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2011. 07. 27  
ファンクラブ会員でもあるマイミクさんの御尽力で水樹奈々ちゃんのライブに行くことが出来た。深謝、深謝。
場所はさいたまスーパーアリーナ。収容人員28000人。
この巨大なハコが瞬く間にソールドアウトしてしまう、それが今現在の水樹奈々ちゃんの集客力なのだという。
通常のコンサートホールを超越したライブ会場、野球場やスポーツ施設でのイベントは何度か体験しているが、既知のどの会場よりもさいたまスーパーアリーナは威圧感を持っていた。客席の傾斜角度が凄まじいのである。広さよりも高さを感じる。スタンディングを考慮した角度なのだろう。

「これほどプレッシャーを感じさせる会場が満員になっているその前で、たった一人で歌い演じる気分とはいったいどんなものなのだろう」
と思わずには居られなかった。

こういう時思い出すのは、「白蘭青風」(山本鈴美香)というマンガの中で語られた
「千人を集める歌手は千人分の、万人を集められる歌手は万人分のパワーを持っているのです」
という概念だ。
果たして彼女は万人に相応しいパワーを示してくれるだろうか。世にまがい物があまりに多いことを哀しいかな、私は知っているのだ。


事前に予習としてマイミクさんがいろいろ教授してくれた。その一つが「ルミカライト」というものを持って行くべき、ということだった。サイリュームとも呼ばれる、化学物質反応で樹脂を光らせる棒状のモノ。
奈々ちゃんのイメージカラーはブルーだということで、6時間点灯する青ルミカと、15分限定で激しく光る「大閃光ブルー」をそれぞれ一本ずつ購入していった。
見るとマイミクさんは「ウルトラオレンジ」と呼ばれる5分閃光ルミカもいっぱい用意していて、何本か譲ってくれた。
「特に盛り上がりたい時」用なのだそうだ。なるほど、オレンジはブルーの補色だから、さぞ対比で映えるだろう。


開園間近。会場のライトが落ち、暗がりと化すアリーナ。客席を埋め尽くし燃え上がる、青い炎の海。またたき揺れるルミカの光の、あの美しさをなんと例えようか。生きるさざ波のように、会場の心が一つになって蠢ききらめくあの様を、なんと語れば良いのか。期待と熱気をこめて輝くルミカの海。ある人は不気味がるかもしれない。またある人は宗教のようだと言うかもしれない。そう、これはまるで神を待つ信徒のようだ。期待、希望、これから素晴らしい事が始まるのだと信じている心。それらを示そうと打ち振られる光。それは何よりも、祈りに近いもののように私には思えた。

そして私は、良いアニソン歌手に必須の条件として、祈りを感じさせる歌唱であることを挙げている。聴衆と共に祈り祈られてこそのアニソンであるとも言える。もう数年も前、音質も画質も劣悪な時代のニコニコ動画で見つけたMAD映像で流れていた歌で彼女を見初めた(聴き初めた)時に、すでにはっきり感じられた祈りの要素。ついにその真髄にライブで触れられるのだ。

奈々ちゃん登場!……ちっさ! 奈々ちゃん、ちっさ!! 
無理もない、私の席は400レベル、つまり相当の高さだった。ステージは遥か彼方。奈々ちゃんの姿は、ちっさいどころか、指先ほどのサイズも無いほどに遠いのだ。
だがそれだけの遠距離をものともせずに響き渡るこの声の凄まじさ。圧倒的な歌唱力、という言葉を軽々しく使いたくはないのだが、他に適当な表現が無い。熱狂する聴衆。総立ちで唸り叫ぶ若人の群れ、28000人。右も左も前方もただひたすら踊り狂いルミカを振り回し喉も裂けよと彼女の名を呼ぶ。そんな阿鼻叫喚を貫き超えて、彼女の歌声は見事にアリーナすべてに届くのだ。野郎どもの歓声を切り裂き、頭蓋骨と脳髄を揺るがし、全身ボディソニックを経て魂の芯に届く。
正直、これほどとは思っていなかった。
どんな優れたメディアだろうと、録音では拾い切れない偉大な響き。生放送だろうとDVDだろうとブルーレイだろうと、あの強烈な声の響きを伝えることは出来ないのだ。ライブならではなのだ。だからこそ、彼女のコンサートチケットは、幾万を超える数を瞬く間に売り尽くすまでになったのだ。

身体のアチコチにガタが来ている婆としては、きょくりょく大人しく鑑賞するつもりだった。
だがもうそれどころではない。
良いアニソン歌手のもう一つの必須要素として
「聴衆が思わず一緒に歌い出してしまうノリ」
を醸し出せるか、というのがある。
「ETERNAL BLAZE」という曲で、青いルミカが一斉に灼熱のウルトラオレンジの海に切り替わり、アリーナ全体に轟音が満ちた。気がつけば私も完全に縦ノリで右手に青、左手にUOを握りしめ踊り狂いながら大合唱なのだった。痛い痛いw 右肘が痛いっつーの。膝も腰も痛いの。それなのに、何もかも忘れてノリノリ。まったく何事だっつーの。


今回のライブは、比較的激しい、浮世離れした曲が多めだったようで、すべてにノリで付き合ったら絶対に私は倒れる、と判断、中盤以降はなるべく座って聞いていた。
途中、アコースティックでじっくり聴かせるコーナーがあり、ここで彼女自身が作詞作曲した、とても大切な歌だという「アルビレオ」が実にまた良かった。どんな歌でも淀みなく完成させてしまう奈々ちゃんだが、やはり思い入れが深い歌は一段と心にしみるものになるようだ。逆に言うと、力に任せて言葉を流してしまう歌もいくつかあるようにも思われ、この点は今後の課題ではないかと思う。


総体的に、水樹奈々ちゃんは、これだけの実績に至ってもなお「未完の大器」という印象を私は持っている。
ライブを観てそれは確信に変わった。彼女の可能性は未知数である。まだまだ伸びるだろうし、変革の可能性もある。現状で彼女は満足などしていないだろう。まだまだどこまでも遥かな高みを目指して、翔け上がりたいと願っているだろうと思う。私も最大級の夢マボロシを、彼女に期待したくなった。それがどんな夢幻なのかは、ここでは語らない。
ハッキリ言えるのは
「またどうしても彼女の歌を聴きに来なければならない」
という気分にすっかりなっているという事実だ。


アンコール待ちの合間に、マイミクさんとちょこっと話す。
「西武ドーム、横浜アリーナ、そしてココ。もう後これ以上のハコって言ったら……東京ドームしかないんすよ」
なるほど、5万入る、あれか。さいたまアリーナのおよそ倍。そこでピンで公演できるアーティストは、かなり限られるだろう。
奈々ちゃんに可能だろうか?

だが、そこまでの歌声を聴き、観客の驚異の一体ぶりを見、私には何の問題も無いと思えた。東京ドーム。大丈夫。出来るよ、たぶん、割とすぐ来るよ。そんなに先じゃないと思うよ、と。

その会話の直後、アンコールのさなかに年末の東京ドームライブの告知がなされた。


「すぐ来るってアタシ言ったろーーーーー!!!」 (ババァ、ドヤ顔)


破格のパワーを存分に見せてくれた奈々ちゃんライブ。
私にとっての望ましい、あらまほしい、最大級の夢の担い手になってくれるだろうか。
東京ドーム2Days公演。のべ10万人を相手に、どういうステージを見せてくれるかが試金石だろう。行きますとも、ええもちろん。



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2011. 07. 16  
少女革命ウテナの監督、幾原邦彦氏による待望の新作「転るピングドラム」

一話からもうカッ飛びのぶっ飛ばし。わけが判らないままなにやらとんでもないことが起きている気がする、というイメージは引き続き健在。異様としか言いようの無い演出と内容は、1本見るだけで通常のアニメを3本見たくらい消耗するのだった。だがしかしもちろん、私にとってはこういう珍奇はこの上ない甘露のごとしありがたさなのである。

とにかく常識が通用しない。話が読めない。この先、一体何がどうなってゆくのか。

「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」

この言葉が指し示すのは何か。この作品で、幾原監督はなにがしたいのか。それは、うっすらオボロには判るような気がする。だが、具体的に何をどうしてそうするつもりなのかは、見事に皆目判らない。エキサイティングだ。奇をてらう、という言葉があるが、幾原氏の作品はそんなものではない。てらいはしない。奇そのものなのである。これは似ているように見えて実はとてつもなくかけ離れている。

正真正銘、本当にホンモノの「奇」が見たければ、さぁ「転るピングドラム」に集え! 早くしろーっ間に合わなくなっても知らん……おや? ニコニコ動画での配信もあるようですわよ皆様ーっ。

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2011. 07. 16  
和田慎二さんがお亡くなりになった日、本当に久しぶりに発熱。ショックだった。氏の作品、特に「スケバン刑事」は私の魂の基盤に喰い込み、私の魂を形作った、真に忘れられない作品だったのだ。

まだ中学生だった頃。後輩に勧められるままに「はみだしっ子」が載っている「花とゆめ」を手に取り、そこに連載されていたのが「スケバン刑事」だった。
それは、私がそれまで知っていた「少女漫画」の枠組みを遥かに超えた衝撃的なマンガだった。凄惨。流血。陰謀。冷酷。復讐。ハードという言葉に収まらないドラマティック。なによりも、セーラー服という乙女の象徴とも言える服をまとったまま、容赦ない闘いを繰り広げるヒロイン・麻宮サキに心奪われたのだった。

重い運命を背負い、得意の武器(ヨーヨー)を振り回し、全知全能を振り絞って戦う少女。甘えも知らず、夢に溺れず、頼ることも依存することも知らず、いかなる困難にも独りで立ち向かう凛たる姿は神々しいばかりに美しかった。

陰謀によって友を殺され、血縁をも喪い、絶対の決意をもって死闘に赴こうとするサキの姿、表情は、神々しさを超えて鬼神の美に達していた。私はそれまでそんなものを見たことも無かったし、そんな物語を読んだこともなかったし、それでも直感で「神」「鬼」といった、人間を超えた何かがそこにあるのだと知った、それは初めての体験だったのだと思う。

そのくだりが収録された花ゆめコミックスの8巻の表紙がとにかく好きだった。
もう手元にないので、画像を探すのも一苦労だったが、小さいのをなんとか発見。

wc24005m.jpg

これも今となっては入手困難なんだろうな。


宿敵と共に爆炎の中に散った麻宮サキ。日本には平穏な日々が戻り、サキの姿は消え、それでもサキの物語を伝え聞いた少女達の中から、彼女の魂を受け継いだかのような凛々しい乙女たちが現れ始める、というエピローグで「スケバン刑事」はいったん終わる。
まぁその後あまりに要望が多かったからなのか、かなり無理な形で第二部が始まってしまうのだが、私にとってはあくまでスケバン刑事はこの8巻で完全完結なのだった。

あまりに惚れ込んでしまったので、和田慎二氏の他の作品も漁りまくって読みまくった。サスペンス、ミステリー、ファンタジー、日常もの、氏の作風はジャンルを問わない幅広さであり、しかもどれもこれも見事なストーリーテリングの妙だった。
そして和田慎二さん御自身が幾度と無くキャラとして作品に登場し、いろんなウンチクを傾けておられた。ロリータ・コンプレックスという概念は氏から教わった。ホルス・ジプシーという存在も知った。変身ヒーローがコスチュームショーを遊園地で繰り広げたりしている、ということも。「○月×日**時からホルスがテレビ放映されます!」という情報を欄外で教えてくださったりした。
つまり、まだオタクという言葉の産まれるはるか以前からの、純粋かつ洗練されたオタクであられたのだ。
偉大なる先達のお一人であり、少女漫画の枠組みを大幅に拡張された貢献者のお一人であり、何にもまして素晴らしい作家であられた。

和田慎二さん、本当にありがとうございました。貴方の作品によって私は作られ育てられました。
時代も世代も超えて読み継がれてゆくことを願って哀悼の意に変えさせていただきます。

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2011. 07. 02  
Twitterのまとめをブログに上げるのをとりやめて、脇に流すことにした。最近アレコレ衰えすぎて、気ままで緩いTwitterに流れすぎている。それが気になって、ツイートのほうも自由度が無くなってきた。どうも宜しくない。
ツイートなんてのはもっともっと気楽にダラけて良いものにしておきたい。


先日マイミクさんと「声優の評価」について話した。
けっきょくは、人それぞれ基準が違う、ということに尽きてしまう。
演技が出来ていれば「うまい」のか。
感情移入出来れば「うまい」のか。
様々な演じ分けが出来れば「うまい」のか。
誰でも知っているキャラをやっていれば「うまい」のか。

さてアナタは、「声優の評価」をどういう基準で行うだろうか?
そしてそれは絶対だろうか?

自分が信じるそれを「絶対これが最重要」と誰もが唱えたいことだろう。だけど実はどこにもそんな正解なぞ無い。あるとしたら、それは個人の心の中にだけ。


と、これを踏まえた上で、私には極個人的な基準があるのだった。

「テロップを見るまでそれが誰だったのか気づかせない声優こそ至高」

というものである。

具体的には
「ん、これ誰だろう。聞いたことのある声なんだけど、んんー……?」
と思いつつ、ハッと気づけばすっかりのめりこまされ、そんな疑問は吹っ飛んで、エンディングテロップでようやく
「うあああああ、あの人だ、何故、なぜ気付かなかった私ー!」
と夢から醒めた気分で頭を抱え込まされる、そういう演技が出来る方こそがこの上ない評価に値するのだと、己の中で定めているのだ。


古くは、永井一郎氏がそういう方。特にお年を召されてからますます磨きがかかるさり気なさと深さはため息をつくばかり。

ここ最近で脱帽というか震撼というか、とにかく参ったマイッタぜーんぜん気づきませんでしたよアタシャ、と平身低頭させられっぱなしの声優さんは、飛田展男氏、藤原啓治氏、そして櫻井孝宏君。限定的に杉田智和(なぜか呼び捨て)。もう、ゾッとするほど上手い!


声優、役者に限らず、表現者というものは、表現が目的である以上、自己アピール、自己の押し出しという要素はどうしたって前に出がちだ。

一流と超一流。それらを隔てる高く厚い壁。ごく限られた才能だけが突破できる壁。
それほどの才の持ち主は、もはや自分を押し出しなぞせずとも表現が出来るのだ。結果として、「自分」を亡くせる。完全に消滅させ得る。代わりに「役(キャラ)」そのものが存在として残る。
無我の境地を演出できる才能。それこそが私にとっての至高の演技者なのである。


もちろんみんながみんなそんな境地を目指すべき、などとは全く思わない。そんな方向に背を向けて我を通してこその魅力も価値もふんだんにあるからだ。雑多でカラフルであってこそ世界は美しいのだから。

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プロフィール

星 ゆう輝

Author:星 ゆう輝
人生50年、オタク歴40年弱、母親業四半世紀。老眼とボケが迅速に進行中。麗しいロボ執事をはべらせるのが老後の夢。

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