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2012. 01. 28  
ニチアサの戦隊シリーズ「ゴーカイジャー」も、いよいよ大詰め。

「凄い悪党に見せかけて、実は陰ながらゴーカイジャーたちを支援しているに違いない!」
などという大逆転に期待をかけていたバスコが、けっきょくシンプルな悪党でしかなかった、というのが判明してややガッカリ……こうなれば後は皇帝アクドス・ギル様に大いなる盛り上がりを頼みたいところ。

でも実はもうすでに心が次の戦隊に飛んじゃってるのよね。

「特命戦隊ゴーバスターズ」!

35周年記念で、過去の全戦隊総ざらえをやるというお祭り企画だったゴーカイジャーの後なので、シリーズリフレッシュというコンセプトになるようだ。
画像などを見るかぎり、かなり異色感のあるデザインで、大いに気に入ってるのだ。スーツもメカも。特にメカのシルエットは、今までの戦隊に無かった新機軸を感じる。最近はCGによるアニメ的表現も当たり前になってきたので、巨大ロボのデザインの自由度も上がっているのだろうと思う。


さて、そのゴーバスターズの主題歌OP&EDが試聴できると言うのでコロンビアのサイトにすっ飛び

で、EDを聴いてたちまち、ほよよよよ? と頭の周囲に音符と花が咲いた。
こ、この香りは……! うた☆プリの香り!?

歌手を確認したら「謎の新ユニットSTA☆MEN」となっている。
なにやら胡乱と言うか、やや投げやり感のあるこの名称。

「うーん、これは多分、声優の歌声」

声優の歌には、独特の特徴がある。特に最近は志望者が多いので競争も激烈らしく、基礎訓練を疎かにしているヘダラ者などすぐ脱落するようだ。よって、そんじょそこらの若手タレントなんぞより遥かに良く通る、良く響く声質を持っているし、表現がクッキリ明確なのだ。(逆に、音楽性はイマイチ、平たく言うと音痴なケースもまぁ、たま~にあるけど)
で、ゴーバスターズにはサポートメカが多数居るらしいので、きっと実力ある声優が担当するはず。これは戦隊の伝統のようなもので、顔出しメンバーはピチピチの新人を起用するが、声優はバリバリのベテランを選りすぐって、脇をバッチリ固めるのが普通だから。

「つまりこのユニット、サポートメカ(バディロボというらしい)の声優さんたちで組んでるのじゃないかなぁ」

とパパっと思っちゃったわけだけど。

念のためググッてみたら……。




10年も前から活動してるユニットさんじゃん……orz
私が無知蒙昧でした。大変失礼いたしましたorz

そしてうた☆プリの香りがしたのも当然、二人もメンバーがかぶってるんだもんね。

今日はゴーバスターズの発表会があったらしいけど、担当声優さんの公式発表はまだ見つからない。

さーて、誰が来るかな~? 楽しみだな~(〃 ̄ー ̄〃)ワックワク♪

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2012. 01. 27  
小島慶子さんの「キラ☆キラ」を、私はポッドキャスト配信で聴いていた。(なので投稿カテゴリは『ネット』に放り込むのだった)平日昼間のダラダラした民放ラジオは好きじゃないので、私としてはかなり異例のことだった。

それが終わってしまうという。残念だ。
が、先程ポッドキャスト配信で降板の理由説明を聴いて、ああこりゃ仕方ないだろうなと納得。
ラジオ番組としての人気はかなり高かったらしい。
なので私には「金の卵を産むガチョウを〆ちまったねぇ」と見えるのだった。
どう考えてもあの番組は小島慶子という稀有なキャラクターゆえの個性が支えていたのだと思うし、それを矯めざるを得ないような局の指示に、あの気位の高い「女王」が従う気にならなかったというのもなんだかよく判る。

男のように考え、男のようにキッパリとモノを言う小島さんのパーソナリティは共感出来る部分も多く、また日替わりのパートナーも面白いトークの人が多い。特に好きなのは堀井憲一郎氏と吉田豪氏と町山智浩氏、この御三方のトークも聴けなくなるのかと思うと尚更淋しい。


この春の改編期以降については何もまったく決まってないとのことで、なんとかこの小気味良い中性的なノリを受け継ぐパーソナリティが来てくれないかと思うのだが、さてどうなることやら。
メインとは言わないけど、日替わりコーナーあたりにサンキュータツオちゃんを配置してくれんかねぇ(´ω`)
聴取率が取れるかどうかはまったく不明だけど。
まーいろいろ無理だろうなぁ。

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2012. 01. 26  
今期アニメでもう一つのお気に入りは「男子高校生の日常」

身も蓋も全く無い、夢も希望もおよそ無い、ましてや美しさなんぞカケラも無い、あきれるほどに空回りばかりの、やみくもな熱ばかりがある、そんな生臭くもアホな日常。
期待はある。行動力もある。でも、けっきょく大したことは起きない。
願いはある。欲望もある。出会いもある。なのに、碌なことにならない。
バカばかりやって過ぎていく青春の日々。それが貴重なものであるとは判っていても、何故か大事にすることが出来ない。
物語にならない日常。冗長な日々。なにかやりたいのに、なにもやり遂げられない、突き抜けられない平凡。
そんな、イヤになるほどリアルな、むなしくも馬鹿馬鹿しい日常。
それがなぜこんなにも可笑しいのだろう、ダラダラしてる若者なんぞ説教の一つ二つくれてやらねばならないのになぁ、と思いつつ、なぜこんなに可愛いのだろう。

そう思いながら毎週笑って観ている。

アニメの少年少女の日常モノというのは、なんだかんだ言ってもやはり「物語」を目指して作られていることがほとんど。
美少女というのは、その存在の成立だけですでに物語であったりするもの。
もちろん美少年も同様だし、普通に「少年」というだけでも物語なのかもしれない。

だがこのアニメに登場するのはあくまで「男子高・校生」なのだ。
待て、そこなゴフジン。「男子校」に「全寮制」とか付けるでないぞ。そーゆーのじゃなくて。

あくまでも、どこにでもあるありふれたドラマ性の無い、そして異性の無い、ベターっと精彩を欠いた高校生の日常が描かれるだけなのだから。
そして、このドラマ性の欠落にこそ価値を感じるのだった。この作品の男子たちは、物事からドラマをあえて排除してしまう生き方をしている。うまく立ち回りさえすれば、いくらでも面白くも感動的にもなりそうな事態を、過剰な自意識や照れで片っ端から潰していく。
なんて勿体無い青春。
だが、この無為、この空虚、この実りのなさ、そんなものをそのままアニメにしてしまうとは、なんと大胆な企画だろう。

テレビに映るものなんてのは、どっちを向いても過剰な物語、ドラマティックに満ちている。アニメだったらなおさらだ。だからこの作品はとても稀少な魅力を持っている。
だが、むしろアニメだからこそ、こういう内容でも見るに耐える魅力を持つのだろう。
こんな生々しすぎる日常を、実写なんぞでやったりしたら単なる退屈の再現になるだろうから。


*****************


今朝方、踏切が開くのを待っていたら、背後がやたらとやかましくなった。
甲高い、浮ついた落ち着きのない少年の声が聴こえてきたのだ。
聴こえる、というよりは、いきなり耳に刺さる感じの響き。
なにもそんな大声で喋らなくても良いではないか少年よ、振り向いてでも欲しいのか? それとも演劇部か何かか? はたまた放送部? もしかしてナントカ専門学校声優科?
いや、違う。オタク婆の耳は鋭いのだぞ。ちゃんと訓練された発声かどうかなんかすぐ判る。まっとうな意思をもって鍛えられた声というのは、通る。抜ける。響く。「刺さる」ようでは素人だ。

で、聴く気が無くても聴こえてしまう大声で語っているのは、
「なにやるにしても基本からみっちりしないとならない」
という趣旨の内容だと汲み取れた。
そしてもう一人が問いかけた。
「んでさぁ、じゃあけっきょく、何がしたいっつーか、やりたいワケ?」
刺さる声がさらに鋭くなってこう言い放った。
「だからね、だからぁ、オレはさ、とにかくさ。なりたいんだよ、何か、表現者ってやつにさ」

ブーーーーーッ!! ごめんね、おばちゃん、思いっきりリアルで吹いちゃったよ。丁度目の前を電車が轟音立てて通過中だったんで遠慮しなかったよ、ごめんね。

表現者? 表現者ねぇ。
君がなりたいのはなんでもいいから何か表現して生きる人のこと?←1。
それとも、表現することで金を稼いで生活できる人のこと?←2。
あるいは、そうやって夢や理想をかたりつづけていれば、周りがなんとか都合よく動いてくれて自分を満足させてくれるような生き方のこと?←3。

踏切を渡ったらすぐに君たちは道を曲って行ってしまったね。まさに男子高校生というしか無い横顔だったね。
きっと君の中では、上に挙げた1,2、3の区別はついていないのだろうね。

でも、ごめんね、おばちゃんにはなんとなく判っちゃうんだよ。多分、3でしかないってことがね。それほどに、声や語り口調ってものに、人格や気持ちみたいなものは反映されちゃうものなのよ。
そういう自己顕示欲の塊みたいなものばかり磨いていたら、そりゃぁ声も刺さる鋭さしか持たないわけよ。
でも実は、それだけ明確な表現力をすでに持っている、ということでもある。才能は皆無じゃない。
君の人生が実り多きものになるように祈ってます。

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2012. 01. 23  
モーレツ宇宙海賊3話を遅ればせながら視聴。

うーむむむ。
3話にして女子高生たちのEVAが描かれるのだが、船外の星々がま~見事にまたたいている。
(リアルならありえない。またたきは大気の揺らめきが起こすものだから)

そして、宇宙服を着込む指導のシーンで、髪をちゃんとしないとヘルメットをかぶった後で目に髪が入ったら大変、というアドバイスがキッチリなされるのだが、直後のカットで、少女たちの前髪は相変わらず目にかかり放題だった。

これはどういうことなのか。
おそらく、そういう齟齬は、スタッフは百も承知なのだと思う。
判ってて、あえてやっているのだと感じた。
SFとして要求される事実設定と、商業アニメとして要求される表現とが相反した場合の落としどころ。
そこがどこにあるべきか、というビジョンと判断。それを明確に定めた上で製作に臨んでいるのだろうと思う。
これはアレコレわきまえた上で、相当の覚悟が無いと実行できないだろう。

だとしたら、私のツッコミなんぞ野暮天でしかない。

宇宙そのものにワクワク出来る、そんな稀有さに期待して今後も観たいと思う。

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2012. 01. 23  
今季開始のアニメでは「モーレツ宇宙海賊」が気に入り。

遠い未来、ある植民星で育った女子高生が突然に海賊の船長権を持っていることを知るところから始る話。
美少女がいかにも古風な船長帽子をかぶってミニスカ履いてる絵を見た時点では何の興味も持てなかったのだが、いざ始まってみるとこれが実に良い。演出のキメが細かく、判りやすい。
なにをやりたいのか、なにを描きたいのか、そしてなにを見ている側に伝えたいのか。
それを叶えるために、なにをすべきなのか。
それらが明確に整理されていて過不足が無い。丁寧で老練だ。そして手堅い。こういうのは実に観ていて心地よい。
そしてさらにありがたいのは、それで描かれているのが宇宙SFネタだ、ということだ。
SFというのは一見アニメとは相性が良さそうな印象があるかもだが、実は全然そんなことはない。
アニメという手法も、SFというジャンルも、共に危険要素を孕むからだ。
どういうことかというと、どちらもある種の「逃げ」のために利用されがちだからだ。
実写じゃ無理だから絵で描くしかないとか、実際的なことが書けないから空想的な架空設定に逃げるとか。
特に後者はどえらく多い。別になにもかも現実的であるべき、などとは言うつもりもないけれど、それでもなお
「てめえらSFとかファンタジー舐めてんじゃねえぞオラァ」
としょっちゅう言いたくなる。
勘違いすんじゃねーぞ、と。
SF、そしてファンタジー、つまり架空世界を描くということは、現実世界を描くよりよほど難しく、苦労が多く、努力や工夫が要ることなんだぞ、極私的な脳内自慰妄想開陳のために都合よくジャンルを利用してんじゃねーぞ、と。
頭抱えて嘆いたり唸ったり怒ったりがしょっちゅう。それがSFおよびファンタジーアニメというものだったりするのだ。

SF、それも宇宙が舞台となると、描写のハードルは特に上がる。取り扱うべき事項が膨大だからだ。
きっちり細部までそれらを描こうとすると大変な労力だ。
諸々の基礎知識を、息をするように取り扱える素養も必要だし、それらをスタッフにキチンと伝えるのも一苦労。

だから、この作品のように、真っ向から真面目に宇宙モノに取り組んで、しかもそれを心地よく見せてくれるという稀有な丁寧さはとても有り難いのだ。

2話で、女子校の宇宙ヨット部の活動で、早々にヒロインは宇宙旅行に出かけるのだけど、ここで登場する宇宙船のデザインが、ハードな無骨さと流麗さを兼ね備えていて、ステキだった。
また、内部構造や自由落下状態の動きの描き方もリアル志向で、観ているだけでゾクゾクする。
「これこれ! こういうちゃんとしたのが観たいんだよ~」とニコニコなのだった。

嗚々、だけどひとつだけ不満があるとしたら。
それだけそこまで宇宙っぽさを生真面目に描くのだったら、その無重力状態の中に居る女子高生たちも、もちっとだけリアルにやっては欲しかったんだけどね。
ロングヘアーがまったく崩れないってのはあり得ないですよ。制服のスカートも然り。
髪が舞い上がってバッサバッサと邪魔になることくらい判り切ってるんだから、そこは女子たちは、必死でまとめるのが当たり前じゃないですか。そこで、思い思いに趣向や工夫を凝らして。
わーそれ素敵ー、どこで買ったのそのゴム~、ほらほらもっとここを注意しないとほどけちゃうよ、えーやだー、とかキャッキャ言いながら。
あるいは結うとか、ワックス固めとか、キャップまとめが常識とか。なんにしても、そこでオシャレや趣味を発揮して差異をつけたがるところを見せること。
女子高生を描くってのは、そういうことだと思うんだけだけどね。

なまじ宇宙船の描写が良かっただけに、細かいことがかえって気になってしまった。とはいえ、良作なのは確かだと思う。いささか地味な作品でもあるので、なおさら応援したいと思うのだった。


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2012. 01. 22  
そろそろ終盤のスイートプリキュア。
私はあまり熱心な視聴者じゃなかった。ついばむ程度に見るばかり。
で、漏れ聞く感じでは、今回のラスボスはどうやら
「とても哀しかった」
から事を起こして暴れたらしい。
その哀しみを判ってあげたら良かったんだ、と理解の上でなんとかしようとしているあたり、愛という名のパンチ(暴力)で滅ぼしておしまい、というハトプリよりはかなりマシな解決だなぁとは思いつつ。

それでも私は
「そりゃちょーっと違うんじゃねーの?」
とも思ったのだった。

尋常じゃない哀しみや苦悩、絶望などは、明朗をむしろ受け付けない。
明るいとか正義とか希望とか勇気とか、そういうプラスなイメージで雪(そそ)ぎかねる感情というものがある。
そういう場合は、同じくらいの重さや深さの哀しみ苦しみでシンクロした方が良かったりする。
あるいは、同じくらいの悲嘆を踏まえた上での浄化イメージを示すか。これをこなすには、歌い手あるいは演奏家本人に誰よりも深く苦悩した人生経験が必要であり、なかなか到達出来るものじゃない。

たかだか十代の小娘の明朗や経験くらいでどうにかなるようなものなんて、たいしたものでもないわさ。
なにやらノイズ様はあっさりカタルシスを喰らってしまったようだけど、けっきょく浅はかな悪心だったってことですな。幼稚、というべきか。
まぁそこは音楽の力云々とは関係無しに、ノイズ様もどうやら男性性だったということで、スイプリの代わりにうたプリのメンツだったとしたら納得どころじゃなかっただろうし、ブスぞろいでも無効だったでしょうな、多分そういうこと。



話変わって、昨夜は録画しておいたNHKの水樹奈々特番を観ていた。
あらためて、あのドーム公演がイベントとしてどれほど優れたものであったかを再確認。特にあの、プラネタリウムの感動は、あの日あの時あそこで観ていた人たちだけのものなのだなぁ。
そして、それを企画発案した奈々ちゃん本人はそれを観ることは出来なかった、というくだりはなによりも胸に迫った。でも彼女はそんなことは当然至極の百も承知なわけで。
その上ですべてに全力を尽くすわけだよね。プロ中のプロだ。

彼女のパーソナリティそのものがかなり特別というか、稀少なタイプだという点が最重要だと思う。
少女めいているけれども、かなりの部分で心が少年という男性性なのだという気がする。
彼女の歌うある種の歌は、悲哀を秘めた攻撃性に満ちていて、私はそれがとても好きなのだけど、ライブで盛り上がる曲もやはりそういう傾向の曲が多いようだ。

例えばそれは
「泣きたいけど泣くわけにはいかないので流せない涙」
みたいなものを、代わりに歌にして流してくれること。
男だから泣いちゃダメとか、男だから弱くちゃダメとか、男だから闘ったり守ったりしなきゃダメとか。
そういう在り方を押し付けられて、泣きたくても泣くに泣けない。
そんな心に沿ってくれるのが彼女の歌なのだろうと思う。歌に変えて流される涙。共感による癒し、涙によって雪がれる涙がそこに成立する。

すなわちこれは、演歌が持つ「泣きの構造」の窯変なのだろうと思う。
ベテラン演歌歌手に彼女が認められている理由はたぶんここにある。共通を見出してもらえたのだろうと思う。

ただ、奈々ちゃん自身が演歌を歌いこなせるまでにはまだ遠い道のりがあるとも思う。経験が足りない。広く一般に通ずるための、人生の体験が足りない。共感性をだそうにも、未だ本人の内にその要素が存在しない。
これは本人自身が自覚していることでもあるらしいので、じっくり変化成長を待ちたいところだ。

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2012. 01. 21  
ライフログ、という言葉をよく見るようになった。
毎日の記録、という大雑把な解釈で良いと思うのだけど、これ、今後けっこう流行るのじゃないだろうか。


私は、毎日あれこれ記録する。
朝、入浴後に体重を測って、手書きでグラフにつける。
iPhoneアプリの「瞬間日記」というものを使って、何を食べたかなどを書く。その他細々したこともついでに書く。
iPhoneのリマインダーとカレンダーに、予定ややるべき事を書く
ぼさーっと思いついたことを垂れ流したい時にはTwitterに書く。
あれこれ考えて形にしたかった場合は、こうしてブログに書く。
寝る前には大学ノートを見開きを一日ごとに使って、右側には散文記録を、左側には言葉にする気にならないような落書きを書く。

うわっ……私、ライフログ、つけすぎ?

だがライフログサービスというものをちょっと見てみると、ログとみなされるジャンルはもっと幅広い。
どこへ移動したか、とか何を聴いているか、とか、何を読んだか、とか。デジカメで撮った画像をひたすらアップしていくネットサービスもある。
場合によっては、パソコンやスマホのブラウザで、何を検索したかという記録まで。

うーむ。
いくらなんでもログり過ぎではないだろうか?
ぶっちゃけそこまで他人様の動向に興味なんか無いよ、という人が大多数なのじゃないだろうか。
個人的には、親しい人が何を読もうが観ようが移動しようが、私はかなりどうでも良い。
が、それによってどんな感想を抱いたか、という心の動きには興味がある。
人間とは、共感して満足を得たがる生き物なのだなぁ、と思う。


さて、他人様のログには興味は無いが、感想には興味は持てると結論付けた所で。

発想を変えよう。
ライフログはあくまでプライベートな、自分ただ独りだけのためのものだと捉えた場合。
むしろもっと徹底的にログを取っても良いくらいなのかも知れない。
というのは、ボケてきていて、3分前のことすら忘れるから。うん、マジで切実なんよ。

というわけで、中高年向けのサービスとして、簡易で判りやすい、しかも自動であれこれやってくれる総合ライフログサービスというのがこれから大いに伸びると思うのだ。
幸い、iPhoneを始めとして、操作性も携帯性も高いデバイスが普及し始めている。
何を食べたか、何を思ったか、何が欲しいか、というようなことは自分で記録するしかないけれど、デバイスで何を見て、何を聴いて、何を検索して、何を発言して、誰と連絡をとったか、ということは、それぞれ一日ごとのフォルダに自動に振り分け蓄えるようにして、さらにはそれをクラウドに自動保存していくようなサービス。
アプリごとに記録を分散させるのも良いけれど、それらすべての包括的バックアップとして、「その日一日」ずつ閲覧可能にまとめたライフログ集積。

それを3歳でも100歳でも使えるくらいの簡単設定にして、面倒な分類整理はデバイスまかせでOK、ってくらいにまで洗練させたサービス。

けっこう、稼げる市場になると思うのだけどね。

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2012. 01. 19  
先日イタリアで起きた客船座礁事故。

救助活動中の船長と港湾監督との会話録音を聴いた。
イタリア語はまったく判らない。かろうじて聞き取れた気がしたのは
「ボート! ボート!」
くらい。

「口調からして船に戻れ、って言ってるのだろうし、ボードとも聞こえるけど船のことだよねぇ?」

などと思っていたのだが、なにやらこの監督のキッパリとした態度が大変好評らしく、さっそく科白をTシャツにまでしてしまった人がいるとか。仕事速すぎでしょう(゜ー゜;)

で、綴りが確認出来たのでネット翻訳してみた。
私がボートと聴き間違えたのは、bordo。基盤、と訳されたので
「持ち場に戻れ!」
なのかとも思ったのだが、vada a bordo で
「乗り込みなさい」
ともなるようだ。

で、このシャツに書かれたcazzoというのが意味としては男性器のことで、バカヤロウの意だったり強調のために使うスラングでもあるとかで、そう言えばローマでは古来より男性器は力や偉容や繁栄を示すものだったはずだ、と思い出したのだった。

「船に戻れやゴルァァァッ!」
てな感じだろうか。

まったく意味は聴き取れなくとも、口調に込められた意思や気持ちは良く判る気がした。明確だからこそ評判を呼んだのだろう。

そして聴いていて感じたことは、イタリア語というのはなんと響きが美しいのだろう、ということだった。
かつてオペラはすべてがイタリア語だった、というのも納得できる気がする。



それにしてもこの船長のヘタレ全開っぷりと言ったら……あっ、これがリアルヘタリアか。さらに納得。なんという明暗対比だろう。経済危機と混迷を深めるイタリアも、果断で力強いヒーローを熱望しているのだろうね。


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2012. 01. 16  
「落語とは業の肯定である」が信条だったという立川談志氏の高座の録音をボチボチと聴いている。
流石に面白い。特にマクラの切れ味と言ったら、まさに格別。
落語のマクラというよりは、毒舌コラムニストが、ひたすら述べる感じ。そして、噺の方に入ると、緩急自在のコントロールの振り幅がまた凄い。スピード、テンポ、ピッチ。なぜか外来語でしかイメージ出来ないのは私の非才と無知のせいだけど、音楽的なほどに、天才的演奏のように、速度やトーンの操作が凄い。
そう、凄み。
その一言に尽きる。唯一無二と言われる理由がなんとなく判った。
凄みという意味では、枝雀の眼光にも似たようなものがあったなぁ、と思い出すけれども。

さて今日聴いていたのは「付き馬」という噺だった。

ところがまぁ困ったことに、私にとってこれ、全く楽しくないお噺だった。
男が一人で遊郭にやってきて、言葉巧みに茶屋に上がりこみ、大いに豪遊する。
翌朝、勘定を貰いにやってきた茶屋の若い衆を、これまた立て板に水の弁舌でだまくらかしつつ振り回す……という、詐欺師モノなんである。

その手練手管の巧妙さが笑うところなのだろうけど、私の場合どうもいけない。
腹がたって腹がたってしょうがなくなってしまうのだ。不快と怒りと、振り回される方も何故もっとちゃんとキッチリ対応しないのかと不甲斐なさにイライラする。

詐欺師の口のうまさを談志が独特の自在テンポで演じきってるあたりが迫真なだけに、なお一層ムカツクのだった。よくもまぁこんなに抜け抜けと、白々しい嘘を、ごまかしを、軽やかに踊るようにこなして、他人を騙してむしり取って、綺麗サッパリとしていられるものだ、と行き場のない憤りにかられてしまう。

俺を信じろだの、俺はたいした者なんだからだの、俺は出世するんだの、お前さんにも得になるからだの、とにかく調子の良いことばかりベラベラベラベラ、付け入る隙を与えちゃ負けだとばかりにまくし立てる。リズムに乗ってる限りは大丈夫、つまりノリがすべてとばかりたたみかける。

でもって、サゲがまぁそのなんだ、知ってる方ならご存知の、あの通り。

ぐぎぎぎぎぎぎ。ああ腹立つ。据えかねる。くっそー。フィクション相手にこんなに憤激するのは久しぶりかも知れない。ダメだーっ! 談志師匠、笑えない、笑えませんよこれ! 芸が凄いからこそ笑えませんよ!

世の中には確実にこの詐欺師みたいな野郎が数多居て、その周囲で泣いている人はさらにその数層倍居るのだ、って事実こそが、人間の業の一つということなのだろうけど。

とか悶絶していたら、突然頭のてっぺんにポロリとお告げが降ってきた。

「まぁそんな怒るなよ。アンタの大好きなかのローマのカエサルだって、実はこんなだったかも知れねえよ?」



うああああ。
そーなのだ。
勇将カエサル。冒険者カエサル。ローマの独裁者カエサル。端正な文章や創作物を多々著したクリエイターのカエサル。豪毅で果敢で潔く、男からも女からも絶大な人気を集めた英雄。我が憧れ。

だがしかしっ!
彼は金にだけはだらしなかった!

ごく若い頃から借金、借金、借金の山。金の交渉はとにかく汚くかつ大胆で、真面目に返す気などまったく無かった男。膨れ上がる負債は次から次へと他人に押し付け、最終的にはローマ最大の富豪にすべてのケツを持たせてしまう。しかもローマの統治権の分割と引き換えに、だ。
もしかしてローマの周辺国家をどんどん併呑していったのは、莫大な借金をなし崩しにチャラにするため……?!

ともかくカエサルは、カネ、というものを普通一般の常識とはまったく違うように捉えていたのではなかろうか、そして経済社会を大胆にデザイン刷新するためにこそ、ブルドーザーのような領土拡張を行ったのではなかろうかとまで思えるほどの、非常識な金の使い方をした男。

彼が借金を踏み倒す時、この「付き馬」の詐欺師野郎のようなチャラチャラ弁舌で周りをケムに巻いてはサックリとんずらを決め込んで知らん顔、みたいなノリだったのだとしたら。

あり得る。なんだか大いに有り得る気がする。納得出来るような出来ないような、そんな微妙な眉間の皺を今夜は刻んで寝ることになりそうな。

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2012. 01. 15  
コメントくださった方にレスを返そうとしたら、コメントが出来ない。

何がどうなっているのやら。

確かに、一度、内容を書かないまま署名だけして送信になってしまったので
(これもなんだかおかしい、普段の操作ならそんないきなりアップロードにならないはず)
いったんそれを削除したのだけど。

その後ちゃんと内容を書いても撥ね付けられる。不正な投稿だとか、前回と内容が重複してます、とか。
ちょいと設定などをいじってみたけど変化無し。

う~~ん∩( ・ω・)∩オテアゲ


とりあえずしばらく放っとこう(´・ω・`)

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2012. 01. 14  
ペルソナ4因みで関智一氏と森久保祥太郎氏がラジオをやっておられて、これが毎週楽しい。
で、興味深い話が出ていた。

「男の3分カラータイマー」
という話。

曰く、男というものは、例えば人の為になにかしたり、気を遣ったりすると、ウルトラマンが3分経つとカラータイマーが点滅してダメになっていくように、エネルギー切れを起こすのだ、ということ。
なので、そのカラータイマーが点滅しているような、消耗した状態でそのまま帰宅したりすると、家族に気遣いしたり愛想よく振舞ったりする余裕が残っていない。

これをなんとかするには、どうにかしてチャージをしなくてはならない。
なので、お父さんという人たちは、新聞を持ってトイレに篭ったり、帰宅前に一人で呑みに行ったり、家の駐車場に着いたらそこで1時間くらい車内で過ごしたりなどして、独りの時間を持とうとする。



あっ! あっ! あっ! と思った。
今まで、ぼんやりとしか意識出来てなかったことに、いきなりハッキリと筋道が付いてスッキリした感覚。

カラータイマー、なるほどね。
ってーか、似たようなモノ、私も持っている。男じゃないけど。
私はそれをひそかに「孤力」と「他力」と呼んでいた。

他人となにかしら関わる場合、必ず愛想良くしなければならない。礼を重んじ、気を遣い、お互い気分よくなれるように振る舞うべき。それが人間としての義務のようなもの。
和する心、円満な行い、そういったもののための実行。諍いやぶつかり合いは避けて穏便なるべし。

だが、そういう行動は無償たりえない。消費をともなう。自分の中の何かがすり減る。
私はそういう消耗で喪われる余裕を「弧(独によって蓄積される)力」とイメージしていた。
愛想でもって人と関わると必ず起きる減衰。これを放置しておくと激しいストレスとなって、情緒が壊れる。具体的には怒りっぽくなったり、ぐったりとしたりする。
なので、こまめにチャージしなければならない。孤独状態になって、エネルギーが復活するのを待つ。

だがこの「弧力」、なかなか厄介なもので、溜めすぎるとかえってマズいことになる。
天秤が一気に傾いてひっくり返るのだ。
つまり、消耗を嫌って他人と関わらない状態に徹すると、弧力は毒気のようになっていく。
すると今度は「他力」をチャージして中和しなくてはならない。
他者と関わり、愛想のやり取りをし、関係に心を砕くことで得られる満足や幸福。これが「他力」。

どちらに傾きすぎてもカラータイマーは点滅するのだ。それに気づかず、無自覚に放置しておくと、必ず酷いことが起きる。
なのでできるだけ自覚的に、自分の心の状態に敏感になって、ケアとコントロールをするべきなのだ。
残念ながら、私はかなりの高齢になるまで、こういう分析が出来なかった。もっと早く事実を整理して把握出来ていれば良かったのに、と思う。

しかし、ちょっと不平があるのは、なんだか他の女性はあまりこんなことで苦労を背負い込んだりしていないように伺える点だ。たくさんのお子さんをいっぺんに育て、可愛がり、それがただ幸せにのみ結実する人たち。大勢の友人知人お母さん達のお付き合い、子供たちのさらに友達とのお付き合い、そういうものをスンナリこなせる人たち。毎日井戸端に集って何時間も交流する方たち。
「和」が空気のように当たり前である人たち。
そう、まさに空気を読むことが呼吸のようにできること。それによって消耗なぞしないですむ人たち。
これは人間の女性が生まれながらに備える特性のようなものなのかもしれない。雰囲気で事態を察知すること。漫然と感応するように他者の気分を共有すること。苦しみや不満を察知して、適切に対処出来ること。
子を孕み育てる性として、当然に備えている能力なのだろうか。天性というやつ。

私は女なのに、女の天性が薄弱に生まれついたのかもしれない。
男のように理屈にこだわるのも、勝ち負けや価値にこだわるのも、凛々しく強くあらねばならないと思うのも、その埋め合わせなのかもしれない。そして男のように消耗を起こす。チャージや回復が必要になる。

ん? でも何故だろう、私の場合はカラータイマーじゃないな。瞬時に愛想が崩壊する。ほぼ瞬間湯沸かし器。
き、危険だ。ここまで書いてやっと気付いた。こんな危険をこのまま放っといたらヤバい。
ちょっと、これからは意識してカラータイマーを着用しよう。脳内の自分の胸に。瞬間沸騰は誰にとってもデンジャラスだ。天秤が一気に転ぶ前に点滅と警告音。一足先に対処すること。

カラータイマーを教えてくれてありがとうマヨナカ影ラジオ! 今後は以前より間一髪ほどはマシな生き方するわっ……たぶん。

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2012. 01. 12  
トトメス、ラムセス、セティ、綺羅星のごときファラオたちの元で繁栄を謳歌したエジプトも、時代の流れに逆らえない。

新たな勢力が次々とやって来た。海洋民族、そしてギリシャ、ローマ、やがてはアラブ。

アレクサンドロスあたりからアジモフ博士の筆にドライブがかかってくる。記録が詳細になってくるからか、時代が活発化するからか。

次々と覇権を他国に取り回されながら、それでもなおエジプトは豊かな地であり続けた。学術と貿易の都アレキンサンドリアを中心に。

だが、ついに何千年も保たれた繁栄も終わる時が来た。エジプトの命、全ての源、文明の支柱であったナイルの恵みをエジプトは喪ったのである。
コーランを信奉する砂漠の民は、水の取り扱いが出来なかった。運河の整備は行われず、灌漑と流通のインフラが共に破綻した。
それより現在に至るまで、エジプトは貧困の地になり、ここで話を終えたいところである、と博士は綴る。
この本が書かれたのは半世紀ほども前だ。昨年のジャスミン革命を、博士が見ておられたならどんなまとめをなさるやら。

が、博士はその後のエジプトを20世紀に至るまで大雑把に解説はなさっている。
だが、そうなると私にはもうさっぱりだった。面白くないし、理解できない。イメージが湧かないし、ビジョンも浮かばないんである。

近代になるほど、情報量は膨張し、把握するべきことが増え、物事が複雑になる。歴史が古代史であってくれるうちは心から愉しめるのだが、近代史の構造はもう私の手に負えない。脳の出来が悪すぎるのだ。ここは潔く諦めて、投げ出すとしよう。かつては歴史を根本から追えば、現代社会についての理解も身に着くだろうと期待もしていたのだが、無理のようだ。
愉しむだけなら、判る範囲内だけでもう良いや。


というわけで、今夜からはサクッと頭を切り替えて、アジモフ著「ギリシャ人」に突入。
もういい、近代史要らない。古代をうろついてる方が楽しい。アレキサンダー、アレクサンドロス、征服王イスカンダル、もうじき貴方のおそばに行くわっヾ(@⌒ー⌒@)ノ

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2012. 01. 10  
アジモフ博士によると、ラムセス二世というファラオは
「うぬぼれ王」
ということになるようだ。

確かにラムセス二世は凄かった。巨大な立像。巨大神殿。巨大なオベリスク。建てて建てて建てまくった。そして己の業績を刻んで刻んで刻みまくった。帝国と呼ぶべき新王国時代の広大な版図のあちこちにそれはばら撒かれ、あっちにいってもこっちにいってもラムセス二世の名を見ることが出来るそうな。それも、過去の王の業績の記録を自分の名前に刻み直して横取りしてまで、そうしたと。


*****************

世は強大にして至高のファラオである。
我がエジプトは遥かより来る暴虐の民族ヒッタイトどもの侵略を幾度となく押し返した。
世は常に先頭に立って闘ったのだ。
確かにヒッタイト共は易い敵ではなかった。
きゃつらは得体の知れぬ魔装を帯びておったからだ。
魔の装備に我が兵の鏃は当たらず、我が兵の盾は割られ、打ち合えば謎の力で剣をも斬らる。まこと度し難い力であった。
一度などはまさに危うい時もあった、敵の奸計により我軍は引き裂かれ隘路に追われた。
払えども払えども敵兵の数は減らず我軍は押され、雑兵共はしりぞくばかり。
だがたとえ総ての兵が背くとも、神の子にして絶大なる世だけは引かぬ! 怖じぬ! 省みぬ!
蛮族幾万ありとても、神族の力もて打ち払い、神の恩賜エジプトの威光示すもの也。
雑兵どもは逃げ去った。
世はただ一人荒野に立ちて瞑目す。
迫り来る幾万幾千の蛮族の波。
だが誰一人として世の敵にあらず。
神剣の一振りで100人が散り、一薙ぎで1000人が慄き、世の一歩につき敵陣が一尋しりぞくのだ。
打ちかかる弓を右に左に打ち払い、蛮勇の将の首も一打ちし、敵の波をば草むらの如く断ち割って微塵とした。
世の猛勇に兵どもも勢いを盛り返し、一気に大逆転としてやったものよ。

*****************

あーもー、そーゆーのいいから。
大法螺吹きの自慢厨、誇大妄想ぶっこきまくりのうぬぼれ中毒厨二病野郎ってのがそんな古代にもやっぱり居た、って事実だけでお腹いっぱい。ギルガメッシュの時代から居るってのは知ってたけど。



とは言え実際のところ、ラムセス二世は大変な巨躯であったこと(183センチもあった。当時の平均身長を20センチ以上超える)、平均寿命が40歳程度の古代に90歳まで生きたことなど、驚異の生体であったことはミイラによって裏付けがある。真実、戦闘力はあったのだろう。誇大な無双妄想も少しは仕方ないことか。

ヒッタイトは当時世界のどの地域よりも先駆けて鉄器を使っていた民族。武器と言えば青銅が常識の時代にこれは相当なアドバンテージだ。
ラムセス二世はヒッタイト戦を大勝利であったかのように喧伝したが、実際は痛み分けでしかなかった。幾度も戦いあい、やがてラムセス二世がヒッタイトの姫を后に迎えることで世界初の和平条約が成立した、となっている。

なお、旧約聖書の出エジプト記、モーゼの時代のファラオがこのラムセス二世であった、とも言われている。
ラムセス二世の時代を絶頂として、この後エジプト帝国は下降を始め、やがて帝国版図は瓦解し、二度とこの時代に並ぶ栄光を取り戻すことは無かった。



いやーそれにしてもラムセス二世、子供の数が「111人の息子と69人の娘」って、はぁまぁ、良いけど。大半は養子かもしれないけど、どんだけハーレム? 確かに破格の人物だったのだろうけど、こうどこまでも話が出来過ぎていると、全体が胡散臭くなってしまうのもむべなるかな。

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2012. 01. 09  
エジプトも新王国時代に入り、トトメス三世、四世の治世を経てますます繁栄を極めてくる。
ファラオの名がアメンホテプとなり、なにやら、突然にとんでもない事態がやってきたらしい。
エジプト史の流れは悠久という言葉がピッタリのマッタリ具合で、変化変貌が少ないのが特徴だ。特に文化方面においてそれは顕著に思える。
だからこそ、BC1300頃にいきなり訪れた激変はあまりに異様なのだった。
それこそ、いきなり宇宙人とか未来人でもやってきたのじゃあるまいか、とでも妄想してしまうくらいに。
それまでのエジプトの在り方を根本から覆してしまおうとしたファラオが居たのだ。それはもう徹底的に。
一体何が起こったのか。
何が彼をそうさせたのか。


時のファラオはアメンホテプ四世。
彼はそれまでのエジプトが固く守り続けてきた大いなる信仰を破壊し始めたのだ。

エジプトの神々は多彩な存在だった。鳥の頭の太陽神ラー、雌獅子頭のテフネト、猫頭のバステト、犬頭のアヌビス等々。見事な多神教である。日常の隅々まであれこれと神の支配があり、何事にも神官の指示や差配が必要であり、それゆえ神官の権力は絶大だった。それはファラオの王権すらも凌ぐことすらあった。

アメンホテプ四世はそれが国の発展を妨げる元凶と思ったのかも知れないし、あるいはより個人的な思念としての理想にこだわったのかも知れない。

とにかく彼はファラオの全権をもって宣言したのだ。
「神はアテンただ一つ」

アテンとは太陽のことである。だが太陽神ラーのことではない。人の似姿は持たない。砂漠を煌々と照らす円盤、降り注ぐ光、その光すべてが世にあまねく差し伸べられる神の御手であり、それだけを信じ敬うべきであると。

このページには、彼が書いたとされるアテンを讃える詩の翻訳がある。


世界を創り、総てをもたらし、総てを行う唯一神。
その存在は王の心にあり、それを知るのは王のみであり、神の息子たる王が神の意思を伝える、と。

エジプトの神々は否定された。偶像崇拝は禁じられた。アメンホテプ四世は名前をアクエンアテン(アテンの愛し子)と改名し、首都テーベを捨てて新都アケトアテンを建設する。

新たな信仰のもと、国も都も文化も変わらねばならなかった。
いくさは忌み嫌われた。世界は神の愛のもと、平和であるべきだった。
帝国の外周では常に異民族の侵入があり得たのに、王はかえりみなかった。
王は新たな秩序と美を要求した。
エジプト古来の様式美もまた、捨て去られなければならなかった。
「ありのまま、目でみたままに創るのだ」と。
そして、エジプト美術に劇的な変化が起こることになる。写実的で動的な、アマルナ様式と呼ばれる新機軸である。
それまで平面的で画一的で理想的なラインしか持ち得なかったエジプト美術。

たとえばこんな風に。トトメス三世の像である。

r-muse5.jpg

そしてこれ。アメンホテプ三世、つまりアクエンアテンの直前の王の像だ。

lrg_21016809.jpg

プラトンに「エジプトの美術は1万年変わり映え無し」と言わしめた悠久の様式があったわけだ。

だが文明度の豊かさゆえに、芸術家達の技術は高かった。そこに新王の「リアルに作れ」という命令である。
たちまちのうちに高度な写実主義が実現した。
当のアクエンアテン王の像そのものに、その主義は克明にあらわれている。

まぁいきなり、これである。

Pharaoh_Akhenaten.jpg

muse10.jpg

異様に細長い鼻梁と輪郭。だらしなくたるんだ下腹の脂肪。美しくない。力強さもない。だが驚くほどに生々しい。
「王は神と同一であらねばならない」という命題の元、どこまでも理想的に美しく威厳のある容貌で描かれ作られた従来のファラオの姿を思うと、このいきなりの仕様変更はまるで別世界か別時代のものでもあるかのようだ。

この新機軸美術は、新都の現地名をとって「アマルナ様式」と呼ばれている。

そしてアマルナ様式美術の最高峰とも言えるのが、アクエンアテン王の后であったネフェルティティの胸像である。
エジプト三大美女の一人に数えられる美姫、「遠くから来た美女」という意味の名のネフェルティティ。その胸像は今ドイツにあり、ベルリンの至宝と讃えられている。とくと御覧じよ。

a0130534_828575.jpg

なんという美。圧倒的な存在感。威圧的なまでの生命力。
アマルナ様式は、明らかにそれまでのエジプト美術と次元の違う存在だと私には思える。

だが、この様式は長続きはしなかった。あまりに急過ぎた変革は激しい反発を生んだ。新宗教と新文化に耽溺していた王の治世は国力を衰亡させ、帝国の版図を縮小せしめた。アクエンアテンの死後、エジプトは急速に旧来の仕様に逆行してゆく。

新都はたちまち見捨てられた。迫害された神官たちの怒り恨みは甚だしく、アクエンアテンの名と業績は片っぱしから削られ消去されていった。アマルナ様式も霞のごとく消えた。アクエンアテンの弟なのか息子なのかはっきりしない謎の存在、スメンクカーラーが次代の王となり、僅か3年でツタンカーメンに王座を譲る。ツタンカーメンとは「アメン神の生ける似姿」という意味の名であり、旧来のエジプトファラオの神、アメンへの帰依をはっきりさせたものである。

遠来の美后、ネフェルティティはその名の通り、エジプトの首都を遠く離れたミタンニ国の姫であったとも言われているが、ともかくも謎が多い。王に一神教の概念を吹き込み、宗教改革を率先したとも言われている。追放されたという説、姿を隠し、実はスメンクカーラー本人でもあった説、ツタンカーメンを養育し、影で実権を握った説、諸説入り乱れて入るが、結局はなんだかよく判らないようである。数年前にミイラが発見されたという報道もあったらしいが、確定でも無いようだ。写真を見るかぎり、骨格が一致するようにも思える。今後の研究が待たれる。とにもかくにもアマルナ様式は美しい。そしてネフェルティティの像は素晴らしすぎる。これに逢うためにベルリンに行きたくなる、それくらいの力は持っている。

悠久の文明にもたらされた突然変異の時代。煌く一瞬の光芒のようなもの。
そしてそこで崇められた唯一神アテンの信仰が後代のヘブライ人に影響を与えたという説、私には絵空事とは思えないのだった。ヤーヴェの源流ここに有り、なのか。

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2012. 01. 07  
アジモフ選集「暗黒時代」が終わったので、遡って最初から。「エジプト人」なう。
カール大帝のまとめもしたかったけど、いまいち詳細が不明というか、燃え要素が足りなかったというか。

でも萌え要素はあった! ある程度戦乱が落ち着いて覇権が定まってから、一生懸命お勉強を始めた、というあたり。
毎晩教材を寝床に持ち込んでまでアルファベットの手習いをする大帝陛下。でも武器にばかり馴染んでいた無骨な指には石版の扱いはとても辛かったのか、そのまま寝てしまうこともしばしば……そう、石版。紙なんてモノはとっくにロストテクノロジーだよ! 暗黒時代は伊達じゃないよ!……それはともかく、フッサフサの銀髪と髭とゴツゴツ石版と枕や布団がごっちゃになったカオスでグーグー寝ちゃってる中年皇帝の図なんて……萌えませんか? 萌えますよね?!


それはさておきエジプトである。
エジプト文明というのがとにかく長期に渡るものであることも含めて、ピラミッドや横向き絵画や神聖文字などの茫漠としたイメージしか無い脳には、地名などを出されても位置関係などがよく判らない。イメージが浮かばないと読むのにもつっかえる。
そこでiPadで地図を出してズームアップなどしながら参照してみた。いやぁ捗る、捗る。
アジモフの軽快な解説ですこぶる快適な過去エジプト訪問となった。いつもながら素敵なデートですわ、博士。


いまより遡ることざっと一万年ほど前。氷河が後退して、ナイル川周辺に人類がやってきて住み着いた。
BC4500ごろ、ミーリス湖の周辺に石器時代の集落があったことが確認されている。
最初の王朝が表れるのはそれから1300年ほど後。王の名はメネス。ナイル川一体を取りまとめ、ここにエジプトという文明圏が統一される。

ナイル川の恵みは豊かであり、氾濫後の泥土に種を蒔くだけでやすやすと食物は実った。川の水位を測ることで、エジプト人はそこに厳格な周期があることに気づいてゆく。
こうして人類最初の太陽暦が生まれた。これがBC2800ごろ。
暦による耕作管理によって収穫量は上がり、生活はますます安定し、王朝は繁栄した。BC2650あたりから王権の誇示のために、巨大な石造りの墓の建造が始まる。そのころ、パピルスも開発される。偉大なるメディア革命。

エジプトにピラミッド建築ブームが到来した。BC2580、クフ王のピラミッドによってその技術は頂点を迎えた。あれはざっと5000年近くも昔のものなんだな。改めて考えるとゾッとするほど凄いな。

が、ほどなくエジプトに衰亡が訪れる。エスカレートしたピラミッド建造競争は国力を削り、内乱を引き起こし、BC2180頃、エジプト古王朝は一旦滅び、100年ほどの暗黒時代を呼び寄せた。

テーベを中心に再び国土が統一され、中王国時代となったのがBC2052頃。
この頃の王は巨大なピラミッドよりも複雑な地下構造の方が墓所の盗掘を免れるのに有効と考えたらしく、想像を絶するような巨大地下迷宮(ラビリントス)を作ったりした。この建築の噂は地中海にまで伝えられ、ミノタウロス伝説に繋がっていったと考えられる。
なかなかに繁栄した中王国だったが、BC1720頃、いきなり滅んでしまう。

遥か東北から、ヒクソス人が押し寄せてきたのである。草原育ちの馬に引かせた戦車に乗って。
悠久の実りをまったりと満喫していたエジプト。車輪の存在も知らなかったエジプト。
怒涛のスピードで迫り来る馬と戦車、槍や弓を振りかざした荒々しいライダーたちの存在に抗う術などあるはずも無かった。
エジプトは蹂躙され、以後150年ほどもヒクソス人の支配する土地となる。

が、エジプトは逆襲した。かつての侵略者のメインウェポン、戦車を逆に使用してヒクソスの王朝を打ち倒し、主権をエジプト人に取り戻す。BC1570、新王国時代の幕開け。

エジプトは生まれ変わった。
もはや悠久にして唯一の世界、という夢にまどろんでいる場合ではなかった。
世界は広大であり、そこかしこに勢力があり、気を緩めればたちまちとって喰ったり喰われたりする、アグレッシブなものだと知ったのだ。
いくさに革命をもたらした戦車という新技術でもって、猛々しく打って出るエジプト。西へ、東へ、そしてナイルを遡って南方へ、領土を拡大していく。
かつては神官であり、神そのものでもあった王に新たな面が追加された。兵を率い、勝利し、富を持ち帰る将としての面である。
王の称号は刷新された。
巨大で壮麗な王の住処。宮殿。大きい家、という意味のペルオー。すなわち、「ファラオ」である。

BC1545、新たなファラオが即位する。アメンホテプ一世。彼の軍勢は西は現在のリビア、東はシナイ半島を超えてカナーンを、南は現代のスーダンである「ヌビア」に及んだ。その規模は帝国と呼ばれるに相応しい広大なものだった。

アメンホテプの次に即位したのはトトメス一世。


……こーゆーものを持ち出すなヽ(`Д´)ノ!

トトメスの軍拡はさらに進み、ナイル流域3220㎞を領有し、東においては地中海東端海岸を占拠し北上、シリアを突破し、なんとユーフラテス川上流カルケミシュまで占領し、支配の石柱をぶっ建てる。

トトメス一世に率いられたエジプト兵はユーフラテスのほとりで信じられないものに遭遇した。
「空からナイルが落ちてくる!」
「川が南に向けて流れている!」

エジプトは砂漠の国。そこには今に至るも「雨」という言葉は存在しない。水(ナイル)が空から降ってくるさま。北に向かうべき流れが逆しまになるさま。どれほどの驚天動地だったろうか。異次元にでも連れてこられたような気がしたのではなかろうか。なんと遠くまでエジプトの版図は広がったことだろう。

偉大なるトトメス一世。その墓所はもはやピラミッドではなかった。それはあまりに目立つため、盗掘を免れない。彼は墓所を隠すことにした。首都テーベ(現ルクソール)の西岸にある岸壁に入念に穴を掘り、その奥底に自らを葬ることにした。
その後の王族も彼にならい、その地にいくつも岩窟墓が掘られることになる。有名な「王家の谷」である。
だが、トトメスたちの苦心は無駄となった。ありとあらゆる防衛手段を突破して盗賊は墓所を略奪した。奇跡的に盗掘を免れた墓所はたった一つ。かのツタンカーメンの墓である。


トトメス一世の遠征によって空前の規模となったエジプト帝国。その王権を継いだのは息子のトトメス二世。が、その治世は短期だった。息子のトトメス三世が続いて即位する。が、彼はまだ幼かった。摂政として実権を握った人物は、王の叔母にして義理の母。トトメス一世の娘であり、腹違いの兄と結婚したハトシェプストだった。

人類史上最大にして最強の帝国を支配した、大女王の登場である。バビロンのセミラミスよりなお遡ること600年。史上最初の女傑と言えるだろう。


*****************

アジモフ博士がこのエジプト人解説を書いたのは1960年代。
wikiによるとハトシェプストのミイラが現存することが確認されたのは2007年。
ついこの間である。
博士が現代に生きておられたなら。
彼女のための記述をもう何行か追加してくれただろうか。

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2012. 01. 06  
なにやら「ステマ」で喧しい。

ステマとはステルスマーケティングの略語。

ステルスマーケティングwiki

それが宣伝であるとは消費者に気づかせない形で宣伝をすること。



*****************


「以前九州電力がやったメール工作ってのは?」

相手が消費者では無いので、ステマとは言えないのじゃなかろうか。

「ハリウッド映画が制作費を賄うために色んな企業の商品やサービスを画面に写すやり口は?」

タイアップ、というやつですな、あまりにも昔から常識化していて、今更騒ぐようなことでも無い。

「感動のドキュメンタリー映像だと思って観ていたら、最後に製品が登場してくるやつは?」

CMだとはっきりしているのならばステマとは言えなかろう。

「匿名掲示板でスレ立てして煽ったり火消ししたりを社員がやっている場合は?」

そんな事例があるかどうかの確証は持ってないけど、もしあるとしたらステマでしょうな。

「『そちらの企業がネット検索の上に来るようにいたします』という電話が来たんですが」

それこそがGoogleのお商売そのもの。ステルスでもなんでもない。

「Amazonとかのネットショップで口コミやレビューを捏造するのは?」

匿名掲示板同様あるかどうか以下同文。

「『お店を開いたよ、ブログやTwitterで拡散しておくれ』と友人知人に頼むのは?」

ステマだと思う。が、あまりに規模が小さい場合、そんなことにまでケチを付けることこそケチの所業だろう。言葉の定義としては当てはまるとしても、怒ったりなじったり非難したりすることに価するかどうかは良識の尺度で判断すべきじゃないかな。

「意図的に流行りを作り出すために、実力も人気も無いタレントをゴリ押しさせまくるのは?」

ステマだと思う。そして私個人はそういうものは身の毛がよだつほど嫌いだ。だがそんなことは何十年も前からテレビなどでは当たり前のように行われており、常識化している。多くの人がそれをずっと受け入れてきた。あえて煽られ乗せられることも娯楽の一部となっていたのだろう、と想像する。
だけど私はそういうのは嫌いだ。なので、テレビは見なくなった。
さて、私は少数派だろうか? 希少種だろうか?
なぜ、現在、テレビ業界はこんなに不振なのだろうね?


メディアの主流はテレビや新聞や雑誌などからネットに移ろうとしている。
当然のこととして宣伝戦略も変わっていく。ステマがホットワードになっているのは過渡期に浮かんで消える泡の一つの如しだと思う。

果たして、本当に問題とされるべきはなんだろうか?
ステルスであることか。
それともマーケティングそのものか。
マーケティングが必然となっている資本主義経済社会そのものか。

ステマステマと言葉尻だけ捉えてヤイヤイ言って、それでスッキリできますか? 
社会正義を果たしたような気分になれますか? いやいや私にゃ無理ですね。

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2012. 01. 04  
近所のブックオフにて、タイムサービスで半額セールをやっているというので覗いてみる。

「ジョブズの伝記、安く買えないかしらんランラン♪」

残念ながらそうは問屋が卸さない、置いてない。
それにしても混んでいる。いつも繁盛してはいるのだが、普段の倍以上の人がいる。
最近は書籍の値段が高い。読書好きの私も最近は図書館通いばかりで、本を購入する機会は激減した。売れないからますます高くなる、というのは判ってはいるのだけれども。
だが、やはり本が好きな人は多いのだ。安く手に入るなら、やっぱり人は喜んで本を得るため動くのだ。

ジョブズの伝記はまたの機会を待つとして、では以前から読みたかった漫画家さん、「水城せとな」さんの本を探してみよう、と探索開始。

黒薔薇アリス」の1,2巻しか置いてなかった。とりあえず入門、という感じで購入。

面白い!
聞きしにまさるセンスの良さ。美しい描線。ロマンにけぶる色使い。そして独特の妖艶さ。
いかにも少女漫画らしい美麗さの影に、シビアで冷徹な空気が漂っている。これは稀なる個性だと思う。
ともあれ、2巻くらいはあっという間に読みきってしまったので、続き! 続きを早く!

「そう言えば近所のTSUTAYAでついにコミックレンタルサービスが始まったはず!」

TSUTAYAカードの期限は切れたままだったが、レンタルコミックがあるとあっちゃぁ黙っていられない。身分証明書を携えイソイソとお出かけ。ワラワは水城せとなの本が所望じゃ!

……な、無い。いや、無いのじゃない。スッカラカンなんである。ほぼ貸出中なんである。人気あるなぁショコラティエ
黒薔薇アリスは蔵書そもそもが無いようなのでこれは別になんとかしなければならない。でも短篇集らしい「俎上の鯉は二度跳ねる」は見つけたので借り。

他に「大奥」の未読分も。この更新が終わったら読もうワクワク。

そういえば年末に「もやしもん」の8と9もあったんだった。もやしもんはとにかく読み始めると止まらない。知識が広がっていくあの感じが堪らないのだ。子供の頃、学習まんがを夢中で読み耽っていた感覚を思い出すのだ。これもまた、読んだら生き方が変わってしまうたぐいの本だと思う。



なんか、久しぶりに漫画三昧、という感じ。

マンガは、普通の書籍以上に買わなくなってしまっていた。なにせ一冊あたりの愉しめる時間が短い。そして場所を取る。コスパが悪い趣味になってしまったので、どんどん離れていったのだ。

だがやっぱり良いマンガは快楽的だ。丁寧に心を込めて描かれた絵と物語の味わいは、私にとって無上の幸福である。


TSUTAYAのコミックレンタル料金はビックリするほど安かった。反面、ちょっと心配にもなる。こんなに安く本を読まれたりしたら、作者はたまらない思いをするのかも知れないな、と。

しかし現実問題として、我が家の経済状況ではもう本当に新刊には手が出ないのだ。本が欲しくなっても買えないのが辛いので書店にすら行かなくなったほどだ。
一方、電子出版に目を向けてみると、私の感覚ではまだまだ高価だ。たかだかデータにあれほどの金額は出せない、と断固として思う。ただこの方面は、インフラが整い需要が増えれば一層のダンピングはあるはずだ、と期待は持っている。

それにしても、硬すぎる私の財布の口すら開けてしまうほどの、TSUTAYAのビックリ料金。従来の貸本屋の相場や、漫喫の料金などと比較しても激安だ。どういう企業努力でここまで下げられるのやら。
そしてこのシステムは一体どれほどの還元を描き手にもたらせるのか。
もしかしたらただの焼畑農業でしかなくて、直ちに不毛の荒野が残るだけになるのか。正直、良く判らない。判るのは、従来の出版事業は滅びに瀕しているということくらいだ。書店、というものの命運もまた然り。
だけど、日本人はやっぱりまだまだ「読むこと」が大好きなはずなのだ。
なにかしらのドラマティックな変貌によって文化としての衰退が回避されるよう祈るばかりである。

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2012. 01. 03  
新年早々、岡田斗司夫氏がブログでロングインタビューを公開なさっている。

かなり長いので覚悟の上ではい、クリック!

凄く読み応えがあり、しかも面白い。
女性向けの対談ではあるけれど、むしろ男性に読んで欲しい。

特に、口先だけは立派だけど実際の行動が伴わないタイプの男性に是非読んで欲しいものだ。


とは言え、実は私は判ってる。
そういうタイプの男性はそもそも

こういう「男の真実」の暴露からは全力で逃げたがるし、

あるいは認知しようとしないし、

あるいは都合よく曲解するし、

あるいは逆ギレして暴れるし、

あるいは女性蔑視を深めるし、

兎にも角にもそういう「真実」から逃避するためにありとあらゆる屁理屈をこねあげる。
つまり、ほとんどの場合、なにを言っても無駄なのだ。

だがそれでも、100人に読ませて99人に無益としても、1人くらいは救われる人がいるかもしれないし、それで充分な成果と言えると思う。




私は随分と昔から、延々と世の男たちに騙され続けてきたのだなぁ、と慨嘆する今日この頃。
それこそ物心ついて以来ずっと
「女はバカだ」
「女は低能」
「女は劣等」
「女は感情的だからダメ」
「女は弱いからダメ」
「女は論理が無いからダメ」
「女は穢れ」
「女はワガママ」
「女は見栄っ張り
「女は打算的」
「女は嘘つき」
「女は嫉妬深い」

エトセトラ、エトセトラ

どれほどの非難と貶めとはずかしめを受け続けてきたことか。
どれほど自分自身をダメな存在なのだと刷り込まれてきたことか。
そして「だから男の奴隷でいるべき、それが女」と信じこまされてきたことか。

だが実際はどうだ。
見れば見るほど、知れば知るほど、男の方こそが実は惰弱で感情的でワガママで打算的で嫉妬深く見栄ばかり大事にし、嘘を屁理屈で誤魔化してばかりいるではないか、と判ってしまった。

男たちが私に語り続けた「女のダメさ」は、その実は男のダメさの投影だったのだ。
それをそのまま丸々飲み込んで信じて
「じゃあダメでない人になれば良いんだ、勉強して研究してせめて「バカでなし」でなくなれば、少しはダメとは言われないんだ、論理的な人になれば良いんだ」
と努力を続けてきた私の人生は。

一体何だったのだろう。

賢くなるつもりで、逆にバカになる道まっしぐらだったんですかね?w
困ったことにこれが否定できない現状だ。
確かに論理性は少しばかり身についた気もするが、若いころに比べて遥かに心や発想の自由さ、柔軟さを喪った、とも感じていたからだ。老いて、脳が衰えたせいだとも思っていたのだが。

そして更に困ったことに、もう元に戻れる気がしない。
女に産まれながら、雄々しくあろうとして、なんだかわけのわからないカオスを抱え込んだ老境。
そしてそれが実はけっこう気に入ってしまっているのだ。
明瞭と不明瞭、統制と混乱、情緒と論理、陰と陽。総ての両極が絡みあってウロボロスの蛇のようになっている様が、実は気に入ってしまっているのだ。
あちらこちらと視点を切り替えて物事を見たり考えたりできることに、ささやかな満足も得てしまっているのだ。

酷い目にあった人生という気も確かにするのだけど、機嫌の良い時はそれが優位とも感じるわけだし、もうそれでイイじゃんか、やり直すのも面倒くさいし、とも思うのだった。

ええもう、このままいきますよ。
都合の良い時だけ女になったり男になったりしてやるわさ。所詮は、女も男もいずれ人間。求めるものは己の価ばかりなりけり、なのだから。

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2012. 01. 01  
 平成24年(2012年)となりました。
 皆様、旧年中は色々とお世話になりました。
 本年もなにとぞ宜しくお願いいたします。
 今年一年、皆様にとりまして良い年でありますように。
 およそ簡素ではございますが、これを持ちまして総ての新年のご挨拶に代えさせていただきます。

 昨年は義祖母の逝去、そして大災害によって多くの方々が苦難を被られた哀しみの年であり、年が変わったとはいえ浮かれる気持ちにはなれず、祝いの言葉は控えめにさせていただきたく思います。


*****************


そして元旦早々、包丁で右手指をざっくり切って流血沙汰。
外出していて気づかなかったが、震度4の地震もあった模様。

これにて厄落としとして、安泰な年になるように願う。
キーボードが打ちにくくて仕方が無いので、今年初エントリはこれにて終了。とほほ。

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プロフィール

星 ゆう輝

Author:星 ゆう輝
人生50年、オタク歴40年弱、母親業四半世紀。老眼とボケが迅速に進行中。麗しいロボ執事をはべらせるのが老後の夢。

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