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2011. 02. 27  
Google急上昇ワード
君らどんだけググってるねん! あ、私もかw

ともあれ、QB=九尾狐であって欲しい、という私の願望は見事に外れ。だがそんなことはとことんどうでも良いくらいに激しい展開となったまど☆マギ8話であった。巨大掲示板やPixivなどネットにおける盛り上がりと波及は凄まじいものがある。徐々にうねりが高まっていくかのようなこの雰囲気は、かつてのエヴァンゲリオン放映時のそれをありありと私に思い起こさせる。コードギアスの時は私はストリームから離れていたので見当がつかないけれど、やはり似たような感じだったのではあるまいか。(某乱射シーンでは2chアニメ実況板が飛んだ、と聞いた記憶がある)

インキュベーター。孵化、孵卵器。転じて、起業に関わるサポーター。「産み出させしめる者」

「この国では成人する前の女性を少女と呼ぶんだろう?(略)」
このQBのセリフでもって、彼奴の行動の真実が明らかになったわけだが、その行動の目指す目的は未だ不明だ。

いったいこの話はどうなっていくのだろう? 
スリリングで、謎めいていて、キリキリと緊張が高まり続ける稀有な流れ。ここまで展開が読めず、それゆえにあれこれと多くの可能性の検討で頭がいっぱいになってしまうアニメも珍しい。

だが、インキュベーターという単語一つで、おぼろに見えてきたような気がする。
まず確信したのは、ファンタジーではなくSFとして描かれている物語なのだろう、ということ。それもかなりにハード(厳格)な形でもって。

2話放映直後の日記にも書いたのだが、魔法を使う少女たち、あるいは魔女たちを描くのであれば、それはファンタジー、である。
少女ならではの魔法を描く、ということならばそれはSFとなりえるのである。
それはすなわち、魔法とは何か、少女とはなにか、魔女と魔法少女とはどう違うのか、そもそも魔とは何であって魔で無いものは何なのか、魂とは結局何なのか? などと際限なく問い続けることでもある。
疑問を辿り続けるだけでどんどん生まれてくる謎と思索の数々。それらすべてを破綻の無いよう位置づけるべく考察し、概念として形を与え示すこと。
そうすることによって、曖昧で漠然とした混沌に等しい意識しか持っていなかった者に、
「そうか、そういうことだったのかーっ!」
という開眼や発見や覚醒の快感を与えること。
この「そうだったのか!」と目からウロコがボロボロっと落ちる快感や感覚のことを「センス・オブ・ワンダー」と呼ぶ。すなわち、SFの目的でありテーマである。

従来の昔話の群れが成す「人間を堕さしめるモノ」すなわち悪魔と呼ばれるべき概念であったろう存在に「インキュベーター」という名と枠組みが与えられていると知らされた瞬間に、まどか☆マギカは私にとってSFと成った。そして語り部たる虚淵玄氏が目指すところがうっすら見えてきたように思う。


この日に紹介したブラウンの短編(『スポンサーから一言』収録の『至福千年期』)、及びこの日に紹介したグイン・サーガの短編、どちらも突き詰めればテーマは実は相似だったりするわけで、まど☆マギも同様の結論に辿り着いてくれるだろう、と勝手な予測と願望を抱いているのだった。

根拠となるのは、まどかの魔法少女としての才能、である。
QBは言った。神にもなれるほどだと。宇宙の法則をねじ曲げることもできる、と。
一少女でしかない鹿目まどかという個人の中にいったい何があるというのか。

ここで逆に考えてみよう。
ロクに何もないからこその、可能性なのだと。
夢を見る力。願う力。希望する力。ああなればいいのに、こうであればいいのに、こうなれたら良いのに、と欲する力。
こういう力というものは、溢れるばかりの何かに満ち足りている人間はかえって持たないものなのである。
無いからこそ、足りないからこそ、人間は望み願い欲するのである。
巴マミは命を喪おうとする瞬間に、存続を願った。
佐倉杏子は家族の不幸を除こうとして願いを決めた。
美樹さやかは片思いの男子の不幸を除こうとした。
「死にたくない」「不幸はイヤ」「好きな人の不幸はイヤ」
彼女たちはみんな、幸せではなかった。大いなる欠落を抱えていた。欠けていたもの、それは「安心」である。
不安や不幸や哀しみ苦しみを取り除こうとするからこそ、希望や願いは生まれてくるのである。

まどかの欠落とはなんだろうか。
8話の時点では親友のさやかが不幸になっているので、当然彼女も不幸であるわけだが、言っちゃなんだがその程度の安心の欠落は平凡の極みであり、どこにでも誰にでも普通に有るものであり、到底神にも匹敵する力の可能性足り得るものではない。

では何が彼女の可能性か。
無欲であることか。無私であることか。欠落が可能性なのだとしたら、論理として合致する。親友を助けるために自分の命と魂を引き換えにしようとする、気高い自己犠牲の精神、すなわち
「愛」(とかなんとか世間じゃ呼ばれちゃったりカタられちゃったりするナニカ)
の大きさ強さこそが鹿目まどかの才能なのか。

だがしかし!
そんなありきたりの正義感だの愛だのなんてものがまさに木っ端微塵となったのが8話のラストだったというわけだ。

語り部・虚淵玄氏は従来から善とされてきた、愛、正義、希望、純粋、救済、そういう類の概念が落ち着くべき先に片っぱしから大穴を穿ち罠を張り、虚飾と化した善のハリボテ、うわっつらをバリバリに破壊して、その奥にある本質を剥き出しにしようとしておられるのではないか、と私は思っている。

まどかの才能、可能性の根拠。
それは実は「自己評価の低さ」なのではないか、というのが私の推測だ。自信の無さ、と言ってもいい。
その欠乏があまりに大きいからこその格別の可能性だと、QB(もしくはQBの上位機構)が判断しているのだろう、と。

さぁその大いなる欠落は何を望むや。
低きを高きに変えることか。欠落を埋めんとするか。どうやってそれを為すや。友を、他者を、世界を救おうと欲することでそれを果たすか?

賭けても良い、それを選べば間違いなくこのお話はバッドエンドになるだろう。


「契約せずに指をくわえて観てるだけでもバッドエンドじゃないですか、完全に詰んでますーっ!」

その通り。契約しなくちゃ文字通り、話にならない。

でも大丈夫。きっと、まどかは最良の道を選んでくれる。契約はするだろう。するかしないかが問題なのではない。如何なる契約であるか、がキモなのだ。
キーになるのはおそらく「逆」。
希望と絶望は差し引きゼロ。
ならばそれを逆に考えれば……?
計り知れない魔力、つまりは「無限」はなにと引き換えになるだろうか、ということ。
鹿目まどかだからこそ出来ること。
それを示すためにこそ暁美ほむらが居るはずなのだから。
ほむらはおそらく、契約を止めたくてQBをボコっているわけではないのだ。まどかに気づいて欲しいのだ。だがそれを他者の立場から教えたところで本人が納得しなければ意味が無いだけなのだ。
まどか自身が自分でそれに気づかねばならないのだ。

このお話は必ずや、グッドエンディングを迎えてくれる。全然、詰んじゃいない。大丈夫。

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2011. 02. 25  
岡田斗司夫氏が提唱、実践する新しい経済活動の形、「FREEex」
そのシステムの概要が判るロングインタビューを読んだ。
斬新過ぎてフイタ。

私はとても頭が悪い。
だから、岡田氏が未来の経済社会モデルとして提唱するこのシステムへの反証、問題点、危険要素などを明確な形で見つけることができない。少なくとも、現時点では。
私はとても根性が悪い。
だから、阿呆な私では問題点を今はこのシステムに見つけられないとしても、手放しで褒め称えることができない。
どういうわけだか、何かを見落として、あるいは見逃して、「あんじょう」騙されているのではないか、というほのかな不安が拭えない。

ここまで書いていて思ったのは、「阿呆以前に無知過ぎるからではないか」
そもそも経済ということについて私はモノを知らなさ過ぎる。実のところ、未だに「カネ」が「信用」に過ぎない、という点について納得が行ってないほどダメなのだから。
大好きなSF作家の筆頭、ハインライン氏の「愛に時間を」で、移民先の星で唯一の銀行業を営む主人公が、経済ということを説明しようとして、紙幣をあっさり燃やしてのけるシーンがある。あれを読んでからン十年。
私はこの歳になっても、まだあのシーンの真意を掴みきれていない。
「どうだ 明るくなったろう」と、札を燃やしているのとはワケが違うのだ、とは思うけど。
ごくごく断片的なことを感じ取ることはできるが、それが知力としてはまったく身につかなかった50年の人生。
こういう数学的な事、経済的な事をどうして私は理解できないのだろうか。脳に障害でもあるのだろうか。
基礎的勉強、基本を学ぶことの大事さをあらためて痛感した。私は、経済を知るために必要な、基礎がまったくなってない。
結局、判らないから不安、ということに過ぎないのだろう。
不安を拭うためにはとにかく勉強するしかないのか。経済学を。おいおい、歴史の勉強だってちょびっと齧っただけだっていうのに。


「じゃぁ一緒に勉強しませんか!」「はいはーい♪」
でついついお月謝1万円を払ってしまいたくなったとしたら……まさにそれこそが氏の目的!
さすがオタキング! パネェっす! どこまで頭良いんですか。とにかく斬新です。
ででででも、とととりあえず、私は「やる夫」を師匠にしておきますわ。なにせ一銭の収入も無いニートなもので。




ここまで書いて、ふと感じた。
このシステムは、まずは嫉妬によって潰されようとするのじゃないか、と。
高度に発展し安定した文明と経済がある社会でしか成立しえないのじゃないか、と。

嫉妬と独善の狂乱に満ちた今の日本社会と、動乱が広がる中東(文明の根幹・エネルギー源の供給元)情勢、この2点を思うと、別の不安もやはり湧くのだった。
嫉妬の問題、つまり心理的な問題を解消するべく、そちら方面の著書も刊行するということなのかな。興味ある。読んでみたい。が、金は無い。

そして何より、そういう真面目な勉強より今はまど☆マギの続きのほうが気になる! はやくw はやくw はやくw


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2011. 02. 25  
starbrave

「京騒戯画」東映アニメーションとバンプレストのオリジナルアニメーション企画公表。監督はハトプリ劇場版の人。凄い。大抜擢。あの出来の良さを見れば納得だけど。とにかくオリジナルというのが嬉しいな。http://www.kyousogiga.com/
02-24 17:46

「アニメっておんなじようなモノばかり」「そうでないと売れないんです(泣)」事情は痛いほど判るけど、ウンザリしてたのも事実。まど☆マギには是非とも商業的大成功をおさめてもらって、オタクコンテンツ新時代への牽引車になって欲しい。
02-24 17:50

成功したら成功したで、まど☆マギもどきが溢れかえるだけの近未来、ってのも見えるけどね('A`)
02-24 17:51

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2011. 02. 24  
starbrave

某スレより転載。「『ちなみに』のあとに本題と関係のない自分語りをするな。『そういえば』のあとに本題と関係のない知識語りをするな」 なんというオタク殺し論。
02-23 10:06

粗大ゴミ(ガステーブル)申し込んでたのに。今日だったのに。ちゃんと券も買って記名して「明日出すんだ」って食卓に置いたのに。毎日確認したのに。今朝起きたらすっかり脳から全部消えてた。目の前の券も見えてなかった。今近所の八百屋から帰宅したら留守電。数分前の記録。もうダメだこの人生。
02-23 12:08

電人ザボーガーリメイク、あえて昭和特撮のダサさ、安っぽさ、ユルさなどの「ダメ」な点にこだわってブラッシュアップをかけてるっぽいのに感心。やろうと思ってもなかなか出来ないことだと思うから。愛、だけではこれはこなせませんぞ。センスと根性が多分に要るよ!
02-23 22:30

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2011. 02. 23  
starbrave

やっとアニメ会のラジオでまどマギを語ってくれてありがたいやらホッとするやら。比嘉君は滑舌は難ありだけど、ジャンルを問わない審美眼や感性の鋭さ、懐の深さが格別だと思う。マイマイ新子の魅力を初めて伝えてくれたのも比嘉君だった。次は国井代表かサンキュー君のまどマギ委員会を希望。
02-22 12:26

チュニジア、エジプト、リビア。2011はネットコミュニケーションによって各国に動乱が勃発した年として記録されることになるのか。
02-22 21:31

今気になる本。佐藤亜紀さんの「醜聞の作法」。 http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2166828 フランス革命もパンフレットという大衆メディアが煽ったからこそ、という側面があったはず。
02-22 21:40

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2011. 02. 21  
まどマギ3話に登場した魔女のシャルロッテが可愛すぎて悶絶。

ファンシーキャラクターのような、つぶらな瞳、愛らしいシルエット。赤ん坊のような二頭身をヒラヒラのカラーやマントで包みこみ、ピンクの頭巾にはキャンディの包み紙のようなオプション付き。
何も言わず、語らず、あどけない表情で飛び回る。

か かかか かわぇぇぇぇぇ

ヤバい。私はもともと、こういう黒目がちのチンマリした幼形キャラにすこぶる弱いのである。最近ではリラックマには逆らえない日々が続いているし、「豆しば」が「Babyしば」になったとたんにメロメロになってTVCMが流れるたびに釘付け。もちろんミッフィーちゃん(うさこちゃんって言いたい)も好きだし、年末に売りだされるミニ鏡餅の上に乗っかってる干支マスコットのウリ坊を大事に保存し続けていたりする。もちろん、ミッキーマウスだって、大昔の黒目だけのバージョンが一番好きだ。

てなわけで、登場した瞬間に魔女シャルロッテちゃんにハートキャッチされてしまった私だったのだが、実はシャルロッテの魅力はその愛らしい外見だけにとどまらなかった。
もう一つ、外見があるのである。首周りのフワフワカラーがぐるっとひっくり返ると、たちまち巨大な空中蛇のようなバケモノに変身して、バクバク、ガツガツ、ペロリンちょとなんでも美味しく頂いちゃう、貪欲モンスターにもなっちゃうのである。びろーんと伸びたボディと、放映された季節と相まって、「恵方巻きバージョン」とも呼ばれていたりする。

いかにもいたいけな、あどけない、哀愁さえ漂う可愛い見かけの裏に潜んだ、凶悪な飢餓貪欲の正体。その本質は限りない執着、なのだという。そして愛らしさと凶暴さという2面性すら隠れ蓑の幻影に過ぎない、そのすべての裏にさらに隠れてそれらを操る、第3の姿を見付け出して叩かぬことには倒せない、という狡猾設定。
実に気に入った。
あまりにツボに入ってしまったので、夫の人に「記憶スケッチ」で描いてくれるように依頼したのだった。

で、描いてくれたのがこれ。

13642305.jpg

喜々として、mixiやツイッターのプロフ画像に設定。超お気に入り。


ほどなくして、夫の人のmixiプロフ画像も変更された。
これ。

13641798.jpg

夫婦揃って、なんだかなぁ。とは言いつつ、我が家のまどマギ祭りはもうしばらく続きそうです。

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2011. 02. 21  
starbrave

「やぁ ノ(◕‿‿◕)ヽ 僕と契約して魔法少女になってよ」QBマジ悪魔、しかしこのカオモジは異様に気に入ったので以後多用する所存。あと3話に出てきた魔女・シャルロッテちゃんが激しく可愛いので、いっそ自画像にしようかと。ED曲「Magia」は最近脳内ヘビロテ止まらない。買うか!
02-20 15:06

ゴーカイジャーのED曲も早く暗記しないとね。OPも悪くないけど。アカレッド登場は予想の範囲だったけど、マジレッド登場シーンは「何このあからさまな6人目」とか言っちゃって大恥。だって気付かなかったの。あの子は史上最年少レッドだったし……あらまぁこんなに立派に成長して(´ー`)
02-20 15:12

こんな調子で、以後戦隊OBが可能なかぎり出演する、なんてことになるなら胸熱どころではない。早く宮内洋呼んできて! アオレンジャーでも番場壮吉でも三浦参謀長でもなんでもいいから。待て、ズバットは混ぜるな危険。
02-20 15:20

人の欲望あいうえお。  あ>愛が欲しい(幼年期)  い>色が欲しい(青春期)  う>売れたい(就職期)  え>偉くなりたい(壮年期)  お>老いたくない(老境)  それはさておきオーズに鴻上会長が出てこないと物足りなくなってきた今日この頃のアタクシ。
02-20 15:34

QBブレイクし過ぎ http://blog.livedoor.jp/geek/lite/archives/51227966.html だがまだまだこれからですぞ!
02-20 17:41

ブラウン短編集を四冊押さえたけど、悪魔撲滅契約ネタが見つからない。ふと「最後の願い」という言葉が浮かんでググってやっと確定。本のタイトルは「スポンサーから一言」、該当短編タイトルは「至福千年紀(ミレニアム)」でした、 みんな読んで! ブラウンは絶対、損しない!
02-20 22:54

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2011. 02. 19  
starbrave

まどマギ7話、早く観たいよお(酸欠状態)。悪魔撲滅契約ネタを確認したくて図書館でブラウン短編集を2冊確保。どっちもハズレぽい。うーむ、なんだったかなぁ、あのタイトル。森鴎外訳のファウストも確保。分厚っ!
02-18 13:16

まどマギ脚本家さんの蔵書が紹介されてるの見て、イーガンにチャンにソウヤーにブリンに神林と並ばれた日にゃぁ、もう絶大なる信頼を寄せるしかない私なのだった。ブラウンも! ブラウンも読んでてくれてるか、果たして?!
02-18 13:27

超越者との契約ネタとして、「天地を喰らう」での劉備の選択も、けっこうクールな判断じゃないかなぁと思うのだった。
02-18 23:33

体重が増えすぎてしかも減らないので、久しぶりに朝から断食敢行。おなか空いたよぉ(´;ω;`)……「願いを叶えてやる」「いくら食べても太らない体にしてくれ」……こんな選択ではまず間違いなくバッドエンド。寝る! もー寝る!
02-18 23:42

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2011. 02. 18  
最後のグイン・サーガ新刊「ヒプノスの回廊」。別冊や、DVDパンフなどに書かれた短編を収録した外伝である。
これに収録されている、「アレナ通り十番地の精霊」という話が、私は大好きなのである。

ちょうど、まどか☆マギカにヒートアップ中でもあり、あらためて「魔との契約ネタ」をさらい出して考察しまくってる折でもあったので、この短編の類稀な価値と、栗本さんのクールさをしみじみと再確認する思いだった。


「お前の願いを叶えてやろう」
この言葉から始まる物語を、人間はどれほど量産し続けてきたことだろう。
そしてたいていは、人間の愚かさを示して終わる。
魔の甘い囁き、誘惑に対抗してハッピーエンドで話を締めくくるためには、人間としてのありとあらゆる叡智が絞られねばならないのが常だ。

アレナ通りは、なんの変哲も無い庶民が集い暮らす、ありふれた下町の一つ。そこで「煙とパイプ亭」という居酒屋を営む一家に訪れた、ささやかな一夜の奇跡の物語。

気の良い亭主とマメな母親、跡継ぎの息子には可愛い嫁が居て、夜ごと客で賑わう店。
だが一見円満に見えるこの家庭は、実は戦乱の世に相応しい苦難と嘆きの嵐に何度もさらされてきた。
長男は遠く離れた城塞で戦死した。次男も徴兵に駆り出され、片足を喪った。街が占領された際、亭主は敵軍の略奪と暴行にあい、失明する。行き倒れの青年を助ければ、衛兵の尋問や悪漢の乱入を引き起こされ、一家惨殺一歩手前の災難に巻き込まれる。やがて亭主は年老い、衰弱し、今まさに生涯を終えようとしている傍ら、跡継ぎの次男の新妻は初子の難産に苦悶している。
そんな夜、疲れ果てた次男の元に、精霊がやってくるのである。
そして言うのだ、「なにか願いを叶えてやる」

さぁ、どこまでもありふれた、どこまでも実直な、どこまでも平々凡々たる庶民の代表とも言えるアレナ通り煙とパイプ亭の跡継ぎ次男坊は、はたして精霊になんと応えるのか。


グイン・サーガは巨大な物語である。そこにはありとあらゆる類の英雄、英傑、美姫美公、想像を絶する悪と魔、世界を揺るがす戦乱と陰謀と救済と破滅が詰め込まれている。
破格と非凡と巨大と深遠。圧倒的なまでの非日常のオンパレードの中、1巻からこの最後の外伝にいたるまで、途切れること無くほそぼそと、しかし脈々と挿入される庶民の生き様。それが「煙とパイプ亭」の人々の人生である。
英雄、王者、世を滅ぼさんとする悪魔。そういうものと全くの等価の存在として、とある平凡な一家の運命と因果が語られるということ。私はこの点にこそ、グイン・サーガという作品の稀有を、傑出の意味を見る。グイン・サーガという物語が描きたかったことはなんなのだろうか、という問いへの答えがそこにある、と考える。
英雄、だけを描きたかったのではない。凶々しい魔、だけを描きたかったのでもない。多くの国家の事情が複雑に絡み合う興亡史、だけを描きたかったのでもない。美男美女がおりなす複雑壮大なロマンス、だけでは当然ない。

すべてを。
世界を。

世界、とはなんなのか。何で出来ているのか。それをまるごと作り出し、見渡し、全てを描き尽くす。それこそがグイン・サーガが書かれた目的なのだろうと私は思っている。

だからこそ、英雄と市井の民の存在が等価でならねばならなかった。そうでなければバランスが取れない。世界、では無くなってしまう。光無ければ闇無いように、民無くして王は無いからである。歴史無くして「今」は無い。政治無くして国家は無い。産まれて生きて死ぬからこその人生。すべては複雑に絡み合い、変わり行き、小さなことからも世界全てが変わり得る。だから、世界をまっとうに描くためには、ささやかなこと、小さなこと、そういうことを疎かにしてはならないのである。

小さな居酒屋のうらぶれた部屋で起きたささやかな奇跡。
実直な若者が採った選択とはいかなるものだっただろうか? ちょっと想像して頂きたい。
私は、アレナ通りで下されたこの小さな決断は、フレドリック・ブラウンが提示してみせた「魔界まるごと撲滅契約」と並び立つ、古今無双の叡智の一つだと思うのだった。

願わくば、まどか☆マギカの魔法少女たちが叡智を極めてくれんことを。正義も勇気も自己犠牲も、ましてや愛の名を借りたナニガシかなど、私はもうたくさん、うんざり、食傷の果てに嘔吐寸前なのである。綺麗事なぞ、あらかたは虚飾であり、口先だけなら、言葉だけなら、人間どんなことでも言えるし願うし考える。だが荒々しい現実の前に、そんなハリボテは容易く破られ、所詮は私利私欲でしか人間は行動しないことを曝け出しがちだ。
今こそ、叡智の意味が問われねばならない。
あるいは、賢明の意味を。

あー、続き、早く観てー。


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2011. 02. 17  
ごきげんよう、皆の衆。
私事多忙でログインが減ってしまったカテリーナよっ。

ヴァレンタインイベントは忙しすぎて完全スルー。気がつけば、季節はプリンセスデー。ひな祭り、ね。
でもなぜか咲いてるのは桜なのだわ。



桜は善いもの。
どこに咲こうといつ咲こうと、満開の桜ほど素晴らしい眺めは無いわ。
だから、桃の花でも橘の樹でなくてもゆるしてあげる。ホホホ。

でも、さすがにね。
リアルで色々あるから、というのもあるけれど、かなりモチベーションが下がってきたわ。
ランクが上がるほどに、ミッションの内容がつまらなくなってきたのだもの。薄いというか、浅いというか、NPCたちの関係が絡み合ってワクワクできた当初の勢いが無くなっているというか。

幻術は40になって、レイズも覚えたし、連続魔も使えるようになったのだけど。
この連続魔がまぁ、噴飯物のヘナチョコアクション。たった1回、キャストとリキャストが極短になるだけ。再使用まで5分。これじゃぁせいぜい、緊急時のスリプルやレイズが便利になる程度ね。ヴァナ民が連続魔という言葉に抱いていた華麗なイメージの片鱗も無いことよ。

なにかこう、もっとこう、春と桜に相応しい、ドキドキと胸踊るようななにかが実装されないものかしら。

……と思っていたら、あら、公式サイトにお手紙が。

第3回プロデューサーレター

んー。
アピールはもっとシンプルな方が心に響くと思うのだわ。


それでは皆様、春の息吹のようにやる気が盛り上がってきたなら、またお逢いできることよ♪

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2011. 02. 04  
まどか☆マギカ5話視聴。

ちょっと前からQBこと「キュゥべえ」の正体って九尾狐じゃない? と思っていたのだけど。
なにせあの謎の耳。「キュゥべえ耳毛凄いですねw」いあいあ、あれは耳毛じゃなくて、8本分の尻尾が変化した物なんだよきっと。狐の尻尾ぽい自前の一本はちゃんと尻に生えてるし。

5話、冒頭のシルエットを観てもう確信。なんか他のオブジェクトの影のように見せて曖昧にしてるけど……あれ、私もしかして釣られてる? 

いやいや、ここは是非とも、私の一番のお気に入り妖怪・白面金毛九尾の狐玉藻前ということで一つヨロシク。ほらぁ、白面の者ですよハクメン。見た目真っ白。でも中身は実は?! 濁りきった魔女の石は最後はきっと殺生石に! 負けるなまどか! 騙されるなまどか! 悪魔はいつだって満面の笑みを浮かべて近づくもの、地獄への道は善意で舗装されている! そしてほむらさんカッケー! 美辞麗句を連ねない、ああいうのがホントの誠実って感じよね。



以下は、夫の人が記憶スケッチに描いたキュゥべえ2枚。

お題:「ついてくるペット」
13511110.png


お題:「中のひと(想像)」
13513420.png

なんかもう色々と黒い。

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2011. 02. 04  
長らく入院していた義祖母が身罷られた。大正生まれで97歳。物静かで、篤実で、けして出しゃばらず、長い入院生活にもほとんどまったく愚痴ることも怒ることもなく、いつも明るくしておられた。
「なにか欲しい物、必要な物は無いですか?」
と何度訊いても
「んー、これといって、別に無いのよ」
欲や我儘の無い方だった。
大人しく、つつましく、非凡なところの無い方だったが、我を張らない穏やかな生き方は、私に人間としての徳の高さということの意味を教えてくれたように思う。


何も欲しがらない義祖母のところに、我が家は毎週7日分に小分けした菓子を持っていった。
容態が急変して以来、嚥下が出来ない状態になったと聞いて、菓子は見舞いに持ってゆけなくなった。
今日、渡せなくなった菓子をいつもよりずっと大きい袋に詰め込み、お供えを作った。

帰宅した夫の人にそれを見せると
「うん、お祖母ちゃんにお供えして、葬儀が終わったらこれはみんなで食べようね」
と言うので
「えっ( ゚д゚)ポカーン」


……お棺に入れてあげようと思ったのだけど? と言うと
「いや、お棺にモノを入れちゃダメでしょ、普通、花だけだし。眼鏡だって断られるくらいなのに」

えええええええぇぇぇぇ????!!!

故人が好きだったものや、大事にしていたもの、その他アレコレ、手向けとして納棺の際にいろいろ入れるのは当たり前でしょ……? と言い募ろうとしたのだが、夫の人の眼をみて、突如悟った。
「はい。私が田舎者ってことなんですね、そうですね?」
もはや東京で暮らした年月の方が長いくらいの私だが、久しぶりに「ローカルな常識が打ち砕かれる衝撃」を味わうことになった。


でも、どうなのマジで? 東京じゃ、納棺の際に本当に何も入れないのが普通なの?
確かに眼鏡は燃えないものだからダメ、というのはあるだろうし、兄の葬儀の時、大事にしていた洋酒や香水を入れようとして断られ、やむなく中身だけを振りかけたので、大変に芳しい出棺になったことは覚えているし(でも、半狂乱になった母が洋服や愛聴盤やドラムのプラモや、とにかくものすごく色々詰め込んだことも覚えてる)、お骨の状態を良くするためにコンディションを整えないとならない、というのも納得は行くけど。
関西では燃え尽きるものについては不問で、何でも入れて良かったはず。

ま、ダメならしょうがないと飲み込んで、とにかく持って行く。
良い旅立ちでありますように。


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2011. 02. 02  
一年通して楽しんできた「ハートキャッチプリキュア」。だが最終回にはがっかりだった。
ハトプリという物語が用意した最後の危機。それを解決するために解明されねばならない要素がいくつもあった。
ラスボス・デューンとは何だったのか? 
地球を砂漠にして滅ぼすという、その動機は何だったのか?
過去に自分を封印したフラワーを、すでに老婆であるにも関わらず拉致監禁した意図は?
究極奥義・ハートキャッチオーケストラで登場する巨大美女の正体は何なのか?
その奥義すら通用しない敵を、どうするのだプリキュア?

けっきょく、最後の疑問以外はすべてウヤムヤのまま、予定調和なハッピー後日談に突入し、何事もなかったように再生した世界の希望だけを描いてハトプリは終わってしまった。これじゃぁ「投げっぱなしジャーマン」そのものではないか。仮面ライダーカブト以来、こういうパターンにはどうにも不快をこらえきれない私である。(そういえば脚本家もかぶっていたか)

しかも、ラストバトルの為にヒロイン達が採った手段が「さらなる力をもって力を制す」という、武力主義そのものの解決でしかなかったことに心底ボーゼン。その際発せられたセリフが
「喰らえ! この愛!」
と来た日にゃぁ、ぐるっと一周してブラックジョークとして笑うべきなのかどうなのか? と逡巡しつつ、それにしてもまるでグレンラガン終盤の銀河フリスビーを観たとき並にブッ飛んではいるので、アニメの表現の一つとしてここは飲み込むべきなのか、と頭を抱えてしまった。そもそも地球を直接こぶしでもってゴンゴン殴って滅ぼそうとする敵なんてのが未だかつて居ただろうか。いや、知らない。(一番近いところでイデオンソードという説有り)

この最終回直前のエピソード、ムーンライトとダークとの因縁、そしてサバーク博士の素性に関わるオハナシはドラマとして綺麗な結末を見せていたし、ラスボス戦においても同様の「愛による解題もしくは収束」を期待したのだが。
けっきょく、宇宙の彼方からやってきたデューンという存在については、滅亡と救済の舞台装置だけが整えば良い、ということだったのか。設定に、因果も無ければ思索も展開も無かったのだろうか。
一年通して「愛」(思いやりや正義感や救済願望など)をパワーに変えて示し続けてきたプリキュア達のラストの行いが、理解でも探求でも共感でも哀れみでも慈しみでもない

「暴力」

そのものでしかなかったことに、本当にがっかりした。
それもタチの悪いことに「愛を騙る暴力」だったのである。

「そもそも「愛」って何?」
実は私はこれに対する明解な答えは持っていない。
しかし
「そんなの「愛」でもなんでもねーや!」
と答えることはあまりに多数あるのである。
およそ愛の名のもとに、どれほどの暴虐を人間が行いうるか、それはイヤと言うほど知っているのである。
愛の名のもとに制圧され、束縛され、虐げられ、その果てに惨死させられてしまうほどの事すら珍しく無くなった、この時代、この国家。
愛だ、愛だと唱える前に、それが実はなんなのか、根本から問い直すべきなんである。

ハトプリの最終回を観て私がはっきり言えることは
「相手の状態や思惑や事情を一切理解すること無しに己の意思を押し付け通す」
という行為が愛とは全く別の、あるいは真逆の、それこそ天文学的距離的なまでにかけ離れた異質のモノでしかない、ということである。

私にはかねてよりささやかな野望があった。
「愛、という言葉の意味を塗り替えてやりたい」
というのがそれ。
愛という言葉を免罪符のように振りかざし、理不尽を強いるケースがあまりに多いからである。
人が愛を求めるとき、実は何を求めているのか?
人が愛を施したがるとき、実は何を与えようとしているのか?

そこのアナタ。
愛って何か知ってますか?
とりあえず、そこの男子。
ヴァレンタインデーに、まだグズグズと「欲しいよ欲しいよ、くれないならば恨んで妬む」と怨念を撒き散らしますか?

欲しい物は、本当はなんですか?
知るべき事は、なんだろう?
やるべき事は、なんだろう?
いつか誰かがなんとかしてくれる、そんなことを信じていて良い時代はもう終わったの。都合よく滅びをとどめてくれる、女神も神もどこに居ないの。
グズグズぼやぼやしていたら、君らが必死で捏ね上げて固めて守るそのハリボテを、こぶしパンチでプリキュアが破りに来ちゃいますぜ? プリキュアの名を騙るババァ、かもしれないが。ウヒヒw

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星 ゆう輝

Author:星 ゆう輝
人生50年、オタク歴40年弱、母親業四半世紀。老眼とボケが迅速に進行中。麗しいロボ執事をはべらせるのが老後の夢。

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