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2012. 06. 28  
読書もはかが行かないようになってきて、たった一冊の本を物凄く時間をかけてダラダラ読んでいる。
正確には上下巻なのだけど。

「銃・病原菌・鉄」という本。

人類史を有史以来からなぞって、文明の発祥や差異について解き明かす書。
扱うデータが広範過ぎて、読むには歯ごたえがありすぎる。が、猛烈に面白い。有無を言わさぬ説得力に満ちている。
そして、人類文明ってものが何よりも環境に左右されてきたという事実が明確に浮き彫りにされる。
人種的差異だの宗教的差異だの、そんなもの吹けば飛ぶような木っ端に過ぎない、とまで思える。

なによりも大事、重要であるのは食い物。
食い物のためにこそ、文明は存在する。

生きること、存在することってのは、すなわち食うことなんだなぁ、と当たり前のようだけど、さらに深く判る本。

あと、食うことが一番の基本だとして、次に大事なのが、健康。
病原菌の猛威がどれほどの虐殺をやってのけたのか、この本を読むまで実感がなかった。
北米大陸、南米大陸、オーストラリア大陸。
この三つの大地にひしめいていた原住民の無慮95%が、侵略者の持ち込んだ病気で死んだ。
9%じゃないよ。
95%だよ!

あなたに100人の友人知人がが居たとして、そのうち5人しか生き残らない状況を想像してみて欲しい。他のみんなが、鉄砲や剣で殺されたのじゃなく、勇敢に戦って死んだのでもなく、ただ単に急に具合が悪くなってあっという間にバタバタ死んでいく、と。
いったい、どんな地獄絵図なのやら。

なぜにそこまで凶悪な病原菌がユーラシア大陸には在って、新大陸にはそれに対する抵抗力が無かったのか、ということも本書ではキッチリ解説されている。

今まで読んできたどんな歴史書よりも広範で、意外で、目からウロコがボロボロ落ちる本。視点の多様さと網羅された知識の量、壮大過ぎる考察とその実証。スケールの桁が違う。
あと2章で読了だが、読み終えるのが惜しい本。
でも、図書館の期限が来てしまうから読まないとならないのだわな。

そして、日本という国がやはりどれほど特異で奇妙な国であるのか、が反証的に浮き彫りになる書でもある気がする。
特に、日本語。
言語について割かれているページ数はけっこう多いのだが、その部分だけでも読んで損無し。
本当に、日本と日本語って、アメージングだ。

雨ばかりの今年の梅雨はなかなかウンザリだけど、オーストラリア大陸の信じられないほどの乾燥っぷり、その過酷さを知ると、湿潤のありがたさが身にしみる心地。水は生命の源よねぇ。

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2012. 06. 25  
私の親の世代には、戦争中の体験を武勇伝として語る人が居た。
もちろん、大層ウザかった。

この頃は、安保闘争などの学生運動の体験を武勇伝として語る人が割りと居て、若い人たちにウザがられているそうな。
上の世代がドヤ顔で語る武勇伝なんぞ、漏れ無くウザいものだろうとは思うのだけど。

私の世代、武勇伝なんてあるだろうか?
オタクになら若干はあると思う。銃剣振り回したり、ゲバ棒振り回したりなどという荒事チックな勇ましいものではないけれど、周囲の無理解や蔑視をものともせず、既存の価値観にキッパリと背を向けて、己が価値ありと信ずる好ましい世界の探求と創造に邁進してきた、というささやかな誇りくらいは同世代のオタクなら大なり小なり持っていると思う。
とはいえ、それを尊大な態度で若いオタク相手に振りかざしたりした日には、思いっきり嫌われるのは当然でしょうな。老害なんて言葉は伊達じゃない。

オタクじゃない同世代の人達の武勇伝って、どうなるんだろう? バブル時代にあんなことしたコンナことした、あるいは学生時代にこんなに猛烈に遊びまくった、みたいな感じになるのだろうか。んー、ちょっと想像つかない。

その下の世代になると、どんな武勇伝になるのやら。
もしかして、コンピューターゲームが共通意識のベースになるのかもしれない。あんなプレイをした、こんなにやりこんだ、的な自慢のしあいが武勇伝代わりなのかも。ゲームのキャラがアバターとなって、文字通り様々な戦いを繰り広げ、世界の危機を何度も救っているわけなのだから。

そしてさらに下の世代になると、それがもっと先鋭化しているかもしれない。対戦ゲーム、ネットゲームの登場で、リアルな存在が相手の対人戦が生活に入り込んでいたろうから。


さて、それよりもっと更に下の世代。今、学生をやっている世代。
さぁ、果たして彼らにどんな武勇伝があるのか。
武勇伝。
それはすなわち、世代間共通体験、共通知識に基づいた自慢という名のコミュニケーション。
今の学生にとって、そのネタは何だろう?


これが、どうやらほとんど無いも同然らしいのだ。
デジタル・ネイティブと呼ばれる世代。生まれた時からインターネットとデバイスに親しみ、行動情報化社会を当然として生きる世代。
彼らにとって、情報や趣味、コンテンツの選択肢はあまりに多い。
なので

「みんなが観ているから自分も観なくちゃ」とか
「とても話題らしいから知らなくちゃ」とか
「これに乗らなきゃ置いてけぼりにされちゃうから」とか

そういう意識で物事を選びとる、という行動原理をあまり持たないらしいのだ。
あくまで自分個人の気持ちを第一に、自分独りの好みを大事にし、流行っているからといって興味の無いものに飛びつくような手間をかけない。
そんなに「他のオススメ」なんぞに貪欲にならずとも、いくらでもコンテンツは溢れているのだから。

ある意味、豊かさこそが人を孤立させゆく、という状況なのかもしれない。
知らない者同士が顔を合わせ、なんとか会話を成立させてゆく共通イメージ、共通意識みたいなものがどんどん希薄になって行く世界。
それが行動情報化社会が必然として持つ側面であるらしい。

そういうことに漠然とした危惧を抱きながらボーッと考えていたら、キッパリとした予感が閃いた。
遠からず、宗教が復権するだろう、という予感。
人間は人間である以上、他者との安定した共通意識無しでやっていけるものではないから。
とことんまで希薄になった次に来るのは、絆や相互救済を求める怒涛のごときムーブメントだろう。

既存の宗教の復権、あるいは一見宗教にはまったく見えない新興のシステムの勃興。このどちらか、あるいは両方が遠からず潮流となってやってくるだろうと思う。


願わくば、それらが伝統的なボッタクリ構造をそのまま引きずって現れる、なんてザマじゃありませんように。

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2012. 06. 24  
大好きだったFate/Zeroのアニメ、ついに完結。終わってしまうとはなんと淋しいことだろう。しばらく当分、これほど心に響く、心に叶う、私の個人的な多くの理想を満たしてくれる作品には出逢えないだろう、そう思う。

特にライダーとマスターとの関係の推移のドラマは一部の隙もない完璧さで、物語とはこういうものなのだよ、とお手本としてばら撒きたいくらいのものだった。

とは言っても、阿呆な私自身が、あのエピソードの完結を見てようやくそのことに気づいたのだけど。ああ、物語ってなんだろうってずっと思ってきたけれど、そしてどうしても掴めなかったけど、やっと納得したわあ、みたいな。

そして、言峰綺礼の開眼後のドSっぷりがサイコーだった。中田譲治氏の底深い熱演が、とんでもない悪徳に華やかな色を添えていて、この上ない美酒のようなキャラになっていた。渋みが強すぎて、とうてい万人向けとは言えない魅力の酒だけど。

さて、これも今日ネットで拾った拡散希望のネタ。ただし、Fate/Zeroを最後まで視聴した方限定ですが。

海外の感想をまとめたサイトらしい。
「素晴らしいアニメの素晴らしいラストだった」

スレッドの半ばほどに貼られているコママンガがこれまたなんとも。
夫婦揃って狂ったようにワロタ、秀逸過ぎるw

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2012. 06. 24  
iPadなんて便利デバイスが手元にあると、ついついネット徘徊ばかりしてしまう。

今日は特に楽しい物件に出会ってしまったので拡散したいのだった。

コレ↓
「四次元殺法コンビの秀逸なコピペ貼っていく」

次から次へと繰り出される名言の数々。思わず人生が軽やかになりそうだった。

私的トップワンは、やっぱこれかな。


良い子の諸君!
平等が云々と主張する奴はみな自分よりも
上の人間との平等を求めているだけだ! 
こんなんだから世界はいつまでたっても格差社会なのだ!
まあ本当に平等にされたらたまったもんじゃないがな!
 


人間に平等というものがあるとしたらばそれはたった一つ。
生きてるからにはいずれ死ぬ、この一点のみだろうと思う。

いや、たぶんさらにもう1つ。
生きるためにはコストがかかる、ということも。

必ず死ぬからこそ、人間は必死に生きようとする。(なにやら言語として妙な気もするw)
必ずコストがかかるからこそ、奪い合いが起きる。あるいは取り引きをする。そして不足分を埋めようとする。さもなくば死ぬ。弱いものから死んでゆく。

どこに富があり、どこに得があり、どこに差異があるのか。それを意識するのが人間の本能。
平等なんぞ、実は誰も求めちゃいないのだ。
平等という言葉の真実は、

「自分の値打ちが下がらない状態」

たいていの場合はこれに尽きる。

だからこそなのか。
人間は、自身の価値や生命を無くしてでも、誰かのためにそれを使おうとする人が大好きなようだ。
そういう物語が大好きなようだ。
そういう行為は、多くの場合「愛」と呼ばれる。
みんな愛が好きだよね?
つまりはみんな、平等なんか実は嫌い、ということ。

いやそうじゃない、そんなの間違ってる、ということならば。
愛と呼ぶモノの定義から問い直さないとね。あるいは平等の意味を。

高いは低きに流れ、エントロピーは常に拡大し、すべては均衡を目指し、やがて一切合切が熱的死に至る。
宇宙がそこまでいってようやく、平等の名に相応しいものが顕れるのかもだし、平等すなわち死なのかもしれないわな。

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2012. 06. 22  
招待メールが届くまで1~2週間かかるとのことだったのでノンビリ待つつもりでいたのだけど、もうキタ\(^O^)/

さっそくログインして(Facebookでイイネ! を押すのが最初の手続き)、ハンドルネームを入れる画面に進む。

はた、と脳内で立ち止まる。
そういえば、当時のニフティサーブで登録していたのは「星ゆう輝」じゃなかった。
「おぶりん」だった。
この名前をもじってゲームのキャラ名にしたり、このブログの登録名にしたりしていたはずなんだけど。

何故だろう、このかつてのハンドル、ひらがな四文字を見ただけで、いやさ思い浮かべただけで、なにやらイヤな汗が出る心地。

それは多分、学生時代の雑記帳なんぞを押入れの奥から発掘した時に流れる汗に似ている気がする。
どれだけ自分が幼稚で痛い人間なのかを再確認させられる文字列。
とりあえず、かつてのハンドルはあまりに痛いので、星ゆう輝で登録をして、ログインしてみる。

さてさて、どのフォーラムに居たっけなぁ、リストはたくさんあるけれど、私自身はそんなにアチコチを渡り歩いていたわけでもなくて。FCOMEDYとかSGAINAXとかフォーラムじゃないけど天狼PATIOとか、まぁいくつか……。

ざーっと流れていく会議室名を眺めていて、瞬時に悟った。
どれほどの年月が流れ去ったかを。
そして、もう決してあの頃に戻れはしないのだ、ということを。

ほんのしばらくうなだれて、そっとブラウザのページを閉じた。


昨日はFacebookに┐(゜~゜)┌ヤレヤレ 
今日は自分自身に┐(゜~゜)┌ヤレヤレ
なのでありました。

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2012. 06. 21  
既に本名でアカウントはあったけど、ほぼ凍結状態だったFacebook。

今日、このブログの名義で登録し直しをしてみた。
ニフティサーブが25週年記念で限定開設されるとのことで、懐かしくなったというのもあるし。
「星ゆう輝」の名はニフティの記憶と密接に繋がった、思い出深いものであるから。
招待状、早くこないかな。


未だに、FacebookよりもGoogle+の方がお気に入りだし、後者の方に伸びてきて欲しいと思っているのだけど、時代の趨勢はどうやらとどまること無くFacebookまっしぐらのようだ。新しいiOSでは標準搭載になるようだし。


……ちょっとプロフィールをいじろうとして苛々。
こんなに自由度の無い仕様だったっけ?(すっかり忘れている)
好きな本だのテレビだの、いちいち作品名なんか入れてられませんよ、人生こんだけ積み上がってきたならば。
SFだのアニメだの特撮だのって、大雑把にジャンルを指定したいだけなのに、勝手に固有のコンテンツ名を割り振ってきて、しかも削除もままならないって、さすがに操作性が悪すぎでしょう。

エレガンスが足りない。
これがSNSとして標準になる未来なんて、軽くウツですわ。

ああ、元々は学生さんのためのSNSだったっけ。そりゃ年寄りにはキツいのは当然かなぁ┐(゜~゜)┌ヤレヤレ


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2012. 06. 18  
あるTweetを目にした。

「女性アイドルの異性交遊が発覚すると、ファンの男性はアイドルを攻撃して、彼女の相手の男には攻撃しない。
これが男性アイドルだった場合、ファンの女性はアイドルではなくて相手の女性を攻撃する」


うううむ。
これが一般的な事なのかどうかは正直よく判らない。

でも、ある古い怪談を思い出した。

昔々、とても睦まじい夫婦が居た。
が、妻は病に倒れた。今際の際に彼女は夫に頼みごとをする。
「私が死んだら家の庭に葬ってください、お願いですから他の誰とも結婚しないでください」
妻を深く愛していた夫は、彼女との約束を守って、庭に墓石を建てた。
しばらく悲嘆にくれていた夫だったが、しばらくして後添えを迎えた。
新しい若い妻は、庭に前妻の墓があることを僅かに不気味に思ったが、夫は哀しみを忘れたかのように新妻である自分を慈しんでくれたので、幸福だった。
ところが。
女の霊が枕元に立ったのである。
霊は言う。
「この家から出てゆけ、あの人の妻は私だけ」
その話を聞いた夫は驚き、対策を講じたが、護衛むなしく新妻は前妻にとり殺されてしまうのだった。


題名などは忘れたが、大体こんな感じの話だったと思う。
この話の作者は小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)。人づてに聞いた話、となっていた。

「おかしいじゃないか、前妻が責めるべきは約束を破った男のほうであって、新妻になんの罪があるのか」

と彼が問うと、語り手はこう言ったそうだ。

「男ならそうかもしれませんが、女の考えは違うのです」


そういえば、源氏物語においても、ツンデレ中のツンデレ、プライド高き六条御息所は存命中は生霊となり、死後は悪霊となり、源氏の妻たちを次から次へととり殺していくのだったっけ。
が、源氏本人をとり殺したりはしないのだった。それなりに恨み言は言うけれど。


なんにしても、男は女を、女も女を憎み責めるパターンってことになる? だとしたら女の立場ってやっぱ弱いわな。
それが、男性あるいは女性の本能に根ざした反応に拠るパターンなら、ってことだけど。

愛する異性が自分以外の同性と通じた場合、憎みたくなる相手はどちらか。
本当に、男は異性を、女は同性を攻撃しがちなのか?

逆のパターン例がどれだけあるかも、ちょっと検証したいところではある。

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2012. 06. 17  
テレビやラジオは苦手だ。
ネットで情報を得ることに慣れてしまうと、決まった時間にしかアクセス出来ないメディアが疎ましくなる一方だったのだ。

が、最近は家事をしながらラジオを聴くことが増えた。ただし、ネット経由で。ポッドキャストなどのストリーミング放送。これなら自分の都合の良い時間に聴ける。
伊集院光氏やアニラジや小島慶子さんのyoutube放送などなど、雑談系を中心に聴いていたのだが、最近はNHKのポッドキャストニュースも聴くようになった。

朝、昼、夜のニュースをすべて聴くと

「なんか、今日も同じようなニュースばかり繰り返しているなぁ。平和だなぁ? ん? 朝も昼も夜も同じ情報を繰り返す割には、今日可決された法案のことは言わなかったりするなぁ? なんでだぁアアん? ダウンロード違法化とかリッピング違法化とか、国民全部に広く影響深い事例のはずだわなぁ、なんで言わないのかなぁ、なんかよっぽど騒がれたくない裏事情でも、あんのかアアん?」

などと頭上に疑問符を撒き散らしながら掃除したりするハメになったりしている。

そんななか、つい先日。私はとある勘違いに気づいてしまったのだ。
福島原発のニュースだったと思う。

「げんしりょくはつでんしょの、たてやの、云々」
というのを聞いて

おひおひ、たてや、じゃないっしょ、そこは

げんしりょくはつでんしょ けんおく    だろー  

「原子力発電所 建屋」 なんだからさー

などと思っていたのだった。
が、ニュースはなんども「たてや」と繰り返している。
なにか変だな? と思い「けんおく」でググってみる。

結果


げげげげ。

Googleによれば「けんおく」なんて日本語は存在しないことに!
じゃ、私は人生50年、ずっとずっと「たてや」と読むべきところを「けんおく」だと信じて疑わずずっと生きてきたってこと? 
ギャース。なんという恥。
こんな赤っ恥、ハタチの頃まで「天津甘栗」を「あまつあまぐり」と信じていたことが仲間内にバレ、思いっきり馬鹿にされて以来だわな。

しかし、なんだって「けんおく」だと信じていたのかな。解せぬ。
ふと思いたち、「建屋 けんおく」でググってみた。

結果

むむ、一応日本語として存在しないわけではなかったようだ。ちょっとホッとする。

げんしりょくはつでんしょ けんおく 

という呼称も皆無では無かった模様。
ただ、その辺り、私には本当にさっぱり判らないのだ。けんおく、と耳で聞いたからこそ、そう読むのだと思い込んだはずなのだけど。
何時から「たてや」で統一されたのやら? うーん、さっぱり判らない。

大震災、原発事故という未曾有の災害に震撼してすら、テキストで得るニュースばかり求めて、テレビ・ラジオなどのマスメディアの報道をとことん嫌い抜いていた自分の生き方を、大いに問題視しないとならないなぁ、と油汗を流したわけなのでした。

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2012. 06. 16  
息子にこう問いかける人が居た。

「毎日働いてるの? 偉いね。仕事は、楽しいですか?」

「はい」
と答えた息子だったが、たちまち半べそのような顔になってこう続けた。

「毎日、大変です。苦労しています」

血の気が引いた。息子は毎朝キッチリ決まった時間に起きる。決まった時間に家を出、決まった時間に帰宅する。
グズグズと嫌がったり、愚痴をこぼしたり、遅刻したりサボったりするようなことはけっして無い。
なので、毎日それなりに機嫌よく働いているのだと思っていた。だが、就職してもう5年目。親が気づかなかっただけで、実はそんなに辛いのか?
ストレスや鬱憤が溜まっているのか? 
変化の無い人生に疲れ始めたりしているのだろうか? 軽くパニック。


「そ、そんなに毎日辛いの? 困ったことがあるの? 苦労してるの?」

と慌てて訊くと、息子は言った。

「苦労の無い人生なんて幸せじゃない」


言葉が無かった。
どこでそんな言葉を手に入れたのだろう。
いつ、そんな知見を身につけたのだろう。

借り物のセリフなのか、彼なりの思惟なのかは判らない。でもなんとなくホッとした週末のヒトコマ。

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2012. 06. 12  
息子は相変わらず戦隊シリーズがお気に入りで、ゴーバスターズも熱心に観ている。
私はゴーバスはいまいちノレなくて、割りと距離をおいて観ている。どうもチグハグな感じがするので落ち着かないのだ。

戦隊メンバーが3人しかおらず、その代わりにそれぞれ相棒ロボが3体居るので、賑やかなはずなのだが、人とロボの線引きが明確過ぎて、ゴチャゴチャしている気がする。

そして、従来の戦隊ならたいてい組織として表れる敵方のキャラが、たった1人しかいない。エンターと名乗る、やや病的な印象の青年。
正確には、そのエンターに指示を与える存在も居るのだが、異次元ぽいところからひずんだ声とドット画像でモガモガ言ってるばかり。どうにも存在感に欠けている。

で、この「マジェスティ・メサイヤ」と呼ばれるなにやら超越的なボスキャラが、かなり性格が悪いのだ。我儘で理不尽。文句ばかり言う。要求ばかりする。すぐヒステリーを起こしてゴゴゴゴと荒れ始める。
そのたびに哀れなエンターは宥めたりすかしたり、とにかくハイハイと言いなりになって、あれやこれやと策謀しなければならない。
いつも独りで。
どこにも仲間は居ない。愚痴をこぼしたり、責任をなすりつけ合ったりする相手は居ない。
独りで考え、独りで仕掛け、マジェスティのために行動する。怪人を創り出しはするけれど、それはあくまで手駒、手先、使い捨ての道具であって情が通い合ったりはしない。
繰り出される作戦と手先の行動は、たいてい必ず人間社会にとって大迷惑な被害をもたらすことになるので、そこで毎週出撃するゴーバスターズにコテンパンにやられてしまう、というわけだ。

あれ?
これってなにかに似ている?





「息子よ! エンターって、まるでバイキンマンみたいじゃね?」

息子の目が丸くなって、たちまち話が通じたのが判った。

「そういえばマジェスティって、ドキンちゃんそっくりだよねぇ、文句とワガママばっかりでさ。ちっともエンターに感謝しないし、横暴だし、ヒステリックだしetc」


それ以来、我が家ではエンターたちはバイキンマン陣営ということになっている。
ゴーバスチームには新しいメンツが増えたところではあるが、エンターは相変わらず独りぼっち。
そして、なにやら最近エンターの行動の奇矯度が上がってきた。
パンダの着ぐるみを着てみたり。
メイド仕様のフリフリエプロンを着てみたり。

ねぇねぇエンター、それってなにか必然性のある行動? 違うよね? なんで? ドキンちゃんもといマジェスティの抑圧にストレス溜まっちゃってて、コスプレで憂さ晴らし?

これといって理由も説明も無いまま、キャラの行動が変化するっていうのは実の所あまり落ち着かない。
メインライターが小林靖子さんだから、マジェスティの正体などには結構ビックリするような仕掛けがあるだろう、とは思うのだけど。エンターについては……はてさて。
ロールパンナちゃんみたいな複雑な第三陣営が今後出現するのかどうか、興味をもって視聴は続けるつもりではある。


イエローバスターの小宮有紗ちゃん、超カワイイ。顔も動きもプロポーションも良い。相棒のウサダも良い。
男子は……今年は私ごのみのイケメンが戦隊には居ないなぁ。仮面ライダーメテオの吉沢亮君が美形枠を1人で埋め尽くして余りあるから良いけどさっ♪

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2012. 06. 08  
ネット某所でこういうお言葉を見た。

「自分から引退する、と言った人はまた戻ってくる」

ニコニコ生放送という世界では、人気を博する「生主」という方が大勢おられるそうな。ネットタレント、ネットアイドル、ということなのかな。
で、「もう引退します」と自分で宣言して去って行った生主さんは、かなりの高確率で戻ってくる、と。
コミュニティを削除したり、ちょっとしたイベントのようなことをやったりして、涙涙のお別れだったとしても、半年くらい経ったらヒョコッとまた生放送を始めちゃったりなさる、ということなのだろうか。

ちょっと、くすっ。

それって、なにかに似ている。

そう、ネットゲーム、MMORPGの世界では良くあること。引退します、今までありがとう、さようならと宣言して、装備などの金品を分け与えたり、派手に引退式をやったりして、惜しまれつつ去ったプレイヤーが

「やっぱり戻ってきちゃった^^;」

と、手放したはずの金品を返すよう要求したり、新アカ新キャラだからと一から育成のし直しの援助を頼んできたり、そういった話は山ほどある。

キッチリ引退するのでなくても、やめるやめると全域チャットで大暴れとか。
ネトゲ内コミュニティでそれなりの責任や義務などを抱えて居る身で、「でももうそろそろリアルも忙しいし……」と引退を匂わせながら、コソコソと好き勝手な遊びをしていたり。
こういうのをひっくるめて「やめるやめる詐欺」などと呼ばれていたように記憶している。

こういうのはけっきょく根っこは一緒。かまってちゃん、の定型行動なのだ。
やめると言えばかまってもらえるし、惜しんでもらえるし、何かを配ったりすれば感謝もされる。
そういう華々しい反応が欲しくて「かまってちゃん」たちはやめるやめる詐欺を繰り返す。
どこにでもあるパターンなのだろう。


そういえば、芸能界でも、女性アイドルやタレントが派手に「引退」をぶちあげて、でも数年たったらやっぱり芸能界に戻ってきちゃう、そういう例はたくさんあったように思う。

「普通、に戻りたい」

いやいやいや、結局いったん芸能界という非日常極まる特別な世界の水を呑んでしまうと、普通の人間に戻り切る、なんてことはほぼ出来ないってことなんですな。

だからこそ、がん! と一徹、絶対に舞い戻る気配すら見せることのない山口百恵さんという人は伝説化して、半ば神格に近いイメージとして扱われているように思う。




芸能界と言えば、話変わってAKB48。総選挙は大層盛り上がったようで、経済効果も相変わらず膨大なのだろうと思う。
夫の人は、ももクロちゃんの魅力は認めてくれているのだが、AKBのそれは判らないらしい。
なんのかんのと説明を試みても、取り付く島もないというか、とにかく理解出来ないらしい。そもそも何百人も居る、という辺りでもう人外魔境的な障壁を感じるのかも。
なんのかんのと話した挙句、こんなことを言い出した。

「原節子ひとりでAKB150人分はいける!」

なんじゃそりゃ。
仮に原節子一人でAKB150人分の戦闘力、と主張しようとしたとして、その勝敗判定は、ジャッジが、誰が下せるのか。
原節子一人でAKB150人を薙ぎ倒せるか。
原節子一人でAKB150人分ヌケるのか。
原節子一人でAKB150人分の金を稼ぎ出せるのか。

おや? 「金」に換算してしまうと、勝負はついてしまいそうではないか?
AKBの凄いところは、実はこの「換算性」にあるのではないだろうか。美少女、アイドル、芸能人としての価値。魅力。愛され度。
そういうものが数値として判りやすいものにされ、それを競わせることによる興奮。数字のやり取り、奪い合い、ランキング。それらにファンが直接関わって共に戦うことが出来る、と感じさせる構造の妙。
まさに資本主義の究極のようでもある。ここまで極まった先には何があるのやら見当もつかない。

おそらくは、行き着いたら戻るしかないってことで、急激に昭和歌謡的な世界に回帰するのかもしれないけどね。

結局、原節子一人で150人分、というジャッジを下せるのは夫の人ただ独り。夫の人のためだけのそれは判断。他者がその価値観を共有は出来ないし、ましてや平成生まれのAKBファンには微塵も理解不能のイメージだろう。
でも実は、私にもなんとなく判るイメージではあったのだ。だって私は、「白痴」の原節子を観てるから。あの圧倒的な存在感、高貴で孤高でギラギラ光るオーラのような女王のカリスマ。150人分っつーか、プライスレス。数値化不能。あれこそが女王だ、抵抗は無駄だ。つーこと。


さて、AKBについての解説などを読んでいるとやはり

「あれ? これってなにかに似ている」

と感じた。

総選挙をすると常に上位に来る物凄く集客力のある個人も居れば、どうしても浮き上がれない個人も居る。
でもみんな併せて大きな大きな「AKB48」。
実は一人ひとりが所属事務所も異なるし、AKBとして一括管理なぞをされているというわけでもないし、一つのレコード会社と専属契約しているわけでもない。AKBという巨大なパック構造に、良質な存在もそうでもない存在も一包みになって、多くの利権構造がその周りに連なる。集金システムとしてとても安定する形。リスクヘッジがなされている。1人、大きな稼ぎ頭が居れば、その周りにイマイチ組がパックされていても「AKB」という安心の保証が産まれて、お金や期待を注ぎ込める、ということ。

これとソックリのことを池上彰先生に教わったよ!
リーマンブラザーズがなぜショックになったかってオハナシを! とても良質な株と、そうでもない株を混ぜこぜににしてパックにして、どれが安心でどれがリスキーなのかってのが判らなくなるような商品にして売りまくって、その結果シッチャカメッチャカになっていった、って。

クワバラクワバラ。恐ろしや。
AKB商法が破綻なんぞしないよう、衷心より願うものであります。まぁパック株の投資信託と違って、美少女一人一人がどういう子なのかをしっかり見極めた上で投票とかが出来るようなので、心配なんか無用かな。

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2012. 06. 05  
USA_JAPAN_Map02.gif


「私たちが知ってるアメリカのイメージって、映画に出てくるニューヨークやロサンゼルスだよね」

でも実際のアメリカはとても広いし、州ごとにまったく違うし、州ごとに軍だってあるし、貧相なイメージで一括りにしちゃいけないよね、てな話を夫の人としていた。

「ロスとかカリフォルニアとかあるしなぁ」
「ロスはカリフォルニアだっつーの!(先日行ったばかりのアタクシ」
「ワシントンとかラスベガス」
「サウスパークの舞台は田舎だって話だったね」
「シカゴって何処だっけ?」

と私が訊いたら夫の人が

「3と6の間じゃね?」

……晒してやるブログに晒してやる。

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2012. 06. 03  
スカイツリーの全高は634メートル。ムサシ、と聞いてやっと覚えた。
昔から、数値に弱い。イメージ出来なくて、実感が持てないのだ。
昔、とある寺に行った時、解説をしてくれたお坊さんが
「この塔の高さは17メートルほどありまして、ほぼ機動戦士ガンダムと同じくらいです」
とおっしゃって、ほえ~と感心したことは忘れられない。17メートル、という数値にやっと実感が伴った体験だった。

目の前の塔。
ガッシャガッシャとアクションするモビルスーツの映像。
それらが数値に結びついて、やっとのことで17メートルという高さが把握できたのだった。でかいような、でかくないような。現実ではでかいけれど、フィクションではさほどでもない、微妙なサイズ、それが17メートル、と。


さて、スカイツリー展望台の高さが350メートル、さらに上の展望回廊が450メートルと聞いても、やはりピンとこなかった。
テレビなどで俯瞰図を映してるのを見ても、「さすがに高いなぁ」くらいの曖昧な印象しか掴めない。

が、ふと故郷のことを思い出した。
私の実家は比叡山の隣の山脈にあり、滋賀県からも京都からも延々と山道を登り続けてやっとたどり着ける場所にあったのだ。どこに行くにもまず山を降りないとならない。山道が霧に埋もれていることはしょっちゅうで、それがつまりは雲であり

「ワタシラ文字通り雲の上の住人w」

などと思っていたのだった。

確か比叡山の標高が800メートルくらいだったはずなので、実家のあるあたりが丁度スカイツリーの展望台くらいなのではないだろうか?
調べてみたら、果たしておおよそ350メートル。スカイツリー第一展望台とほぼ同じ高度。
いつも眺め下ろしていた大津や京都の街並み。
毎日何十分もバスに揺られて学校に行った。嵐が来れば崖が崩れ、冬になれば路面が凍結し、「下界」と切り離されてしまうことは当たり前に起きること。
不便だった。ウンザリするほど不便だった。
なので、実家のあったあの山の上は、私にとっては「とてもとても高い場所」なのだった。

が、今や東京のど真ん中で、エレベーターでもってその高さまで行けてしまうのか。
やっと、あのスカイツリーの巨大さが実感できた。子供の頃に慣れ親しんだあの眺望があの塔にはあるのだと、やっと理解した。
山より高いスカイツリー。人の手が造ったもの。
それはやはりトンデモなく凄いことであるのだと、実感した。そして初めて、実際に登ってみたくなった。
しばらくは大混雑だろうから、1年くらい経って落ち着いたら行ってみようと思う。


そういえば小学校の林間学校が延暦寺だった。行きも帰りも徒歩登山を強いられ、かなりキツかった記憶がある。
延暦寺が標高700メートルくらい。高尾山より高いじゃん。スカイツリーより高いじゃん。無茶させられてたんだなぁ、ワタシラ。


うん、そうそう、こういう夜景を毎日ね……。

vol42_7_image1.jpg

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2012. 06. 01  
美容や痩身に効果があるという「グリーンスムージー」の存在を知る。

レシピを見ると

○基本は果物6:青野菜4の割合

例えば

ミカン 3個
バナナ 1本
キウイ 1個
ほうれん草 1/4束
水 1カップ

これで一日分とか。

ん……?


待て 待て 待てーーーーぇい!!

生のほうれん草を入れるのはちょっと待ったぁー。
ほうれん草は茹でなくちゃ!

何故かというと、ほうれん草の表面にはシュウ酸というものが付いているから。これは体によろしくない物質。ぶっちゃけ、毒。
具体的には、カルシウムと結びついて腎臓結石になったりする。結石は痛いぞぉ。身をもって体験中のアタクシ。

でもお湯に溶けやすいので、茹でればほとんど取れる。その後水で流せばもっと取れる。
ほうれん草を茹でておひたしにして食べる、というのが昔からの知恵なのだろう。なお、そこにオカカやジャコをかけると、さらに害を減らせるそうな。

最近は電子レンジでほうれん草の下ごしらえをする人も多いかと思うけど、その場合はきっちり水洗いをするべき。蒸しただけではシュウ酸は消えないから。

なお、小松菜やチンゲンサイ、セロリやパセリにはこの物質はついていない。だから無理に茹でなくても良いし、レンジ蒸しや野菜炒め、スムージーの材料としてそのまま使っても大丈夫。


でもほうれん草だけはマジでガチやばいので、ホント注意してください。
大量に茹でて小分けにして冷凍しておけば、そのままミキサーに放り込んで冷たいスムージーにできるし、良いのじゃないかな。



それにしても、古来からの知恵に従ってほうれん草は必ず茹でて食べていたのに、なぜ私にはそんなに結石が溜まってしまったのだろう。やっぱ、量を摂り過ぎたのかな。旬には毎日のように食べてるんだよね。
それともほうれん草は無実で、単に「塩分・糖分・脂肪分」の「よぶん三兄弟」が大好きだからなのかな。
そりゃよぶんを控えれば良いのは判り切ってるけど……あ~あ、歳を取ると食べる楽しみもドンドン減ってしまうのねん(´ω`)

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プロフィール

星 ゆう輝

Author:星 ゆう輝
人生50年、オタク歴40年弱、母親業四半世紀。老眼とボケが迅速に進行中。麗しいロボ執事をはべらせるのが老後の夢。

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