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2013. 04. 30  
かつてテトリスというゲームがありました。
あまりに中毒性が高く、ハマる人続出で大ブームになり、
「これは西側諸国の生産性を下げ、資本主義を弱体化させる目的で送り込まれた恐るべき陰謀の一環云々」
などという妄言がはびこるほどでした。

テトリスは、似たようなシステムの後追いゲームを大量に生み出し、それらはごくざっくりと
「落ちゲー」
と総称されていたと思います。

その落ちゲーの群れの中から、燦然たるヒットが生まれました。

「ぷよぷよ」

です。

落ちてくるアイテムが合体し、飛び散るように消えて、連鎖するほどに派手な効果が生まれる。
キャラ性とゲーム演出が綺麗に噛み合うことで、他の落ちゲーとは一線を画する快感をプレイヤーにもたらし、大ヒットコンテンツとなりました。

ぷよをモチーフにしたスイーツなど、周辺グッズも山ほどあったと記憶しています。
個人的に、もみじ饅頭と同じ素材で作られた「ぷよまん」がとにかく大好きでたまらなかったものです(´¬`)



時は流れ、ぷよぷよブームも沈静化し、開発会社も無くなり、ぷよぷよは大手メーカー・SEGAが権利を引き受けて、それでもずっとキャラゲーの命脈は保っていたようです。



今や、ゲームはスマホの時代。
スマホ対応のゲームも数多く生まれました。
いくつか遊んでみましたが、どうにもどのスマホゲー(ソシャゲと呼ばれるシステムが多いですが)も、私にはとうてい食い足りない、満足には程遠い、わびしいものばかりに思えました。

ですが、たった一つだけ、「こ、これだけは別格!」と眼を見張るような出来のモノが現れました。

「パズル&ドラゴン」

です。

爽快な操作感のパズルゲームと、ダンジョン攻略RPG、そしてキャラ合成という名のカスタマイズ強化。意欲を掻き立てる印象的な音楽。愛らしいキャラデザイン。
いろんなゲームの美点を取り入れて絶妙な配合で仕上げられた逸品。
スマホのタッチパネルという、新奇な入力方式に特化したシステムをきちんと作り込んでいるセンスの良さ。
そしてここがとても重要な点です。

「無課金でもちゃんと遊べる仕様」


ウンザリするほど浅はかで軽薄でゲームの名にも値しないようなシステムと卑俗な集金主義根性ばかりが透けて見える「ソシャゲ」の汚濁の中、唯一そびえ立つ霊峰のごときゲームとなりました。

パズドラが瞬く間にスマホゲーの王者としての地位を獲得していったのも、当然かと思います。



さて、テトリスが数え切れないほどの類似品を産んだのと同じように、パズドラの後追い企画も山ほど出てきたようです。仕方ないことです。


そして、今日、見つけてしまいました。

限りなくパズドラチックな「ぷよぷよ」を。
その名も「ぷよぷよ!! クエスト」。

あの愛らしい、カラフルでツヤツヤしたぷよぷよの姿はそのままに、システムはもうびっくりするほどパズドラそのもの。

「これほど栄枯盛衰という言葉が相応しい心地があるだろうか」

と思いつつプレイしていました。



ううっ。
どうしよう。
ぷよクエ面白すぎる。やめられない。止まらない。懐かしさもあいまって手がiPadから離れない。まるで呪われた装備のよう。

とうとうiPadのバッテリーが切れて画面が真っ黒になってしまったので、仕方なくパソコンでこれを書いています。
またぷよぷよブーム、来ないかしら。
いえ、あの思い出の「ぷよまん」を、もう一度食べてみたいなぁ、と……。


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2013. 04. 21  
昨日は、埼玉にある理化学研究所の施設公開日でした。

ここ数年、毎年のように見学に行きます。


どんより寒い日でしたが、今年も大盛況でした。制服姿の学生が今年は特に多かったように思います。
そうです。女子高生がワンサカワンサと来ているのです。授業の一環だろうとは思いますが、心底楽しそうにしている子も多いです。実に華やかです。

小さな子供向けの実験展示も多いです。子供向けと言っても、そもそも理化学のことがよく判ってない私のような大人にとっても魅力的な展示だったりします。

電気で踊る水、というのがありました。

お菓子の四角い空き缶。その上に、透明円筒に入った黒い水が置いてあるだけ。円筒には、銅線がグルグルといっぱい巻いてあります。

銅線はアンプのような機械につながっていて、科学者さんがスイッチを入れると、黒い水がユラユラ踊り出します。
同時に、空き缶が音楽を鳴らし始めます。とてもかすかな音ですが、スピーカーになっているわけです。

黒い水に見えるのは、実は砂鉄を溶かした油。その周囲に電流を螺旋状に流すと振動し始め、振動が空き缶に増幅されて音に聞こえるという仕組み。

電気とは、なんと不思議なものでしょう。



子供の頃からどうしても理解出来ないことがあります。

「電気って、何? なぜ生まれるの?」

銅線をグルグル巻いて、磁石と組み合わせる。
電気を通せば回転する。
回転させれば電気が生まれる。
鉄を銅線でグルグル巻いて電気を通せば磁石になる。

不思議すぎる。そういうものだということは判る。でも何故? そのエネルギーはどこから来るの? 

事あるごとに、いろんな人にこの質問をしてきました。
みんな一生懸命に説明してくれるのですが、どうにもなかなか納得出来ない私。

踊る水があまりに面白かったので、思わずそこの科学者さんにも質問してしまいました。

「それは、こうすればそうなる、そういうものだとしか言えないんです」


そ、そんな。
そういう

「スイッチを入れればテレビが点きます、そういうものなんです」

みたいな答えは私の欲しい答えじゃないんです~~(´;ω;`)


じゃ、私が欲しい答えは一体、何なのでしょう? 結局「エネルギーとは何か?」という事になってしまうのかも。


踊る水の隣では、何本ものパイプを女子高生たちがキャッキャウフフと見ていました。パイプを上からスマホで撮影する子も居ます。

科学者さんが指でなにかつまんでいます。円筒を短く切ったモノです。

「これは強力な磁石なんです」

それを、銅で出来たパイプに落とす。すると、磁石はとてもゆっくりと落下していきます。それも、グルグルと回転しながら。
これが鉄のパイプなら、すぐひっついてしまって落ちないはず。
銅に磁石はつかない。
でも不思議なことに、なにかに絡められているかのように、螺旋を描きながらゆうるりと落ちていくのです。

「こちらはアクリルのパイプです」

透明な樹脂のパイプに同じような磁石を入れても、なんの抵抗もなくストンと落ちるだけ。

なんでなんでなんでーーー?!

種も仕掛けもない、銅で出来たパイプと磁石。それだけ。
それだけで、重力に逆らってフワフワと不思議な動きをするモノ。

「磁石は鉄にひっつく。銅にはつかない。反応しない」

という固定観念がひっくり返った瞬間でした。

「銅という金属が、とても電気を通しやすい物質だからなんですね。そこを磁石が通過することによって電気の流れが出来るので、こういう動きになります」

ハッ('Д')! なにか判った気がする!

銅のパイプをクルクル落下していく磁石。

「もしかして、今このパイプが微弱な発電器になってるの?」
「そうですね」

電気は、なぜ生まれるの?

「電子というものが移動することで生まれます。銅は、とても電子が動きやすい物質です。アクリルなど、樹脂という物質では、電子はガッチリ固定されていて、電子は動きにくい。だから同じ動きでも電気は生まれず、磁石はストンと落ちるんです」

「もしかして、私たちは、電子が動きやすい状態のモノを、『金属』と呼んでいるんですか?」
「そうです」

(☆∀☆)←なにかが悟れた目

電気が動きに変わる(モーター)
動きが電気に変わる(発電機)

クルクルと螺旋を描く磁石。
クルクルと巻かれた電線。
延々と続く円環の中を通過するモノ。

「エネルギーとは、『動く』ということ」
「それが減っていくことが『エントロピー減少』ということ」

私の中でバラけていた情報が、やっと繋がりました。なんと美しい円環の理でしょう。

金属という不安定な物質、そこで動く電子をとっ捕まえて、光や熱や音に変換しているんですねぇ、私達。やっと納得できましたよ。



まぁ、それでもやっぱり結局

「エネルギーはどこから来るの?」

というおおもとの謎はまだ解けないんですが。






電気の謎に触れた後、別の棟に行くと液体窒素の実験をしていました。トロ箱に入れられた、モワモワと白いもやが上がる水。軽く沸騰しているかのようにも見える水。

ほうれん草をつまんでそこに浸ける。シュワシュワと泡が出て、あっという間にフリーズドライ。さすがマイナス200度の世界。
科学者さんの手元には、それで釘を打ったとおぼしき穴が開いている凍ったバナナも転がってます。やっぱオヤクソクですよね、液体窒素といえば。

ここでもかねてからの疑問をぶつけてみました。

「どんどん蒸発して消えていくのに、こんなに無造作に扱って、勿体なくないんですか? 液体窒素って、高いのじゃないの?」

若い男性科学者さんが横を向いて叫びました。

「教授ぅ、窒素って、コスト高いんですか?」

隣のテーブルで実演している老紳士が答えます。

「あ~、やっすいやっすい」

「安いの? 空気から作るから? でも作るのは面倒じゃないんですか? 液体窒素って、どうやって作るんですか?」

「冷やせば作れます」
「でもマイナス200度まで冷やすって大変なのじゃ?」


だって、冷房代って凄いですよね。夏の暑い日に部屋を涼しくするだけでとんでもなく電気代はかかりますよね。冷蔵庫は家電でもっとも電気を使うものの一つですよね。
マイナス200度まで冷やすって、なにかものすごくエネルギーとかかかりそうじゃないですか。

「圧力を変えれば温度は下がります。大気を入れて圧力を下げる。すると勝手に冷えて、少しずつ液体窒素が出来るんです。これを見てください」

取り出しましたるは、丸く膨らんだゴム風船。
それを液体窒素に入れる教授。
ゴムがシワシワになりながら、風船が縮んで行きます。

「ほら、液体になったでしょう」

なんと! 空気しか入っていなかったはずの風船の中にタプタプと水が溜まっている! あっという間の出来事でした。

冷やすことで圧力が変わり、気体が液体に。
圧力が変わることで冷えて、気体が液体に。

なんだか不思議な現象ですが、ともかくも液体窒素が意外と安く作れるということはとても納得が行きました。




こういう、見ていて判りやすい実験のたぐいから、世界最先端の科学技術の解説展示に至るまで、理研の一般公開はとても多彩で広大で、面白いです。毎年この時期にやっているので皆様も足を向けてみませんか。もちろんあらゆる展示が無料です。不織布製のシャレたバッグや、素敵な絵葉書などなど、ちょっぴりお土産も貰えますよ!

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2013. 04. 10  
アニメの新番組「惡の華」の第一話を鑑賞。

事前にあれこれ物議をかもしているという話を聞いていたわけですが、思ったほどの衝撃は受けませんでした。
信念や意思に基づいた、まっとうな意欲作だと思います。

とはいえ、非難の声の意味ももちろん判ります。

この作品は、硬直化しガラパゴス化しようとしている、日本のアニメ文化に対する果敢な挑戦であり、ひいてはオタク文化そのものに対する挑発でもあるからです。
アレルギー症状にも似た悲鳴が上がるのはむしろ当然かもしれません。


惡の華の作画に使われている技法は、ロトスコープと呼ばれる、実写映像を加工したものです。
これはアニメーションの世界では、およそ100年ほども前から使われている古典的な手法です。
フライシャーやディズニーの作品でも多用されているので、見慣れた方も多いはず。

かつてのロトスコープと惡の華との違いは、アナログ手法がデジタルに置き換わったという点でしょう。
そのためか、古典ロトスコープ表現に比べて、ややおもむきに欠けた風情が漂っているとは感じます。
人間が手描きで転写したタッチと、デジタル的に転写されたタッチに相違が出るのは当たり前のことです。
肝心なのは、そのタッチの違いを如何なる表現に結びつけていくのか、という創作側の意思でしょう。


惡の華。
舞台は学校。どうやら地方都市。なんの変哲も無さそうな、地味な文学少年の日々。
目立たず、争わず、親にも学校にも逆らわず、誇りと憧れを胸に秘め、古本屋通いで気に入りの詩集を読み耽る。
でも心の奥底ではたぎるマグマのような得体の知れぬ衝動が蠢いている。
ほんの些細なきっかけで、少年の心の中に一つの思いが形になる。
凶々しい花が咲くように。


学園モノです。青春そのものです。
そして、そういう舞台や状況を描くアニメは数え切れないほど日本にあります。
ですがそのほとんどが、日本特有の画風で描かれた、美少女美少年の群れが登場人物になります。
いわゆる「萌え絵」です。

アニメもマンガも、理想化されたイメージを表現する形で進化発展してきました。
現実の要素を削ぎ落とし、描きたいものを絞り込む。
受け手は、簡素化された絵に、己の望ましいイメージを投影して重ねることで、イメージを強化します。
この構造によって、作り手と受け手、双方の幸せに繋がる文化。それがオタク文化の本質の一つです。

「理想を思い描くことによって幸福感を得ること」

この目的、大原則こそが日本のオタク文化をここまで発達させてきたのです。

美貌のキャラしか登場しない。汚いものは極力出さない。大人が邪魔なら家庭から排除する。次から次へと都合の良いことが起きる。楽しく、愉快で、賑やかなことばかり。
そして、ここが一番重要。
「どんな問題も最後には丸く収まる」

美しき好都合と、予定調和。
アニメはそれらの権化です。
もちろんアニメに限ったことでもなく、ドラマであっても、ハリウッド映画であっても似たようなものだとは思いますが。


翻って「惡の華」。
実写から起こした画面。
背景だけなら、なんの変わり映えも無い、リアル指向の丁寧で美しい絵です。
非難が集中しているのは、キャラの描き方です。なんとも生々しい。従来のアニメの絵なら削り捨てて顧みない、現実のきたならしさがありありと現れているのです。
少女の身体は、美しいとは限らない。
生の肉が発する存在感。下駄箱に入れる靴の独特の臭いまで漂ってくるような、執拗なリアルの追求。
だぶついた脂肪があること、臭気を放つ粘膜があること、陰鬱な表情や仕草があること。

理想を夢見て幸せでいたい心が、目をそむけてなきものにしたい「現実」そのものが、これでもか、これでもか、と叩きつけられた絵になっているのです。
アニメファンに、「現実見ろよ!」とアニメの形で見せること。
これが挑戦でなくてなんでしょう。



このリアル描写、個人的には心安らぐものを感じます。
美しいもの、好都合なものしか存在しないマンガ・アニメ表現の世界。それに対する微かな反発を、私は思春期の頃から抱いていたからです。

「そこに私のような存在の居場所は無い」

奇妙なことに、そういう想いが強いほど、現実をさらに否定し、理想を追って快美を得たいと願う心も強くなるもので、反発しながら耽溺するという、心理のねじれ構造のようなものがさらなるオタク文化追求を深める、という人生になったのでしょう。

アニメに堂々と「ブス」が描かれる時、思春期の頃の反発がかすかに宥められるような心持ちが沸くのです。

「ああ、私の存在は消されていない。なき者にされてない。居ても良いんだ」

と。



なお、「アザゼルさんZ」初回のブス表現まで行くと、安らぎを通り越してもはや「爽快」になりますが。
この作品においては、第一期の学校描写や、「セーヤ編」でのホステスの群れなどに、容赦無きドブス描写が嵐のように吹き荒れます。
美少女も醜女も等価でしょ、という視点がそこにはあるように思いますし、その視点あってこその深い人間観察であり、それがガルパンという作品での数十人もの女子高生のキャラ描写のそれぞれを際立たせるという偉業に結実したのだろう、という見解を付記しておきます。


人間は、見たいものしか見ようとしない。
オタクは、その意味ではさらに先鋭的です。
鋭くなるほど狭くなる。
結果、日本のテレビアニメは呆れるほど視野の狭いものが増えました。
同じような絵柄、同じような内容のものが増えました。
不景気による商業主義への適応によってそうなっている事情もありますが、この方向性が極まることは文化の発展と存続のためには、大変危険です。

「そういうものでしょ」

という、固定化した狭量な視野しか育たなくなるからです。
豊穣であるべき可能性が否定されるばかりだからです。


「惡の華」の、既存のイメージに挑んだ姿勢を、心から称賛し今後の展開を見守りたく思います。

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プロフィール

星 ゆう輝

Author:星 ゆう輝
人生50年、オタク歴40年弱、母親業四半世紀。老眼とボケが迅速に進行中。麗しいロボ執事をはべらせるのが老後の夢。

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