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2009. 10. 31  
塩野ローマ物語XII「迷走する帝国」、まだやっと半分。なかなか読み進まないのは、けっこう沈鬱なのと、なによりも混乱した状態の描写だからか。なるべく箇条書き風に流れの整理を試みねば。

皇帝カラカラが発令した臣民皆平等条例の後、ローマはどうなっていくか、ということなわけだが、まず




**********以下、2時間かけて箇条書きにしたけど読まなくていいよ**********

*カラカラ、パルティアとの戦争中に近衛軍団長に殺される。享年29歳、在位6年。
*カラカラを殺した近衛軍団長マクリヌス、皇帝に。だがパルティアとの間にローマにとって不利な条件での講和を結んだことにより、兵の反感を買う。
*野望の女ユリア・メサ、先帝カラカラの叔母である地位を利用し、孫息子2人を帝位につけるべく暗躍。
*マクリヌス、叛乱軍に追われ死亡。享年54歳、在位1年。
*ユリア・メサの孫、14歳のヘラガバルス即位。だがいろんな意味で非常識な青年であったため殺される。享年18歳、在位4年。
*ユリア・メサのもう1人の孫息子・アレクサンデル、14歳で即位。真面目で勤勉、側近も優秀だったため、しばらく安定した統治が続く。
*ハッと気づけば宿敵パルティアは、ササン朝ペルシャに取って代わられていた。ペルシャ、殺る気マンマン。
*皇帝アレクサンデル出陣。ペルシャとの戦役に微妙な勝利。それなりに凱旋。
*北ではゲルマン民族大暴れ。皇帝出陣。だが弱腰外政が兵の反感を買い、殺される。享年27歳、在位13年。以後、ローマは50年に渡る軍人皇帝乱立の時代を迎えることになる。

*アレクサンデルの死後、軍団に担ぎ上げられる形で、マクシミヌス・トラクス即位。膂力自慢の生粋脳筋軍人。ゲルマン前線で蛮族と戦い続け連戦連勝。だがローマの元老院とは激烈に仲が悪かった。
*マクシミヌスの品位無き脳筋ぶりにブチ切れた元老院、カルタゴのゴルディアヌス父子を皇帝に推挙、同時にマクシミヌスを国家の敵認定。
*激怒したマクシミヌス、ローマに進軍。
*一方、アフリカでは元老院に反発したアウグスタ軍団がカルタゴを襲撃。帝位就任から1ヶ月も経たずに、ゴルディアヌス両帝死去。
*元老院、すかさず、パピエヌスとバルビヌスの2人を皇帝に推挙。マクシミヌスはローマに到達することなく、近衛兵によって殺される。享年65歳、在位3年。
*共同皇帝となったパピエヌスとバルビヌス、仲間割れ。2人を担ぎ上げた元老院も二つに割れて仲間割れ。すったもんだの末に、2人とも叛乱将兵に殺される。
*元老院、ゴルディアヌス1世の甥をゴルディアヌス3世として皇帝位に就ける。13歳という若年であったが、優秀な側近の力もあり、なんとか統治開始。
*ササン朝ペルシャと再び開戦。側近ティメジテウス死去後、ローマ軍瓦解。ゴルディアヌス3世も死去。享年19歳、在位6年。
*ゴルディアヌス3世を謀殺したと言われるフィリップ・アラブ即位。メソポタミアを放棄することでペルシャと講和を取り付け、ローマに帰還し統治開始。
*ゲルマン民族またまた大暴れ。皇帝に不信を募らせたドナウ軍団、総督デキウスを皇帝に担ぎ上げる。フィリップ・アラブは討伐軍を率いて迎撃するも、孤立無援となり自死。享年45歳、在位5年。
*デキウス、皇帝即位。キリスト教徒を弾圧とかしてる間に、ゲルマン民族(主にゴート族。なぬっ、カリオストロのご先祖?)ますます大暴れ。デキウス皇帝、息子と共に壮烈な戦死。享年50歳、在位2年。
*対ゴート戦に参戦していた将兵の推挙で、トレボニウス、即位。ゴート族との講和を試みる。だがこれに反発したエミリアヌス、皇帝宣言。ヴァレリアヌスも宣言。3人の皇帝の間で内戦開始。
*いっぽう、ローマ弱体につけこむようにゲルマン民族大侵攻。黒海の制海権まで奪い、帝国領をジワジワと浸食。
←今ココ

***********あー疲れた、疲れた上に、読み辛いだけ*******



とにかく内輪でケンカばかりしてる間に、外敵はめっぽう強くなっていくし、まともなリーダーも出てこないし、国民全体が軍事も政治もやる気を無くしていくし、弱り目にたたり目、てな感じでどんどんローマの状況は悪化していくのだった。

国が弱る、というのは、民が弱っている、ということである。不安定になった人々が何を求めるか、というと、心のよりどころである。国がまともに治まっているうちは、国家そのものがよりどころたり得るが、その信頼が喪われたら、非現実に代替を求めるようになるのは仕方の無いことかもしれない。
つまり、「神様」である。
ローマは多神教国家であり、30万の神を奉じていた。不安を沈めようと、古来よりの神々に供物を捧げ国難を退けてくれるよう礼拝する民衆にとって、「そんな神様間違ってます、信じなさい、こっちを信じなさい」と教義を押しつけてくるキリスト教徒は、甚だしくウザい存在になってしまったのだった。その一方で、現世に失望したあまりにキリスト教に傾倒する人も増えていったのだろう。ローマの国家政策レベルのキリスト教弾圧が本格化するのは、この帝国混乱時代からなのであった。


ササン朝ペルシャとは、懐かしい響きである。
私が世界史の授業を受けたのは、高校1年生の時だけである。そのほとんどすべてを、昼寝と落書きだけでやり過ごした。記憶に残っているのは、世界史の教師が風采の上がらぬお爺さんだったことと、最後の授業の際に「記念撮影しまーす」とクラスメイトに促されて、妙に嬉しそうに黒板になにやら書き付けて、今まで見せたことも無いような素敵な笑顔で振り向いた姿だけ。
その、チョークで書かれた黒板の文字が
「ビザンツ帝国」
「ササン朝ペルシャ」
この二つだった。文字列だけが脳裏に残り、その文字の意味をやっとこの年になって知ったわけである。もうお亡くなりになっていると思うが、あの先生は、このあたりの時代が特に好きだったのかも知れない。ちょっとしみじみ(´w`)



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2009. 10. 31  
一晩過ぎたら、あっけにとられるほど息子は元気になっていた。ちょっと咳が残るくらい。
タミフルというのはインフルウィルス狙い撃ち、という薬らしいが、これほど劇的な結果を目の当たりにすると感動的ですらある。
でも解熱してから2日間は外出禁止なw

良い天気で暑いくらいだけど、しょうがないよね。なんかいつもよりハイだなぁ息子。さすがにうるさいよ息子。
「い、異常行動?」
「いつもと同じじゃん」
……異常行動が常態の息子(´_ゝ`)b ナレテルケドネ


さて、びっくりするほど効いたタミフル。そもそもどういう薬なのかと、ちょっとWikiったのだった。

ふむふむ、A型には効く、B型微妙、C型だと効果無し、と。
で、豚の角煮によく入ってる八角というスパイスが原料だとか。ただし、化学合成の果てに作られる成分によるものなので、八角をそのまま食べてもインフルにはまったく効果が無いって。なるほどね。

今回の息子のインフルはA型(新型の可能性大、でも確定は遺伝子調査しないとできないから、あくまでも『可能性』)だったからこその、タミフル投与による早期軽快、ということなんだね。

私が子供の頃から
「風邪には特効薬が無い。もし風邪の特効薬が作れたら、ノーベル賞ものである」
と言われていたものだ。
これほど劇的に治るなら、タミフルの開発者にはとっくにノーベル賞が与えられてて良さそうなものだ、と思ったわけなのだけど、あくまでも、どこまでも、「A型」という限定的な風邪にしか効かない、ということを考慮すると、特効薬の名にはやはり値しないわけなのだな、と感じた。
そもそも風邪、というものが広大な症状を抱え込みすぎた言葉なんだよね。
ちょい前、日本でノロウィルス、ノロウィルス、と騒ぎになった感染があるけれど、あれにしたってなーんてことない、それ以前だったら単に「腹に来る風邪」と呼ばれてただけのものだってことだし。
「今年の風邪は腹に来る」なんてセリフは、人生のうち何度も聞いてきた。
何をいきなり新種の怖ろしい伝染病みたいに騒いでいるのかと呆れていたのを思い出すのだった。

ちょっと話は逸れるけど
「今年の風邪はキツイ」
というセリフはもっと頻繁に聞く、という事について。
「今年の風邪はたいしたことがない」
なんて聞いたことは無いわけで、結局、人間、辛い思いをしたら辛い辛いと人に愚痴って甘えたいし、「今年はキツイらしいからねぇ」と心配されたいし慰められたいし、あるいはまだなんでも無い人に向かって「キツイらしいよぉ?」などと一種脅しめいた圧迫を加えることで相手を刺激し反応を楽しみたい、という性向がぬぐい難くある、ということで、事実とはかけ離れたことを言いたがったり信じたがったりする人間の理不尽さの方が風邪そのものなんぞよりよっぽど厄介なんじゃなかろうか、ということ。

タミフルが効かない風邪の方が、むしろこじれると大変だと言う気がする。気管支に入ったら1ヶ月以上病むこともあるし、肺炎になったりしたらそれこそ命が危ない。
A型だろうと何だろうと、とにかく風邪の症状が出たら、ぐずぐずしないで即対処。やはりこれが鉄則。兵聞拙速。



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2009. 10. 30  
ローマ史もさすがに衰退してくるあたりになると読むのもけっこう辛いなぁ、とチンタラしている今日この頃。
火曜夜に、息子が熱を出した。
水曜朝、行きつけの医院で診察。「インフルは陰性」とのことでホッとする。薬を飲んで、夕方には元気になる。
木曜、元気に通勤。
金曜朝、また発熱してぐったり。
「ぶり返したなら再検査したほうがいい」
鼻に綿棒を突っ込まれるのはもうイヤだぁ、とべそべそする息子をなだめてまた医院。
見事にA型陽性が出た。
発症して48時間はもう過ぎていますが……一応、ということでタミフル処方。
出勤日についての相談と、陰性であると信じて出社させてしまったことについての謝罪のためにビジータイムが過ぎたら電話をしなければ←いまココ

毎日のうがい手洗いなど、気はつけていたんだけど、甘くないねぇ(;^_^A


なんか私も背中がゾクゾクするようなしないような。気のせい、気のせいっ。

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2009. 10. 25  
世襲の欠点を余すところなく発揮した末に暗殺されたコンモドゥスの後を受けて皇帝に就任したのは、極端から極端に走ったかのような出自のペルティナクス帝。なんと、奴隷の子なのである。
いったい何がどうなって奴隷の子が大帝国の皇帝に?
ここで、ローマ帝国における身分制度についてちょっと解説しておかねばならない。

ギリシャ・ローマ文明における奴隷は、本人の努力によって、その身分からの脱出が可能であった。自分で自分の身を買い取るほどの才覚があった場合、あるいは主人が長年の奉公に感謝する形で解放を行ったケースなどの結果として、「解放奴隷」という身分になることができたのである。
ペルティナクスは、解放奴隷の子であったのだ。
ペルティナクスはごく若いうちに教師になる。ユリウス・カエサルが制定した法により、医師および教師として開業した者は、ローマ市民権を得ることができたからだ。市民権を獲得したペルティナクスは、ローマ軍に志願する。市民権の無い者(属州民を含む)は、ローマ軍団兵になることは出来なかったからである。
そして、軍の中でめきめきと頭角をあらわし、出世していくのである。
元老院入りを果たす(貴族の仲間入り)。
執政官になる。(首相になるようなもの)
あちこちの属州の総督になる。(総督は貴族階級にとっての出世のゴールであった)
要するに、とことんまで自分の実力のみで登り詰めた結果として皇帝位に就いたという、相当の傑物だったのだ。ローマ帝国、ローマ人という人存在が、人間性とほとんど関係の無い、血筋だの身分だの人種だのといったくだらない要素にはこだわることの少ない、柔軟で実際的な気質の人たちであった、という事実の象徴的な一例だと私には思える。

だが、ペルティナクスの治世はごく短かった。元旦に皇帝となって、3月末には殺されてしまうのである。実力者ではあったが、広大なローマには、他にも皇帝を目指した実力ある軍人が多数いたのだった。

この後、ローマは何人もの皇帝候補が入り乱れてスッタモンダする時代を迎える。5年に渡る内乱を制して安定政権を確立したのはセプティミウス・セヴェルス。ローマ史初のアフリカ出身の皇帝だった。妻はシリアの神官の娘、ユリア・ドムナ。この2人と息子たちの家族肖像を見ると、つくづくエキゾチックな皇帝家であることよ、と思わずにはいられない。
590px-Severan_dynasty_-_tondo.jpg
目鼻立ちのクッキリした美少年王子が共に描かれた、皇帝家の家族の肖像。この王子が、今もローマに残るカラカラ浴場遺跡を完成させた、皇帝カラカラとなるのである。

生粋の叩き上げ軍人であったセプティミウスは、軍団兵の賃上げ、婚姻制度の改定など、積極的に軍制改革を行い、軍部の人気は高い皇帝であった。だが、コンモドゥスの暴政による混乱を立て直すための改革であったとはいえ、賃上げと従軍中の婚姻許可は、国庫を圧迫し、軍団モラルの低下をも招くという、国家力の衰弱につながっていくことになるのだった。

ブリタニア北方への遠征中に、セプティミウス死去。長男のカラカラ、1年違いの弟ゲタが共同統治者として同時に皇帝となる。
だが、カラカラはあまりに気質の違う弟ゲタとたいへん仲が悪かったそうな。即位後1年で、母親の面前で兄カラカラに殺されるゲタ。上の肖像画の左下、顔が削り取られた人物がゲタである。弟殺害後、単独皇帝となったカラカラの命令で、ありとあらゆる記録からゲタの存在は抹消されたのだった。
この弟への対応1つとってみても、カラカラという人物が、バランスの取れていない、激情に走りやすい、冷徹さを欠いた皇帝であったことは確かだと思われる。軍人としての適正はなかなかのものだったようで、軍部の支持は高かったようだが。
では、政治家として、為政者として、どうだったのか。
即位後ほどなく、カラカラは1つの大きな政策を打ち出す。
これこそが、大帝国ローマの行く末を決定づけたターニングポイントなのではないか、と私には思えて仕方の無かった「アントニヌス勅令」なのである。

奴隷、解放奴隷という身分格差の他に、ローマにはざっくり分けて2種類の身分が存在した。ローマ市民と、属州民という区分である。ローマ市民権を持つ者は、税制、裁判、生活保護等、その他さまざまな特典が与えられる。属州民には年率1割の税金が課せられ、代わりに蛮族の襲来などからの安全保障を帝国から得る。
肝心なのは、奴隷が解放奴隷になりうるのと同様に、属州民がローマ市民になる道もまたあった、という点である。教師、医師になること、補助兵軍にて勤め上げることや功績をあげること、などなのである。多くの属州民にとって、ローマ市民権は個人が頑張りさえすれば手に入れることの出来る憧れの地位だったのだ。明確で、達成可能な目標があれば、人間のモラル(士気)は上がる。奴隷は解放奴隷を目指し、属州民は市民権を目指し、市民たちは騎士階級や元老院入りを目指し、といった具合に上昇志向を持った流動的な身分制度によってローマ帝国は活力を保ち続けていたのだ、というのが私の見解だった。

だが、カラカラはその身分制度をドバっと改革してしまうのだった。
「帝国に住む総ての自由民に、平等にローマ市民権を与える」
これがアントニヌス勅令であった。

な、なにをするカラカラ! 政治経済に無知すぎる私でも即座にヤバイと判ってしまう、それはやっちゃなんねーことだ! 毎年莫大な国庫収益となっていた、年率1割の属州税がすべて消え失せてしまう! ローマ市民になるために頑張り続けていた属州の人たちの向上心も無くなってしまう! ローマは一体どうなってしまうのか?! 帝国人民皆平等、この改革のもたらした波風の行く末や如何に!


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2009. 10. 24  
マイミクのるりにくさんがバトンを受けてくれましたヽ(´ー`)ノ
お題は【バトン~デップ様】!!

るりにくさん、お忙しいのにありがとうございますm(_ _)m
デップ様と言えば、我が家的にはとにかくバートン。ベストカップル=デップ&バートン。鉄板すぎるこの2人。なんであんなに素晴らしい作品ばかりなんだろうと溜息が出るほど。新作のアリスも楽しみで楽しみで♪


******************

ところで、最近ボケが入ってきた私たち夫婦、有名人の名前がポッカリ消えて出てこないことがあまりに多い。
で、このデップ&バートンの2人には、なぜか強烈な呪いでもかかったらしく、イメージはすぐに浮かぶのに、名前が出てこないばかりか、全然別の役者や監督の名前ばかり出てきてしまう、ケッタイな事態にすぐなってしまうのである。

「ほら、あの、えっとジ……ジム・キャリー、じゃなくて!」
「か、監督を思い出すんだ! 監督……ああああ、テ……テリー・ギリアム、じゃなくて!」
「なんで、2人セットで思い出すのに、セットで名前だけが出てこないんだよ! ジ……ジ……ジャック・ニコルソンじゃなくて」
「サム・ライミじゃなくて」
「クローネンバーグも違うぞ」
「ロビン・ウィリアムスじゃなくて」
「カイル・マクラクラン」
「ちがう!」
「デビット・リンチじゃなくて」
「エド・ウッドじゃなくて」
「そこでその名を出すな! よけい混乱するわ!!」
「ジ、ジャック・スケリントン」
「こうなったらもう、作品をとにかく挙げるんだ。ナイトメア・ビフォア・クリスマス」
「チョコレート工場」
「シザーハンズ」
「ビートルジュース」(デップ様出てません)
「なんか床屋の惨殺鬼」
「首無し騎士がどうのこうの」

……とまぁ、これくらい繰り返して、やっと思い出せるありさま。
いろいろと、脳の情報処理パイプが混線したり、内部が詰まったりするようで、もうお互いの頭を右手に握った棍棒でボッカンボッカン叩き合いながら、接続不良のテレビを直すかのごとき処置を施し合うべきなのではないか? という結論が出ているのだった。
それなんて岩石オープン。



***********************
今日は息子の久しぶりの脳波検査。
かなり時間がかかるので、待合室での暇つぶし対策として、iPhoneで青空文庫が読みほうだいになるアプリを導入。
で、前々から気になっていた太宰治「人間失格」を読み出す……、と、とまらーん!!!
文学というものにほとんど縁が無い私、こんなベーシックな名作まで、完全放置で生きてきた。
太宰太宰、と偉そうに呼び捨てしてても、読んだことがあるのは中学の教科書に載っていた「走れメロス」だけという体たらく。
だがこんな年になって、ようやく太宰に出会えたことを感謝したい。若いうちに読んでも、まるっきり理解できず「人間のクズ、いらNEEEEEEEE!」とかって切って捨てただけだろうからだ。
人間失格に続いて、映画になったらしいので「ヴィヨンの妻」も読了。次は「桜桃」かな。
美しい。文章が判りやすく、そして美しい。卑怯なまでに哀しい。
今だからこそ明解に読めるのであって、30代以前の私では無理だったろうし、年を取るって悪くないことだとつくづく思ったのだった(´ー`)


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2009. 10. 21  
ローマ人の物語X「すべての道はローマに通ず」、XI「終わりの始まり」をコツコツ読んでいたのだけど、ツイッターに思わずハマりまくってしまい、ブログを書くパワーが残らなかったのであった。「どうせ流れてすぐ消える」、この無責任さゆえの気楽さや手軽さはブログには無いものであり、本来激しく無責任な性格である私はどんどんのめり込んでしまったのだが、本当に、長文を書く気持ちが無くなってきたのでもうさすがにヤバイ。無責任な人間は無責任な楽しみに耽溺すべきじゃない。それは奈落に堕ちる真っ逆さまの罠である。というわけで、今後ツイッターの使用制限を自身にかけるつもりである。
だが、iPhone(ツイッターと相性がすこぶる良い)の売れ行きも順調らしいし、無責任で気軽であることがまさに時代の要求に合っていると思うので、日本でますますツイッターは普及していくのではないだろうかと見ているのだった。

それはさておき、ローマ史である。古代ローマの驚異の文明、そのインフラについて細かく解説されているX巻は異色とはいえやはり面白い。だが、ここで詳細は述べない。
ローマ人は「インフラ」などという言葉は使わなかった。「人間が人間らしく生きていくために必要な諸々のこと」という意味合いの認識だったらしい。そのためにもっとも重要だとされたのは、街道網の整備、水道と下水道整備による水と清潔の確保だった、ということ。「かいどう、すいどう、げすいどう」がローマインフラ三兄弟、ってことで。なお2000年前の水道のうちの一本は未だにちゃんと稼働中で、美味しい水が誰でも汲めるそうな。

「終わりの始まり」、不吉なタイトルだが、もう本当に、頂点を極めたあとは衰退していったのだから仕方がない。五賢帝に護られ、繁栄を極め尽くした古代ローマ帝国だったが、賢帝の誉れ高き慈愛皇帝アントニヌス、その後継者だった哲人皇帝マルクス・アウレリウス、2代に渡る平和で豊かだった時代に、すでに衰亡の種は蒔かれていた、とするお話なのである。
そう、心優しく清らかで、常に国と民のためだけに粉骨砕身、なにより平穏と安らぎを重んじた皇帝2人の治世。
長きに渡る平穏と安らぎ。
これこそが、帝国の崩壊につながる腐敗の種だったとは。社会とは、人間とは、なんという皮肉なものなのだろうか。
そして、その経緯は、現在日本が抱える問題と無関係ではあり得ないのだ、と私には思えるのである。

ハドリアヌスは、帝国全土をめぐり、すべての防衛機構を手直しし、強化した。
それは、覇権国家のもっとも大事で重要なこと、すなわち「安全保障」のために、やらねばならないメンテナンスだったのである。
あまりに広大な国土であったため、彼の治世の大半がその諸国めぐりに費やされた。首都ローマに、皇帝は不在だったのである。「我々をほったらかして、皇帝はどういうつもりなのか」こういう反感が根深くローマ市民に根付いていったとしても何の不思議も無い。
元老院にも、民にも嫌われ厭われながら死んでいったハドリアヌスの後を継いだアントニヌスは、この点に特に留意したのかも知れない。
「皇帝は、ローマを離れない」を掲げ、実行したのである。
そしてそれを、自らの後継者、マルクス・アウレリウスにも継がせたのだった。
前線に行かず、遠征も行わず。大都会ローマで、ローマが誇る街道網と郵便システムを駆使したひたすらの情報伝達によって為された統治。
ローマ皇帝は、インペラトールと呼ばれる。ローマ全軍の総指揮権を持つ者でもある。
にもかかわらず、軍事軍才と関わり合うことのない皇帝の治世が何十年も続いたわけだ。
ごく乱暴に要約すると、ローマはものの見事に平和ボケを起こしてしまっていたのである。

アントニヌスが病没し、哲学と思索を好み、それゆえに強烈な責任感と自己犠牲の精神に満ちていた、この上もなく善良な人物アウレリウスが、皇帝となった。
だが、この皇帝の気質をあざ笑うかのように、ローマに次々と国難が襲いかかる。飢饉、水害、疫病、そして宿敵・パルティアの侵攻。必死で対応するアウレリウスであったが、平和がもたらした弊害としての、国家そのものの機能的衰退と、軍事と外交に馴染むヒマも無かった首都暮らし一辺倒の皇帝の手際の悪さ、そして弱みを見るやいなや襲いかかって来る荒々しい蛮族の群れと、煩悶の尽きない日々。
アウレリウスは、ローマ史上初の、前線のさなかで命を落とす皇帝となるのだった。
そして、アウレリウスの血を引く唯一の男子、18歳のコンモドゥスが直ちに皇帝位に就く。

さぁ、このコンモドゥスがローマ帝国史上最悪最凶、ちょいとこれ以上の悪さも思いつかないほどのブチ壊れ青年であったのだ。
もともと、ローマの皇帝というものはあまり血統にこだわらない。特に五賢帝の時代は、世襲はまったく無かった。皇帝として相応しい、優秀な人物が継いでいったからこその繁栄だったのだろうと思える。だがそれは、皇帝がたまたま男児を得なかった時代でもあったから、という事情もあったのだ。アウレリアスは終生愛し合った唯一の妻ファウスティーナとの間に14人もの子をもうけ、1男5女が成長をみた。
嫡子がいる限り、その子が後継者にならねば、内乱の可能性は大である。そして、なにより平穏を重視したアウレリウスにとって、その可能性は絶対に潰しておかねばならないものだったのだ。未曾有の国難に陥ってる時代だからこその、当然の判断でもあったろう。
そしてコンモドゥスは、「皇帝の資格無し」とまで判断されるほどの暗愚でも無かったのだ。少なくとも、ごく若いうちは。父との共同統治という形で、それなりに経験も積んでいた。
だが、即位して2年後、実の姉に暗殺されかかる、というショッキングな体験を経て、皇帝としての責務も誇りもなにもかも放り出して、勝手放題好き放題の暴虐皇帝に変じていくのである。心か脳か、とにかく人間としてのもっとも大事な何かが盛大に壊れてしまったかのような狂乱ぶりであったようだ。
政治は側近に投げっぱなし。外敵の侵攻もほったらかし。皇宮に引きこもって遊びに遊び、趣味の剣闘に耽溺し、自らをヘラクレスと称して神のコスプレをして悦に入り、闘技場に自らが出場して残虐を振るうこと数知れず、無慮1万2千人以上の人間が皇帝自らの剣で屠られたという。

コンモドゥス皇帝の存在そのものが、ローマにとって厄災の極みだった。何度も暗殺計画が練られ、ついに実行された。愛妾と侍従と近衛隊長が下手人だったというから、どれほど他人に見限られていたかが良く判るというものである。
カリギュラなんか可愛いカワイイ、ネロだってこれに比べればはるかにマシな皇帝だ。
私がもう何よりも心に深く「ダメだこいつ本当にどうしようもないヤツだ」と思った話がある。
ローマのインフラの最重要が、街道だったということを思い出していただきたい。
街道をこまかく張り巡らせてネットワークとし、替え馬などの補給拠点をこまめに設置し、帝国全土に情報の行き来が素早く可能になるように、郵便のシステムも大切にされていた。体が弱く、自身で辺境にすっ飛んではいけないアウグストゥスやクラウディウスが特に発展に力を注いだ、ローマが誇る偉大なインフラの1つ、それが郵便なのである。
広い帝国を皇帝が治めるために、帝国各地との郵便による連絡は不可欠のものだった。細かく書面でもって報告・連絡・相談を行うからこそ、帝国の維持は可能だったのだ。
ゆえに、毎日大量の手紙(書類)に目を通し、それに返事を書くことが皇帝の業務の多くを占めたのだ。
だが、狂乱の果てに、コンモドゥスの身近からは代わりに業務をこなしてくれる側近がいなくなってしまっていた。
「しょうがないから自分で書くか」
そのころの皇帝名義の書面には、ことごとくこう記されていたそうである。

Vale

これだけ。たったこれだけ。4文字。
Vale、ヴァーレとは、健康や良い状態を祈る言葉であったり、別れの挨拶であったりするらしい。
日本語に置き換えるならどうなるだろう。
順当に考えるなら、よしなに、とだけ書いてある、というところか。「万事良きにはからえ」の省略形。
だが私にはもっと悪質な怠慢が感じられた。字面といい、響きといい、ざざっと流してやっちまえ、みたいな。なので、もうざっくりとネトゲ風に「乙」あるいは「よろ」てな風に読めてしまうのである。
おにょれコンモドゥス! アウグストゥスもクラウディウスも、こんな短い手紙のために郵便制度に力を注いだわけじゃねーんだよ!!('Д')バーローッ

……映画「グラディエーター」での彼は、暗く燃える炎のような瞳の持ち主で、それなりに萌えキャラだったんだけどなぁ……(´・ω・`)

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2009. 10. 15  
やっぽさんからバトンが来たよ(゚∀゚)!

その名も【愛してるんだけどバトン】。指定キャラは、ととと、殿ー! 志葉丈瑠(松坂桃李)! うひょー。
さぁ張り切って参りましょうかねヽ(´ー`)ノ



1.「殿」と初めて出会った場所は?
 え……あれは多分、東京のどこか。どこだろう。口上の長い爺を制してずい、と進むバトルスーツ姿でございました。

2.「殿」のどこに萌える?
 それはもうやはり、重い責任を背負って、誰も傷つけないよう独りで行こうとするあたりとか。

3.「殿」にS、Mどっちでいてほしい?
 そんなん、Mに決まってますやんw あの、何があってもうつむいて耐えるところが!

4.「殿」のどんな仕草に萌える?
 名乗りを上げて構え、ぐっと腰を落とす、あの地味ながら実力を感じさせるキメポーズが最高。

5.「殿」の好きな所は?
 声です! 最初の名乗りを上げた瞬間から、「こ、この子はタダモノではない!」と確信した、あの深く低く抑制の効いた声。スーツを脱いで顔を出す前から、キャラとしての成功が決まってたなんてケース、なかなかございませんですよ。
 
6.「殿」の嫌いな所は?
 意外と不器用で冴えないところもあって、なんでもソツ無くこなせるタイプではないのだなぁ、と執事に扮したとき思いましたの(・ω・)

7.「殿」に望んでいることは?
 敵(外道衆)をすべて討ち果たして、「殿」の重圧から解放されて、普通の男子になってからの笑顔。

8.「殿」と絡んでほしい人は?
 これは難しいw 順当なところで寿司屋とか十臓でしょうけど、私が今までで一番ヒートアップしたのは、ディケイドの士。もう2度と共演は無いでしょうけど、あの陰陽の対比は実に魅力だった。
 あと、薄皮太夫かな。それから、母親がらみでどうもシリアスな展開が待っていそうなので、その辺をほじってくれるキャラと丁々発止希望。
 
9.「殿」を書く(描く)とき、主張していることは?
 抑圧されているがゆえの色香を認識していただきたい、という点。
 
10.家族にするなら?
 書生。執事が勤まらないのはよっく判ってござる。

11.学ランとブレザー、どっちを着て欲しい?
 学ランです! 詰め襟です! 絶対、黒地に金ボタンです!

12.私服では、ジャージ・ジーパンどっちを着て欲しい?
 ジーパンがめがっさ似合いますが、ジャージで楽をさせてあげたい。

13.結婚したい?
 あんな素晴らしい子、私なんぞが嫁にでもなったりしたら、人生を台無しにしちゃうじゃありませんか(´w`)
 良く出来たお嬢さんを嫁に迎えて幸せになるべきなんですっ。それがピンクなのかイエローなのかは、物凄く悩みどころだと思うけど。江戸以前なら、どっちかが正妻か側室で良かったのにねぇ。

14.最後に愛をどうぞ。 
  平和になって、闘いが不要になっても、そのまっすぐで生真面目な生き方、責任から逃げない強さを保っていって頂きたいわ~(*´д`*) 闘いばかりが世のため人のためではありませんことよ。
 でも、たまにはハメを外して楽しむことも覚えようね♪
 
15.回す人10人(リバースあり)
 さぁナンギや。男性についてのバトンらしいので、男性には回せない。でもって、どうやらヴァナつながりバトンらしい、ということとなると……。

るりにくさん! ジョニー・デップ様について書いていただけませんか!? もし良かったら、良かったらでいいです~(>_<)


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2009. 10. 12  
NHK連続人形活劇「新・三銃士」始まったよーっ!!(^O^)/

これは素晴らしい! 予想以上のクォリティ。
人形劇、ではなく、人形活劇、であるところがポイントか。新・八犬伝が永遠の夢の残照となっている世代としては、人形劇というのはあくまで、舞台があり、その中で人形が動き演ずるもの、という印象があるのだが、この三銃士はどこまでも映像的であるのだった。舞台ではなく、いちいち精巧なセットを組んで、その中で人の代わりに人形が動く、というコンセプトで作られている。
ありありと思い出したのがジム・ヘンソンの「ダーク・クリスタル」であった。この作品は、まるで奇跡のように特撮映像の世界にポカッと産まれて消えた、比類無き映像美なのである。ただ、どこまでも幻想性にこだわった作品世界が凡俗の要求とはかけ離れているためか、マニアばかりが随喜の涙を流すという、幻の名作となっていたのだ。ソフトはとっくに絶版扱いで、ウチにあるのは香港版かなにかの字幕無し英語のみDVDだけだし……って!!!! いつの間にブルーレイ版なんか出てたんだ!? 鼻血吹くわww みんな、買うんだ! そして観るんだ! そして知れ、「比類無き」という言葉の真の意味を!
造形物でしかない「人形」が、そこにそうして生きて息づいているとしか思えないという奇跡の表現がこれほどの高みまで上り詰めている作品は他には無い。CGポリゴンがどれほどドット的に進化しようが、この「マペット(人形)」たちの圧倒的な存在感に肩を並べる日が来るとは私には思えない。そんなことは百も承知とした上でもって、別の道、別の価値をCGムービークリエイターは目指すべきであろう。ピクサーのクリエイターたちは、そういうことはキッチリ判っている人たちであると感じる。だからいつも安心して次作を待てるブランドに成り得ているのだろうと思うのだった。

ダークリブルーレイの存在に血が上って思いっきり話がそれた。
人形、というものには独特にして侵しがたい価値があるのだ。人に似せて作った、人ではないもの。だからこそ、そこに人は夢をかけられるのである。イメージを羽ばたかせることができる。想像や思いの依り代(よりしろ)となることこそが人形の存在価値であり本質である。
そういう人形達を動かしてドラマを紡いでいくことの価値もまた然り。人間が演ずる実写とも、描いた絵が動いて演ずるアニメとも違う表現が可能になるのだ。
人形劇でしか描けないドラマティックがある。三銃士というネタは、まさに人形劇に最適のチョイスと言えると思う。濃厚でロマンチックで荒く激しくダイナミック。そんな大デュマの作品世界を余さず描き伝えようという意欲にあふれた初回だった。これほどの高品質展開で40話ももつはずない、という余計な不安までついてくるほどだ。


あれ? 毎週月~金で40回だから、8週? たった2ヶ月ってことか? 
放映期間そのものは短いんだね、そう思うと、そこそこテンションを保ったまま一段落まで行けるかな。とにかくがんばって、スタッフの皆さん! 人形劇の熱いブームを再び! 嵐のごとき熱狂を再び!

そして、いつかいつの日か、このクォリティそのままで「グイン・サーガ」の人形劇を!
「まだ言ってるw」
「死ぬまで言い続けてやるとも!」


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2009. 10. 06  
「ローマ人の物語IX 賢帝の世紀」読了。「旅する皇帝ハドリアヌス」「慈愛皇帝アントニヌス・ピウス」まで。ひたすら派手なハドリアヌスと、ひたすら地味で穏やかなアントニヌス・ピウスなのだった。どうしたって、紙面は派手な方に多く割かれる。賢明、穏健、慈父のごとしアントニヌスの治世は、多くの民にとってこの上ない幸せの世であったろう。文句が無いからこその史料の少なさ。記述の少なさは皇帝としての勲章に他ならないだろう。

だがしかし、私個人としては、圧倒的にハドリアヌスに心惹かれてやまないのだった。それも、活力と明晰に満ちた統治の実際のあれこれよりも、ほんの僅かな、1ページもあれば事足りる些細なちっぽけなエピソードの二つ三つばかりだけで、あまりに頭がいっぱいになり、他になにもかもどうでも良くなってしまうほどなのである。

だから今回は、政治家、軍人たる王としてのハドリアヌスについて語るのはすっぱり捨てて、人間としての皇帝としての彼について思うところを述べようと思うのだった。

ハドリアヌスは若い日より、先代皇帝トライアヌスの賢夫人・プロティアのお気に入りであったそうな。これについて塩野さんは、年上の女性にモテる男の5つの要素について記しておられる。

1:美しいこと。それも、容姿の表面上の美ではなく、「美しい!」と感じさせる要素。美オーラの持ち主。

2:若々しいこと。これも実際の年齢の多寡にかかわらず、オーラと呼ぶべきイメージ上の要素である。

3:頭脳明晰であること。すなわち知的であること。勉強ができるだけとか、知識が多いだけでは失格。

4:感受性が豊かであること。情緒不安定に陥りがちでも、理性と感性の狭間で揺れる自分に苦しむくらいが、年増女の「ツボ」にはまるんである。

5:野望があること。それも、金が欲しいとか名声が欲しいとかの俗っぽい願いとは一線を画する高みを求めていること。

完璧です、塩野さん! と拍手したいくらいである。まさに、天道総司を演じていたころのヒロ君に私が見出していたイメージそのもの。あるいは、コードギアスのルルーシュとか。(そういえばルルーシュ実写化プランにヒロ君が指名されていた、って噂がネットに流れたことがあったなぁ)

そして「ハドリアヌスは、このすべてをもっていた」と結論づけられるのである。

いろんな意味で破格の皇帝であったハドリアヌスは、治世期間の大半を帝国全土を巡る旅に費やし、行く先々でその土地に必要なメンテナンスや改革を行い、帝国の持続と繁栄のための地固めをしていった。それは皇帝として必要なことである、という信念も勿論あっただろうし、実際たいへんに有意義でもあったのだが、それでも私は、彼の旅の動機の深い所には、「ここではないどこかへ」という希求があったのではないか、と思ってしまうのである。それは例えば、アレクサンドロス大王にもあったであろうし、ユリウス・カエサルにもあった心であろうと想像する。そしてそれは、知性と感性、本来、相反する二つの要素を同時に強く心に抱えてしまった人が、どうしても抱かざるを得ない境地なのである、と思うのだ。

その長い旅路の途中、ハドリアヌスは1人の少年と巡り会ったそうな。運命の少年。名はアンティノー(アンティノウス)。
ハドリアヌスはアンティノーを寵愛した。
ローマでは少年愛はタブーではない。だが、推奨されるほどのことでもなかった。周囲が眉を顰め、ヒソヒソと噂せずにはいられぬほどのおおっぴらな溺愛であったのだろう、アンティノーの存在と美貌は、帝国中知らぬ人もないほどになっていくのだった。
蜜月の7年が過ぎるころ、エジプトの大河ナイルを渡る船から転落し、アンティノーはあっけなく死ぬ。二十代前半の若さだった。彼の死を知ったハドリアヌスは人目もはばからず女のように泣き崩れた、と複数の史家が伝えるそうな。
その後、ハドリアヌスは、最愛の少年を神格化する。
アンティノーの名を冠した街を作らせる。芸術の殿堂アテネで、うなるほどの数量の彫像を作らせる。エジプトではオシリス、ギリシャではヘルメスの化身として認められるようになる。ついにはアンティノウス座という星座にまでなるのだった。

ローマ帝国が崩壊し、キリスト教の台頭によって、ギリシャ・ローマ的なものに対する排斥運動が起き、多くの彫像、美術品が破壊された。日本で言うなら廃仏毀釈、中国で言うなら文化大革命のようなものであったろう蹂躙の嵐を超えてなお、アンティノーの彫像は数多く残っている。
どんだけ作ったんやハドリアヌス('Д')

さぁ! ここにその数多の彫像のギャラリーがある! 奇跡の美少年アンティノーの姿を堪能せよ!

私が「真打ちは多分これだろう」と判断した彫像。



なぜなら、これは旅を終えたハドリアヌスが建築して老後を過ごした豪邸、ヴィラ・アドリアーナの所蔵とされているからだ。美意識もまた特別に高かったハドリアヌスである。(彼が作らせたローマのパンテオンの見事さを見よ! これもまた必見物件である)厳選を重ね尽くして、もっともイメージを良く顕すものを身近に置いたはずだと判断する。

だがしかし、どれほどの技巧で作らせようが、彫像は所詮は石。神となろうが星となろうが、生きた血の通った人間としての存在、共にあり共に語り、共に愛も苦しみも分かち合った最愛の存在の代わりになろうはずもない。まして、ハドリアヌスである。力も知性も地位も何もかもを持っていながら、なお飢えかつえていたであろうハドリアヌスである。常に「ここではないどこか、この世に無いなにか」を追っていたであろう異端の皇帝。アンティノーの無垢な美貌は、どれほど地位と権威を極めようともなお癒せなかったであろう心の不安のようなもの、闇のようなものを忘れさせてくれる光のごときモノであったのではなかろうか。

長い旅の思い出を集めたかのように、広大で豪勢で洗練されたハドリアヌスのヴィラ。そこでどんどん老いてゆくハドリアヌスは、若き日のパワーも情熱も朽ち果てたかのように、気むずかしく癇癪持ちの病人となっていったそうな。自殺を図って果たせず、毒の調合を命じられた侍医は、その毒をあおって死に、小姓に短剣で刺すよう命ずるも拒まれ、やり場のない苦しみを、元老院議員などの国家要職を次々告発することで晴らそうとする。死ねず、動けず、民の心は離れるばかり。
海辺のヴィラに哀切な一遍の詩を遺してハドリアヌスは死ぬ。享年62歳、治世21年。晩年の仕打ちに憤慨していた元老院議員たちによって、ハドリアヌスのすべては「記録抹消刑」に処されるところであったが、後継者アントニヌスの必死の懇願によって危うくそれはまぬかれ、皇帝の慣例としてなんとか神格化も果たされる。この時の説得の真摯さから、アントニヌスは「敬虔」「慈悲深い」を意味する「ピウス」の綽名で呼ばれることになったとのこと。

もしもアンティノーがあの若さで死ななければ。青年となり中年となり、容色も衰え、ハドリアヌスもうんざりするほど飽きるほど、共にあったならば。まったく別の人生が2人にはあったであろうし、かくも絢爛な幻想を後世に残すこともなかったろう。不幸と夢は切り離せないワンセットであるのが人の世の常なのである。







*****************************
また長文になってしもうた。しかしまだ足りない。私の中の「皇帝と寵童」のイメージは未だ終わらない。
ってことで。

誰か「ハドリアヌス×アンティノー本」作ってクレクレ!!


んあ?
「アンタが自分で書けや!」ですと?

イヤでちゅ。
お口アーンして、ピヨピヨして待ってまちゅから、恵んでほちいでちゅ。

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2009. 10. 03  
ローマ帝国黄金時代、五賢帝の世紀。その中でも治世最高と言われ、当時の元老院から「至高の皇帝」との称号まで授けられた、トライアヌス帝。
だが最高と言われながら、この皇帝についての史料は多くはないそうだ。欠点が無さ過ぎるとかえってそんなものなのだろうか?
一読してまず思うことは、「正々堂々正面突破」なお人だと言うことだ。それも圧倒的なパワーをもってしての徹底的なごり押し。街道を通すにしても、大規模建築するにしても、遠征するにしても
「なに、山が邪魔? 削ろう」
「なに、土地が足らぬ? 丘を削ろう」
「河が邪魔? 橋架けよう」
ローマ軍団は、世界最強であった。そして彼らは「兵站で勝つ」とも言われていた。
そして同時に「ローマ軍は、つるはしで勝つ」とも言われていたのである。ローマ軍団兵は、すなわち工兵でもあったのだ。道を造り、要塞を造り、攻城兵器を造り、橋を造る。必要とあれば3交替で不眠不休の突貫工事。敵を倒し土地を手に入れた後は、退役軍人が軍団まるごと移住して、街そのものまで造るのである。火力や勇猛さだけが兵(つわもの)の強さだと思ったら大間違いなのだ。兵力、組織力、統率力。そしてこの「工力」こそ、見落としてはならない要素なのだと痛感する。
トライアヌスが即位直後から取り組むことになったダキア遠征。数年に渡る激戦であったが、僅かな休戦期間中、ローマ陣営は、さっさとドナウ川に架橋を果たしてしまう。この架橋工事が半端ないのだ。川といっても日本のチョロい川なんぞを連想してはいけない。滔々たるあのドナウである。大河である。トライアヌス橋として名を残したこの橋の全長はなんと1135メートル、幅15メートルと19メートルの高さを誇り、2層構造。速度の異なる騎馬隊や輜重隊を別に通すためである。その後1000年にわたり、世界最長最大の橋の座を譲ることは無かったと言われている。
そして読みながら私が盛大に茶を吹いたのは、これほどの建造物がたったの1年で完成した、という一点であった。どんだけ! ローマ帝国の技術力、どんだけー! オーバーテクノロジーなどという言葉はSF小説の世界くらいにしかない幻想チックなものだと感じていた私の脳内はすっかり塗りかえられてしまった。2000年近く前に、これほどの技術が存在した! 現実です、これは現実っ……!

ドナウ架橋後、トライアヌスはダキア戦役に完勝する。カエサルのガリア戦記に倣い、トライアヌスもダキア戦記を書き遺したらしいのだが、まことに残念なことに現存はしていないらしい。
だが、トライアヌスは別の壮大な形でこの戦役を後世に残したのだ。トライアヌス記念柱である。
高さ38メートルにもなるこの柱には、全面にレリーフがびっしり施されており、ダキア戦役の各シーンを延々と描き出している。まさに彫られた絵巻物、2000年の時を超えて遺された石の映画なのだ。なお塔の基部にはトライアヌスの遺体が葬られているという。なんという豪勢かつパワフルな墓石であろうか。死ぬまでに1度で良いからローマを訪ね、ローマの遺構や彫像をこの目で見るのだと決心しつつある私に、「必見物件」がまた一つ増えたのだった。

ダキアは金銀鉱山を抱える豊かな地方であった。潤った国庫を生かして、トライアヌスは活発に各種公共事業を開始する。ローマの景気は大いに促進されたことだろう。
トライアヌスは内政外政にも大変優秀であったらしい。20年の統治の間、殺されたり流罪になったりした元老院議員は皆無。軍にあっては、兵に立ち混じり共に演習し共に埃をかぶり、鎗を投げれば誰より正確、弱った兵の重荷は背負ってやり、武装の点検まで自ら行い、兵すべての安全を確認してからでなければ天幕には入らなかった、とされる。当然、軍団兵たちの人気も絶大だった。財政改革を行い、減税も実現し、貧困家庭の子供たち救済のための育英システムも設立。壮大な広場、公会堂、大浴場、古代のデパートとも言える巨大な市場設備などの建設。(ローマの七つの丘の一つがこのために大きく削り取られたそうだ)
派手で壮大な業績に比べて、私生活はあくまで地味で堅実で、姉も妻も姪も、身内の女性たちもどこまでも賢夫人でスキャンダルも無し。なんだか、隙も無ければ面白みも無いではないか、と言いたくなるほどの円満な人格者ぶりなのだ。
ただ、どうやら美少年趣味はあったらしく、夕食時には好みの若者を何人も侍らせ、会話を楽しみつつ食すのが習慣だったとか。だが、この程度のエピソードでは、やはり華々しさには欠けると言わざるをえない。なにせ、次代の皇帝ハドリアヌスの「そっち」方面のエピソードが強烈すぎるので、もうかすむかすむ……。ちなみに、実子には恵まれていなかったそうである。

繁栄を極めた統治が続くが、60歳のとき、東方アルメニア・パルティアにて火の手があがる。パルティアは長きにわたって、ギリシャ・ローマ陣営と争い続けてきた東の大国。遠征に赴いたトライアヌスは激戦を重ね、チグリスとユーフラテスを渡り、ついにパルティアの首都を陥落させ、古の都バビロンまでも訪れ、「若ければインドまでも行ったであろう」と言ったとされる。これをもってローマ帝国の版図は史上最大規模となった。
だがしかし、長い長い歴史を誇るパルティアは、ダキアのように制圧はされなかったのだ。各所でゲリラ戦を展開し、反抗に打って出る。帝国の兵力がパルティアに集中している隙をついて、ユダヤでも反乱が起こった。続いて、エジプト、キレナイカ、キプロスも。鎮圧に奔走する中、病に倒れるトライアヌス。ローマにたどり着くことなく、妻たちに看取られつつ息を引き取る。享年63歳。ローマは、遺灰を壮麗な凱旋式で迎えたのだった。


子供のいなかったトライアヌスは、甥のハドリアヌスを後継者に指名して逝った。が、この指名の経緯についてはややキナ臭い噂もまとわりついているようである。
なんにせよ、「生涯を通して官能的であった男」「旅する皇帝」、なにかと派手なハドリアヌス皇帝の出番となる。


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2009. 10. 01  
「長すぎて読めない」と言われたw
いくら自己満足が第一目的だとしても、確かにやりすぎたと思い、大いに反省。
そもそも、私のダラクサ文読むより、塩野さんの本をじかに読む方がはるかに面白いし、ためになるし、確実でございますよ皆様。

さて、ローマ人の物語8巻目「危機と克服」

子供も持たず、後継者も指名しないまま自死したネロの後、ローマはわずか1年ばかりのあいだに3人の皇帝が即位しては死んで交替していくという、テラカオスに突入していくのだった。まさに乱世。あわやローマ帝国最後の1年となるところであったそうな。
すったもんだをなんとか収め、確固たる皇帝の仕事を始めたのは、叩き上げの軍人皇帝・ヴェスパシアヌス。彫像を見る限り、なんとも親しみやすい印象のオッチャンである。バランスのとれた常識と、優れたユーモアセンスの持ち主であったようだ。在位は10年。国勢調査結果を元に、税徴収の精度を上げて国庫の充実に努める。繊維業者が公衆トイレの屎尿から素材加工の原料を集めているのを知って、それに課税する。次代皇帝の長男に「そこまでしなくても」と非難されると、ひとつかみの銀貨を息子の鼻先に付きだし「臭うか? 臭わないよな? でもこれが小便税の一部なんだ」と言ったそうな。素晴らしいリアリストだこと。内乱であわや滅びかけたローマ帝国は、ヴェスパシアヌスの実際的かつ健全な統治で息を吹き返して安定したのだった、と。
病で亡くなりかけるとき、「可哀相なオレ、どうやら神になりつつあるようだよ」と冗談を飛ばし(皇帝は死後『神君』の称号が与えられることが慣例化していた)、いよいよという時、寝台から立ち上がり「控えおろう! 我はこれから神なるぞ!」と叫んでこと切れた、と伝えられる。やたらとカッコイイではないか。
だが、小便税の祟りか、今でもヨーロッパでは公衆便所のことを「ヴェスパシアーノ」と呼ぶそうな。なんてこったい/(^o^)\

後を継いだのは、長男のティトゥス。父の薫陶宜しく、善意に満ちあふれた善政の人だったが、不運にも、ヴェスヴィオス火山の大噴火(ポンペイが一晩で飲み込まれたという、アレだわな)や、ローマの大火などの厄災の対策に駆けずり回るハメになり、僅か2年の在位であっけなく病死してしまう。過労死だったのかもしれない。死んだとき、すべての人が嘆き悲しんだといわれるほど慕われていたそうな。実はこの人、いかつい顔に似合わぬ、悲劇の恋物語の主人公でもあったのである。己が手で打ち倒した敵・ユダヤの王女ベレニケとの世紀の熱愛! だが国のため、平和のために一生の恋を捨てた男! 詳細は塩野さんの本で! 

恋をあきらめ、独身で死んだティトゥスの後を継いだのは弟のドミティアヌス。在位15年。
この人の皇帝としての業績評価はどうも微妙なようだ。悪政の後に暗殺され、その後記録抹消刑に処された、とされる。同時代周辺の史家の評価は特にさんざんだったようだが、最近の発掘などの成果で、多大な公的事業やゲルマニア防壁建築など、精力的に統治したことが判ってきた人のようでもある。だが、財務管理を一手に握る終身財務官就任など、かなり独裁的なことはやってきたのは確かだ。これでは元老院に憎まれるのも当然。
暗殺は、関係が悪化していた妻に仕える解放奴隷によるものだそうだが、殺されたその日のうちに元老院が素早く次の皇帝を擁立していたり、あまりに用意周到過ぎる動きをあからさまに残しちゃっているので、どうみても元老院の陰謀で消された、というところだろう。

で、元老院があらかじめ準備していた次の皇帝が、高齢で後継者たる子供にも恵まれていないという、まことに元老院側としては都合のよろしかったであろうネルヴァである。在位は僅か2年。後継者に、トライアヌスを指名してあっさり世を去る。

ローマ史上初、属州(現スペイン)出身の皇帝の誕生である。
そして、ローマは五賢帝時代、黄金の世紀とまで呼ばれた絢爛たる繁栄の次代に突入していくのだった、そうな。


ユダヤ民族の壮絶なる大反乱や、そろりそろりと浸透してきたと見られるキリスト教徒の動きなど、一神教による大いなる影響の影がうっすら差してきた印象。ローマ人はどこまでもリアリストであり、30万の神を奉じていたといわれるほど宗教には鷹揚であり、そこが文明を高めていった力の根元でもあったと思うのだけど、どうにもこうにも「ローマが滅んだのは一神教のせいじゃないの?」という疑惑と不安が高まる今日この頃である。まぁ、先のお楽しみではありますの(´w`)



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星 ゆう輝

Author:星 ゆう輝
人生50年、オタク歴40年弱、母親業四半世紀。老眼とボケが迅速に進行中。麗しいロボ執事をはべらせるのが老後の夢。

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