。
まっことこの主人公・古田左介(のちに織部)は、珍奇な人物である。戦国武将の数あれど、物語もまた多くても、この古田のような存在を描いたケースはなかなか無いのではないだろうか。
数奇者である。文字通りスキモノである。21世紀なら単にオタクである。アニメも漫画もフィギュアも無い時代(仏像というフィギュアはあったw)、重度のオタクが群がり情熱を傾けたのは、茶器であった。書画骨董のたぐいである。
卓越したセンスと「数奇」への執念。英雄豪傑ひしめく戦国の世で、たとえ武で立てずとも、数奇者の天下で名を馳せようとする、独立独歩の気概。
時に義に寄り、時に卑に寄る。真逆の心や振る舞いが、ごく自然体で1人の人間にあらわれる。明と暗。正と邪。光と影が渾然としてカオスである、まさに生の人間そのものである。素晴らしい。この、まるで理想化されていない、容赦の無いありのままの人物像を描いている、という事実だけでも、マンガ史に残る価値があると思う。

絵柄は垢抜けないけど、丁寧で真摯。私はこういう絵が大好きだ。でもちょっと「サルでも描けるマンガ教室」思いだしちったけどw
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2009. 05. 15  
ヒロ君&絢香ちゃん夫妻のマリッジリングは、「俄」というブランドのものらしい……という記事を読んだので、ホームページを見てみる。

「俄」

ほぉほぉこれはなかなか。

さて、ぶっちゃけ私のジュエリーに対する目は厳しいよっw
古今東西、あっちこっちの宝飾を店舗、展覧会、写真、博物館とかで見まくってきたんだから。それこそ10歳になるやならずやのころから宝石のウインドウに張り付いてヨダレを垂らすクセはあったから、オタク歴よりもジュエリー狂の人生の方が長いんだよな(´w`)


日本におけるジュエリーの歴史というのは長いものではない。
古代史においては、勾玉などで知られるとおり、首飾り、腕輪、耳飾りといったアクセサリーは普通に存在した。
だが、ある時期(平安以前と思われる)を境に、日本女性のファッションからそういったアクセサリーはことごとく消えてなくなってしまう。代わりに、「櫛(くし)」「簪(かんざし)」「笄(こうがい)」といった髪飾り、あるいは帯留め、男性は根付けなどに凝ることでオシャレを楽しんでいたらしいが。
平安時代の十二単を思ってもらえば想像がつくかもしれないが、何枚もの着物や襟を重ねて色柄の取り合わせで個性を出したり季節に合わせたり、織りや素材の質感による自己演出、という方向にオシャレの本質が向かっていったのかも知れない。キラキラと輝くモノでアピールする、というベクトルとは「文化がちがーう!byエウメネス」といったところか。

江戸が明治となり、着物が洋装に代わっていくと同時に、西洋風のジュエリーも日本にやってきた。
そのあたりが日本のジュエリー元年だとしたら、たかだか百数十年っぱかしの歴史しかない。
そんなこんなで、洋服に合わせるのが当たり前のジュエリーを、和装にあしらうのは大変に難しいこととされてきた。ぶっちゃけ、はっきりとタブー扱いと言って良い。ネックレスやペンダントが着物の襟元にぶら下がっているところを想像してみて欲しい。野暮の極みである。襟合わせは着物の見せ所の1つであり、余計な装飾はそれを台無しにするだけなのだ。ブローチも同様。ジャラジャラしたイヤリングもそれに準ずるところだろう。わずかなお目こぼしは指輪くらいか。けどこれも、私個人の趣味としては、素晴らしい着物を着ている人が、派手でゴージャスなキンキラ指輪をもつけていたら、成金趣味の悪目立ちと感じてしまうのだけどね。

とまぁなんだかんだで、ジュエリーと和の取り合わせというのは、なじみの良いものではないのである。
だが時代もすでに21世紀。大胆な発想とセンスで意外なコラボレーションがあっても良い。
俄のジュエリーは私はいっぺんに気に入ってしまった。特にこの「那由他」のサファイアの方はメチャメチャ欲しい……ちっ、高いなぁ……(^ω^;)
ヒロ君がこういう個性的なデザインをマリッジに選ぶセンスを持ってるのもささやかに嬉しい。無難なありきたり、ってヤダよね、ウンウン(´ー`)


「ぱぱー。かくかくしかじか、和風ジュエリーのとっても素敵なアクセがっ云々」
「んー。和風。んー、たとえば、お寺の、卍の、模様の指輪を、こう中指にはめて、相手の額にじゅーっと焼き印したら……」

ハーケンクロイツですね判ります。反転だもんね。うん。いーんだ。欲しけりゃ自分でなんとかするべき、ってことだと解釈した(´_ゝ`)
なんかシャクなので、五歳児モードで夜空を見上げてみる。
「アタチの理想のパパー! 青い指輪がほっちいのー! ダイヤのなにかもほっちいのー!!」

……私の理想のパパンって要するに「パトロン」、すなわち金ヅルってことなのかー?!('Д')

この後、「30万のジュエリーと、1回5万の温泉旅行数回分とどっちか選べ、ってことになったら選びきれずに憤死する」と結論づけ、けっきょく消費なんかできないや、と身の程を知る私であった。ちゃんちゃん♪

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2009. 05. 14  
彩雲国物語を11巻「青嵐にゆれる月草」まで読破。

*****以下、彩雲国をそこまで読んでる人にしか通じない内容******

巻ここに至って、ついにハートをドキュンと射抜かれるキャラ登場。
清雅! 陸清雅、サイコーっ!∩(゚∀゚∩)
清雅が登場するまで、いっち御贔屓は断然、茶朔洵で、アニメ版の声が他ならぬ子安武人だったのを聴いて、(・・)(。。)(・・)(。。)ウンウンと頷いていたりしたのだが、清雅君の突き抜けっぷりは完全に私のツボにドハマリだったのだった。
いやー清雅君っ、それってもう恋だから。きっぱりそうだから。周囲の誰も、君本人も、相手のヒロインすらもまったく認めないとしても、それ恋だからw 
恋って甘く優しいだけのモノじゃないから。
清雅君くらい悪辣で狡猾で冷酷で外道でイヤミで意地悪大好きで天才的に有能でサディストで絶対的に他人を信じない我利我利亡者にすら「特別な執着(すなわち恋)」を抱かせてしまう、超絶ヒロイン・秀麗こそ畏るべし。
で、その執着が、ヒロインが自分に対してカンカンに怒りまくって絶対に負けない! って顔をしている限り継続する、て自覚もあるんだからなぁ。いっちばん、シビアで報われない恋っちゃぁ恋だよね。この場合、報われても報われなくてもオシマイ、みたいな、見事な袋小路完成! てやつ。
しかし、双方これっぱかしも「恋」だという自覚なんぞはあるまいよ。あー可笑しい。タマラン。転げ回って悦んで読んでるババァ46歳wうへw
さぁ、この超絶天才絶対的利己主義オレ様至上思考の清雅君が敗地にまみれて、屈辱に顔を引き歪ませるという美味しい展開はあるのか!? 秀麗がんばれー! 徹底的に「じゃじゃ馬ならし」しておやり!ヾ(゜ー゜ゞ)( 尸ー゜)尸


実際、軽くイライラするほど、「善いオトコ」ばかりひしめいている彩雲国ワールドで、ひときわ輝くのはやっぱり「悪」だよなw
ヒト、としてダメすぎる茶朔洵。
人間、として悪すぎる陸清雅。
この2人ばかりが読んでいてこんなに心地良いって……。
実は私って、だめんずなのか? そーなのか?σ(゜∀゜;



とりあえず映画「MW」楽しみ^^
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2009. 05. 08  
念願の「ヒストリエ」入手。
夫の人と争うようにむさぼるごとくに読む。
うひょーサイコー!!
かねてより興味津々だったわけだが、これはまた想像のはるか斜め上の上質だ。さすがは岩明氏と言うしかない。才能が突き抜けすぎている。読みながら身がぶるぶる震えるほどの面白さなどに滅多に出会えるものではない。これほど歳をくった今となっては尚更である。

これは1人でも多くの人に読んで欲しいマンガなので、御託は述べない。買うのだ。読むのだ。
いやぁ~、歴史って本当に面白いモンですね!

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2009. 05. 05  
久しぶりに猛烈に胃が痛んだわけですよ。
なんか、以前の痛みとちょいと違う。あまりの痛さに、手の先がつめたーくなって、首や肩の後ろまでツメタ痛い感じで。
通院している時に貰った、「痛む時用トンプク」を飲むと、あまりに速やかに効いて、あきれるほど楽になった。
でも、無痛はホンの3時間程度しか持たない。
良く効く痛み止めほど、そんなに間隔をおかずに飲むのはためらわれるってもんだ。
いったい、どういう薬なんだろうと、ググってみた。

チアトンという名で、まぁこういうお薬であるらしい。ん? けいれん? アセチルコリン? 抗コリン? なんか、ずいぶん以前、メンヘル系薬飲みまくっていたころに良く見た単語のような……?
まぁとにかく、連用はやっぱりイヤンな薬って気がした。
しかし、胃は痛い。以前の痛みと違うのは、満腹状態で起きている、という点である。
「ようするにこりゃぁ『胃けいれん』ってヤツですな?!」
さらにググって調べていくと、胃けいれんが3分で止まる! なんてありがたいページが見つかったりするわけだなコレが。
で、さっそく試してみる。梁丘とかってツボをぎゅーっと押したり休んだり。

キキキ 効いたー!ヽ(゚∀゚)ノ

いやマジで効いた。
しかも薬と違って、数時間以上経っても痛まない。薬で抑えこめなかったけいれんが見事に止まったらしいのである。
ううむ。東洋医学は偉大なり。
素人でもこうしてパッパと対処できる方法にネットという形で簡単にアクセスできるとは、本当に素晴らしいことですな。
今度家族が胃痛になったら、梁丘を押しちゃる。ぎゅっぎゅっ。


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2009. 05. 02  
連休初日、家族で超電王&ディケイドを観てきたのだった。

これでもか、これでもか、ってくらいの詰め込みてんこ盛り。面白可笑しく観るには申し分ないのではないだろうか。目も覚めるような美少年・ユウ君の、健全な成長ドラマとしても良い話ではある。(ただこの美少年、ちょいと仕込みネタがあったりするんだけどねw)
でもって、キバ世界の獣人トリオ、なぜそこにー!('Д')
いや本当に居るだけなんすよ、これが。
「居てもおかしくないんだよ」
いや設定として居ても良いのは判るけど、お話としてそこに居る意味って無くないか?
それとも、TVの今後の展開で補完があるのかいな?
まぁ次狼が大好きなので嬉しいけどさ。

東映は、固く稼げるタイトルとして、電王を今後もシリーズとして続けていくつもりであることをはっきり感じる力の入りようだった。
キャラの豊富さと浸透度。時空を超えるガジェットとしての電ライナーの万能性。こなれたスタッフ。
これだけの好条件が揃っているからには、うまく転がせば息の長いコンテンツになって行くだろう。

ただ、私個人としては、電王はもう飽きてきた。あのクソ狭い電ライナーの車内での、毎度おなじみキャラ同士のドツキ漫才がもう暑苦しくてしょうがない。キャラが増えすぎなのが問題なのだと思う。今後は、電王新作が公開されても、劇場にまで行くのは私は遠慮申し上げる。だからと言って電王というコンテンツが嫌いなわけではないし、水戸黄門や必殺シリーズ並みの定番娯楽作品となって行くことに何の異存も無い。新奇珍奇を求める個人的性向に合わないというだけの話だから。

あー、でもコレ↓は劇場行っちゃうな、ウン。
20年ぶりだよ!「仮面ライダー」全員集合!

やってくれましたな東映。
かねがね息子が「ディケイドに昭和ライダー出るのかなぁ」と言い続けるので「ディケイドは10年紀って意味なの! だから平成ライダーだけなの! 昭和のまで混ぜたら収拾付かなくなって大変でしょ、だから昭和は、出ない! 出てたまるか! そんなカオスは願い下げじゃぁ!」と諭し続けてきた母の立場とか面目とか丸潰れである。まさか本当にやってくれちゃうとは。完全に想定外であった。
それにしてもライダー26人分って、いったいどういう話にするつもりなのやら。1人毎に1分の見せ場作るだけで30分近く消費するわけだけど? それともディケイド1話の冒頭みたいに、ほぼ漏れなく雑魚化か?

そして、タイトルロールでもないのにしっかり26人中に入り込んでいるライダーマンの存在に拍手。

大ショッカー、という響きには心震えずにはいられないので、これも貼っとく♪



良い曲だなぁ~( ̄▽ ̄)~*


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プロフィール

星 ゆう輝

Author:星 ゆう輝
人生50年、オタク歴40年弱、母親業四半世紀。老眼とボケが迅速に進行中。麗しいロボ執事をはべらせるのが老後の夢。

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