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2009. 09. 29  
ローマ史上最強烈女、小アグリッピーナの策謀によってローマ第5代皇帝となったのは、弱冠17歳のネロ少年であった。母の監視のもと、識者セネカなどの指導もあり、それなりに穏当な善政が5年間続く。
だが、表向きはともかく、私生活においては即位直後からドタバタしたようだ。才気も意思力もあったが、反面繊細で感じやすいという、今も昔も良くありがちな「ちょっと飛び抜けたい青少年」のご多分に漏れず、ネロもまた急速に母離れを起こしていく。母が押しつけた政略婚の妻を差し置いて、身分卑しい奴隷娘と恋をする。不良少年たちとつるんで夜の街にしのび、乱暴狼藉を繰り返す。まだ若い子供のすることだから、と側近や元老院は大目に見ていたこの非行を、強圧的な母が見逃すはずもなかった。なにもかも自分の思い通りにしないと気が済まない癇癪持ちの母親は、息子の部屋に怒鳴り込み、家人や奴隷に筒抜けであることもお構いなしに、口を極めて皇帝ネロを罵り怒り、果ては「先帝の息子ブリタニクスを擁立してやる」と脅したらしい。
息子を利用して権力を振るいたがった烈女と、その母の血を引いたが故の当然か、言いなりになることなど耐えるつもりもなかった息子との間に、血で血を洗うバトルが展開されることになったのである。間に立たされ、何の罪もなく謀殺されるブリタニクス。
資金を集め、自分にゆかりのある地方の軍閥に働きかけるアグリッピーナ。さらに息子の妻、オクタヴィアを懐柔し引き込み、世論と同情を買おうと試みる。
私邸から母を叩き出し、首都での母の権利と人脈を奪い尽くす息子。
だがアグリッピーナはへこたれない。さらに資金を集めつつ、回想録を執筆して自己アピールに努める。社会的地位を持てず、個人名すら与えられず、学問も授けられなかったであろう当時のローマの女性としては、前代未聞のことであった。
なんだかんだと暴れつつ、ちゃんと政治も真面目にやりつつ、ネロはまた恋をする。今度は非行仲間でもあった親友オトーの妻であったポッペアに横恋慕してしまったのである。オトーを遠い属州に飛ばして排除し、口説きまくる。だがポッペアはなかなか堕ちない。愛人などまっぴら、皇妃になれないならお断り、というあたりだったのだろうか。だが、ネロには母ががっちりガードしている正妃オクタヴィアがいるのだ。
思いあまったネロは、母親暗殺を計画する。
母を騙し、和解と見せかけて饗応し、帰路の船を沈没させて溺死させようという計画だった。
だが、やはりローマ一の烈女は半端なかった。船は確かに沈没したのだが、溺死なんぞしなかったのである。抜き手を切って湖水を泳ぎ切り、ゆうゆうと自邸に戻り、「事故にあったが、無事でいる。心配しないように」という手紙を息子に送ってよこすのだった。
戦慄したのはネロである。もう、即座に始末しないとこっちが何をされるか判らない。多数の兵を母の寝所に送り込み、包囲させる。
「殺すなら、皇帝ネロが宿ったこの腹を刺すがよい!」
皇帝の妹であり皇帝の妻であり皇帝の母であった女の最期の言葉であった。


アグリッピーナの死は国家反逆罪ということで処理された。
だが、家族の絆を何より大事にするローマにおいて、母殺しは大罪。民衆の視線にも冷ややかなものが混じり始めたろうし、何よりネロ自身が、罪悪感を抱え込むことになった。亡霊に悩まされ、追い詰められゆくネロ。真っ当な治世で落ち着いていたローマが、不運の坂を転がり落ち始めていくのである。

精神の安定を取り戻そうとしたのか、ネロはギリシャ文化に深く傾倒し始める。髭は綺麗にそり上げるのがローマ男性の常識であるのに、ギリシャ風にあごひげを蓄え始め、詩歌創作と歌唱に熱を入れ、オリンピックを模した祭典「ネロ祭」を盛大に催す。ストレス解消に過食するようになったのか、肥満し始めるのもこの頃である。横顔を刻んだコインの写真などを見ると、思わず「うへぇ」と慨嘆を禁じ得ない。まだ30前だというのにこれは一体。なお、彫像もかなり容赦が無かったりする。痩せてさえいればイケメンだったろうに!!

母の死から3年後、ネロはオクタヴィアを正式に離縁し、ポッペアを正妃に迎える。それだけならば良かったろうが、オクタヴィアを遠島流刑にした上、殺させてしまったようだ。母殺しの上に妻殺しの罪まで重ねたわけである。だが、ブリタニアやパルティアなどの外政問題をそれなりに処理しており、皇帝としての評価や人気は今なお凋落はしてはいなかった。コルブロという屈指の名将によるパルティア・アルメニア問題の見事な解決は、そのままネロ本人の評価ともなっていたのだ。
また、元老院議員を競わせる体育大会を催したり、奇抜なイベントの主催は市民の好評を得ていた。

だが、ネロの独創的な性格は、その程度の成果では満足を得られなかった。
ついに、一歌手としてのデビューを果たしてしまうのである。場所は文化都市ナポリ。劇場を埋め尽くす、立錐の余地なき大群衆。彼らの前に現れたのは、皇帝に相応しい黄金と紫衣に華々しく覆われた青年……ではなく、質素なチュニカ1枚に身を包み、懸命に竪琴をかき鳴らして必死で歌うネロだった。熱演のゆえ、肥満ゆえ、汗がだらだらこぼれる。それを、無造作にチュニカの肩口でぐい、と拭いては歌い続ける。高貴な身なれば、品良く手巾で拭くべきところだが、そのためには奴隷を舞台に呼ばねばならない。そんなことをすれば、単なる一歌手としての存在であることを望んだネロの志(こころざし)はぶち壊しである。皇帝らしからぬ謙虚さに、聴衆はやんやの拍手でネロを讃えたのだった。
すっかり気を良くしたネロは、次の公演は首都ローマで、その次は文化の本家ギリシャでも……と夢を膨らませたのだった。

だが、得意絶頂のネロを凶報が襲う。
「暴君ネロ」の悪名とセットで必ず語られることになる「ローマの大火」である。
ローマの中心部、大競技場から上がった火の手は、折からの季節風に煽られて、とどまることなく市街をなめつくしていった。猛火は9日間荒れ狂い、14あるローマの区域のうち10の区までを巻き込んだ。100万人が住んでいたという大都会ローマの、3分の2が焼けてしまったのである。
猛暑を避けて50㎞離れた別荘にいたネロはただちにローマに駆け戻り、迅速果敢に救助の指揮を執った。
この大災難に臨んだ統治者ネロの手腕は、見事の一語に尽きる。避難所の確保。配給食料の手配。縁者を頼って生活する二次難民の存在も考慮して、主食である小麦の価格も大幅に切り下げさせる。焼け落ちた首都の再建計画には、ネロならではの独創的な視点と発想が大いに盛り込まれた。街路整備、建築基準の大幅改正、国庫による防火ポーチの設置、早期建築達成に対する報償、撤去された瓦礫の後始末にいたるまで、合理的な方策を指示したのである。
都市の再建に要する財源確保まで、増税抜きで実現させたのだった。貨幣に含まれる金銀率を、0.5%削減する、という方法で。大帝国ローマの経済規模からすれば、これほど僅かな数値であっても、大きな効果が見込めるのだ。

1、危機を速やかに収めること。
2、苦しむ民の心を安らげること。
3、このような惨事が、今後2度と起こらないようにすること。

ネロはこの3つの責任を完璧に果たした。未曾有の難事に対してこれほど見事な手腕を発揮した皇帝を、暴君だ暴政だと切って捨てることは私には出来ない。ネロを酷評した同時代の歴史家タキトゥスですら、この時のネロの仕事は「人知の限りを尽くした有効な施策であった」と賞賛しているのである。

それが、なぜ、悪評に繋がっていったのか。「ネロは燃え上がるローマを見下ろしながら、古詩を奏で吟じた、ネロこそが放火魔だったのだ」などという風評を呼んだのか。暴君、悪逆非道の皇帝の狂気などとまで、後世にまで伝説として残ることになったのか。その詳細については、是非、塩野さんの著書そのものをじっくり読むことで、確実な知識としていただきたく思う。運命は歯車のごとし、無数の糸のあやなす織物のごとし。小さな事の積み重ねが、予測不能な大事に繋がっていくこと。大雑把のままではいつまでも掴めないことだらけなのだと、この歳になって私もようやく実感しつつあるところである。

よかれと思って尽力したのに、非難が止まらない。ネロの逆上、絶望は計り知れないほどだったろう。放火の罪をキリスト教徒になすりつけ、「人類全体への憎悪の罪」まで付け加え、何百人ものキリスト教徒を見せ物として惨殺するネロ。さらに高まる非難。ストレスから逃げるためか、なお一層、タレント業に励むネロ。イベントならなんでも喜ぶ市民たちの拍手喝采で、とりあえず安定を取り戻すネロ。だがしかし、ネロの歌声に敬意を払う気も無い人々の間で、皇帝暗殺の計画が進んでいた。その露見は、ネロの心をさらに崩壊させた。疑心暗鬼の果てに、有力者たちを罪科無しで殺させるネロ。名将コルブロでさえ自死を命ぜられた。政務を放り出し、ギリシャへの1年半に渡る「歌手」巡業、そして「歌手」としての凱旋式の強行。ローマ伝来の式次第を踏みにじり、勝利報告はユピテル神殿ではなく、アポロン神殿でなされた。歌手として、芸術家としての、文化的勝利だからである、という主張だったのだろうか。
ここまで常軌を逸してしまっては、どんな信頼も根こそぎになってしまう。各地で反乱の火の手が上がった。「母殺しであり妻殺しであり、国の要人も殺し、下手な竪琴と歌を披露して喜ぶような人物を排除し、帝国を救うべきである」というわけである。
追い詰められたネロは、まずは国外への亡命を図る。だが、もはやその実行のために動いてくれる部下すらいない有様だった。新皇帝を標榜するガルバを讃える兵士たちの喧噪が迫る中、ネロは自死を選んだ。享年30歳、在位は14年。「これで1人の芸術家が死ぬ」というのが最期の言葉だったと伝えられる。
ネロの遺灰は、皇帝廟に納められる状況ではなかった。初恋の相手、元奴隷のアクテと乳母の手によってマルス広場の実父の墓所に入れられた。
その後ずっと、ネロの墓には、花や果実などの供物が絶えることは無かったそうだ。どれほど評判が堕ちようと、悪逆非道と罵られようと、ネロを愛し続けた民衆は多かったのである。それはもしかしたら、焼け出され明日をも知れぬ命とおびえている中に駆けつけてくれた皇帝の姿を、不眠不休で救助活動を指揮する様を、安堵の思いで見つめていた被災者たちであったのかも知れない。

母に抑圧されたこと、繊細な魂であったこと、自己制御の能力に欠けたこと。これらは断罪にあたるだろうか。もし皇帝などという立場にさえなければ、心優しいヘボ詩人としてネロは平和に生きていけただろうに。
だが、クラウディウス帝の事も思い出そう。皇帝の立場を得て華開いた人と、皇帝の立場ゆえに崩壊していった人と。皇帝という立場にもまた、罪など無いはずである。いかに責任を背負ったか、あるいは背負わなかったか。大事なのはその一点なのかもしれない。


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2009. 09. 27  
カリギュたん暗殺直後に皇帝として擁立されたクラウディウス。50歳。
子供の頃から
「足を引きずり、左右のバランスを欠くため動きが不安定、頭はぐらぐらと揺れ、緊張すれば吃音」
であったらしい。塩野さんの著書には書かれていないが、ネットには「母親からは、人の形をしたばけもの呼ばわりされた」という記述もある。おそらくは、何らかの麻痺を幼い頃から抱えていた人物、ということなのだろう。アウグストゥスの時代から、最高権力者のライバルに成りえる存在の男子は容赦なく殺されるのが当たり前である中、危険視もされず生き延びられたのは「不具」ゆえだったかもしれない。
野心を抱けるはずもない人生、母からすらも疎んじられ、常に余計扱いされたであろう彼が求めた生き方は、歴史の研究に没頭する学者の人生だった。
もはや寿命のあらかたも終わってしまったであろう年齢で、降って湧いたような皇帝擁立。
だが、それまで夢想すらしなかったであろう統治者就任要請に、クラウディウスは決然として応えるのである。
期待をかけられなかったゆえに、余りまくった人生の時間。それを費やして蓄えた知識と教養。
それが、皇帝をやっていくための武器となるのではないか? と思ったのではないだろうか。
元老院においての、最初の所信表明演説は、惨憺たるものになった。緊張のあまり吃音が止まらず、口の端から泡がこぼれる始末。どれほどいたたまれない思いをしたことだろう。
だが、「歴史皇帝」の蓄積された力は伊達ではなかった。
カリギュラの無茶苦茶な運営でズタズタになった財政、インフラを、着実に立て直していくクラウディウス。虚弱な身を押して、なんとブリタニア(イギリス)遠征までし、成功を収めて凱旋する。よりよいローマのための水道工事、港湾建設などの公共事業にも成果を上げる。
そして、さらなる帝国安定のための方策として、属州出身者にも元老院議席を開放しようと努めるのだった。だが、これは、既得権益を守ろうとした元老院そのものの猛反発を喰らう方針でもあった。
そのときのクラウディウスの演説が良いのだ。ティベリウスのような派手さは無い、どこまでも地道な調子で終始するのだが、建国何百年にも渡るローマのあり方を事細かに事例をあげていき、開放と寛容がそもそものローマの有るべき精神なのだ、と結論付けて可決を勝ち取る様は、まさに学者気質の面目躍如というあたりだろう。
それなりに安定をみたクラウディウスの治世は13年持続する。
だが、様々な業績を残しはしたが、それでも人気とは無縁の皇帝であったようだ。大衆はどこまでも容姿の善し悪しにこだわるものであるし、孤独な人生で人脈が無かったから、身近から登用せざるを得なかった家人が解放奴隷の身分でしかなかった、というのは貴族たちの逆鱗に触れたし、何よりの不運は、妻が悪女すぎた、という点だった。
クラウディウスは4度結婚している。最初の妻とは離婚、2度目の妻は早死に、3番目の妻は32歳も年下の少女。
この幼妻のメッサリーナが、「狂乱妃」とでも呼びたくなるような常軌を逸した存在だったのだ。皇帝妃の立場を思うがままに利用してやりたい放題、気に入らない相手は片っ端から追放、あるいは死に追いやる。夫が本能的欲望を満たしてくれなかったからなのかどうなのか、あたり構わずとっかえひっかえの御乱交。娼婦に身をやつして夜な夜な下町を徘徊し客をとっていた、とする説まである。
しまいには、皇帝の不在を良いことに、堂々と他の男と婚礼式まで挙げてしまう。
なんでもかんでも妻の言いなりになって、無茶無体な要請の書類にもなんでもサインしてしまっていたクラウディウスではあったが、さすがにここまでの背信は容認できず、部下を送って情人ともども殺させるしかなかった。

もう女なんぞ一生お断り、という気分にさせられたとしてもおかしくない、鬼女メッサリーナの顛末。
それなのに、クラウディウスは4度目の結婚を拒まなかったのである。そして娶ったのが、なんと自らの姪である(小)アグリッピーナだった。
このアグリッピーナは、様々な意味で特別の存在だった。
やんごとなき血筋ではあった。神聖皇帝アウグストゥスの曾孫。先代皇帝カリギュラの妹。叔父であるクラウディウスの妻になることで、皇帝の妻ともなる。そして、彼女の真の目的は、皇帝の妻になることで、次代皇帝の母になることだったのだ。
それも、クラウディウスとの間に子供を作ることではなく、前の夫との間に出来た自分の連れ子ネロを皇帝にしようという計画だったのである。
クラウディウスとメッサリーナとの間には男子が生まれていた。名はブリタニクス、年齢はネロより4歳若いだけ。クラウディウスと自分との間に男子が産まれるのを待っていたのでは間に合わない。帝位はブリタニクスのものになるだけだろう。
アグリッピーナは、自分が押しかけ女房になるのみならず、ネロを正式に夫の養子にし、さらにブリタニクスの妹・オクタヴィアをネロと結婚させるのだった。これにより、「長男」の地位は見事に息子ネロのものになった。次代の皇帝は息子で決まり。あとは時間が過ぎさえすれば自動的に「国家の母(皇帝を産んだ女性)」になれるはず。
だがしかし。アグリッピーナとは、その程度の称号で満足できる野望の器ではなかったらしいのだ。
彼女が望んだのは、自らの手で国政を動かすこと。思うがままに権力を振るうこと。
そのためには、可能な限り早く息子を帝位に就け、自分が摂政の立場にならねばならなかった。

ネロが17歳の年、皇帝クラウディウス死去。享年64歳。好物だったキノコ料理による食中毒とされるが、妻による毒殺であるとは、当時から囁かれた噂であったらしい。

障害をもって産まれ、母にじゃけんにされ、誰にも重んじられず、軽蔑や嘲笑にもまれながら、黙々と書を読むことでなんとか自分で自分を救って生きていたであろうクラウディウス。なる気も無かった皇帝位にいきなりつかされ、誠心誠意頑張るも重臣たちから反発を買い、妻からは最悪の仕打ちを受け、あっけなく死ぬ。なんと気の毒な、可哀想なクラウディウス。不自由な体に鞭打って、こんなに仕事したのに……と涙してしまった私ではあった。

だが彼は自分を不幸と思っていたのであろうか。辛い人生だと思っていただろうか。
多分、そうではない。
彼の確かな仕事ぶりを見る限り、辛さ苦しさ、イヤイヤさを心に抱えた人間に成し得ることではあるまい、と感じるからだ。
いわば負け犬の人生と呼んでも良い、50年。だがその間に培った力は、立場を与えられて見事に華開いた。今こそ必要とされる自分。そして、何をどうすればよいのかが、ちゃんと見えている自分。
温暖なローマを離れ、海の向こうのブリタニア、冷たい湿気に満ちた島国にまではるばる出向いていったド根性の発露と言い、何かしらに目覚め、一気に生まれ変わったかのような皇帝としての業績は、断じて気の毒がるような性質のものではない、とも思うのだ。

悪女を連続で娶り、しかも言うがままに振り回されていた日常というのも、実のところは、重責によるストレスの発散のために必要な要素だったのではないだろうか。現代日本においても、SM女王様の顧客の多くが、地位の高いエリートや権威ある職に就いている男性であるのだから。仕事の面でも私生活の面でも、それなりの満足を得て逝ったのだと思いたい。



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2009. 09. 25  
息子、成人。20回目の誕生日。平成元年生まれ。
「いままでみたこともないケーキがいい」
とのリクエストに応えようと、あれこれ検討していたのだが、近所にあるケーキカフェで「オリジナルケーキたまわります」という広告を見つけ、「コレダ!」ということになったのだった。

いろいろ打ち合わせのうえ、息子が2才の頃からずっと愛し続けている「きかんしゃトーマス」のマジパン人形をデコレートしたケーキにしてもらった。

「成人のケーキがそんな幼稚なのでいいの?」と夫の人は最初言ったが、私は別の考えがあった。
本人にケーキを切らせよう。ずっと耽溺してきたキャラにズバッとナイフを入れて断つ。成人のケジメとしての意味がそこに沸く気がしたのである。

本人リクエストのディナーメニュー、2日がかりのビーフシチューとチキン照り焼きなどを初のビールで祝いつつたいらげて、プレゼントを渡し(殿仕様ベストジャケット、ジーンズ、電動歯ブラシ等々)、いよいよケーキの登場。

じゃじゃーん。

画像 048

ものがものだけに、かなり巨大なマジパンだった。さすがに、切るのを息子は嫌がっていたが、そこはきっぱり腹を決めさせる。そんなことで、いきなり大人の自覚が出るわけもないのは判っているが、ほんのささやかでも、なにかを心に残してもらえればそれでいいかな、と。

ケーキは超が付くほど美味だった。マジパンはさすがにマジパンだけあって、かなり甘くてボリュームたっぷり、夫の人は食べあぐねていたが、まぁ縁起物みたいなものだから。

なお、息子は初ビールをコップに半分ほど飲んでいた。意外にも「おとなのあじだ!」と、嫌がらなかった。本格銘柄、「エビス」なのに。たいしたものである。そして、コップ半分では酔いもしないらしい。涼しい顔をしている。どうやら、けっこうイケルくち?w


成人に臨んで、これだけは伝えておきたかったこと。
世の中には、税金、年金、というものがあること。
それは、日本中の人が、みんな日本という国でちゃんと生きていけるために、世の中のために、国に払うお金なのだ、ということ。
愛の手帳を持っている息子は、例えば、やりたい職業に就くことはできない。勉強ができない人は、試験に合格できないから。でも、合格できないと、なれない職業がとても多いし、稼げるお金もほんの僅か。生きていくことがとても辛いことになってしまう。
だから、そんな君でも幸せになんとか生きていけるように、日本中の人が払ってくれた税金や年金から、これから君は少しずつお金をいただくことになる。(実は今までもずっともらっていた。学校の費用はほとんど全部、国のお金だったのだから)
だから、君はこれからは、日本中の人に、ありがとうという感謝をすることを忘れないで欲しい。
知ってる人でも、知らない人でも、みんなが君のために毎日お金を払い続けていることを。
だから、人に対して、偉そうにしたり、無礼なことはしないように。
腹がたつことがあっても、「この人も、ボクのためにお金を払ってくれてるんだ」ということを思い出して欲しい。
お父さんとお母さんが、老いて死んでしまってからでも、日本中の人が、君を支えてくれることを、忘れないように。
そして、君にできる範囲でいいから、困っている人、悲しんでる人に親切にするように。


息子はものすごく辛そうな顔で聞いていた。話が難しすぎたのかも知れない。
まぁもともと正義感が強く、お年寄りにはさっさと席を譲ったり、泣いてる子をなだめようとしたり、まっすぐな子である。よくもまぁ私のようなド腐れ根性ひん曲がり女のもとでこんな清廉な子が育ったものであることよ(´w`)……最近じゃ母に説教まで垂れますが。
とにかく他人様には偉そうな態度は取るんじゃないぞ、ってところである。でも卑屈にもなって欲しくないな。謙虚と誇りは両立可能のはずなので。





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2009. 09. 23  
「悪名高き皇帝たち」ティベリウス、カリグラ、クラウディウスまで了。あとはネロ。さすがに重そうである。

一番意外性が高かったのはカリギュラ(塩野さんの訳ではカリグラ)。私が若い頃に話題になった映画のせいで(未見だけど)、そりゃぁもう悪いイメージがあったわけだけど、実体はかなりおとなしいものであったこと、なにより、マスコット的萌えキャラであったという側面。

まぁ、とりあえずはティベリウスから。
善政か悪政かというなら、圧倒的に善政の人だったと思う。カエサルが切り拓き、アウグストゥスが細部を詰め、ティベリウスが完璧を目指して踏み固めたローマ帝国、という感じである。性格も、どこまでも高貴でクールで実際的。演説の訳を読むと、心震えるほどに威厳高く、格好いい。皇帝として申し分ない人物だったと思う。だがしかし、この人、どうにもこうにもシビアに物事を突き詰めすぎる人でもあったようで、自分自身も追い詰めていった結果、プッツンとなるところがあったようだ。その結果、晩年近くの数年間は特に、「善政なるも悪意あり」といったオモムキ。あまりにギャイギャイと五月蠅い養子の嫁や、言い訳と責任逃ればかりでまともに働かない元老院議員にちゃぶ台をひっくり返し、首都ローマを見捨ててカプリ島に引っ込んでしまうのである。だが、引退はしなかったのだ。風光明媚なカプリに居座ったまま、書簡を送りつけることで政治の実権は握り続けたのである。こんな振る舞いは、拗ねたあげくのイヤガラセにしか私には思えない。まぁ、77才まで生きたことを思えば、ボケが始まっていたのかも知れないが。だがそんな状態でも、政務の内容はあくまで怜悧でまっとうなものだったことを鑑みるに、ボケたというよりは、心の動脈硬化のような状態になったのではなかろうか。平たく言えば、人嫌いの頑固ジジィになっちゃた、ということ。

厳しく財政管理をし、皇帝主催のレジャー提供も無くし、賜金などのバラマキ政策もあまりしなかった治世は、民衆にはすこぶる評判が悪かった。「ドケチ」ということである。だがしかし、衆愚なんてのはいつだって自分たちの都合の良いことしか考えないものなのだ。史上例の無い規模の大国家、その平和と安心を支えるインフラ整備と維持(特に防衛軍備)のためだけにも、どれほどの巨額の金が必要になるか、なんてことを想像もできないからこその衆愚。ティベリウス、あんたはようやった! エライ! けど、やっぱ、皇帝が家出はいかんよウン。

そして、問題のカリギュラ(カリグラ)である。
実はこの名は本名ではない。幼児の頃の綽名なのである。
ローマの兵士が履く靴、「軍靴」をラテン語で「カリガ」と呼ぶ。カリギュラとは「ちっちゃな軍靴」という意味。まだよちよち歩きの赤子のころ、ゲルマン前線に遣わされていた父と共にあった王子のために、兵士たちは軍靴を作ってやり、それを履いて走り回る彼を「我々のカリギュラ」と呼んでマスコットとして愛したのであった。現代日本風に解釈するなら「カリガっち」「カリガたん」「カリぎゅ~」てなところだろう。当然その後に来るのは「萌え~♪」だったに違いない。なにせ、兵士が大規模反乱を起こしたとき、カリギュラの父は妻子の密かな脱出を謀るのだが、それを知った兵士たちが「我々のカリギュラを連れて行かないでくれ! 返してくれ!」と嘆願し、それで反乱が治まってしまったそうなのだ。よほど見目麗しい、愛らしい子だったのだろう。残存する彫像を見る限り、間違いないと思われる。

ティベリウスが死去し、元老院はただちに後継者カリギュラに、ティベリウスが持っていた大権のすべてを即座に与える宣言を出す。何の実績も経験も無いも同然の、25才の若者に。
カエサル・アウグストゥスの名。インペラトール(軍総指揮権)称号。政治家トップであることを示す「第一人者」称号。護民官特権(拒否権)等々。
よくもまぁ、なんの実力も示してない青二才に、ここまでの責任と権利と、ティベリウスが護り蓄財してきた莫大な国庫金を気前よく差し出せたものである。どんだけティベリウスが憎かったのか知らないが、正気の沙汰とも思えない。そしてカリギュラは阿呆ではなかった。自分に授けられたものの意味は判っていたのである。だからこそ、すっかり舞い上がってしまったのだろう。カリギュラが狂気の君主だとしたら、その原因はいい気にさせすぎた周囲の責任に他ならない、と私は思う。

ところでカリギュラはティベリウスの晩年、カプリに呼ばれて側近くで暮らしていた。ティベリウスがどういう人物であったか、なぜかくも嫌われるのか、反面教師としてバッチリ学んだらしいのだ。

そしてカリギュラの治世は、ティベリウス路線の真逆を行くことから始まる。国庫のばらまき。娯楽の提供。減税。民衆を楽しませることが、すなわち幸せにすること、王としてやるべきこと、とでも思ったようなのだ。別に、間違ってはいない。それは、熱狂した民衆の反応が証明してしまった。カリギュラを支持する歓声は、おそらくは人類史上最大規模のものであったろう。若く、美しく、民思いの理想の王。カリギュラの舞い上がりもまた際限が無かった。俺、SUGEEEEEE! もっと! もっと喜ばせよう!
だが、問題は、そのためにどれだけ金がかかろうが気にしない、という姿勢だったのである。
ティベリウスがコツコツ作り出した黒字はたちまちのうちに濫費され、3年と経たずにローマの国庫は火の車となった。阿呆でも無ければ狂ってもいないカリギュラは、ちゃんと金策の必要性に目覚める。
だが、問題は、金策のためにどれだけ金がかかろうが気にしない以下同文。
そして、民に愛されすぎた皇帝は、ほんの僅かでもその愛が減じることに耐えられなかった。人気取りのためのばらまき、ばかばかしいまでに派手なイベントの主催、それらをやめることもできなったのである。
なんだかんだで、カリギュラの高慢と焦りが昂進していくのとは逆に人心は冷えてゆく。増税。社会不安。法改正による民間財産の絞り上げ。濡れ衣同然に追放あるいは殺され、資産を回収されてゆく貴族たち。連日連夜のごとしだった祝祭のも、続きすぎればただの日常。カリギュラはあっという間に飽きられ、疎まれ、憎まれる存在になっていったのである。
そして在位4年足らずで、軍部に暗殺されるのだった。手を下したのは、かつてはるかなゲルマンの地で幼いカリギュラと共にあり、長じて皇帝となったカリギュラの身辺警護の任に当たっていた近衛大隊長であった。
カリギュラの治世には何一つ感心するところなど無いのだが、この最期については、なにかしら心揺さぶられるドラマを感じずにはいられないのだった。
ちっちゃかったカリギュラ。愛されたカリギュラ。
だが過剰な愛は愚かさを産むのみ、と示すかのような。

カリギュラの死後、近衛大隊は直ちに皇帝血縁の男子の1人であるクラウディウスを探し出し、「インペラトール!」とまつりあげ、元老院にクラウディウスを皇帝に推挙させる。軍威が皇帝の人事に関わる、最初の例となった。時にクラウディウス50才。肢体不自由の身を書斎に沈め、歴史の研究と著述のみに生きてきた静かなる人。皇帝になるなどと、政治の表舞台に立つなどと、本人はもちろん、世の誰1人として夢にも思わなかったであろう人物が、ローマ第4代皇帝となったのだった。

愚政の極みだったカリギュラの後を受けた「歴史皇帝」クラウディウスの治世については、長くなりすぎたので先送り。

いや~それにしてもローマ皇帝史が面白すぎる原因の一つに、HQすぎる彫像の存在を是非挙げておきたい。今にも活き活きと動きだし、語り始めるかのような迫真の像の数々。ギリシャ・ローマ文化の水準の高さに深い感謝を。明確なイメージが伝わるからこそ、理解もまた深まる真理。偉大です。





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2009. 09. 21  
東京ドームシティのGロッソで戦隊ショーを観た後、埼玉の「てっぱく(鉄道博物館)」まで出向いたらしい息子。とても混んでいて、販売の弁当なども売り切れているし、レストランも大行列だったそうだ。でも、おとなしく行列で待っていたらしい。
「ぼくは、こんでるからといって、けしてイライラしたりはしないんだ」
えらいねぇ、お母さんだったらたぶん即キレて、もういい、帰る出て行くとそりゃぁ怒るだろうなぁ、と言ったら
「おかあさんも、こんでるくらいで怒ったりすべきじゃないとおもうよ」

息子、まもなくハタチ。



***********************
ローマ人の物語VI「パクス・ロマーナ」読了。

超絶天才だったユリウス・カエサルの後を受け、わずか18才で政治の表舞台に立たねばならなかった、オクタヴィアヌスの生涯。
軍才は無かった。指揮をとれば必ず負けた。演説はヘタだった。「何言ってるのかわからんぞ」と、最高権力者になってからすらヤジられた。文才も無かった。業績録は書き残したが、あまりにも淡々と凡庸、しかも肝心なことの大半は書かずに済ませているというていたらく。体も極端に弱く、しょっちゅう輿に逃げ込んで休まねばならなかった。オシャレもしなかった。拒食症ぎみで冷える体を守るため、着ぶくれまくっていた。当然、美食もしなかった。類い希なる美男と言われながらも、残っている彫像を見る限り、どこまでも静かで穏やかで内省的な、おとなしい印象ばかりが先に立つ。

だが、業績の偉大さときたら、おとなしいどころの騒ぎではない。
志半ばで暗殺に倒れた義父カエサルの偉大なる構想、巨大国家による平和(パクス)を実現させるために、彼が四方八方くまなく打って行った手段の数々。その緻密さと周到さ、陰険・陰謀としか言いようのない人心掌握術。内外に多くの敵を抱え、それでも謀殺されることも無しに、とにかく確実に物事を進めて行くために払われた無数の気づかいと努力と忍耐。
なるほど、太陽のごとく明朗な、空駆ける大鳥のごとき天才のカエサルのような存在ではなかっただろう。義父のような才も力も自分にはない、天高く飛ぶための翼など持ってはいないのだ、と誰よりも自分が自分のことを良く判っていただろう。
ゆっくりと地べたを自分の足で歩いてゆくしかないのである。
だからこそ、空の大鳥には見えない足元のあらゆることが、彼の目には見えていたのだろう。
はるかな目標にたどり着くために必要な準備がどれほど膨大か、成し遂げるためにどれほどの努力が必要か、だがけっして投げ出してもならないし、途中で倒れるわけにもいかないのだ、と心に固く決めて歩き続けたかのような、あまりに地道な為政者の人生。

華々しい戦果、英雄的行動、ドラマティックな激動。そんなものと無縁であったとしても、私はこの人の長きに渡った治世ほど崇高な闘いもそうはあるまいと思った。
冒険すること、なにかに挑むこと、新しいなにかを始めること。もちろん、そういうことも大変にむずかしいことなのではあるが、例えばそれらが成功したとして、その成果を維持し発展させて固めていくことは、実はもっとむずかしいことなのではないか。なぜなら、維持は開発より退屈だからである。刺激が薄いからである。刺激による快楽を追い求めがちな人間にとって、そういう事業はしばしば困難そのものになるのである。
だがオクタヴィアヌス、長じては「聖」の意のアウグストゥスとなった彼は、倦まずたゆまず不断の意思でもって、やり遂げるのである。巨大な帝国の建設を。蛮族の侵入を許さない、平和と繁栄の国土の実現を。

アウグストゥスは、ローマ帝国初代皇帝とされているが、実は戴冠したわけではない。
天才カエサルは、その電光石火の特性ゆえに憎まれ殺された。ローマの共和制を破壊し、王になろうとしている、として。
慎重に。慎重すぎるほどゆっくりと進めなければ大事は成就しない。
敵対勢力のアントニウスとエジプトのクレオパトラを下し、一大権力を握ったオクタヴィアヌスは、元老院に向かってこう宣言したのである。
「私に集中していた権力を、皆さんにお返しする。ローマを共和制に返す」
元老院、すなわち貴族たちは狂喜した。あやうく消えようとしていた、自分たちの望ましい世界が戻ってくるのである。ローマに英雄は要らない。王など許さない。自分たちのためにとっとと野望を捨ててくれたオクタヴィアヌスに、「代わりと言ってはなんですが」と、様々な特権を彼に許すのである。
貴族たちはだれも気づかなかったのだろうか。彼が望んだ特権は、一つ一つはたいした望みではなかった。だがそれらが積み重なると、ひっくり返すことのできない強力な地盤となるのだ、ということに。
ローマ軍の総指揮権、ローマ国政トップである執政官および第一人者としての権威、護民官特権としてのヴェトー(拒否権)、聖称号等々。
ガイウス・ユリウス・オクタヴィアヌス・アウグストゥス。
あるいはImperator Caesar Augustus、インペラトール・カエサル・アウグストゥス。
そう、戴冠なんぞはしなかった。
だが、インペラトールはエンパイア(帝国)に、カエサルはカイザーに、すなわち彼の名そのものが皇帝という意味となっていっただけなのである。
まさに歴史を作ってしまった人物、と言える。


彼の無数の政策の中で特に興味深かったのが、少子化対策だった。
平和になり、文明が高まる一方のローマ社会において、、独身者がどんどん増えていったらしいのだ。日常の雑事はすべて奴隷がやってくれる。経理事務の類もいわば執事と言うべきものがさばいてくれる。嫁だの夫だのましてガキなどメンドウなだけ。ちょいと溜まれば、よりどりみどりで遊べば済むし、独身でいる方がよっぽど気楽で楽しい人生さ、てな享楽的なローマ人が増えていったらしいのだ。
アウグストゥスは、これを放置しておけば直ちに国がダメになるという判断を即座に下す。そして彼が政策として打ち出した法がなかなかに過激なのである。
曰く、若くして独身である者、多大な税制上の不利をこうむる。
曰く、婚外交渉は罪。厳罰。
曰く、姦通もまた罪。厳罰。

ずっとアウグストゥス贔屓で読み通して来た私も、さすがにこれには「どっしぇー!」なのだった。シビア過ぎるだろうjk。だが、文明度と比例するかのような少子化傾向というものは、ここまでキッパリとした対処でもしないかぎり、実はどうにもならないものなのかも知れない。現代日本社会にとって、他人事どころではない話なのである。

そして、骨の髄まで生真面目至極だったアウグストゥスは、他ならぬ自分自身の一人娘ユリアをこの法に基づいて遠島流罪に処したのである。死ぬまで赦さなかった。自分と一族のための壮麗な霊廟に葬ることすら赦さなかった。
また、後継者として目をかけていた血縁の若人は次から次へと早死にしていった。右腕同然として治世を助けてくれた親友たちも、また同様。
けっきょく、血のつながりはまったくなかった、妻の連れ子であったティベリウスを後継者にすることになるのである。
さぁ、明日からは、このティベリウスからしばらく続く、悪名高い皇帝たちの巻に突入だ! ティベリウスといえばやっぱりエンタープライズの艦長。いやそれはそれとして、カリギュラとかネロとか、歴史にまったく興味が無かった頃の私ですら名前くらいは知っている、というくらいの有名な人物たちの話になっていくようである。


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2009. 09. 18  
もうぜったいにそうなのら。

水木しげる役に向井理。

佐藤たけるんの人斬り以蔵といい、いったいNHKは私をどうしたいんだーっヽ(`Д´)ノ
TVギライの私を毎日毎朝毎週日曜ゴールデンタイムまで貼り付かせるつもりなのかっ!

それにしても、白執事しー様ことムカイリー、大抜擢だなぁ。やっぱ「こ・れ・は!」と感じた若手が伸び上がってくるのを見るのは気分の良いものである。
あとはヒロ君もなんかのレギュラーにしてくれれば、陰謀呼ばわりどころかNHKの犬と化してもよろしくってよホホホ。

実際、水木氏を誰が演じるのだろうか、とは「ゲゲゲの女房」ドラマ化のニュース以来、ずっと気にはなっていたのだ。
水木氏といえば隻腕で知られる。氏の凄いところ、素晴らしいところは多々あるが、戦争で左腕を喪う不運をものともせずに、あれほどの緻密で見事な絵で数々の作品を描き上げてこられたことは、その最たる事の一つだと思っている。描くことのみならず、「たいていのことは右腕だけでちゃんとできる」と、端然としておられるのが素晴らしいのだ。ゲゲゲの鬼太郎の実写映画の冒頭で、郵便配達員に扮してスイスイと自転車を漕いで行かれる姿は未だに目に焼き付いている。
そういう点を、ドラマではどうするつもりなのだろう? 三つの可能性が考えられるな、と。

隻腕の俳優さんを探してくるのか。(はい、消えたー)
特殊な映像処理を施すのか。
あるいは、そういうことは無かったこととして扱うのか。

もしも最後の選択がなされているとしたなら、がっかりである。さしものムカイリー登場でも観ないだろう。TVのご都合主義でもって個人を偉人たらしめる要素を封印してしまうような作り方をされている代物を、私が楽しめるとは思えないから。

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2009. 09. 15  
主婦、強盗を巴投げ。

空手三段の腕前らしいが、「負ける気がしなかった」というコメントが特に心に残る。主婦45才、強盗24才男、普通に考えたら「勝てる気はしない」というところだろう。45才って、通常かなり自分の老いを意識せざるを得ない年頃のはずだし、24、5才ってのはまさに体力全盛期。

だがやはり、気持ちの上で最初から負けていたら、勝てる戦いもけっして勝てない。「負ける気がしない」、これがとても大事だと思う。強盗だの強姦魔だのってのは、ほぼ確実に自分自身こそが「負けるはずない」と思っているからこそ行動に及ぶ卑怯者なのであるから、即座に闘志むきだしで反撃して驚かせるべきだろう。卑怯者が驚けば、次にくるのはひるみである。そこにつけ込めば、体力的に不利であっても勝機はある。
世情が荒れている。弱者からなにかをむしり取ろうとするたぐいの犯罪は今後ますます増えるだろう。覚悟と闘志は常にみなぎらせておくべきだなぁ、と思うニュースだった。女だから、とか年寄りだから、とかって舐めさせておくな、ってこってすな。

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iPhone、ますます絶好調。iPhone同士でのSMSだかなんだか、つまり番号同士でやり取りできるショートメール。これがとにかく便利だ。ソフトバンクにはもともとスカイメールという同会社同士の機種で通じる簡易メールがあったが、これよりさらにスピーディだ。
夫の人との連絡やり取りがグッと増えた。
そもそも夫の人は、あまりケータイを使わないタイプで、私はイライラさせられることが多かったのだった。
「なんで、なんでもない通常の時間に帰宅できる時にはカエルコールがあって、そうできない時にコールがないの?! 連絡が必要なのは、非常時でしょう?」
そーなのだ。たとえば電車が止まった、急な用事が入った、トラブルがあった、これらの非常の理由でいつもの時間に帰れない、というような時に、電話による連絡はあるべきだと、私は思っていたのである。
だが夫の人の言い分はこうだ。
「そういう時ってのはたいてい、テンパっているし、そもそも電話なんかする余裕が無いのが非常時」
そりゃそうかもしれないが、ケータイ以前の時代で、公衆電話が見つからないとかって言うならともかく、ケータイってのは簡便な道具のはずだろうが、と思うのだが。
「バタバタしてるときに電話なんかできないし、電車にのって一息ついても、周囲に気兼ねでやっぱりかけられない」等々。

あ、あ、今、なんつーか、付き合いだしてこのかた四半世紀に及ぶ長さにわたる経験の中での
「しかるべき時に連絡がなく、どうでも良いときに連絡はある」
という状態についての蓄積されたストレスが一気に沸き上がって来たような……(--#)

まぁ、今現在、iPhoneによるSMSの、レスポンスの速さや簡便さにより、どこでもいつでもメッセージの交換が可能になっているわけで、いろんな意味で喜ばしいことである。

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NHK、人形劇で「三銃士」

これはなかなか期待できそうだ。脚本も声優陣も、この上もないガッチガチの鉄板布陣。NHKの本気が見えるようである。

だが、私はどうしても言わずにおれない。
NHKよ。
「グイン・サーガ」を人形劇でやるべきだったんだよ!!!('Д')

グイン・サーガの最適な映像化は人形劇だ、というのは私たち夫婦の十数年にわたる主張なのである。
この主張よりももっと昔、高千穂遥氏は「グイン・サーガがもっともふさわしいのは宝塚」とおっしゃっていた。これにも異議は無かった。(宝塚では無かったが、ミュージカル化は実現した。それも、原作者自らの手で)

人形劇でグインを観たい。古今東西世界最高超絶美形のナリス様のイメージを、人形劇という形に昇華された姿で観たい。死ぬまでに実現してくれないかなぁ、といつまでも私は言いそうな気がするのであった。


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2009. 09. 12  
小畑健×太宰治でアニメ化へ。

この表紙を一目見ただけでビリビリ来たし、他にもテライケメンな芥川龍之介表紙の地獄変とか、まさに狙いすました企画だと思っていたので、この流れも当然だと思う。


高校生時代、現代国語の授業で「こころ」をやったとき、わたしは作品の主旨をほとんどまったく理解できなかった。ひたすら鬱陶しく、わけわからない行動ばかりにしか思えなかった。感想文提出を求められて、「かくも意味不明な作品について考慮する必要を感じない」などという主旨の数行だけを書いて提出し、見事に職員室呼び出し&説教をくらったのであった。

つい先日のことである。
息子より年若い文学女子高生が私の目の前で熱く主張したのだった。
「『こころ』は、『そういう読み方ができる』と学校の先輩に言われたんです」

そういう

あまりの衝撃に思わず立ち上がって頭を抱えて叫んでしまった。「そうだったのかーーーーっ!!」なぜそのことに気づかなかったのかワタシー!!Σ(゜д゜lll)
そっちを抜きにしても、どんだけアホだったのかと。現国教師の嘆きも怒りもごく当然であったろう。


シラケ世代だの新人類だの言われた私たちの青春時代には、文学的なものは迫害気味な時代でもあったと思う。熱血もまた同じ。巨人の星などのド根性モノがどれほど嘲笑されていたことか。

時代は変わった。
今こそ、古きものが語り直されるにふさわしい時代だと思う。
で、アニメ化にあたっては、かなり耽美に寄っていくのではないかと思う。思いっきり腐女子受けする方向性でよろしかろう。そゆこと。

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2009. 09. 09  
カエサル著「ガリア戦記」、遅々として読み進まず。端正かつ抑制のきいた名文なのだが、小説というわけではない単なる報告書なので、淡々粛々としているのでつい眠くなってしまうのだった。でも、報告書の割りには激しくドラマチックな部分も多く、カエサルという人が理知的でありながらロマンチストでもあったという、多様で深い人間性を持っていたことを伺わせる。ついでに言うなら、政敵が多かったローマ本国へ向けての報告なので、いささか粉飾的かつ演出過多な要素が盛り込まれていた可能性は大いにある。早い話がプロパガンダでサービス、サービスぅ! みたいな。

でも、7巻あたりから、掛け値なしで猛烈に面白くなってくるのである。
ガリアの英雄、ウェルキンゲトリクスが登場するからである。

ウェルキンゲトリクス。なんだこの長い名は。覚えるまで何週間もかかったわ。ちなみに綴りはVercingetorix。言語によって音も変わる。rixは王。verは優れたとかスーパーとか上位とか言う意味。
cingetoは、戦士とか歩兵などの関連語句だそうで、意訳すると「超絶戦闘王」てな感じになるのか。
けど私はあえて「闘鬼」と呼びたい。彼の戦略も生涯も、苛烈極まるものだからだ。

カエサルのガリア遠征が数年に及ぶ頃、部族同士で対立をくり返し続けてきたガリアの民を一致団結させる英雄があらわれた。齢(よわい)わずかに20前後。年だけ見れば単なる青二才だ。だが彼は他の誰にも真似できない力を持っていた。おそらくは、意思、ビジョン、戦略、行動力。そして「こいつに従うしかない」と老若男女に思い込ませる、圧倒的カリスマ性であったろう。
王者の資質である。

圧倒的戦力を誇るローマ軍に対抗するため、ガリアに必要なことはまず団結。ウェルキンゲトリクスは、諸部族の長を招集し、誓いを立てさせ、裏切れぬように大量の人質を差し出させる。
ローマ軍の武力は超大。だが超大ゆえの弱点はある。「メシ」の問題である。腹が減っては戦(いくさ)はできぬ。補給を絶つことでローマ兵を飢えさせ、弱体させて追い返すというのがウェルキンゲトリクスの基本戦略であった。
そのためにウェルキンゲトリクスが実行したのは、ガリアの都市、村、耕地に火をかけ破壊するよう命令することだった。自分の国、故郷、祖霊の地、手塩にかけた作物、財産、それらすべてを我と我が手で葬り去らねばならなかったガリア人は、だがそれでも
「今は辛くとも、明日のガリアの自由のために」
と信じて、心を鬼にして従ったのだった。
食料は現地調達が基本だったローマ遠征軍は、これによって大いに苦しむことになる。

だがカエサルも人類史上最強クラスの超人英雄。両陣営の激突は熾烈を極める。
なんだかんだいろいろあって、追いつめられたガリア陣営。最終決戦地アレシアの戦いにおいてついに敗北したウェルキンゲトリクスは民にこう告げたとされる。

「この戦いは己の栄誉のためではなく、全ガリア人を解放するための戦いだった。運命が私に敗北を与えたのならば、それに従うことにしよう。私を殺すか、あるいは生きたままローマ軍へ引き渡すか、諸君らが選択したまえ」

ガリアは、ウェルキンゲトリクスをローマに差し出すのだった。
武装を放棄し、ローマの虜囚となり、カエサルの大凱旋式に引き据えられた後に処刑され、わずか26年の生涯が終わる。

カエサルは「寛容(クレメンティア)」を掲げ、敗者はきょくりょく虐げず、自軍の力として吸収同化にもっていこうとするのが常だった。それは建国以来、何百年も受け継がれたローマの伝統でもあった。
だがウェルキンゲトリクスだけは、殺すしかなかった。天才は天才を知る。有能であり、翻らぬ男。生かしておいては、必ずローマの害となったろう。危険すぎたのだろう。
常人が及ばぬ高みから物事を見ていた孤高のカエサルにとって、ウェルキンゲトリクスは唯一無二の好敵手、同じ目線でいれる者、敵でさえなければどれほどにも信頼できる畏友にもなれたのだろうと、存在を惜しんだのではなかろうか。ガリア戦記には、カエサル自身がどう思い感じたか、というような個人的な情動の記述というものはほとんど無い。(そもそもが三人称で書かれている)だが、ウェルキンゲトリクスについて述べるくだりの文章が、溌剌と、いきいきと、跳ね踊るように輝き出すのに触れていると、内に秘めたカエサルの思いが声無き声で綴られているような気がしてくるのである。


ウェルキンゲトリクスが主人公の小説や、映像はあまり無いようだ。日本語だと
(1) 『ガリア戦記―ローマに挑むケルトの若き狼』 村上恭介著/学研
(2) 『カエサルを撃て』 佐藤堅一/中央公論社
これくらい。
映像だとこれくらい。

ネタとして結構な大穴物件じゃないかな。

あと個人的に歴史上の大穴物件的人物として調べてみたいと今思っているのが、フン族のアッティラと、アラビアのサラディン。まぁその前にボルジアさんちに行っとかないとならないのだけど。それ以前にローマ史勉強いつ終わるんだw まだアウグストゥス帝の詳細すら読んでないのに!



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2009. 09. 09  
ツイッターはヤバイ。なにこの時間泥棒。
iPhoneの簡便さとあいまって、あっという間に浸り込みである。危険極まりない。
最大の問題は、ブログを書く意欲が激減してしまうという点。この独特のユルい繋がり具合が、「ブログ書かなくちゃ!」と思わせる衝動のようなものを、とっとと宥めてしまうのだろう。

最初は夫の人だけフォローした。
次に夫の人がフォローしているリストをみて、共通の知人をフォロー。ブロ友もフォロー。
知人のフォローリストを見て、知人では無いけどオタク界で著名な方々をフォロー追加。
この時点でかなりログが増えたので、しばし追加ストップ。

そういえば、登録時に有名人リストが20名付いてきたけどほぼ速攻削除、でもなぜかホリエモン氏だけは残したのだった。ニコ生での生毛ガニ、美味しそうですね(´¬`)ジュル

フォロー数が増えると、細かくリロードしても更新が多い。ごくありふれた日常記述が多いので、なんだかヒトサマのプライベートをちょろっと覗き見しているかのようなドキドキ感がほのかにあったりする。

さらに、私が最初に使ったツイッターアプリには、半径○km(数値は指定可能)以内に存在するツイッターメンバーのログを拾うシステムがあり、これなんぞまさに縁もユカリも無い、ただ単に近所にいるってだけの人のつぶやきを無作為に表示してしまう仕様であり、覗き見ドキドキ感はますます激しいのだった。良いのかコレ。相当、背徳的な気がするのだが。

妙な気分になる割りにはあまりに「覗き見」をやめられないので、自重のためアプリを入れ替えた。代わりに入れたのはNatsuLion for iPhone。フォローしてない人のログは見えない仕様である。ライオンのアイコンが可愛い♪

一応アドレスはこちら。超絶飽きっぽい私の性分からして、すぐやめそうな気もするけど。あと「くだらんこと書きやがって!」とかいう非難はお門違いでっせ。ツイッターってのはくだらんことを書くための場。でもって、フォローはあまり増やさない方針ですので、あらかじめ悪しからずなので御座います。

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2009. 09. 07  
前々から、思慮無き垂れ流しをネットに公開することの是非をたまに考えていたのだが、あまり感心しないなぁ、という結論ではあった。

だがふと思いついた。垂れ流しだろうとなんだろうと、どんな時に何を感じ何を思い何を記録したがっていたか、という事を山のように蓄積していけば、疑似AI構築のベースになりはしないだろうか、と。
何年分かくらいの膨大なログをすべて残しておき、死後、遺族が疑似AIにそれを流し込み、PC上で故人のつぶやきや反応をシミュレートしてくれるシステムおよびサービス。結構な需要が見込める気がするのだが。

だが、最近ツイッターを始めた夫の人に訊いてみると、ログはすぐ流れて消えてしまって残らないらしい。なーんだ。そりゃそうだよね(・ω・)


さて、仮面ライダーW、放映開始であった。
これは私はかなり好きだ。新機軸を狙っているのだろう、色々と新鮮に感じる。特にフィリップが検索を始めるシーンはゾクゾクした。だが夫の人は「マトリックスじゃん」と言っていたけど(私未見)w
セリフがいちいち説明臭く、だがそれが良い。
古くは故・長浜忠夫氏語るところの
「お話の基本説明は、初回でなされていなくてはならない」
という教えをセオリーだと信じる私にとって、謎めかすばかりで解明もせずに投げっぱなしで終了する昨今の甘ったれ厨二病的構成にはつくづく反吐が出そうなのだ。説明大いに結構。謎はもっと他に置き所があるはずなのだ。
主人公の翔太郎役の桐山漣君の演技がかなり良い。初回からすでに出来上がっている。気構えや意欲が感じられて実に好感が持てた。フィリップは……あのキャラ、人間じゃないのかな? 特殊能力の持ち主、というよりは、人間型の別の何か、という感じがした。それが狙いなら、あれで十分かと思う。そうでない場合は、こなれを待つしかないというところ。

逆にがっかりポイントは女性陣がイマイチな点。特に敵側の組織らしい女の子2人の振る舞いのなってなさ加減と言ったら目を覆わんばかり。超ベテラン寺田氏の醸し出すオーラによる場持ちが無かったらグッダグダになるだけだろう。いや寺田氏は本当に凄かった。基本的に若人ばかりで進むドラマの中には、どうしてもビシっと引き締める練達の演技が必要なので、ありがたい限りである。

ライダーバトルは、トリッキーで変化球タイプのライダーということで、まだ見せ方が確立してない感があったのだが、これについては心配しない。カブト以降の平成ライダーしか観てはいないのだが、撮影現場のスタッフの士気や技術の高さを私は信頼している。今後に期待。

ところでラストに出撃したメカ、夫の人がマッハロッド(でブロロロロォー)だと言いながら画像を出してくれたわけですが、あーこりゃ……お尻のプロペラが……やっぱ確信犯? 私が連想したのはどっちかというとサンダーバード。それもなぜか2号。ナツカシス。

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2009. 09. 03  
息子のお尻のアテローム再発。
病院が怖くてずっとガマンしていたらしく、相当悪化していたようだ。しばらく消毒を続けて、症状が落ち着いたら切除がいいでしょうとのこと。
もうそんなに暴れないだろうから、全身麻酔などの大がかりなものではなく、かかりつけの医師にサクッと切ってもらうことになるとは思うが、さすがに息子の顔色が悪い。注射、キライなんですと。はぁ(´_ゝ`)ヤレヤレ

さて、今朝、近所の道ばたに、「引っ越すのでもらってください」と書かれたダンボール箱にオモチャや雑貨が詰め込まれて置いてあるのに気がついた。

そこに、なんと抱き枕仕様のリラックマのぬいぐるみが……!

あかん。
あかんのや。
リラックマには、逆らえへんのや。

というわけで「さ、ウチの子になってね、一緒に帰ろうね」と抱きかかえて帰宅、さっそく綺麗に洗濯して、セーターなどを平干しするためのネットに横たえて乾燥を待つ。




仰向けにしたところ。あー可愛い。癒されるー( ̄▽ ̄)~*

CAT4K9MD.jpg

てなわけで、iPhoneのデジカメ機能テストでした。
デジカメとしては、使い勝手はイマイチなりよ。レンズちっちゃいしね。



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2009. 09. 01  
夫の人のケータイ契約更新期限が来たので、かねてからiPhoneが欲しかった夫婦2人はついに決断したのだった。
夫婦2人分いっぺんに手続きをさせられた(しかも片方はドコモから変更)係の方はさぞ大変だっただろう、なんだかんだで2時間近く束縛してしまったのだった。

パソコンのセットアップに匹敵するスッタモンダがようやく落ち着き、なんとかメールなども使えるようになったところ。慣れると実に快適なマシンだ。操作感がやっぱり良い。
「見て良し、触れて良し、使って良し」
最高のマシンと言える。

私はソフトバンクケータイからの変更だったのでナンバー持ち越しも可能だったのだが、新規にしてもらった。その方がキャンペーンの関係で安かったのである。

あと、以前のケータイは、もう何年にも渡って謎のワン切りコールが一ヶ月に1度くらいの頻度で続いていたので、ホンのちょっとだけキモかった、という事情もあったので。さらばだ謎のワン切り! 昼と言わず夜中と言わずかけてきやがって! これでもう終わりだウハハハハ。まぁ実害なんて無いに等しかったし、実は私が気づいていなかっただけで私に一方的に恋慕したあげくひょんなことからナンバーを手に入れてでもまともにコンタクトなんか取る勇気なんてまったく出せずそれでもどうしても自分の存在証明みたいなものをカケラでも良いから伝えたく想っているかなり屈折した魂の持ち主であるところの目も覚めるような白皙美貌のメガネ青年によるしわざなのではないか、と思いこんでおいても別に良かったんだけどンなワケねーだろ。
実際はこういう状態ってことらしい(´w`)

すでにiPhoneをお使いで、お薦めのアプリや使い方などご存知の方おられましたら宜しくご指導願います。とりあえず入れてみたいのはブックリーダーかな。あまり外出しない方なので、電子図書閲覧器としての機能に一番期待をかけているのだった。青空文庫とか無料だし良いよねっ(☆ω☆)


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2009. 09. 01  
比例当選 43歳驚きの転機

私は基本的に政治について話さない。
代案無き批判に存在意義は無い、と思っているし、自分が政治をやる気も無いし、そもそも政治を出来ない。そんな能力は持ってない。知力、体力、精神力、知識、経験、教養、統率力、意欲、誠心、他にも色々とあるだろうが、とにかく政治家が持っているべき資質の何もかもが無い。出来るわけがない。だからやらない。やれ、と言われてもお断りだ。やらなきゃ殺すと言われたってこれだけは譲らない。もしもやることになったら確実に発狂して死ぬより酷いことになるのが判っているからだ。

さて。
こういうニュースのような形で、「政治をやる気も政治家になるつもりも無かった人が、当選してしまうケース」というのを、どう受け止めるべきやら。
まずこの当選者の方には、心身を大事にするよう心がけてください、と述べておく。衆議院議員は激務であるはずだからである。

発想を転換すると、こういう形で議員になるというのは、私のようなアホンダラが仮に当事者だったとしても、そう悪いことでもないかもしれないと思う。
政治なんかいっさいやらなけりゃいいのだ。
「お願いします、みなさまのために頑張りますからお願いします」と支持を求めて頭を下げたつもりも無い以上、開き直って責任逃れも楽々だ。
いきなりの実戦投入だけど、こんな状況じゃ1から勉強するしかないじゃん。
勉強だけで任期が終わるかもだろうけどね。
「だってなっちゃったんだも~ん。そんなつもりなかったし~。あーだこーだ言われたって知~らないっ」

……いやぁ、割と気楽かもしれないとは思ったけど、やっぱりそれじゃ世にも稀なる赤っ恥をかくってことだし、やっぱイヤw


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ディズニー、マーベルを買収

ナナナ ナンダッテー(AA略)

X-MENだのハルクだののアメリカン・ムキムキマッチョ・ヒーローがディズニーのものになってしまったというのかっ! 買収額は40億ドル! それってうまい棒が何本? いや、まじめに計算するとざっと4千億円?!

それだけの価値はあるとは思うけど。

次に狙われてるのは、DCか? ワーナーか? ハンナ・バーベラはどうなんだ? ジブリだって狙われてんじゃぁないか、とか思っちゃったニュースであった。


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プロフィール

星 ゆう輝

Author:星 ゆう輝
人生50年、オタク歴40年弱、母親業四半世紀。老眼とボケが迅速に進行中。麗しいロボ執事をはべらせるのが老後の夢。

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