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2012. 07. 26  
節電のため、日中は近所の図書館で過ごすことが増えた。
今日、ふと手にとったマンガ本。タイトルは

「コミック帝国ホテル 120年の最高」


生まれついての貧乏暮らしなので、帝国ホテルなどという高級ホテルにはトンと縁が無い。読んでいて知らないことばかりでとても興味深かった。

なにより印象深かったのは、「ライト館」についてのくだりだった。

当時の世界随一の建築家だった、フランク・ロイド・ライト氏に設計施工を依頼したのはいいものの、超の字がつく天才肌だったライト氏、隅から隅までこだわりまくって時間と金を蕩尽しまくる。
その芸術的な感性から繰り出されるアイディアや設計思想の数々、工夫、ダメ出し、やり直し。
そうして出来上がっていくホテルの姿は、まるで神殿遺跡のような威風と神々しさだったという。(その非凡な発想やこだわりの強さに、読んでいてありありとスティーブ・ジョブズを思い出したのだった)

膨れ上がる予算、いつまでたっても終わらぬ工事。他にも様々な事情が絡んで、ついに任を解かれてしまうライト氏。その後は彼の薫陶を受けた日本人監督の元で、ライト館はついに完成を見る。

いよいよ落成式のその日、宴会の準備に慌ただしい正午前。
帝都を凄まじい地震が襲った。関東大震災である。
だが、ライト氏が心血を注いだ建築は見事に揺れに耐えた。
家屋を喪った多くの都民の避難所となることが、ライト館の最初の業務になったのだった。

大震災をものともせず、戦時の空襲をもなんとか凌いだライト館だったが、もともとの地盤が脆弱だったこともあり、老朽化を食い止められず、昭和43年には解体されてしまう。

天才・ライト氏の才能が生んだホテルの建物とは、いったいどんな様子だったのだろう?

画像検索して、その美しさに息をのんだ。

なんという、浮世離れした美。そしてユニークさ。夢の世を切り取ってきたかのような極上の風景。これほどまでにアートの名に相応しい建物も、なかなか無いのではなかろうか。

現在の帝国ホテルの、堅牢ではあろうが味も素っ気も無い直線的な写真を並べて見て、とてもがっかりしてしまうほどだった。「古き良き時代」という言葉は好きではないのだが、確かにそういうものが実在することも有ったのだなぁ、と信じられるオハナシだった。

他にも、帝国ホテルならではの料理へのこだわりと伝統、おもてなしの思想など、どれもとても読み応えのある内容だった。
「100-1=0」、すなわち、たった1つの手抜きだけでも総ての信頼が損なわれてしまうのだ、という人間心理に基づいた、完璧をこころざす思想は、現代日本のアチコチで喪われて久しい真っ当さのあらわれだと思う。


信頼。
これほど現在只今の日本で問われ直されねばならないものも無い。
効率と保身に走り、隠蔽や誤魔化しや粉飾にばかり長けた身勝手な人間が支配する世の中。そんな世界の未来に待っているのは、荒れ果ててペンペン草も生えない、カッサカサの焦土だろうから。




などという小難しいクソ理屈はどうでもいいので、死ぬまでに一度くらいはこのホテルに宿泊してパーフェクトサービスを心ゆくまで受けてみたいものだなぁ。……フルコース食べたい(´¬`)ジュル


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2012. 07. 25  
テレビ放送がデジタルになって、細かいところが良く映るようになった。
今朝は美しい花火の映像に感心。降りしきる光の粒の一粒一粒まで鮮明で、ライブ感がある。風景などを映す場合も、以前とはうってかわって綺麗だ。

が、ニュースなどで街中の人々をインタビューするあたりなどは、デジタルの鮮明さが裏目に出ていると思うことが多い。
ちょっとお化粧を張り切り過ぎたらしい女性の、ラメの粒子の浮きっぷりがはっきり判ってしまったり、逆に手入れ無用の大胆なお肌の具合がバーンと強調されていたり。

「ほんとデジタルって、映さなくても良い物まで映すよなぁ」と夫の人は言う。

アナウンサーや芸能人の人はまだいい。デジタルで映ることを意識して、それなりのメイクもなさっているはず。
が、突然カメラを向けられただけの一般の人々にとっては、デジタルカメラはけっこうな爆弾になることもあるのではないだろうか。

で、くだらぬことを思いついた。

「人の顔がアップになったら、自動的にお肌の状態を調整してキレイに整えちゃうフィルタシステムみたいなもの、開発したら需要あるんでない? 今の技術なら可能だと思うんだけどな」


そんな技術が現実化するより早く、テレビを見る側のみんなの意識が変革するほうが先かもね。
人のアップは見苦しいのが当たり前、そんなのをいちいち気にして不快になっちゃうほうがむしろ反社会的、てな感じに。


***********************


暑い日が戻ってきた。意地になって冷房を入れない我が家。
が、33度を超えると相当に私はオカシクなってくる。生体システムがあちこち不安定になる感じだ。

で、くだらぬことを思いついた。

「発泡素材のタオルあるじゃん? 水に浸して絞ると、すぐ蒸発が始まって、冷たくなるやつ。ああいう素材でさ、家屋の天井とか壁を覆うの。で、センサーとコンピューターでコントロールして、暑い時には常時、すこしずつ水が供給されるの。ビチャビチャ垂れない、でもカラカラに乾かないように、常に湿って蒸散する感じに。するってぇと、太陽サンサン、照れば照るほどお家はヒンヤリ。超省エネじゃん? 電気ほとんど要らないじゃん? で、発泡素材だから冬場は断熱材になってくれるよ!」

素材を敷き詰めるコスト、センサーなどのコントロールシステムのためのコスト、そして水道代。エアコンの方が安上がりかも知れない。
しかも、そういう吸水と蒸発の早い素材は、劣化がメチャ早い気がする。

く、くだらない。利点は「電気がほとんど要らない」これだけじゃん。


********************


「へー、文教堂書店、出版社と直接契約かぁ」

出版の構造不況は大変に根が深く複雑で、改善は困難。そのため、なすすべも無く業界まるごとタイタニックになりつつある、という意味の記事を少し前に読んだと思う。
つまり、思い切った構造改革がなされねば生き残る道は無いわけで、文教堂は難関に一歩切り込んだ、というところなのかな。
どうせならもっと大胆な形に出来ないのかなぁ。

と、くだらぬことを思いつく。

「もういっそ書店と書き手が直接契約すればいいんじゃない? 印刷業界を抱き込んでさ。今どき、PCでDTPでデータ入稿も屁の河童、てなクリエイターも多いわけだし。で、宣伝は書き手がTwitterとかブログとかFacebookでやって。○○書店で売りますよーって。てーか、アマゾンが直接、作家を抱え込むとかさ」

……それならもういっそ電子出版でいいじゃん。く、くだらん。くだらんぞワタシ!

つまり、そこまで紙の本という物質の成立には多大なコストが纏わりついているわけで、私たちは本当にそこまでの支払いをしてまで、「本」が欲しいですか? ってことを問う時代になったってことだと思うけど。

私個人としては、iPadが読書リーダーとして申し分の無い性能であることは良く判ったし、手軽に安価にデータが手に入るのであれば、嵩張る書物などもう買いたくありません、って気分なんだけどね。

***********************

いやもうホントに妄想とか妄言が湧く沸く涌く。みんな猛暑のせいなんじゃ。
でも、アホでくだらぬ思いつきでも、ほんのちょっとの知力があれば、素晴らしい実現になるかもしれない。
私がもっと頭が良かったらなあ。思いつくだけでその先が無いんじゃよ……(´・ω・`)

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2012. 07. 22  
「こっちはゴグで、こっちはマゴク。そして私はエスケイプ」

ん~戦隊の新女幹部(?)エスケイプちゃん、実に良い。
立ち姿も動きも決まってるし、演技に迷いが無いのが何より良い。どっしりと足が地についた感じだ。
でもって、口調や雰囲気がナチュラルというか、生っぽいのが新鮮だ。戦隊の女幹部は、妙に型にはまってしまうことが多いから。
そしてあのなまめかしい肉体の充実感と、それに反した女性らしからぬ荒ぶりは、私が歴代戦隊女幹部でもっとも好きだったシェリンダを彷彿とさせる。

独りぼっちだったエンターにやっと仲間が……! と思いきや、どうにもお互いの立場は微妙な模様。自分の存在価値が奪われたようだ、と悟るエンターに漂う寂寥感はなかなか趣深い。はたして、裏切りフラグになるのか否や。


さて、二丁拳銃をそれぞれゴグとマゴクと紹介するあたりで、赤毛のアンを思い出した人は多いと思う。

大学生となったアンの、下宿先の家に飾られていた陶製の二匹の犬。その名前がゴグとマゴク。
私は何故か、そのゴグとマゴクを「陶器の狛犬」だと思い込んでいたのだが、改めてググってみて全然形が違うことを知った。あ・うん、では無かったのね。画像検索結果はこちら。

で、ゴグとマゴクというちょっとエキゾチックな名前についてもググった。古代イギリスの伝承の巨人だったり、エゼキエル書に登場する敵対者だったり、大変に伝統のある魔性の存在であるらしい。
とはいえ、私は今日の今日までそんなの全然知らなかった。
「赤毛のアンの置物犬だー!」以外のイメージ無し。
アンはカナダの話だし、その頃のカナダはイギリスの文化影響が色濃かっただろうし、イギリスの伝承からネーミングするのは普通のことだった、ということなんだろうね。

イギリスの通史と、カナダのそれもいずれ勉強しないと。
そもそも、世界史が大の苦手だった私が興味を持ったキッカケは、サウスパーク劇場版の「カナダのせい」というミュージカルナンバーからだったわけだし。何故、こんな歌が作られちゃったのか? という謎のため。
未だ、謎は解かれていない。勉強不足過ぎ。情けない。

なおこのとんでもない歌はアカデミー賞の歌曲部門にノミネートされ、かのロビン・ウィリアムスが熱唱するという事態に至った人気曲。

探したら動画あったわwww ご堪能あれ。出来れば映画の方も是非。

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2012. 07. 16  
気が滅入ってばかりなのも何なので、ハマってる歌について書くわよっ。

先日のエントリでも紹介した、西洋の軍歌集に異様にハマってしまった。
特に、冒頭の2曲、「フリードリヒ大王の歌」と「ラインの守り」が脳内をグルグル回り続けて止まらない。

こういう、一定の曲が脳にこびりついてリピートされ続けるという状態に対する最も効率の良い対処は
「イヤになるまで徹底的に聴き続けること」
である。
というわけで散々聴いている。それでも、ドイツ語の歌詞が聞き取れるわけでない。
歌いたいんだけどなぁ。でもドイツ語マジわかんないなぁ。いっそ日本語に訳しちゃおうか。でもそもそもどんな歌詞なんだろうか……?

ハイ、ググれば一発ですね。まったく、インターネットは最高だぜ。

で、フリードリヒ大王の歌の歌詞へのリンク。

でも、ちょっとピンと来ないのよねぇ。
この歌詞、素晴らしく練られた美文だけど、この語句の麗しさと、歌の調子っつーかノリっつーか、そういうのが妙にそぐわないというか。
もっと、軍の将兵すみずみまで、それこそド田舎から徴用されたての小僧っ子に至るまで、覚えて、親しんで、ノリノリで進軍できるような、そんな言葉で歌われていたのじゃないのかなぁ、と思うのだけど。
ぶっちゃけ、もっと平易な、砕けた、ガラッパチなイメージじゃなかったのかな。
こんな感じの。

「フランス兵が貰うのはポマードだってさ
 オレ達ゃ毎週、金貨に銀貨
 イスラム、十字架、稲妻野郎もメじゃないぜ
 プロイセンほどたんまり貰える兵士はいないのさ!」


このあたりはドイツ語に詳しい方のご意見を聞きたいところ。

で、ラインの守りという歌はドイツの誇りを象徴する歌の1つらしく、実に実に響きもリズムかっこいい。厨二心にジンジン来るね。

ラインの守りの歌詞。

この歌の方は、この訳詞の美文調が全く違和感無くピッタリはまると思う。



さて、「玉葱の歌」というのを聴いてビックリ。
パッキャラマド パッキャラマドって、あーたそれって。クラリネットが壊れちゃう歌じゃんか!?
それとも、この軍歌を子供がこっそりパパのクラリネットで吹こうとして、壊しちゃったって歌だったのか?w

ナポレオン時代の歌らしいけど

  玉ねぎ大好き、玉ねぎサイコー、油で揚げたらもうサイコー
  だけどオーストリアのボケどもよ、てめーらに食わせる玉ねぎは無ぇ! 

という、実にシンプルで判りやすい内容。
そういえば玉ねぎを油で炒めたものが、フランス料理の味の基本だったよなぁ、とあさっての方向の知識がリンクして、成る程成る程、と楽しくなるのだった。


ロシアの「スラブ娘の別れ」という歌も、哀感帯びたメロディーがとても良い。日本人の魂をくすぐってくるメロディーだという気がする。
ただこの歌は、あまりに多くの陣営で愛唱されたので、歌詞の決定版は無いらしい。


トルコのジェッディン・デデンなども含め、こういう歌の詞をあれこれ見ていくと、どれにも実に似通った、共通のパターンがあることが判る。

陣営がどれほど違おうと。敵対している同士だろうと。時代が隔たろうと海を越えようと人種も文化も違おうとも。
お互いがそれぞれの歌を歌い、血みどろの殺し合いをしていようとも。
人間の思いのみなもとは同じであり、同じリズムで同じ思いを歌っているのだ、ということが判るわけでございますよ。

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2012. 07. 16  
大津の事件を追っていると、事件とはちょくせつ関係の無い、ダークな事も目に入る。
あまりに多いので気の滅入ること。
何が一番ナニでアレだったかって、そりゃね。

……(回想中遠い目)……

中学のころ、人権教育が始まったように思う。
多くの時間をつかって、繰り返し、繰り返し、様々なメディアを使って教えられた。
小学校で酷く虐められていた私は、人一番インパクトを受けたと思う。
真剣に考えて、長い作文を何度も書いたと思う。
って、ダラダラ長文を垂れ流すクセはその頃から既にかいw

少しばかり歳を重ねると、シンプルな人権教育に問い掛けが付け足された。
曰く「寝た子を起こすべからず」という提案についてどう思うか、というもの。

周知と啓蒙でそれは解決するべきか。
隠蔽と忘却で事実自体を消すべきか。

私に答えは出せなかったが、それでもなんとなく印象として、
「覆い隠しても効果は無いかも、教育の継続で解消できる未来に希望を持つほうが良いかも」
とぼんやり思っていた。
人間は、秘匿されたことを暴きたがる性分だと気づき始めていたし、それよりは教育を徹底して、意識の高い人を増やし続けていけば、世代を重ねるごとに解消に向かうだろう、と希望を持っていたように思う。


あれから40年近くが過ぎた。
そしてなんということだろう。
ネットという新規のメディアには、昔と何も変わらない、他者の尊厳を踏みにじる罵詈雑言、古風な言葉とそのバリエーションが今なお乱舞しているのだ。

この40年はなんだったのか。
私は子供の頃、教育を受けた。私は大人になり、私の息子も大人になり、私と同じ世代が孫を持ち始めているはずだ。人権教育は、ずっと続いているはずだ。
なのに、それほどの歲月が過ぎてもなお、何も変わらないのか。

まさかそんなはずもないだろう。成果が皆無だ、などということは断じて無いはずだと思う。

だけど、私の若いころの希望的観測が木っ端微塵になったのは確かだ。それはネットでイヤというほど証明されてしまった。
まぁ本当に気の滅入ること。


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2012. 07. 12  
大津の中学で起きた事件の詳細をずっと追っている。
なんととんでもない時代になったのだろう、と思う。

暴行、恐喝、自殺教唆などの事件の内容そのものも酷いが、もっと酷いのは組織ぐるみで行われたと思われる隠蔽や揉み消しだ。
学校と役所に同時にガサ入れが入るという異例の事態になったわけだが、
「暴行容疑で」
という報道はほとんどブラックジョークのようだった。
学校の教諭が暴行したわけではない、もちろん教育委員がそれをしたはずもない。
つまりこれは、容疑の表向きこそ暴行だが、真に問われているのは公務員としての行動や対処の非、だということなのだろうと思う。


だが、私がこの件でもっとも「とんでもない」と思ったのはこの点じゃない。
いじめ、なんぞは40年以上前から存在することを知っているし、社会問題となった30年ほど前から、事態は何も変わっちゃいない。エスカレートするばかりだ。

今回、今までと一線を画してとんでもなかったのは、ネットにおける情報の動きである。

とある個人の詳細情報が、実名から住所から家族構成やその鮮明な写真に至るまで、ことごとく暴かれ晒され流布されるという様を私はリアルタイムで見ることになった。その素早さ、手際の容赦無さ、執念と憤怒と憎悪の激しさに戦慄した。
なにより凄まじいのは、それらが報道や調査のプロでもなんでもない、組織でもなんでもない、素人の個人でしかない存在の手によって成されるということだ。

お互い顔も名も知らない、何の縁もない、隔離された一人一人がネットで情報を提供し合い、検証し合い、アドバイスや罵倒を織り交ぜながら「暴露」という一つの目的のために動き続ける。

スタンドアローン・コンプレックス、孤立しながら共同する集団。
デスクトップ・ディティクティブ、パソコンの前から動かず情報を集め検証することで解明を進めていく行動。

あまりに膨大な情報が、あまりに速く集まる。
暴露という目的があまりに短時間で達成される。

この激しさ、素早さに、旧弊な組織の多くがついていけないだろう。
だとしても、どんなに信じがたくとも、認めるしか無いのだと思う。世界は、大変換期を迎えているのだということを。

綺麗事ばかりのお題目やスローガンや分析や提言や思想や哲学やシステム整備ごときで、イジメという問題をどうにかすることは出来やしなかったのだ。呆れるほどに何も変えられない。

が、この破壊的で容赦の無い
「ネットに集う情報の威力」
で、いずれ世界は否応なく変わっていくのだろう。

学校システムは解体されるかもしれない。
資本主義社会は貧弱になるかもしれない。
議会政治が打ち棄てられるかもしれない。
自由と平等が悪となり、階級社会が是となるかもしれない。

得体のしれない未来。が、こういう常識のでんぐり返った未来にこそ、今まで人類が達成し得なかった知性と思いやりと協調が満ちているかもしれないのだ。

いずれにしてもパンドラの箱であろうけど。
ありとあらゆる破壊、破滅、不幸、厄災、痛み哀しみ苦しみが噴出しはびこり、それでも最後に希望だけが残るだろうと信じねば、とうていやっていけるものではない、と思う。


大津の事件は既に計り知れないほど多くの悲惨と苦しみを生み出した。
そしてこれがきっかけとなって、ますます多くのそれが出てくるだろう。
それはつまり、今まで隠匿されていたこと、スルーされていたことも明るみになるということだ。(今この波に乗れば、数字を稼げると踏んだマスコミもしばらくは積極的に報道をするだろうし、大津の事例に震え上がった関係各所も少しくらいは自浄作用を備えるだろう)


そしてもっと多くの人に気づいて欲しい。
世界が変わってしまうほどの勢いがなければ、イジメ社会などという問題の改善はあり得ないのだ、ということを。


高度情報化社会のシステムばかりが先行し、使いこなす人間の意識の変化がほとんど追いついていない。
この現状は、かつて王の頭上にあるとなぞらえられた「ダモクレスの剣」が、すべての人々の頭上にあるようなものなのだろうと思う。
ほんの些細な判断の違い、あるいは単なる不運1つで、それは真っ逆さまに降ってくるのだ。


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2012. 07. 09  
夕食時、マボロシと呼ばれる作品についての話題になった。
「クレクレタコラ」という作品の実存を信じてもらえなかった話。
これは、二人だけで「あった」「ねーよ」とやりあっているところにやってきた第三者が「知ってる」と証言してその場の勝敗は決した、という話だったような。
「快傑ライオン丸」という作品の存在を若人に信じてもらえなかった話。
これは岡田斗司夫氏が語っていたと記憶している。

もちろん私は、このどちらの作品も実存だったことを知っている。特にライオン丸は大好きで毎週観てたしね!

そういう話をしていて、ハッと思った。
マイナーな作品、コンテンツはたくさんあるが、この頃はたいていのものがググれば資料が見つかる。
そして、「ほらちゃんとあるでしょ」と説明することもできるし、良かった、自分の脳内だけの妄想じゃなかったんだ、本当にあったんだ、と安心することもできる。

人間の記憶なんて、本当に実に曖昧なものだ。それは歳をとるほど実感する。
その曖昧であやふやで不確かな記憶というものを固定し、確認出来るものにするための資料。
人間はそれをとても求める。
記念の品、というものだ。写真であるとか、テキスト、映像、ありとあらゆる思い出のヨスガ。

が、高度情報社会において、人間は可能な限り記録をデジタルに置き換え始めている。
次に来るのは記録をクラウドに置き換え、手元をスッキリさせる流れだろう。
何処かヨソにデジタルの形でデータを保管してさえおけば、身辺が物で散らかることもないし、検索や引用も楽だ。

が、この流れには大きな落とし穴があるはず。
繰り返すが、記憶というのは曖昧な想念でしかない。
なんでもかんでもネット上に保存し始め、なんでもかんでも検索でデータを引っ張れば済むようになってしまったら、人間は記憶する手間というものを惜しみはじめるだろう。
甚だしい場合は、記憶というものはネットに存在を裏付けてもらうもの、という状態になってしまうだろう。

「****ってあったよね?」
「なにそれ、しらなーい」
「あったよぉ、ちょっとまって調べるから……あれ? 出ないなぁ」
「そんなもの知らないよ、夢で見たナニカじゃない? 記録無いでしょ」
「うーん、そうかも。そんな気がしてきた。何かと間違えたかなぁ」

こんなことが頻繁に起きるだろう。

さらに言うなら、徹底的にデータを消去、改竄していけば、確かに存在したはずの事実も何もかも、
「そんなものは無かった」
ということにしてしまうことも不可能ではないということ。社会的抹消。なにもかもをデジタルデータにしてしまうというのは、そういうことだ。

さらに逆に考えれば、
「ありもしなかったこと」
を事実として社会に認識させることも同じ。歪曲された情報や捏造のコンテンツを実存と信じさせることも容易くなる、ということに他ならない。

高度情報社会を、私は歓迎している。それは私が、好奇心過多なくせに頭が悪く、しかもボケ始めているからだ。
が、高度情報社会を万全に信頼もしない。
というより、人間はそのシステムを万全に使いこなせるのかどうか? 実に疑わしい。
どっちかというと堕落しまくる可能性の方が高いのじゃなかろうか。

メディアの保存や利用を、断じてデジタルのみにしてしまってはならない。
人間が自分の頭を使って記憶し、考えること。
人間が自分の手や指を使って記したり描いたりすることを、断じて手放してはならない。
なにもかもをシステムに丸投げして頼り切ってしまうことは、人類文明を大暗黒時代に導く黄泉平坂でしかないだろう。


え?

別にデジタルだの高度情報だのが無い頃から人の世は、黒を白と言い換え、捏造を事実とし、有った無かった、やったやってない等々の際限ない泥仕合に明け暮れているって?

ええ、本当にそうですね。そしてそれは高度情報社会と化した現在、ますます猖獗を極めているようですね。

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2012. 07. 08  
サンシャインに引き続いて「きら☆デコッ」もほぼ毎週視聴しているジュエルペット。

女子二人(?)によるイケメンの取り合いという、わかりやすいドラマが主軸だったサンシャインと比べると、キラデコの方はやや焦点が曖昧な感もあるのだけど、その分アイディアが量的にパワーアップ。あれよあれよで30分が終わる。スピード感が凄い。

特に最新話はつくづく感嘆。
話の流れとしては
「ミスコンで優勝してみんなにチヤホヤされたい!」
と意気込むライバルキャラ(オパール)の野望の顛末。

大体、こういう始まりの場合、ヒロイン(この場合はルビー)とライバルのそれぞれの努力だの挫折だのを描いて、あわやライバルに優勝を掻っ攫われる、と思いきや、思わぬ形でヒロインの方に勝利の女神が微笑んでエンド……という流れが定番って感じだろうなぁ、と判断して、アバンから退屈感をおぼえていたのだけど。

何が凄いって、話の流れは、まったくもってこの当初の予想通りなんだ!
それなのに、そこにまつわるエピソードの数々が意外過ぎる!
想像をはるかぶっちぎった斜め上の流れに、めまぐるしく翻弄されているうちにオハナシが終わる。
かくて、骨子は定番そのものなのに
「こんな話見たことも聞いたことも無いわ!」
という感想を持って見終えるという、およそ奇想天外な内容。

そして一番の感嘆ポイントは
「絵で見せるクライマックス」
が徹底されていることだった。

ジュエルペットの作画レベルは毎週、実に高い。キャラの可愛らしさも、ギャグのための表現も、洗練されたキャラ描写と描画が支えている。
そしてこの週の作画力は
「どういう理由でミスコンで評価を勝ち得るか」
というアイディアに沿うべく、スタッフの力量が遺憾なく発揮されたもの。

そのアイディアがどういうものかはあえて書かない。是非見て確認していただきたい。
「そんなアホな!!!w」
というセンス・オブ・ワンダーを是非堪能していただきたい。
美、というものの判断を人間はいかにして下すのか、ということについて哲学的なまでの感慨を持ってしまうかもしれないほどのネタだった。
そしてそのとんでもないアイディアに完璧な説得力を持たせていた作画と演出、すなわちアニメとしての力の真髄みたいなものを感じ取っていただければ幸いである。
いやもうホンマにエライモン見せてくれますわマジで。




「きら☆デコッ」のオパールちゃんは、サンシャインの時のオパールちゃんとは全然違う性格になっている。おとなしくて上品で優等生だった前作とはうって変わって、高慢ちきで尊大でワガママで冷酷で、そのクセ勘違い同然の片思いに舞い上がってオバカ言動を繰り返したりして、実に複雑な可愛らしさに満ちている。
ヒロインのルビーの、悪意が無いがゆえの酷さってのも実は相当なものなんだけどね。



Twitterにも書いたけど、今期始まったばかりの「じょしらく」のEDに一発でドハマリ。嗚呼これもやっぱり前山田&ももクロだったか、と納得。素晴らしいノリ。明朗なのにじわっと泣かせる味わい。最高。
そして素晴らしいノリの音に、最高の職人芸のコンテで応える水島監督。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm18288035

なんだって水島努氏はこんなに音楽とのマッチングが巧いのかなぁ。
日本アニメはミュージカルがずっとずっと苦手で、音に合わせた絵は作れるけれども、音楽と動画が一体化して融合して、さらに上の快楽的なステージまで突き抜けられるケースはあまり無い。本当に水島監督は稀有な才能の主だと思う。

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2012. 07. 01  
夕食後に眠ってしまって、夜中に目覚めて眠れない。

ネット徘徊していると、すっかり迷子になってしまってもうじき夜明けだ。

迷子の入り口、キーワードは「イェニチェリ」。
最近、個人的にネットでよく拾う単語。

イェニチェリ、イェニチェリ……そんな名前のキャラが初期のグイン・サーガに居たよなぁ。
「それ、イラチェリな」(セムのグロ族の長)

で、まぁイェニチェリというのはトルコの軍のことで、大変に怖れられた強さだったそうな。
ググってみたら、あるわあるわデータの数々。芋づる式に辿りまくってすっかり迷子。

キリスト教徒の子供をイスラムに改宗させ、イスラムの家庭や職場で養育し、皇帝に絶対服従を誓う奴隷として、近衛兵にさせる。選別は厳しく、優秀かつ美貌が条件だったとも言われる……キラーン! ゆう輝の萌えセンサー反応(☆ω☆)

装備も良いし、エリート揃いであるし、何よりも近衛という立場上、戦闘の最後の締めである追撃戦に投入されることが多かった。つまり、優勢な戦の終盤に出てきて、勝利や手柄をかっさらえる美味しい立場だった、とも言える。

軍楽隊を同行するのが慣例だった。その音楽はメフテルと呼ばれ、戦線の遠くからその独特の音色が聴こえてくると殲滅を覚悟しなければならなかったという。

ん……?
脳内でなにかが繋がる予感。トルコ……メフテル……それって確か。

これだー━━━━(゚∀゚)━━━━!!

ジェッディン・デデン

私の世代の人なら「阿修羅のごとく」を思い出すだろうし、今はダイワハウスのCMにも使われているそうな。

ジェッディン・デデンは私はとても好きな曲なので、ちょっとあれこれ動画を漁っていたら、こんなの見つけちゃって。

西洋の軍歌行進曲

フリードリヒ大王、愛されてるなぁ(´ー`)


さらに漁っていたら、こんな動画発見。

Istanbul 1453

映画のトレーラーみたいなのだけど、ググっても詳細情報がほとんど無い。良く出来たMADか何かっすか? それとも日本で公開とか上映とかが皆無なだけ?





史上最高クラスのチートキャラ、メフメト二世によるコンスタンティノープル攻略戦。
オスマン帝国のスケールのデカさ、超絶な豊かさを象徴する二つの見どころ。
ウルバン砲と呼ばれる超弩級大砲による城壁破壊。この砲はあまりに巨大だったがゆえに一日に5発しか撃てなかったという。砲弾の大きさは直径60センチ、重量500キログラム。
中世の暗黒をずっと引きずっていたビザンツ帝国の人々から見れば、そんなものがドッカンドッカン飛んできて城壁にめり込むなどという光景は、この世の終わりみたいな気分をもたらしたのじゃなかろうか。

もう1つはとある山越え大作戦。
アニメ「名探偵ホームズ」に、潜航艇を陸上輸送して捜索隊の裏をかき
「ぶぁ~~かめ! 潜航艇が海に居るとは限らんのだー!」
と言わしめた名シーンがあるが、あれの超絶拡大版。

鎖で金角湾を閉鎖され海軍を足止めされたメフメト二世、なんと艦艇を陸に揚げ、山越え。あっと驚く背面攻撃をはたす。道を作って、コロを敷き詰めて油を撒いて人力で動かしたらしいけど、いったいどれだけの人員が必要だったのやら。

もちろん、このコンスタンティノープル攻略戦でもイェニチェリは活躍したろうと思われる。
天才と冷酷を併せ持ったメフメト二世は、忠誠を誓うにはいささかキッツイ相手だったかも知れないけど。



なんてことを徒然夢想しながら書いてたらもうすっかり朝じゃまいか。ランニングしよっと。

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プロフィール

星 ゆう輝

Author:星 ゆう輝
人生50年、オタク歴40年弱、母親業四半世紀。老眼とボケが迅速に進行中。麗しいロボ執事をはべらせるのが老後の夢。

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