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2010. 03. 31  
FFXIVの公式ページが更新された。
バックに流れる曲が総毛立つ素晴らしさ。元々好きな曲であったし、いかにもなによりもFFらしい曲の一つでもあり、盛り上がる盛り上がる。

βに先駆けたαテスト(まぁ私、当選してないのだが)は、3月開始予定が4月にずれ込むらしいのだが、正式サービスがとにかく待ち遠しい。夏休み前くらいに開始だと良好なのだろうけど、年末近くまで遅れるのではないだろうか、気長に待つ所存。

必要環境が、2年前に買ったばかりのマイマシンのスペックぎりぎりなのがちょっくら泣ける(ノ∀`)
場合によっては、買い換えが必要かもだ。
だがしかし! エオルゼアの大地に立つためならば、多少の無理はしましょうぞ。
新しき天地。新世界へと。いまだ知らぬ冒険。新しい仲間との出逢い。

これにまさる興奮、胸躍る幸福は無し。

未知に挑み、既知に変えること。
これこそが「生命(いのち)」の存在理由である。そう、私はいのちの申し子なのだ。

肉体も脳も老い衰えたが、こうして新奇なるものに興奮できる心の若さ(幼稚さ?w)を自覚できると、毎度々々の春の気欝も吹っ飛ぶ心地だ。



さて、更新に伴って、選べるアバターの種類の詳細も公開された。
4gameのこの記事が判りやすい。

どれもこれも素晴らしいなぁ。さすがグラフィックに定評のあるスクエニ。
で、ミコッテもエルゼンも魅力的だし、私の趣味傾向を考えるとこのどっちかの女性アバターをメインにしたいところだったのだけど、どうにも今回、ララフェルのデューンフォークにばっちりハートキャッチされてしまった!

「瞳孔を薄膜で被われたガラス玉のような目を特徴とし、額には宿星を表す宝珠を貼り付けている」
これ! この瞳が、イイ!(゚∀゚) ツボった!

たまには低身長のロリロリキャラになって、心の成長が5歳のまま育ってない凶暴幼女としての本性そのままに毒気を撒き散らすキャラプレイも良いかなぁ、なんて♪ウフッ☆


西原理恵子さんの「人生画力対決」という本の中で、やなせたかし氏が「ドキンちゃんのモデルは『風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラ」と語っておられて、目からウロコなのであった。
あんなふうに、純粋に生きてみたい! 生きれたためしも無いけど! 無いからこそ!

この本、相変わらずサイバラの快刀乱麻の剛剣の冴え渡ること見事なこと。
かつて、かくも素早い一閃で物事の本質を的確に切り裂きえぐる評者が居ただろうか。
特に、「シグルイ」をたった一こま、たった6文字でズバッと表した部分は、リアルに床でのたうち回る衝撃だった。
この剛剣もって、100まで生きて描き続けてもらいたいものである。サイバラの前にサイバラ無く、サイバラの後にサイバラ無し。唯一無二の才能をデビュー作から追い続けてこられた幸運を噛みしめるものであります。



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2010. 03. 29  
今日からNHK朝の連続ドラマ「ゲゲゲの女房」放映開始である。

この日のブログ
で、ムカイリー演じるところの村井しげる氏の隻腕がどう表現されるのか、という点について懸念を表明していたのだが……。

初回放映、そこには、左袖を軽やかになびかせて自転車をあやつり走るムカイリーの姿が!

おっしゃぁ!

承認。

言うこと無し。ちょうど、夫の人(水木作品オタク)の出勤準備時間とピッタリ合う都合の良さもあるので、毎朝観ることになると思われる。

「変に似せる必要はない。自分は簡単な人間なので、思ったようにやりなさい」


ムカイリーが水木氏より賜った言葉だそうである。
なんと簡潔で、飾らない、そして俳優にとって最上の言葉であることか。改めて水木氏の器の大きさを実感したのだった。


いやしかし、一見地味そのものの人物像にこしらえてあるにもかかわらず、一瞬漏れ出るムカイリーの肌の輝きのようなもの、艶っぽいオーラを横顔に垣間見て、思わずゾクゥともしたのだった。
出番、多いと良いな、当分はヒロインの少女時代がずーっと続くっぽいけど!w

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2010. 03. 24  
47回目の誕生日なのである。
夫の人と息子の合同出資で、ティファールのフライパンをプレゼントしてもらった。長持ちしますように。



さて、40の歳にネットゲームを始めて以来、すっかり人生が変わってしまった感のある私である。
初めて手を染めたネトゲはFFXIだった。
7年前の丁度今頃、計り知れないほどの期待を抱いて降り立ったヴァナ・ディールの地。
数年をそこで過ごし、数知れぬ出会いと幸せを得た地。私の第二の故郷とも言うべき地。
その地が、昨日を以て消滅した、との報が届いた。
正確には、消滅したのはサーバーであって、ヴァナ世界ではないのだけどね。
過疎著しいヴァナ・ディール。私の故郷であったPandemoniumサーバーは特に人の減少が激しかったらしく、別のサーバーに強制移住の果てに消え去ってしまったとのこと。
何人かのブロ友さんの哀切なレポートを読んでいて、さすがにこれまた寂寥の念を禁じ得ない。なんでもパン鯖民だけが一方的に改名を要求されたり、LSがすべて崩壊したりするという、まことに不公平な移住合併であったそうな。
幾人ものフレの顔(というか、名前)が浮かんだ。ベーシックな響きのあの名の人もこの名の人も、今日から別の名として新生鯖に立つのだろうか。もうそうなったら、もはや誰が誰やらさっぱり判らないだろうねぇ。フェイスのカスタマイズが出来ない時代のゲームだったのだもの(同じ顔大杉w)。



自分の誕生日に際して、一つ明晰に思い出すヴァナのエピソードがある。

ある日、あるフレからとあるハードコンテンツのための集いに誘われた。

「身内繋がりでゆるくやっていたLSなんですが。実は欠員が出ちゃましてね、補充を探しているのです。良かったらどうですか?」

私は、「ありがたいお申し出ですが」とこれを固辞した。


何ヶ月か後、別のフレから別のハードコンテンツの集いに誘われた。

「私が立ち上げたLSなのですが。貴女は私の古くからのお友達、協力していただけますと、こんなに嬉しいことはありません」

私は、一も二もなくうなずいて、そのLSに参加し、忙しくも充実した日々を送ることになった。


ありがたいお申し出ですが、と言いはしたが、前者の誘いは私には実はまったくありがたいとは思えぬものだった。
後者の誘いはまこと真摯に胸に響き、それがどんなに大変な労苦を伴う活動であろうとかまわない、と即座に決心させるほどの力を持つ言葉だった。

この二つの言葉の違いは、なんだろうか。何が私にとって、それほどまでの反応の差違を呼んだのだろうか。

平たく言ってしまうと、私は前者の誘いには「自分の値打ちが下げられた」という思いを抱き、後者の誘いには「自分が高く評価された」という満足を得たのである。
前者は私を不快にし、後者は私を幸福にしたのだ。
違いは、ただ、それだけだ。


前者の言葉を分析してみよう。
「組織に欠員が出て補充を探している」
すなわち、「補欠」である。
その状態で私に声をかける、というのは、私自身の存在というものが「組織にとって補欠としての価値でしかない」と示したも同然のことだったのである。
さらには。
まず、利潤を生み出す目的の組織ありきであり、私という個人に対して、その組織に属することの利を提供する代わりに、組織に利をもたらす立場になる気はないか? という構造の提示でもある。
組織と、個人の価値との取り引きでもあると言える。

一方後者はどうだろう。
「大事な存在(友)なので、居てくれるとありがたい」
これは個人の存在そのものに対する呼びかけなのである。
そこにまずあるのは、利のやりとりではなく、人が人に向ける「願い」だった。混じりけ無しの、「好意」だった。
利益抜きの絆を示されたこと、であったのだ。


この二つの勧誘は、客観的構造だけを問うなら、本質は同じである。組織のための人材集め、である。
だが、言葉の選び方一つで、私という人間にもたらす作用は天と地ほども違ってしまった。


当時、このエピソードを夫の人に話して聞かせたら、夫の人は首をひねるばかりだった。
前者の誘いに、私が不快になった理由が判らない、というのである。「だって、チャンスじゃないか。チャンスを示されるほどの評価をしてもらってるってことだろう?」
だって補欠扱いされたんだよ? と説明しても、「いつの誘いだろうと誘いは誘いで、評価されたことに違いはないだろう」と言うわけである。

つくづく。

私、という人間は狷介で厄介で面倒くさいヤツなのだろう、と自分で思う。
たいていの人にとってはどうでも良いことである些細な表現にこだわり、自分の価値にこだわり、自分の価値が上がった下がったと言っては過剰に狂乱する者。
なぜ、他の普通の人ならば気にもならない細かなことが、自身に対する気遣いの様々が、私にとってはさまで大事な要素となるのだろう。

こういうのを、「気位が高い」というのかも知れない。
なんにせよ、こんな気位なんぞ、およそ誰も幸せにしない。
それどころか自分を含めて周りの人間を片っ端から不幸にするばかりなのだろう、とも思う。

だがしかし!
この気位こそが私そのものである。
私の周囲、世界の他者すべてがこれを非難しようとも、私こそは、私だけは、私自身のこの気位を認め許そうと思う。

我が脳内に千羽のツバメの巣窟あり。
その中にはこの世に産まれた中でもっとも美しい男もおり、人間が生み出しうる最高の美を持つアンドロイドもおり、絶対不変の忠誠を誓う美貌の執事がおり、百戦百勝を誇る超脳の軍師がおり、数十倍の戦力差をひっくり返す将軍がおり、いかなる事態にも「こんなこともあろうかと」と備えを怠らない技術士官がおり。

そして今日のチョイスは、幾百年の時を超えて生きる高貴のヴァンパイアこと「黒衣の伯爵様」。
私にこう語ってくれるのだ。

「その気位をこそ私は愛す」


BGMは懐かしの「ヴァンパイア・シャッフル」よーっ(´∀`)♪

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2010. 03. 18  
私の私室(でも実はリビングなのである)で夫の人が大騒ぎしてた動画。




私はポリゴンキャラを踊らせるたぐいの動画は嫌いなのだが、これはやられた! 完全にやられた、脱帽である。練り込みがハンパじゃない。なに?! 作者、25歳? どんだけトクサツ好きなんだよw
まったく最近のオタク第2世代の子達は侮れない、というか凄いなぁ。



春である。
アパートのお隣さんがどうやら引っ越してゆかれたらしい。
挨拶する以上のお付き合いは無かったとはいえ、寂寥は禁じ得ない。
木蓮の花も満開である。沈丁花の花もほころんで、間もなく馥郁たる芳香を漂わせるだろう。なんのかんのと言ってるうちに桜が咲き、可愛い新入生たちが活き活きと闊歩し始める。

私の大好きな季節がやってくる。
花の季節。どんな花でも、花は何時だって私を幸せにしてくれる。

この季節、いつも思い出すマンガは二つ。

 ジンチョウゲ ジンチョウゲ からみつくよ 愛してる
 いたずらな小枝よ もっと髪をからめておくれ


そう、「ポーの一族」である。どこもかしこも大好きな作品だが、このシーンが私は特に好きなのだ。

 はかなきは恋の日
 はかなきは恋の夢
 はかなきは憧れ


萩尾さんの詩情が紡ぐ切ない初恋、金色の王子様の夢。
沈丁花の花が香る頃、常に思い出すのであった。


もう一つは「綿の国星」


 すみれ
 れんぎょう
 はなずおう

 なんてすごい
 なんてすごい季節でしょう



産まれたばかりの子猫が初めて見る春に驚きつつ嘆じる詩、見開きで描かれる盛大な生命賛歌。

嗚呼、春は善きもの、花は善きもの、であります。


とか言ってるわりに、私はあまり花の名とか、詳しくはないんだけどね(・ω・)

で、気持ち的には大好きな季節なのだが。
寒暖の差があまりに激しい季節でもあるので、心身ともに調子は狂いやすいのだった。
好きな季節なのに、気分は良いはずなのに、持病のウツがぶり返したりする奇妙な頃でもあるのだった。



夫の人は、上記の動画を観ながら
「25歳がこんな動画を作っちまうんだから、もうオレはいつ死んでもいいって気がする」
と言うわけだ。
なるほど、トクサツオタクのスピリットの継承が、万全に成されている、という意味であるな。

私はどうだろう。
いやまだまだ全然死ねない(即答)。

24年組が世に生み出し送り出した少女漫画の革命的精神や創造性その他が、きちんと継承されている、という気はしないからだ。
その他にも、アレも、コレも、どれも、伝え切れてないことが山ほどある、と思えて仕方ない。
まだまだ延々と語り継がずにはおかんぞ!w



おっとぉ「テルマエ・ロマエ」マンガ大賞受賞!


この作品、読了時にはうっかりブログで触れ損ねてしまったのだが、大変に面白かったので、大賞も不思議ではない。
塩野ローマにはまりまくってた私にとって、まさにタイムリーヒットなネタでもあった。
なんといってもこの日の日記に書いた熱望、誰か「ハドリアヌス×アンティノー本」作ってクレクレ!! っつーアホンダラな願いが曲がりなりにも叶えられている、唯一(多分)のケースでもあるのだった!

まぁアンティノーたん、彫像でしか登場しないんですけどね……(´・ω・`)


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2010. 03. 11  
かねてより「凄い! 凄い!」と評判を聞いていた、よしながふみさんの「大奥」をやっと読む。

噂にたがわぬ、凄まじい作品である。

「もし、若い男ばかりが罹患して死ぬ病があったとして、男女の人口比が1:5くらいになってしまったとして、しかもそれが日本の江戸時代初頭に起きていたとしたら?」

という仮定を前提として、その後、日本はどういう社会になってゆくのか? ということを徹底的に思考実験して描かれた、骨太のSFでもあるのだった。


例えば、人間と、人間では無い人間の姿をしたモノ(ロボット)との関わりを描くことで人間そのものの本質があぶり出されていくように、女と男のジェンダー(社会的役割)が逆転した世界を描くことであぶり出されていくのは、産む性である女性と、撒く性である男性との本質的な差違である。

社会的地位や役割が転換して、女と男の生き方が驚くべき変貌を遂げたとしても、決して変えられない、揺るがない役割が存在する。
ヒト、ホモサピエンス、哺乳類の一つとしての存在としての本質である。

そして、何が変わろうが変わるまいが、文明社会的存在としての人間の在り方の根本もまた、揺るぎない法則を持っているのだということもまた描かれる。

ヒトは何故、寄り集まり、群れ集い、社会を成して、「人間」となるのであるか。
ヒト、とニンゲン、の違いは何か。

人は、他人との関わりの中、己の価値を差違の中で求めていくようになる。
その価値を、他人と取り引きし始めるようになる。
この「取り引き」こそがニンゲンの存在理由なのだ。
自分に価値はあるか。どれほどの価値か。アイツとくらべて、コイツと比べて、自分は上なのか下なのか。
上がったと言っては幸せになり、下がったと言っては絶望し、下げられたと言っては激怒する。
これこそが、人間が人間である限り逃れられない宿業であり、人間のなりわい総ての根本にあるものであり、ヒトをニンゲンたらしめる本質である。

日本社会の頂点に立つ女将軍の後宮、美男三千人の大奥において、やれ美貌がどうの、地位がどうのと、どこまでも陰険陰湿ジメジメと、まさに「女の腐ったような」諍いやイジメを男達が繰り広げていくようになる様の皮肉な鋭さよ。

だがこの作品の白眉は、そんな権力争奪のさなかにあってどこまでもキリリと凛々しく、人間として正しく浄く正義であろうとする、希有な人物の生き様と闘いにあるのだった。

魅力的であり、凄みを持った、様々なことを思い感じさせてくれる傑作である。
この秋に映画になるらしいが、映像を観る前に是非先だって読んで欲しい、と思うのだった。


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2010. 03. 11  
久しぶりに映画館に出向いた。

「イブの時間」劇場版である。

アバターも観ず、のだめも観ず、ワンピースもハルヒもなのはも観ず、とにかく巷の話題作をとことんスルーして生きている私だが、この作品だけは映画館に行こうと即断した。

なぜならこれは、アンドロイドと人との関わりを真っ向正面から描いた作品だからなのである。
骨の髄からロボ愛ロボ萌え者の私としては、外せない作品なのだ。

人間と見分けのつかない、精巧なアンドロイドが人間の生活をサポートする存在として量産される時代。
アンドロイドに過剰な思い入れをしてしまう人間は「ドリ系」と呼ばれて、揶揄と侮蔑の対象となっている、そんな社会。

はーいはいはい、私が! まさに! その! ドリ系ババァでーっす!(=゜ω゜)ノ

この作品、人間そっくりのアンドロイドの他に、旧式のいかにもマスコットめいたロボットや、ボロボロになった古い「ドロイド」風のものも登場する。
そして、まぁ見事に気持ちよくハラハラと泣かせてくれたのだった。
かつて、スピルバーグの「A.I」を観たときもハンカチの乾いたところが無くなるまで滂沱となったものだったが、あの時の涙は大変に複雑なものも孕んでいて、すなわち
「そーじゃねぇ! そーじゃねぇんだよ、お涙頂戴前面突出のバカシナリオじゃ、いくら泣けても、満足はできねーのよ!」
という嘆きも大いにあったわけなのだが、このイヴの時間は、まことに生真面目に「ロボット物」というテーマにがっぷり四つに組み合った、という姿勢が伺えて、好感が持てたのだった。
心地よい、混じりっ気無しの、正しきアンドロイド物の泣かせであった。

ただ、あまりに長くロボ愛を追ってきた私としては、新機軸なものを見いだせない物足りなさも確かに感じはしたのだけど。


ロボットに心はあるのか。
あるとしたらそれは、どういうものなのか。
人間と、人間が作った人間そっくりのモノ。
人間と、人間では無いモノ。
その違いは何か。同じなのは何か。なぜ人間は、ロボットを求めるのか。
そしてロボットは、何を求めるのか。

すなわち。

人間、とはなんなのか。
心、とはなんなのか。
意識、とは。
思い、とは。
魂、とはなんなのか。

人間が人間である、という本質を、「ロボット物」作品はあぶり出し得るのである。
こういう哲学的命題において、深く踏み込んだ考察と表現が欲しいところではあったが、惜しいかな踏み切れていないモノは感じた。
だが、どうやら未完であることも匂わせた内容になっていたので、さらなる展開を待ちたいところである。




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2010. 03. 05  
実は以前から、とても気になる存在が書店にあった。
白くて、丸くて、可愛いもの。

卵のような形に切れ長の三白眼、黒く慎ましい口。
ただそれだけの、シンプルなぬいぐるみ。
なぜ、そんなぬいぐるみが書店のレジ横にあるのか知らないが、昨今の本はオマケが売りたいのか本が売りたいのか判らなくなるような呆れた商品も多いので、その一環だろうと、スルーはしていたのだ。

スルー……していたのだが。

いかにも可愛い。見るたび、どうしようもなく可愛い。


そして、それがもやしもんの作者・石川雅之氏の作品「純潔のマリア」のオマケであると知る。
で、とうとう、買ってしまったのだった。マンガ一冊としては大層高価であったのだが
「すみません、本来これは受注生産の限定でして、ただウチの店はちょっと多めに発注をしてしまったものですから、こうしてまだ売ってるわけでして」
などという書店員の説明を聞いてしまうと、もう歯止めが効かなかった。
もしかしたら、このまま売れずに、返本になるかもしれない。返品された本は裁断される。つまりこの白くて可愛いものも、ズタズタに切りさいなまれ……ぎゃあああああーーーーっ!(脳内で頭を抱えて絶叫)

で、やってきちゃった白いもの。

117.jpg

可愛いであろ?
一緒に、大島弓子さんの新刊「グーグーだって猫である」5巻も買ってしまった。エライ出費や。


そして、今日、ふとカットをしたくなり、美容院に行ったら、最新型のパーマを薦められ、血迷ってお願いしてしまったら、見事に失敗。大失敗。
私は、あまりにパーマが久しぶりだったので、忘れていたのだ。私の髪質はなにやら大変にパーマがかかりづらい、ということを。何度も何度も一液をやり直したあげく、やっとかかったと思ったら、仕上がりは見事な鳥の巣モジャモジャであった。
大金を喪って、無様な髪型ゲット。
哀しい。
ゆえに、大変機嫌が悪いのである。
白くて可愛いものを眺めてこのやり場の無い不機嫌を癒そう。
もっと、アップで!


114.jpg

ああ可愛い!



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2010. 03. 04  
パナソニックケータイのP-03-Bのポスターのヒロ君が美しすぎて生きているのが辛い(*´д`*)ハァハァ

なにこの的確過ぎるコピー。「チョー美ケー」、受けるチョー受けるw
ヒロ君の他にこんなコピーが相応しい男子、まぁ他におらんでしょ。当然といえば当然。


ところで最近息子が「ヒロ、ヒロ」と騒がしい。

どうやらこの映画らしい。
えーっと、向かって右端が、D51がモデルとおぼしき「ヒロ」だそうで。どんなお話なのやら。


どうしようもない悪質なワタクシ、ヒロ繋がりでさらに思い出すものが。



テラホークスたぁテラナツカシス

画像はこのあたりからテケトーに見繕って判断してくりゃれw(なげやり)

なおWikiにも書いてあるけど、テラホークスのヒロのモデルは恐れおおくも当時イギリスに留学中であらせられた皇太子殿下(当時の浩宮様)だとのこと。

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プロフィール

星 ゆう輝

Author:星 ゆう輝
人生50年、オタク歴40年弱、母親業四半世紀。老眼とボケが迅速に進行中。麗しいロボ執事をはべらせるのが老後の夢。

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