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2013. 01. 31  
これはさすがに痛々しすぎるでしょ。

AKB48という存在が大変魅力的であり、圧倒的なパワーもあり、集金システムとしても多大な成果を挙げる構造であり、社会に与える影響もまた大きい、ということも鑑みて。

このショッキングな動画の意味を深く問うべきなのじゃないだろうか。
なぜ、こんなことが起きるのか、を。

AKBという組織活動の価値はおおいに認めるものであるけれど、それはもう爛熟のピークを過ぎて、腐臭が漂い始める時期に至っているということなのじゃないのだろうか、と感じる。こんな無惨なものを見ることになるとはね。

偶像になるということ。若さ、美、処女性を売り物にするということ。
異性に夢を見たがる不特定多数の人間の、欲望の受け皿、容れ物になる、ということ。
それが、個人の人間性からどれほどのモノを奪い、否定し、自由を剥ぎ取るものであるかということを。

アイドルを夢見て志す側も。
アイドルに夢見て追う側も。

自分にとって都合の良い面ばかり見ていて良いものかどうか、しばし立ち止まって考えてみませんか。

あえて性差的な発言をするけど、女にとって髪は命なんだよ?
男子の丸刈りとはわけが違うのよ?!

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2013. 01. 26  
萩尾望都さんの待望の新刊「王妃マルゴ」を入手。
萩尾さんの作品はオリジナルがほとんどで、史実を基になさるのは珍しい。

そして「王妃マルゴ」というタイトルはかなり有名なものでもある。デュマが書いているし、実写映画にもなっている

普段、私が手にする本にほとんど興味を持たない息子が、ひと目表紙を見ただけで「それは?」と訊いてきた。どんな流行りの萌え美少女にも反応しない、むしろ拒否ばかり示す息子でも、ポカンと目を奪われてしまう絵。世代を超えたインパクトとオーラの絵。
波打つ黒髪、深い青の瞳、匂い立つ色香の美少女マルゴ。

「これはね、おうひ、と読むでしょ。王様の奥さん、という意味。ずっと昔のヨーロッパの王妃のお話なの」

と説明はしたが、実は私もそれ以上のことは知らなかったのだった。

本を開くと、まず詳細な系図が載っている。系図は苦手だ。特にヨーロッパ王家のそれなんぞ複雑怪奇が常である。
が、マルゴの場合、ざっと見るだけで綺羅星のごとく有名人の名が目立つ。あっ、母親がメディチの人? じゃ、あのフィレンツェの素敵オヤジ・ロレンツォの子孫っ?! たちまちテンションMAXのアタシ。

それはさておき、冒頭にこういう系図を載せるということは、この物語が史実に沿って描かれます、という宣言なのだろうと理解する。

読み始めはなかなか硬かった。少女マルゴの背景、周辺人物、社会状況の説明がとにかくなされねばならないからなのだろう。
だが開幕早々、マルゴの父アンリ二世が馬上試合で死去するあたりから怒涛のごとく物語が動き出し、一刻も読みやめられず夢中になって読了。

ガッチリと手堅い歴史物の構造を持ちながら、少女漫画的ロマンと女性向けマンガのエロスも詰め込んだ濃厚な作品となっている。
個人的にはこういうベタなエロスはあまり好みではないのだけれど、「王妃マルゴ」を描くにあたって、どうやらそれは欠かすことの出来ない絶対要素であるらしい。マルゴという女性がたぐいまれなる美貌と淫奔の資質でもって名を馳せた女性であったらしいからだ。

読了後、猛然とマルゴ周辺の人物たちのwiki巡りをしたくなる、歴史という複雑な物語への興味が激しくかきたてられる、一冊で数冊分も美味しい、素晴らしい作品だった。

そして判ることは、マルゴ自身は王妃であってもあまり世界史の表舞台での活躍は無かったらしいということ。
が、その分、周辺人物の派手やかさはタダ事ではない豪華絢爛。
母親のカトリーヌ・ド・メディシス、と言えばサン・バルテルミーの虐殺。
義理の姉メアリ・スチュアートと言えば、ライバルはかの名高い処女女王エリザベス。
姉の嫁ぎ先は日の沈まぬ国スペインの王、フェリペ二世。
マルゴの三人の兄は全員フランスの王位に就いている。
そして夫となるナヴァルの王子アンリはスッタモンダの末にフランスの王位も継ぎ、大アンリとまで讃えられる名君となる。
で、その大アンリの息子がルイ13世で、デュマの代表作「三銃士」で彼らが仕える王様、と。


何も知らずにこの渦中の女性がどんな存在かを思った場合。
フィクションならば、知恵と才覚と人徳でもってヨーロッパの貴顕たちの運命を取り結ぶ、愛と平和の偶像としての調停者のようなポジションを貰うところだろうと思う。

が、現実はそんな生易しくも、甘やかなものでも無かったらしい、というところがこの美貌の王妃の渋さであったような。
この先、どんな運命が転がっていくのか、萩尾さんはこの数奇な女性をどう描いて行かれるのか、実に実に楽しみだ。


最近ずっと沈静化していた歴史物語への執着が一気に戻り、今日も1日wikiとやる夫スレ満喫。萩尾作品の持つパワーはやっぱり桁が違うなぁ、と改めてしみじみ。デュマの小説も借りてこなくっちゃ。

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2013. 01. 24  
森薫さんの「乙嫁語り」の最新刊を読む。

時は19世紀、ところは中央アジア。遊牧民が大自然と調和して生きるさまを仔細に、緻密に、どこまでも生き生きと描く作品。作者の世界への愛が感じられる、眺めているだけで幸せになれる、そんなマンガ。

最新の5巻では、威勢の良すぎる双子の乙女がいよいよ嫁入りする話。目も眩むほど可愛い花嫁姿。
それよりももっとなお輝かしいのは、祝いに船を貰って喜ぶ、若き花婿たちの笑顔。

4人で船を担いで漁に出るシーンの美しいこと。
若さと、命の営みと、大自然の恵みの幸福。なんと素晴らしい絵の数々だろう。



だけど。
事前に、とても哀しい話を知ってしまっていた。
彼らが魚を漁り(すなどり)、未来への希望を託した海の行く末のことを。
その海がその世界にもたらしていた、巨大な恵みがどうなってしまったのか、ということを。

詳しくはこのwikiで→アラル海

愛らしい乙嫁たち、その周辺の人々たちは、この惨状を目にすることはなかったろう。
が、彼女たちが産んだ子や、そのまた子供たちはどうなったのか。祖母の膝で聞かされた思い出話を胸に、荒れ果てていく故郷をどんな思いで見たことだろう。

そう思って乙嫁語りを見直すと、美しい描線のひとつひとつに限りなく哀切がにじみ出る心地である。

喪われ、二度と戻らない夢のような時代と世界の物語。
人間がどれほどの巨大な破壊をやってのけるか、どれほどあっさりと残酷に世界をすり潰していくか、そしてその事実を意識もしないで安穏と流され続ければやがてどうなるのかを、語り伝える作品になってくれることに期待する。

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2013. 01. 23  
最近ずいぶん流行っているそうだけど、ピンと来てなかったネットサービスが2つ。

一つはニコニコ生放送。次にLINE。

ニコ生は、公式放送はたまに観ていた。プロ意識が高い放送は従来通りの感覚で楽しめる。ウザいCMも挟まらないし、下手なテレビ放送なんかよりずっと良い場合がある。

さっぱり判らなかったのは、素人がやる生放送のほうだった。魅力が理解できなかった。ボソボソと汚い声の放送が圧倒的に多い。何を話しているのかと思えば、内容の無いことばかり。あるいはただただ目立ちたいがための、奇をてらった行動。あれこれザッピングすればするほど

「こんなものが食えるかっ!」(ガシャーン)

と昭和のゴーマンオヤジ的気分になるばかりだった。

声も鍛えず、トークの内容も無く、何を見せたいのか、何を伝えたいのか、そもそもヒトサマに何かを表現して見せる聴かせる、という意味がどういうことなのかをほとんど考えずに、ズブの素人があれこれ「やってみた」と披露しているばかりの場。
これじゃ結婚式のダラダラスピーチやド下手余興をひたすら耐え忍ぶのと同じようなものではないか。少なくとも私が好きこのんで見に行く理由は無い、と。

が、最近さらに呆然とする話を聞いた。
ニコ生公式放送というのは割りと短く終わる。せいぜい1時間未満。長くても2時間ちょい。テレビの番組とそう変わらない。
が、素人のニコ生放送は、何時間も連続でやることが多いというのだ。特殊な手続きを踏めば最大6時間の枠が確保できる、と。

驚愕した。プロのタレントでさえ、鍛えぬかれたDJでさえ、6時間もの放送枠を与えられたらたいていは困惑するだろう。持て余すだろう。たった独りで6時間もの場を、どうやって繋ぐか、と。

一体全体、6時間もの間、何をやるというのだろうか? 観る方は、何をどう楽しむのだろうか? あまりにびっくりしたので、逆に興味が湧いてしまった。

結論から言うと、何をやる(見る)のが楽しいのか、という問いそのものがアホだった。

一緒に居ること。
時間を共にすること。
体験の共有。
共時性。やりとりから生まれる安心や刺激。

それこそが目的であり、「何」と問うのは無知で無粋なことだった。
「放送というからには、芸だの情報だの、コンテンツとしての品質や内容が充実しているべきだ」
という固定観念に縛られ、視野を狭窄させて観ていたのだ、と気づくことになった。

キーワードは「共」。あるいは「一緒」。

もちろん、なんの拠り所もない場の、何の縁も無い赤の他人と無闇矢鱈と繋がれるほど人心はオープンでは無いので、なにかしらの芯のようなものは必要であるようだ。
ゲームの実況であったり、動画の鑑賞であったり、自分の好きな本などの紹介であったり。
個人が自身そのものを芯にするケースも当然あるようだ。私には無理だけど、若くて肉体美に恵まれた女性が、ただそこに居るだけで、質問に答えるだけで、ありがたやありがたやと満ち足りる男性が多いだろうというのはなんとなく判る。

共にあれる喜び。独りぼっちではないのだ、と安心出来る場の提供。あるいはそういうコミュニティの芯あるいは触媒になれること。
そこに内容も芸も必要では無い。
無いとはどういうつもりだ! と憤っていた私の方がとんでもない心得違いだったということ。


というわけで、最近はたまに素人さんの生放送も見に行くのだった。見に行くというよりは、遊びに行く、という感覚のほうがふさわしい感じだが。

でもやっぱり私の好みは偏屈なので、どうしても「主様(ぬしさま)」のタイプにはこだわってしまうけど。声がクリアーであること。口調が明朗であること。滑舌が良いこと。才気煥発であること。人徳が感じられること。などなど。

内容も芸も必要ではない、と書いたが、やはりもちろん、あるに越したことは無いようだ。これは私個人の好みに限ったことではなく、放送そのものがいかに魅力的か、多くの人に評価されるか、ということはニコ生のシステム的にとても重要なことになるようで、人気があればあるほど、放送主が有利になるように工夫が凝らされているらしい。これも一つの判りやすい評価経済、と言うべきなのだろう。


さて、LINEの方だ。
こちらは、Facebookよりも早くユーザーが1億人を突破したとかで最近ニュースにもなった。
Skypeと似た機能を持っているらしいけど、SNSでもあるようで、既存のそれらとどういうところが違うのか、なぜそんなに若い人中心に素早く普及したのか。どうもよく判らない。

タイムライン、というアイコンがあるので、Twitterのようなものだろうと思い、試しに投稿してみる。
スタンプ、というものが貼れる、らしい?

「こりゃどう使ったらいいのかなぁ」と書いて、デフォルトで用意されてるスタンプの中から、ウサギの死体( ぬいぐるみ?)のようなものを掴んで眺めているらしいクマのスタンプを選んで、ポン、と貼って投稿してみた。

思いの他、大きくスタンプが表示された。

「あっ。可愛い。マンガみたい」

それを見た瞬間、人気の理由が判った気がした。
スタンプ。これは拡張された絵文字なのだ。進化した顔文字なのだ。

従来の、文字と同じ大きさでしか表示できない絵文字や、描画力に制限のある顔文字やAAには無かった楽しさがスタンプにはある。これは( ・∀・)イイ!!

そんなわけでLINE始めようとしています。
最近は電話番号を知らせなくてもFacebookを使っていればそちらで本人認証とみなす仕様もあるので、iPad(Wifiモデル)の方とPCで登録。IDは【obleen】です。まだ誰も個人的な友達登録が無いので、良かったらガンガン申請してやってください。


それにしても、「首相官邸」が「友だち登録」できて、なおかつ挨拶メッセージに絵文字が使われていたりするのを見ると、時代は変わったなぁと軽くクラクラするものがありますな。安倍総理の次のメッセージが楽しみ。


*******************

追記:iPadからだとLINEタイムラインへの投稿が出来ないぽい? さらには、同一IDのPCアプリからだと、タイムラインそのものが存在せず、登録しあった友だちと対話できる機能しか無いっぽい? う~ん、どうもよく判らない。iPhoneで使ってみたアカウントでは、いろんな機能があったのに。こちらは、電話番号を教え合ったリアル知人用に使おうと思ってるんだけどなぁ。分けるなってことなのかな。
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2013. 01. 13  
気がつけば今年もすでに半月過ぎた。どうにも冬ウツが酷くてボーゼンとしている。
そんななか、唯一気分を上向きにしてくれたのが「まおゆう」の原作だった。

今季の新作アニメのひとつ、「まおゆう 魔王勇者」
この原作は、2ちゃんねるのスレッド「魔王『この我のものとなれ、勇者よ』勇者『断る!』」を利用した即興小説ということらしい。
wikiとしてひとまとめになっているものを数日がかりで読んだ。まさかこれほどのボリュームとは思わなかった。そもそもタイトルがタイトルだし、キャラには名前すらついてない。「勇者」「魔王」「メイド長」などとしか書かれてないのだ。てっきり、サクッと読める軽いノリの作品だとなめてかかっていた。

とんでもなかった。
蓋を開けてびっくり。確かに語り口調は軽妙だ。なにせ、地の文が無いのだ。キャラのセリフだけで延々と続くのだ。ごくたまに短い擬音がつくばかり。
なのに、そこに語られる内容は、軽妙どころではなかった。

「世界」の解説なのである。

普段、人間なんてものは、「世界がなにでできてるか」なんてことは思いもしないで生きている。
そんなことよりやるべきことはいくらでもあるし、日々の生活は大変だし、目の前の問題だけでも手に余り、やれることしかやれないし、知りたいことしか知りたくないし、理解できないややこしいものは見て見ぬふりでもしてうっちゃっておかねば、頭がおかしくなって死ぬ。そういうものなんである。
おおよその人にとって「世界」のことなど、そのほとんどがどうでもいいことであり、知らなくても考えなくても生きていけることである、と処理されてしまっている。

戦争が悪なのは知っている。
悪は滅びるべきである。
愛はなにより大事。
でもお金も大事。
人殺しはいけないこと。
人は自由であるべき。奴隷なんてダメ絶対。
悪魔? そんなものは居ないけど、ゲームとかでは敵だよね。いくらでも倒していい相手。

いろんなことを、こんな感じで「なんとなく」思いつつ、日常を私たちは生きている。
だって、そういうのが「常識」だから。


まおゆう、というお話は、しょっぱなの第一章から、そういう常識をグリっとまとめてスコーンと一発で場外ホームランにしてしまうのだった。
そして、ただちに示す。まおゆう、という物語が何を目指しているのか、そのテーマを。

「世界は実はこういうものだ。ひどいものだ。でも、そんな世界とは違う、まったく新しい世界が見たい。今まで誰も知らなかったような、誰も見たことのない、丘の向こうにある新しいものを見たいのだ」

こんなことをやられては冒頭から拍手喝采せざるを得ない。ファンタジーの器で書かれているが、この志はSFそのものだ。
常識や既成概念をひっくり返して打ち砕き、その奥にある真相に気づかせ、新奇を提案すること。私が最も愛する「センス・オブ・ワンダー」をやりますよ、という宣言だったのだ。

こりゃぁたまらん、ありがたくって涙が出ますぜぃ、と舌なめずりしながら猛然と読み始めたわけだった。
が、読んでも読んでも終わらない。長い。長い長い長い。そして面白い。
なにせ、世界を塗り替えちまおうという壮大なお話だ。簡単に終わるほうがおかしいのだからこれはもう仕方ない。
数日を夢中になって過ごした。物語は美しく収束し、申し分なく終わっていった。
深く満足。これこそが、まさにこういうものが、今の私が読みたかったもの、という感慨。

地の文無し、ネット上のまとめだったので、イラストのたぐいも皆無。
そこが逆に良かった。とてもイマジネーションが刺激された。会話しかないのに、豊かな情景が広がった。
かつて、ビデオゲームというものが描画力をほとんど持っていなかった頃、僅かなデータや動きだけで、無限に近い壮大なビジョンを想像することが出来た、あの頃の感動に似たものを味わえた。

なので、今ちょっぴり困っている。アニメとして映像化されたからだ。
映像になるからには、簡素ゆえに逆に豊かだった原作とはまったく違う表現が必要になるわけで、それを受け取る側にも、豊かな映像と表裏一体の犠牲が強いられる。想像の自由が奪われる、という犠牲である。
あるいは、自分独りで培った心の中のイメージが現実の視覚情報によって上書きされて消滅させられるという犠牲である。

しばらくは、自分だけの好き勝手なイメージで楽しんでいたい、という気持ちもある。
が、さらに困ったことに、アニメの第一話の出来が良かったのだ。面白かったのだ。続きが見てみたいのだ。
こりゃ困った葛藤なんである。
特に、最萌え激萌えキャラ、なぜ銀縁メガネをかけていないのだ! と怒鳴りたくなるほど見事な仕上がりの知性派&ドSキャラ「青年商人」に声がついて動くところを見ないわけにはいかない。CV担当は神谷浩史とな。完璧過ぎる。えっ、「軍人子弟」は鈴木達央? 美味しすぎる。嗚呼やっぱり見ないわけにはいかない。じゅるっ。

並の原作とはわけが違う。アニメのスタッフの苦労、苦心も桁違いだろうと思う。健闘と幸運を祈ります。

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2013. 01. 01  
 
 平成25年(2013年)となりました。あけましておめでとうございます。
 皆様、旧年中は色々とお世話になりました。
 本年もなにとぞ宜しくお願いいたします。
 今年一年、皆様にとりまして良い年でありますように。
 およそ簡素ではございますが、これをもちまして総ての新年のご挨拶に代えさせていただきます。





*****************

何かと不安の多い今日この頃。
でも

「金」

さえあれば、大抵の問題や不安は片がつく。
どんなに身も蓋もなかろうが、それは真実。

だけど。

『金』(きん、じゃなくて、かね。ゴールドじゃなくてマネー)

の本質はなんだろうか?

そう、「信」であります。

信用。
信頼。

そしてそれらがある関係を

「絆」

と呼びます。

不安も、困難も、信用や信頼があれば、たいていのことはなんとかなる。
絆はなにより大切で、絆を増やし広げることが大事。



「金」をチョチョイと本質的な言葉に入れ替えるだけで、こんなに良い話になる。まぁ不思議!



真面目な話、これまでの利益利潤追求型の成長社会を見なおそう、新しい生き方と社会を求めようというムーブメントは、なお一層大きくなっていく年になると思う。
肝心なのは、利益と経済を混同してはならない、ということ。
もっと言うなら、本当に求めるものはなんなのか、を見失わないこと。

金が欲しいのか、豊かさが欲しいのか、信頼、尊敬、愛、絆が欲しいのか。

人の欲望、限りなし。
けど、その正体は何か? 実は何を欲しがっているのか? 掘って、掘って、掘りまくって、それぞれがそれに気づくべき時。
その根本(コンポン)をわきまえてこそ、何故「とりあえず金」に走るのか、その意味も、必要性も判ってくることなのだと思う。
あるいは金が無くてもなんとかできる道も見えるのだと思う。


*******************


人間が変わる方法は三つしかない。
一つは時間配分を変える。
二番目は住む場所を変える。
三番目は付き合う人を変える。
この三つの要素でしか人間は変わらない。

もっとも無意味なのは、「決意を新たにする」ことだ。
かつて決意して何か変わっただろうか。行動を具体的に変えない限り、決意だけでは何も変わらない



********************

太文字は、大前研一氏の言葉の引用。真理だと思う。噛み締めながら朝日を浴びる元旦。

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プロフィール

星 ゆう輝

Author:星 ゆう輝
人生50年、オタク歴40年弱、母親業四半世紀。老眼とボケが迅速に進行中。麗しいロボ執事をはべらせるのが老後の夢。

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