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2011. 10. 24  
オリンパスショック、という言葉を今朝知った。

いろんなまとめ等あるようなので、お好きなところから読んでみて欲しい。

ここはざっくり平たく判りやすいかも。


いったい何がどうなってこんな有様になったのか、私ごときにはさっぱり判らないが、とてつもない不始末が起きたことくらいは判る。それも桁違いの規模で。

引用***
オリンパスの1株純資産613円 ← このうち「のれん代(超過収益力)」589円が資産となっている。
本当の資産24円。

***引用終


年収600万の男と結婚したつもりが、蓋をあけてみたら借金まみれで月収2万に過ぎなくて、なんとか生活を立てなおそうとしたら舅姑小姑全員グルになって叩き出された、なんて話とは格が違う。
金、というものをどういう風に捉えたら、こんなことが出来るようになるのか。
毎日毎日数十億の金が動く世界で活動していたら、金というものの意味がまるで違ってくるのだろうか。

闇、とか真っ黒、とかブラック、という言葉で語られているが、いみじくも夫の人が言った。恐ろしい陰謀なんてものはそうそう存在しない、存在したほうが良いなという気持ちで物事を見がちな場合が多いけど、と。

闇取引とか、恐ろしげな組織の暗躍とかという話より、単なる愚考の積み重ねだけでこうなった可能性の方が、私はよっぽどおぞましい。
アホがアホな事をしてアホゆえにそれを誤魔化し続けてその果てに、誰が見てもバレバレの大嘘を「こーすりゃいーじゃーん? うっは俺達冴えてるヒャッハー♪」てな好手と信じきってぶちかました可能性。
それで世の中通る、と信じるほどにアホだっただけ、という可能性。

まったくもって後者の方がよっぽど悪質で震撼に値する。闇の巨大マフィアとのつながりがどうの組織的陰謀がこうのなどというドラマ、オハナシ、幻想のたぐいを信じさせてくれたほうがよっぽど安心できるくらいに。


アホとかバカとか愚かとかいうのが、笑える愛すべき存在だと信じるのだとしたら大間違い。
理念、理想、信、義、などというものが美しく崇高なものだと信じるのと同じくらいに。

どちらも個人のレベル、スケールで図るのならばそれでも良いかもしれないが、ひとたび組織化されればそうはいかない、いかなくなってしまいがちなのだ、と私は思っているからだ。


アホだったのでこうなっただけ、という可能性以上に怖くなってきたのが
「これは氷山の一角でしかないよ?」
という可能性。もう本当にゾッとする。それでなくても最近はゾッとしてばかりだというのに。
どういう「ゾッ」なのかというと
「お前ら正気か!? それでもまともな大人のつもりか? 本気でそれで良いと思ってるのか? もしかして小5の性分から成長できていないのか?」
と頭を抱える「ゾッ」なのである。もう本当に色々と。QBとかジンとか悪魔のたぐいが
「願いをなんでも叶えてやる、何が欲しい?」
と言ってきたら迷わず

「安心」

と応えるだろうってくらいに。

そろそろこれ以上ゾッとさせられるのも真っ平だ。安心のために、ゾッとせずに済むために、私は何をするべきだろうか。何が出来るだろうか。それを考えなくては。

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2011. 10. 22  
なんとこれが1000エントリー目とな。

昔からキリ番とか、区切りでどうのとか、そういうことに意味を見出すのが嫌いな性分なので、どうでもいい適当な内容で流してやる。

今日、Facebook関係で動きが2件あった。

「普段まったくFacebook開かないんですけど、先日見たら、どう見ても星さんらしい候補が見えるんですけど」

奇遇ねぇ。私も普段まったく開かないよ>Facebook。
んで友達候補にエントリーされる条件ってのは実に多岐に渡っているようで、メアドとか他のSNS関連、とにかくどんな手がかりでも拾い上げてはリスト化して拡張に努めるシステムであるらしい。おにょれザッカーバーグめ、やり手よのぉ。

そして夕刻。突然iPhoneのFacebookアプリがアラームを鳴らした。なんと超珍しい、友だち申請だった。しかも何十年も逢っていない、学生時代の知己から。

噂では、日本での登録者数もついに1000万を突破したらしい。当初、日本ではイマイチと言われたFacebookも急速に普及しているようである。特に就活には必須に近い要素となっているとも聞いた。

けど、未だに私にとっては今一つ気に入らないツールであるのは相変わらず。いずれ何もかもが逆転する日も来るかも知れないが、今のところグーグル+の方が好みだ。Facebookはビジネスユースの実益向き、google+は趣味向き、と判断している。

Gmailアドレスを持ってる人は試しにgoogle+登録してみてね~。まだまだ機能は乏しいけれど。
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2011. 10. 22  
友人の舞台を観に行った。観劇は久しぶりだ。阿佐ヶ谷だというので、自転車でかっ飛ばす。幸い雨も止み、40分足らずで到着した。阿佐ヶ谷は駅周辺の駐輪場がとても充実していて有難かった。

30人も入れば満杯の、本当に狭い小劇場。当然、舞台も小さい。パンフを観ると、劇団ではなくワークショップの集まりの初公演なのだという。なるほど、発表会の類か、と正直あまり期待しなかった。

ところが始まってみると、実に舞台の使い方が上手い。小さなフィールドを最大限に生かした殺陣。見事だった。演者の中に破格に上手い人がいて、後ほど訊いてみるとやはりその方の指導・作・演出とのことだった。流石、と思った。正真正銘のヴェテランの手腕がはっきり見えた気がしたからだ。知人は演技のモロモロを学びたくてこのワークショップに居るのだろうけど、これほど基礎基本がしっかりしているツワモノの指導を受けているならば信頼して付いて行けば善し、と感じた。とことんまで学び尽くして欲しいところである。

内容は、平凡な青年がファンタジー要素満載の冒険を通して成長するという王道物。ラノベちっくな展開とセリフの乱舞なのだが、経験豊富な大人の視点ががっちりと土台を固めているので厨二病臭さがほとんど無い。だからだろうか、ありがちでベタな激励セリフも心に響いた。
奇想天外、というのは感性と発想に恵まれれば未熟な引きこもりにでも書けるかもしれない。
だが、幾千回も繰り返されたであろう王道、パターン、普遍的なテーマを説得力をもって演出することは、膨大な経験に裏付けられた自信が必須なのかもしれない。


内容もさることながら、衣装に力が入っていたのにも驚いた。あれだけ揃えるだけでもどれほど資金と手間暇が必要だろう。ちょっと試算して軽く目眩。
ライブ、公演って……とにかく金かかるよね。
だが、ネットを通した安価な娯楽が増えつつある時代、ライブの価値は上がる一方だろうと思っている。みんな頑張れ、切磋琢磨だ!

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2011. 10. 22  
今観ているアニメでは「転るピングドラム」が群を抜いて面白い。

この作品には初回から、不思議な青いペンギンたちが登場する。
主人公の家族にまとわりつき、主人公たち以外の人の目には見えず、不思議な行動をして回る。
長兄、次男、末妹に対応して、それぞれ1号、2号、3号と呼ばれる。
話が進むと謎の女性が登場し、彼女にも対応するペンギンがいることが判る。
1号達とは異なる、漆黒の毛並み。
エスメラルダ、と呼ばれている。

話が進むと、ペンギン達の行動がそれぞれの飼い主(?)の人格に対応した存在だということが見えてくる。
さらに言うなら、主人公たちが普段秘め隠し抑圧している、言動と裏腹の欲望や本質をそのまま表している存在であることが明らかになってくる。

キツ目の長男、妹思いの長男、苦労を一人で背負い込み、家族のためなら如何なる犠牲も厭わない、男らしい長男。
そのお付きである1号ペンギンの行動の第一義は、エロである。覗き、痴漢、盗撮、下着窃盗、アダルト物件の蒐集と鑑賞。

優男の次男、おとなしい次男、家事が得意で細やかな心遣いとお節介の次男。良識と社会性を慮る善人の次男。
そのお付きである2号ペンギンの行動の一義は、暴食である。目の前にある食べ物を片っぱしから貪り喰らう。毒であろうとなんだろうと、食える限りは食い尽くして死に掛けることも厭わない。不気味なのは、とことん静かにそれを行うところである。淡々と、粛々と食い続ける。好き嫌いは無い。無心に、ただすべてを食う。
2号の行動の二義は、狩りである。狙うのはゴキブリのみ。ゴキブリを見かけ次第、ただちに殺虫する。殺すだけでは飽きたらず、殺したゴキブリを丁寧に並べて遊んだりする。暴食よりはるかに不気味である。

可愛い末妹、無邪気で病弱の妹。笑顔の明るい妹。
お付きの3号ペンギンは目元にチョロッと睫毛の生えた、髪飾りを常に欠かさない愛らしいペンギン。いつも妹と共にいて、一緒に手芸したり遊んだりしている。

ペンギン達は一切口をきかない。何も語らない。何のために存在し、何のために主人公たちと居るのか未だに不明である。正直、3号の穢れ無き無邪気さにこそ何か裏がありそうな得体の知れなさがある、と思っていたのだが、妹ちゃんが瀕死に陥った時に同時に3号もひっそり消滅しようとしているのを見て、実にストレートなつながりしか無いことが判明した気がした。
ペンギン達は、対応した人間の反映そのもの。人間がソトヅラを取り繕い、見栄や建前や抑圧を抱えているほど、押し殺された本当の中身をペンギンが変わって代行するのである。
つまり、何の抵抗もせず妹ちゃんと同時に死に絶えかけたペンギン3号の存在は、そのまま妹ちゃんの裏表の無い純真さを示すものだった。二人の兄に守られ育てられ惜しみなく愛情を注がれた乙女。純粋培養の華。ほぼすべての男性が憧れ夢見るであろう、無垢の美少女。そして3号。ただひたすらに愛される存在。


うってかわって、漆黒ペンギンのエスメラルダ。
彼女のマスターは、キツ目イケメンの長男を焦がれ求めるストーカー美女である。
だが、妹愛に満ちた長男君は、彼女の執着なんぞに目もくれない。たとえ妹愛が無かったとしても、手前勝手な理屈と幻想を押し付けてくるストーカーなんぞ、まともな神経の男性なら願い下げなのは当然だろうけど。いくら美女だといったところで。

目的のためには手段を選ばず、傷害も殺害も平然とこなす、およそ狂った美女。執念と渇望と妄想の権化。恋に狂った女の恐ろしさをすべて備えた脅威の乙女。言動は過剰に装飾的で、謎めいており、つかみ所が無い。得体の知れないキャラばかりのピングドラムの世界の中でもトップクラスのわけのわからなさである。

が、それゆえに、お付きのペンギン・エスメラルダはとても判りやすい存在になっている。そこが、たまらなく可笑しくて可愛い。
恋する乙女、愛されたい乙女、求め焦がれやまない執念の乙女。私を見て、私を愛して、私を承認して、私を受け入れて、私のものになって、私に触れて、欲しい。
異性を好きになった乙女の切なる願い、純粋で混じりっ気無しの願い。あまりに多種の、大きな欲望。
誰でもが抱く、ストレートな思い。
恋する乙女の図々しさと驕慢と愚かさを包み隠さず表すエスメラルダ。プライドが高そうで我慢ばかりが先に立ってしまっているマスターの代わりに、存分に欲望を解放するエスメラルダ。神々しいまでにバカである。清々しいほど遠慮が無い。豪快に1号ペンギンに迫り、惜しみなく奪う。つっても唇止まりだけど。

裏表のない清純さは万人に愛されるものであるし、尊いものだと私も思うけれども、それよりももっと遥かに、エスメラルダの正直な心の開放の方が私には良いものに思えるのだ。華は何も行動しない。何もしなくても与えられる。結構なことだ、でも何も面白くない。
求めて、願って、思いを尽くすアグレッシブ。無様だろうと笑われようと失敗しようと報われなかろうと、行動すること。面白くて、可愛いエスメラルダ。
そしてちょっぴり哀しいエスメラルダ。
頑張れ、エスメラルダ。エメラルドは、傷あってこその価値なのよ。

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2011. 10. 14  
あまりといえばあまりに退屈なFFXIVのプレイの傍らにテレビアニメを見始めてもう1年。

そんなFFXIV(震災以来やってない)もその後改装に改装を重ね、ついに新生宣言らしい。課金も始まるそうな。
相変わらずの節電・倹約生活の私は、再びプレイするかどうかは未定。

それはさておき、秋の改編期につきアニメの新番ラッシュシーズン。
けっこうな本数を観た。

イカ娘2期、ちはやふる、UN-GO、ギルティクラウン、僕は友達が少ない、ペルソナ4、C3キューブ、Fate/Zero、真剣で私に恋しなさい、境界線上のホライゾン、ベン・トー、ハンター×ハンター、ガンダムAGE。フォーゼとGARO2期もいれとくか。
これに加えて、前シーズンから継続のピングドラム、最近急にハマってしまったジュエルペット。

これだけ見ても総数のほんの一部でしかないという現状にやっぱりなにか歪んだものを感じる。
ともかくも、アレもコレも観るわけに行かないので、今季は本当に気に入ったものだけに削って行きたい。

ピングドラムの王者っぷりは動かず。

新番でトップはやはりFate/Zero。キャラの魅力と世界観と描きたいテーマ、どれも上質で、スタッフの熱意も感じる。理想的なバランスが見える。

ぴったり追随でホライゾン。分厚い小説が原作らしく、設定とキャラの量がとんでもなく煩雑っぽいのだが、ワケが判らないのに気分良く観られる、という映像の勝利。よくもあれだけ理屈っぽく、現実離れした内容をあれほど心地よいアニメに仕上げたものだと思う。見れば、監督は小野学氏。さすがはAチャンネルの人だ、と感心した。

ペルソナ4が、ゲームが原案とは思えないほどの手堅く堅実な作りで興味をそそる。もっともっと厨二っぽくなりそうな気がしていたので驚いた。老練さを感じる演出。

ハンターハンターも上質な原作とこなれた製作スタッフの力で、上質。知的なのが何よりいい。

そして、あまり好きじゃないのになんだか気になってしまうガンダムAGEは、とにかく3話までは意地でも観る。嗚呼プラモかっこいい。なんですか、あのポージングの自由度は。いったいどんな関節構造になっているんだ……などと観察すればするほど、ハッと気がついたらウカウカとプラモを買ったりしそうな危険な誘惑に満ちているのでクワバラ、クワバラ。
思えば、Ζガンダムからこっち、ガンダムをカッコいいと思ったことなんか一度も無かったんだよな、私。AGEのデザインはなんだか、私が敬愛してやまない大河原邦男氏の手による各種メカに通ずるマッス感と無骨さを持っていて、かつシンプルなのがツボなのだと思った。


今季は、これくらいにしておこうかな。
なんとなく、あまりに青臭いものや未熟なもの、いつかどこかで見たようなもの、若さのパワー頼みみたいな要素からは遠ざかっていたい気分の秋だ。気分がすっかりオジサマ好みになっているのかもしれない。



ああ、そうだ、とても細かいことなのだけど。
学園もので、教室のシーンが映って、主人公が窓際後ろから2番目あたりに座っているのを見るだけでもう反射的に
「主役の居場所はそこだけ、てなルールでもあんのかボケー!」
とケリを入れたくなる昨今。
鳴上悠の席がそこからちょいズレていた、ただそれだけでもペルソナ4を評価する。
それくらい、学校の描写がズサンな作品は多い。ハンコ絵と同じくらい、ハンコ構図ってのは忌まわしいものだ。
ホンの僅かな工夫で、画面は見違えるほど良くなるのになぁ。


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2011. 10. 11  
久しぶりにガンダムの新作初回をじっくり観た。
昔のガンダムっぽいこともやりながら、およそガンダムらしくない簡素な構成。かなり思い切ったことをしてると思う。新鮮でも革新でもないが、なるべく刷新してみました、という感じ。
そして明らかに対象年齢が今までのガンダムより低いはず。問題は、この内容で小学生が夢中になるのかどうかなのだけど、どうもそのへんは私には判らない。

個人的視点からは全く感心出来ない、ありふれた薄っぺらい駄菓子みたいな話だったのだが、割りと手堅く作ってあるのでさほど嫌な感じもしなかった。
何より、ゲイジングシステムという、チップとパーツを組み合わせてカスタマイズ対戦、という新しい玩具遊びの提案にワクワクしてしまった。およそ20年ほど前「こんな遊びがあったらいいな」と夢想したシステムにどこか似ているのである。自分だけのロボットをカスタマイズできて、それを対戦ユニットにしてどこかの誰かと競わせる、という感じの漠然とした夢。対戦ゲームといえばスト2が大流行、ネットはパソコン通信という形の、マニアだけが知っているマイナーなお楽しみに過ぎなかった頃の夢。

詳しく調べてみると、ゲイジングシステムは色んなデバイス玩具を組み合わせる、バラエティに富んだ遊びっぽい。素材になるガンダムの形状もスッキリしていてカッコいい。だが、結果的には容赦なく子供たちからお小遣いを搾取するシステムになるんだろう、とも思ったけどね。


さてさてまぁまぁそれにしても、同年代オタクの夫の人の不興なこと、不興なこと。気持ちは、判る。私だって、なにより誰より、ファーストガンダムのあの革命性に激しく揺さぶられて生き方を決定された世代である。「こんなのガンダムとしてどうよ?!」という中年の嘆きは本当に良く判る。どうやら同様の感想を抱いた人は多かったらしく、ネットのアチコチで不満が噴き上がっているらしい。

そういうのを見ていると、「ドグマ」という言葉がどうしても思い出される。
「ガンダムってのあぁ、こういうものでなくちゃダメだろうがーー!」みたいな決め付け。思い込み。こだわり。
そういうのをこそドグマって言うのだろうな、と。

ガンダムっつったって、色々あるでございましょうに。
昨今のガンダムの弄られっぷりをウンザリしながら横目で見ていた私にとっては、今更どんなガンダムが出現しようがガタガタ言うような事じゃない、と思う。
それくらい、私にとってのガンダムのイメージはもう散々に食い散らかされ好き放題に荒らされまくられ見る影も無いほどに原型も留めぬほどにムチャクチャにされ個人個人の自慰のネタと企業論理に則った金稼ぎの道具に成り果て、夢の残骸も残っちゃいなかったのだ。
私にとってガンダムは過去の思い出以外の意味は無く、興味も縁も無くなっていた。

だからこそなのだろうか。すっかり虚心でガンダムAGEを観た。確かに面白くも無かったけれど、妙に興味が惹かれる。
こんな薄っぺらなまま、終わるものでもないのじゃないか? という逆転した楽観。
何より、対象年齢が小学校低学年であろうことを考えると、これくらいすっきり枝葉を切り落としたところから始めるのはむしろ有りだろう、と感じる。

リアリティの薄い、御都合主義優先の、騎士道ロマンのようなガンダム。別に良いのじゃなかろうか。むしろ、大いにやってみて欲しい。このコンテンツは、アニメ作品だけを売る企画じゃないだろうし。アニメを軸にして、各種オモチャとゲイジングシステムを絡めた総合娯楽の提供と利潤を目的としているはずなのだから、アニメ作品そのものが濃厚である必要は無いのかもしれないし、逆に簡素な方がコンテンツ全体の利益は上がるかも知れないのだ。

とかなんとか夫の人と喧々諤々とやっているうちに聞いた情報。
「これで親子3代、100年分の話をやろうってってんだから」



は? (゚д゚)



なにそれ。
このガンダム、主人公が3代にわたって入れ替わるってのかーーーーーーー?!

「今そこですか? そんなことも知らずに、今、そこぉ?」(ドヤァ)


相当ビックリした。
3代、100年を描く。
それはもう、歴史を描く、ということになる。

改めてファーストガンダムの革新性について思い起こそう。
それまでのテレビまんがというものは、ヒーローが居て、その活躍を描くだけのシンプルで荒唐無稽なものであるのが常識で、それ以外の発想なぞほとんど無かった。
そこに破格の規模のロマンとストーリーと設定を展開して世間をアッと言わせたのが宇宙戦艦ヤマトであり、この頃より「テレビまんが=子供向け」という業界のドグマが決壊する。
テレビまんがはアニメと呼ばれるようになった。
ガンダムは、そこからさらに躍進して、リアリティのあるシリアスな世界を描くことに挑んだ。
世界戦争、という状況そのものが内容だったのである。
ロボットアニメといえば巨大メカがタイマンでガッコンガッコンするだけの、ロボットプロレスと揶揄されるものばかりしか無かった時代に、いきなりリアルな戦争である。兵器としてのロボットである。
どれだけ驚天動地の革命だったか、想像していただけるかどうか。まるで、地下の洞窟だけで生きていたところにいきなり海と大地と天空が与えられたようなものだった。
これが世界なんだよ、と。

戦争という状況を描く、ということ。
これが、世界という横軸に、円盤状に広がっていくイメージで捉えてみよう。

さて、世代という歴史を描く、ということ。
これを、時間という縦軸に長く伸びていくイメージで捉えるならば。

さらに付け加えて、アニメというメディアの限界を意識して。
何事にも可能性、リソースというものがある。どんなメディアにも限界はある。アニメにしか出来ないこともある反面、アニメながらのリソースの限界というものはどうしても発生する。テレビアニメならばなおさらである。

今ここに、1アニメ作品のリソース、という塊がある。
それを細長い金太郎飴のように伸ばして、ワンパターンの断面を見せながら積み重ねていたのがガンダム以前のテレビまんが。
金太郎飴が突然ド太くなって、しかも絵柄が大胆に変わっていったのがヤマト。
塊をいきなりドバーッと広く展開して、世界というものに変えて見せてのがガンダム。

そのリソースを、縦の方向に延ばさねばならないとしたら? 歴史という時の流れに沿って。
細く、狭くなっていくのはやむを得ないことなのではないだろうか? かつての金太郎飴のように。
ガンダムAGEの初回が、かつてのガンダムのような重厚さや広大さ、リアリティというものをほとんど持っていなかったことについての私なりの解釈がこれである。
だがまさか21世紀の今、いきなり昭和のどん臭いワンパターンアニメに回帰するわけもないだろう、と思う。
なにか、仕掛けてくる。現時点での見かけどおりではないなにかを。

好きになれない初回だったが、とにかく3話までは観ようと思う。なにせ一年間の長丁場だ。いろいろ潜んでいる気がする。第一話で切り捨てる気にはならないだけのものはあったとも思うし。得体の知れない外宇宙生命体のように言われている敵が、どうみても人間のボディランゲージを使っていたり、ね。


フィクションの100年を描くこと。
生半可で出来ることじゃない。
見事な歴史物になってくれるよう祈りを込めて。








****************

今日、夫の人が思いついたらしいこと。
「もしかしてこれ、100年進むのじゃなくて、遡るのじゃ? その方があの1話、しっくりくる」
またまたビックリ。
あり得るかも。
公式サイトの、3代分の主人公の画像を確認する。
左が現行の主人公。
……言われてみると、右に行くほど服装が古びているような気がする……('Д')??

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2011. 10. 09  
「夢のまた夢 決戦! 大阪の陣」読了。

276ページもある、凄いボリュームだ。関ヶ原以後の大坂、秀頼の小姓の視点から、家康陣営との開戦に至る過程を丁寧に追っていく話。
簡潔なのに濃密な文体のエレガンスは健在で、時代物にも相応しい力量の持ち主であることを証明している。
ま、そんなことは受賞デビュー直後の短編「代官」発表時点で知ってたけどね。
主要人物のほとんどが、言動も知能も明晰で、読んでいて不安や苛立ちが全く起きず、スラスラ読めた。みんながみんな、こんなに物わかりが良く、常識的で、愚鈍な感情のやり取りなどで時間を浪費せずに居てくれれば、世の中どれほど生きやすくやりやすいことだろう。

で、そこまでIQもEQも高そうな素晴らしい人たちが仕切ったり参戦したりしていた大坂の陣がどうなったか、というのは歴史的知識としておぼろげには知ってるわけで、はてさて主人公であるところの美貌(と決め付ける)の少年殿様の運命や如何に? と思ったのだけど、相当に意外な展開のところで終わるのだった。うーん、こりゃ続きが無いと困っちゃうなぁ。

とか言いつつ、それよりもなお殊更に声を大にして言いたいことはただ一つ。



星界の続き読まさんかいワレー



ホント、実際の所、私が生きてるうちに読めるのかしら。無理かもしれない。人間の生命のさだめなんぞ判らないものだし。ジョブスが逝ってしまって、諸行無常の思いひとしお、なんですわ。
同時に、何事も仕方なし、とも思う歳にもなったけどね。



おまけ:星界脳のアタクシ、開戦準備の大坂城内の兵糧やら焔硝やらの物資調達、組織作りに必要な手続きの詳細などがとことん綿密に書かれるあたり「サーゾイ、サーゾイ(主計科)」という単語が幾度も脳内こだま。こういう総務的な視点で描かれる歴史物ってかなり珍しいのじゃないかな。

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2011. 10. 06  




















神がいってしまった。
黄金の光がいってしまった。
これからゆっくりと混沌の闇が降りてくるんだろう。
信じて追っていればよい、輝く指標が消えてしまった。
誰も彼の代わりになれない。
私に希望と安心をくれてた存在がまた消えてしまった。
ただでさえ残り少ないのに。

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2011. 10. 05  
ももクロちゃんたち、可愛いなぁ。

ベテラン脚本家の伊藤和典氏もハマっていると聞いて、そのキッカケとなったらしい紹介映像を観た。

やっぱり凄い。
何が凄いって、この子たち、口パクじゃないんである。ライブ映像において、動きに合わせて音がよれまくっている。つまり、誤魔化し無しのガチなんである。そして全力。手抜き無し。精一杯。
その結果として、まったく上手くないんである。洗練の欠片も無いんである。スマートの真逆なんである。衣装もゴテゴテとケバケバしくて、フィット感が無くて、やたらと太って見える。要するに、ダサい。歌唱力は並、お顔も普通。

つまり、凄いんである。これだけマイナスのカードを並べて、それでもなおかつ魅力を放っているという点がとにかく凄い。
彼女たちの魅力のキーワードはズバリ「全力」。
必死なまでに全力。一所懸命。頑張りすぎ。これはダサさに直結する要素であるが、それをまったく誤魔化さない。
洗練が無い。洗練を追求できるほどの実力は無いんである。そして、それをあけすけに表に出すことで逆に武器にしている。

飾らない。

カッコつけない。

若さとスピードと勢い、それだけしか売れるものは無い、という事実を正直に包み隠さず表現しているのだ。
これは、虚飾が正義と化した平成日本の精神文化に対するカウンターパンチ、堂々たる正拳突きである。

そして、そのストレート豪速球にまぶされている要素が、現実離れしたフィクション性。アニメのような衣装や歌詞、プロモーション映像。
生々しい全力っぷりと、浮世離れしたイメージの統合。結果として異様なまでにドラマチックなパフォーマンスとなっている。
昭和ど真ん中生まれの婆は、この見せ方に、ありありとピンク・レディーを思い出す。
もちろんそこは21世紀であるので、より過激な、アグレッシブな、ハイテンポの音と踊りになっているのだけど。つくづく、前山田健一氏という稀有な才能との出会いは幸運だったと思う。

さいぜん、歌唱力は並と書いたが、これには裏の意味があって、あれだけ派手に動き回りながら並の歌を出せるというのは実はムチャクチャ凄いことでもあるのだ。おそらく、ごく幼いころから歌と踊りの訓練を積み重ねてきているのだろう。それもかなりハードな。習い事程度の修練でここまでやれるはずはない。


疲れを知らない子供のパワー。青春期にだけ可能な闇雲なスピード。大人になれば否応なく失われる純粋さ。
それらが余すことなく発揮されるももいろクローバーZ。
言うまでも無くこの魅力は完全なる一過性だ。まさに今だけ咲き誇る花だ。あと3年も経てば、どんな無惨な骸をさらすことやら考えるだけでも恐ろしい。夫の人の言うことにゃ
「全力で応援したいが、応援しないことに決めた」
何年か後には確実に訪れる惨状を思うと……ということらしい。彼女たち自身がどうこうというより、手のひら返しがあまりに露骨な世間の反応やら何やら、そういうものをすべて含めた状況変化に巻き込まれるのが切なくてイヤであるらしい。

だったら。だからこそ。今、まさに今応援しなくてどうする! と私は思ってしまうわけだけど。
でも私は思う。常識的に考えれば、若さが売りのアイドルの寿命は短い。だけどももクロには、常識外の可能性がある気がするのだ。
カッコつけないこと。
直球であること。
フィクション性を見せること。
この3つを保持する限り、3年後も5年後もやっていける可能性はある。
特に重要なのは最後の点。フィクションを見せること。これは、自分自身がフィクションにならねばならない通常のアイドル性とは相反する点である。
自分そのものを幻想として売るアイドル、という立場から立脚点をずらし、客観的に自分たちを捉えた上で、何を見せていくのか、どう演出していくのか、を追求していかねばならない。演者であると同時に演出家にならねばならない。プロデューサー的でなければならない。至難の道である。
だがこの事を、あのユニットの全員が理解できているのなら、ももいろクローバーZは一過性の花で終わらずに済むだろう。
どうかすべてが善くあれますように。

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2011. 10. 02  
秋シーズンのアニメ新番組をいくつか観た。
今のところ、Fate/Zeroが飛び抜けで凄い。

フェイト、という作品が以前から人気を博していたのは聞いていたが、詳しいことは何も知らなかった。
どれくらい知らないかというと、なのはさんとフェイトさんとセイバーさんがごっちゃになってるくらい知らなかった。
それでも大変興味を惹かれる内容だった。今後、まめに観たいと思う。

「なんか続編っぽいから前作も押さえておくべきか」とwikiってみると……。


ぎゃー。
前回のエントリで引用した「アーサー王を〇〇して××」って、これのことだったのかー!

赤っ恥。無知ってやーね。


で、どうなんだろー。前作を知らずにこのまま観ていってOKなんだろうか。
前作を押さえておくべきならば、アニメの方が良いのかビジュアルノベルっての方が良いのか。マンガもあるのかぁ。

しかしアニメ視聴って楽しいけどやっぱいろいろ削れるなぁ。時間・体力・精神力等々。
本当に気に入ったものだけを週に2、3本くらいが適当って気がする。

そういえば、夏シーズン、私の気力を大いに削ってくれた「BLOOD-C」。
主演と歌が奈々ちゃんで、監督がアザゼルさんの水島努氏ってことでたいそう期待し、第1話はとても面白く観たのだけれど、2話以降がどうにも微妙過ぎて鬱憤を溜めまくりながら迎えた最終回。
見事にひっくり返してくれました! なんという迫力、なんという破壊力。水島監督のコンテ力が遺憾なく発揮された至高の職人芸を堪能した。
静を描けば緊迫に満ち、動を描けば炸裂する。
戦闘シーンの立ち回りは比類なきスピード感に溢れ、ビシビシ決まるテンポの小気味良さは昇天もの。「こんな構図で誰も戦闘を描かんわ!」と叫ぶくらいの異様なカットの連打。
また、神業を見てしまった。

ぶっちゃけ、お話はあまりといえばあんまりな代物。ゆるい、ぬるい、意味不明、水で3倍薄めたコーヒーみたいな辛さの毎週。いい加減切り捨てて観るのをやめよう、と思うことしばしば。それでもなんとか観続けたのは、謎を謎のままでおいておくことをあまりに不愉快に感じる個人的な性根ゆえだった。あとマイナスにまで下がりすぎた評価が逆作用になって
「シリアスなのにコントに見えてしまう」
という奇妙な状態にまで至ったことに興味を覚えたからだ。駄作凡作は数あれど、そこまで行ってしまうケースもそうそう無い。
しかし最終回の映像としてのテンションの高さは、そこまでのマイナスをすべて埋め合わせて余りある衝撃と快楽に満ちていた。
「このへん、もうヤケクソ気味で心のダムが決壊しましたかなぁ?」と感じたシーンもあったが、これまた乱調の美ですらあるか思う。
とにかく、この最終話だけで大逆転、破綻寸前の大赤字が一気に黒字に転じ、私的神扱いの一本に大化けした。



だけど、いかに私的に良かった映像と言っても、私は断じてこのBLOOD-Cを、一般の皆様には薦めません。
グロテスクだからです。
公序良俗を旨とし、平穏を求め、安らぎや癒しや微笑みのためだけにフィクションをたしなむ善良な方々には絶対に薦めません。
反社会的な夢を見ることでガス抜きし、ようやくなんとか社会性を保っていられるという自覚のある方にだけお薦めです。


えっ、劇場版に文化庁から5000万?
いーのかなー、くどいようだけど公序良俗という概念からは遠い内容だと思うけど(゜ー゜;)
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星 ゆう輝

Author:星 ゆう輝
人生50年、オタク歴40年弱、母親業四半世紀。老眼とボケが迅速に進行中。麗しいロボ執事をはべらせるのが老後の夢。

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