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2013. 06. 23  
DQX(ドラゴンクエスト10)がPCにやってきます。
ずっと任天堂の据え置き機、Wiiでないとプレイできなかった、あのドラクエ初のMMORPGが。
当初から気になってはいたのですが、いろんな事情で見送ってきたタイトルでした。

ですが、初期投資ほとんど無しでプレイ出来るとなれば、これはもう飛びつくしかありません。

まずベンチマークテストを堪能。とてもよく出来た、絵本のようなストーリー仕立てのベンチです。運営のセンスの良さが伺われます。

幸い、数年前に購入したロートルマシンでもそこそこの数値が出ました。クライアントのダウンロードも、パッチ当ても、MMORPGとは思えないほど素早く終わりました。とても軽快に作られたプログラムなのでしょう。

操作も簡単です。迷わずにサクサク動かせます。
画面は一見は簡素に見えますが、モーションがとても凝っていて、キャラデザインへの尊敬が感じられます。漫画らしさが生きていて、よくまとまっています。

キャラメイクをするにあたって、自分自身だけでなく、兄弟姉妹を一人設定するよう指示されます。
しばらく考えて、「兄」を選びました。
名前は、若くして逝ってしまった実の兄の名にしました。
顔も、超絶美男だった兄になるべく寄せてみました。


物語が始まります。

兄が、なにやら大きな動物の背に乗って現れて、一緒に乗るよう手招きします。

dqx1.jpg

この画面を眺めて、数分ほどもボーッとしてしまいました。
泣けます。
はるか昔に喪われた可能性が、目の前にあるのです。
同時に、なんとドラクエらしいのだろうと思いました。
ドラクエ4を初めてプレイした時のことを思い出します。
あの頃、私は乳飲み子を抱えて、母親業に忙殺されていました。僅かな隙を見つけて立ち上げたファミコンソフト。
そこでは、私はまだ10代なのだと告げられます。なんの運命も始まっていない、無限の可能性を持った存在だというのです。

気づけば、ボロボロと涙がこぼれていたことをはっきりと覚えています。
この先、いつ終わるともしれない育児。24時間営業で、一日の休みも許されない日々。確定された人生。
だけども、画面の中の私には、とっくに消えたはずの可能性が蘇っているのです。得体のしれない、白紙の可能性が。二度と戻らないはずの少女の日々が。

「誰がなんと言おうと、ドラクエには大いなる夢がある! かなわぬ夢を生きるもう一人の自分、という夢が!」

あれから四半世紀。
ドラクエ、というタイトルが提供しようとする夢。それは少しも変わっていないのだなぁ、ずっと貫かれているのだなと、感慨ひとしおでした。



ひとしきり、オフラインモードで初心者向けの手ほどきを兼ねた軽いクエストが続きます。
正直、フィールドでの戦闘は、かなり退屈でしかもスローモーで、キツかったですが。
ひたすら簡素なので、ゲーム慣れしていない人には丁度いいのかもしれません。

いろいろあって、オフラインモードという名の導入が終わります。イベントシーンはなかなかの迫力。良い演出というのは画質のスペックの影響なんぞ関係ないのだな、という感じです。


そして、再びのキャラメイクです。
今度は人間以外の、五つの種族から選ばねばなりません。どのレイスもそれぞれ魅力的です。

ですが、何を選ぶかはとっくに決めていました。それがあまりにカワイイのが、DQXをやる動機の一つでしたから。

dqx2.jpg

というわけで、プクリポはじめました。
名前は「ビビデナ」ちゃんです。
およろしく♪


とはいえあくまでβなので、本サービス前には消えてしまう子なのですけどね。


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2013. 06. 17  
子供が親の思い通りに育つわけないでしょ!? 

今日は、そういうお話。


熱量と文字数の最新更新トークで

「3歳になる娘がいます。プリキュアが大好きな彼女が、プリキュアを卒業したら、その後なにを見せてやればいいでしょうか?」

という相談を受け、いろいろ考察するという場面がありました。

プリキュアは人間関係の深い話も普通にやるので、ずっと見せていて良いのでは? というところから、親のオタク趣味に寄せていくべく萌え系の作品も見せたいとか、いろんな思惑に沿った提案がいくつもあって、実に面白かったわけです。

私がまず脳内に挙げたのが、おジャ魔女どれみシリーズ。プリキュアよりもリアルな方向性なので、プリキュアアフターには最適かと。

次に浮かんだのが
「とにかくアルプスの少女ハイジと赤毛のアン、この二作こそ、もうてっぱん中のてっぱん!」
ということ。

そして、なぜこの二作がてっぱんかを考えますと。
すなわちそれは高畑勲氏という至高の演出力とこだわりを持った監督の仕事が素晴らしすぎるから、ということになります。
なら、氏の他の作品も同様の価値を持つはず。
パンダコパンダはもちろん、セロ弾きのゴーシュもマスト、ということになります。

「ん? だからといって「太陽の王子ホルスの大冒険」はじゃぁアリなのか? んん? なぜだろう、純然たる子供向け漫画映画のはずなのに、ありゃぁもちっと青春くさくなってからだろう、とか思ってしまうのは?」

さらに考察が進んで

「そもそも、オタクとして育って欲しいならば、先に見せておくべき作品群があるはずじゃん? アニメーションという虚構を本能的に愛する人になるべく、より原初的快楽に訴えかける作品を。アニメーションの本質が骨身に沁みる作品群を! そう、ディズニーのシリー・シンフォニー・シリーズやフライシャーを! 言語の壁が存在しない、観ているだけで万人が理解できる、まさに映像の根本を示す古典の数々を! 音楽と動きが一体化したアートとしてのアニメを! これこそまさに情操教育としてまず必要な道でして……」


などと考えているうちに、ハタ! と気づきます。
古い作品ばかり。
これじゃあ「年寄りは引っ込んでろよ」と言われても仕方なし、であります。



私はテレビアニメ鑑賞を再開したのがここ2、3年でしかないので、20年ほどに渡っての知識がすっぽり欠落しているのです。
古いものしか紹介できないのは問題です。

なので夫の人にもこの話題を振ってみました。
いろいろとトークが沸騰し、それはそれは楽しかったのですが。
意外にもやはりタイトルがそう多く挙がるわけでもなかったのです。

「これが『男の子』なら、もっといくらでも見せたいタイトルは浮かぶんだけど。うーん、女の子だし……」

と夫の人が言った瞬間、私の脳裏に幼児期のトラウマが蘇りました。

アポロ計画ブームの時代、宇宙やロケットやSFなどの記事ばかりだった「小学○年生」という雑誌を買ってきた私。
それを母が取り上げてパラパラとめくってこう言ったことを。

「ロケットだのロボットだの、こんなもの、女の子のためのページなんてほとんど無いやないの。本屋に返してらっしゃい。お金返してもらってきなさい」

私はまさに、その、ロケットだの宇宙服だのの本が読みたかったのに。
女の子のための本じゃない、といって取り上げられてしまった。
女に生まれたばかりに、自由を奪われる。意思をないがしろにされる。
そんな世間の理不尽を初めて押し付けられた記憶。



「……いや、よく考えたらそれっておかしいよ。女の子だからって、作品を選り好みとかおかしいよ。どんな作品だって、観せてあげるべきだよ!」

「だよなぁ。どんなものを好きになるかはその子次第なんだし。なんでも観せて、何が好きかは自分で決めさせるべきだよな」

「あ、後さぁ、出来の良いものばかりじゃなくて、上品なものばかりじゃなくて、そうじゃないモノも同時に観せた方がいいのじゃないかな」

「グダグダな、ユルユルなダメ作品も観せようってことか?」

「そうじゃなくて、出来は凄いんだけど、下品なネタもやる作品を。だってね、良識的なものばかり観せて育てたら、成長したころに反動が来て、「よろしくないもの」の魅力にハマってしまって抜けられなくなってしまうかもだから」

「あー、それはおおいにあるね」

「なので、ハイジやアンなどと同時に、クレヨンしんちゃん劇場版などを激推しします。特に初期のやつ。雲黒斎とかヘンダーランドとか」

「おおいに同意する」

などと話が進んだあたりで、フッと嫌な予感のようなものがよぎりました。


「……いろいろ出たけど。結局さ、何をどんだけどんな意図で観せようが与えようが、やればやるほど、いつか子供はそこから反発していくものじゃないの? 反抗期ってのは来るものだし、そうしたら、親のやることなすこと嫌で嫌で仕方無くなるわけだし。

『あのクソみたいなガキ親のせいでアニメなんか死ぬほどキライになっちまったよ、ムシズが走るよ! バッカジャネーノいい歳こいてあんなクダラナイものゾッとするよ! そんなものより世の中にはもっと大事でイイものがいくらでもあるってゆーのに! 金だよ、ヤクだよ、男だよ、生でリアルな刺激だよ!』

てなこと言いながら、ロックだダンスだアングラだーって、素人バンドや演劇集団の追っかけのために家出しちゃって、くだらない男の語る夢とやらに騙されて貢いだり、あっというまに破綻した結婚で生まれた赤ん坊抱いて出戻って来たりするようなギャルに育つ可能性とかが出てくるじゃん、逆に?」



というわけで、結論。

子は親の思い通りにはなりません。
むしろまったく逆であります。
そして、それが自然なのです。

親としての思惑、意図、理想。
それを押し付けたくなるのは大人のサガのようなものです。
ですが、それがいつか裏切られることもある、という覚悟を、常に大人は持っているべきだと思います。



********************

この会話をした後日、爆笑問題のラジオに虚淵玄氏がゲストに来た回を聴きました。

虚淵氏の御父君は「宇宙戦艦ヤマト」がお嫌いだったそうで

「これ(ヤマト)を最後まで観て、泣かなかったらオモチャ買ってやる」

と仰り、でも虚淵少年はやっぱり泣いてしまい、オモチャは貰えず、敗北感を抱いたとか。

あるいは、アニメのサントラを聴き込んでいたら

「そんなものは音楽じゃない! これを聴け!」

とご自身の好きな音盤(頭脳警察などだったそうな)を渡し、虚淵少年はイヤイヤ聴いて

「わっかんねーなー……」

と思っておられたと。

アンチオタク教育と言うべき薫陶を受け、いまや虚淵氏はバリバリ売れっ子のアニメライターに大成なさいました。

そういうものなんだなぁ、としみじみ再確認した次第です。


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2013. 06. 11  
TV放映中の「ヤマト2199」。夫の人と一緒に毎週観ています。
夫婦揃って50歳ですから、初代ヤマトブームの直撃を食らった世代です。当然ながら旧作ファンならではのこだわりも多く、時にはちゃぶ台返ししたくなる瞬間もありますが、それでも毎週楽しんではいます。


旧作でも活躍していた、ゲールというキャラがいます。
昔からなんとも難儀な性格のイヤなオッサンだったのですが、2199においては更にイヤさに磨きがかかり、下司というか下衆というか、とにかく「ゲス」というしかない、判りやすいおひとです。
私は基本的にこういう、私利私欲にまみれた下品で騒々しい御仁は大嫌い。

ですが、キャラクターというものの奥深さとでも申しましょうか、特徴があまりに尖り過ぎるとかえって突き抜けてしまい、逆流のようなことが起きることがあります。

人気を取ろうとしてカッコよさを強調し過ぎると、かえってバカみたいになったり。
悲劇性を打ち出し過ぎて、シリアス転じてお笑い系に流れたり。

2199のゲール君の場合、ゲスさが極まり過ぎて、もはや愛嬌の領域に突入し始めたように思えて来ました。
このまま話が進めば、ほぼ間違いなく「ゲス可愛い」という珍奇な魅力でもって結構な人気を獲得することになるでしょう。
なにせ、旧作の流れを踏襲するのであるならば、この先ますます彼の見せ場(?)や活躍(??)が派手になっていくはずだからです。

無闇矢鱈と美しい青年や少女、渋くてカッコいいオヤジなど、素敵キャラばかりで満ちている2199ヤマトですが、やはりこういう汚れ役と言うべき存在が居てこそ、世界が味わい深いものになれると思うのでした。


*****************************


デスラー総統を讃えるシーンを観ていて、

「なんだかガミラスがローマ帝国っぽい?」

という気がしたのですが、ちょっとネットを調べてみると、2199ガミラスとデスラーの設定として

『ガミラス統一の立役者であった叔父の亡き後、内乱を鎮めて権力を掌握、軍事独裁制を布いて帝国を拡大、その政策の基本は寛容……』

などとあるのを見ると、ああもうこりゃマジもろにカエサル後のアウグストゥスなんだなぁ、と。

アウグストゥスというよりオクタヴィアンと呼んだほうが、私と同じくらいの年代のオールドオタクな方々におかれましては

「ああ、あの、『クレオパトラ』で野沢那智が声やってたキモいやつ」

と、即座にご理解いただけるので、話が早いんだか早くないんだか。


さらにネットを漁ると、実は旧ヤマトのプロデューサーだった西崎義展氏が

「デスラーはローマ時代の皇帝のイメージ」

と語っておられたそうなので、2199のガミラスの設定はそこから発展していったのかもしれません。


旧作には無かったオリジナルエピソードも増えてきました。なかなか目が離せない展開になってきて、ますます今後が楽しみです。

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2013. 06. 06  
「進撃の巨人」のコミックス売り上げがドエライことになっているそうです。

4月からアニメの放映が始まり、原作本が飛ぶように売れ、

「2カ月で750万部の重版は、講談社史上最大の数字ではないか」

ということだそうな。

「こりゃぁ遠からず進撃ビルが建つな!」

と一瞬は思ったのですが、それよりも出版事業をネット新時代に対応させるためのインフラ開発に利潤はお使いになるのかもしれません。

本の売れないこの時代に、ただでさえ原作本は1200万部というとんでもない数字を出していたわけで、そこにアニメ放映という最大規模の広告効果が重なり、もうドエライというしかない事態であります。
そして恐ろしいことに、この勢いはしばらく続き、数字はもっと伸びるでしょう。



始めて書店で原作の1巻を手にとった時。
正確には、試し読み用の薄い冊子をめくった時。
あの衝撃は未だに鮮明で忘れられません。
とにかく、物凄いシロモノでした。なにが凄いって、とんでもなく絵がヘタだったこと。

「こんな稚拙な状態でデビューさせるなんてほぼあり得ないはず、何が起こっているのか?」

数ページほども読み進めて、『何が起こったのか』はすぐさま理解できたのですが。

そこに溢れていたのは、独立独歩の感性と、破格の意思力。
何が何でも、己の内に沸き上がってくる、人と世界と物語を描き出して形にするのだ、というがむしゃらの挑戦。
混じりっ気無しの、それは金無垢の才能の輝きでした。

これは間違いなく化ける。超絶な作品になる。その明確な可能性の前には、画力が追いつかず修行不足であることなど、何の問題にもならない。
ド素人の私ですら雷に打たれたようにそう感じ取るほどなのですから、プロの編集がどれほどのインパクトを受けたのかは計り知れません。

かくしてうら若き新人のデビュー作はたちまち世に登場し、破格の扱いで書店に置かれ、あっというまにセンセーションとなりました。

巻数を重ねるごとに、稚拙だった画力がメキメキと上がっていき、物語のテンションも上がり続け、謎は深まり、物語の勢いもとどまるところを知らない激しさ。

そして満を持しての映像化です。
このアニメ化の見事さが、世にも稀に見るクラスのハイクォリティだったわけです。

普通、人気マンガが映像化された場合、たいていは悲惨なことになります。実写であれアニメであれ、どうにも平板にぺったりと原作をなぞっただけになるか、激しく劣化するか、あるいは原型をとどめない改変がなされます。

原作を忠実に再現し、なおかつ映像としての魅力に満ちている、などという理想的なケースは滅多には成立しない、稀少例なのです。

ですが進撃の巨人は素晴らしいスタッフに恵まれたようです。
また、おそらくは予算も破格なのだろうと思います。演出、作画、美術、どれをとってもテレビアニメの枠には収まらない手間暇と力量が注がれています。



結果、今何が起きているのか。
それは、破格の浸透です。
進撃の巨人は、原作の持つパワーとアニメの迫力とが合わさって、マンガ・アニメというポップカルチャーの世界の壁をやすやすとぶち抜いて、普段そういうものに目を向けない一般の人々のところまで飛んでいき、ハートを貫いて行っているのです。

放映開始後たった二ヶ月。
ネットには次々と「進撃の巨人ごっこ」で遊ぶいろんなネタがアップされ、テレビやラジオの一線で活躍するタレントの方々が「誰にでも通じるネタ」として「立体機動」などと口走る。

アニメ、マンガ、ゲームがどれほど素晴らしい作品を生み出そうとも、それが一般の老若男女にまで浸透するまでには、かなりの時間がかかります。
長らくオタクをやってますが、これほど素早く世間に認知されていったケースを私は他に知りません。
「進撃の巨人」は、売り上げという数字的な意味でも、作品という文化的な意味でも、空前絶後のスケールのものを残すことになるでしょう。
個人的には「ポスト・エヴァンゲリオンと言うべきものがやっと出てきたなぁ」と思うのでした。

ポップカルチャーの裾野が広がり、数限りないほどのファンタジーやSF、フィクション性の強い作品が次々と世に生まれ続けています。
その膨大な作品群の中で、進撃の巨人がこれほどまでに抜きん出ているのは何故か。

理由は数多くありますが、今一つだけ挙げるとするならば

「『世界』を描こうとしているから」

だと思っています。

そしてそのために、

「好ましいものを一、描くために、その数十倍、数百倍を勉強し吸収し消化し、己の手足の如く使いこなせるための武器となるまで身につけなければならない、ということを原作者が骨身で知っているから」

だと思っています。

自分にとって都合の良いもの。
都合の良い設定、都合の良いお話に都合のよい人物ばかり描こうとするクリエイターには決して辿りつけない境地を、原作者の諫山創さんはおそらくは生まれながらにして持っておられる。まだ大変にお若いのに驚くべきことです。

ですが、正真正銘の才能というものは、実はしばしばそういうものなのだろうとも思うのでした。

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2013. 06. 03  
日本国憲法第19条。


思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。


さて、最近思い出したあるエピソードがあります。
アイザック・アジモフ氏の自伝で紹介されていた、とある一幕です。

御三家と讃えられた3人の偉大なSF作家。
ハインラインとアジモフ、そしてクラーク。

このうちアメリカ在住だった2人、ハインラインとアジモフは、軍関係の業務に共に従事していた時期がありました。
ハインラインの方が歳上でもあり、リーダーシップもあり、いろいろ提案をしては周囲を巻き込むことが多かったそうです。

そのうちの一つとして、

「なぁみんな、我が国の勝利のために我々もさらなる貢献をすべきじゃないかね? 差し当たっては、食堂で我々に饗される食事をほんの僅か質素にして、浮いた経費を軍のために役立ててもらおうと思うんだ」

というかなり強引な提案がなされ、その結果、食堂の食事はたいへん粗末になってしまったのだそうです。

ですがそのことに不満を漏らすとたちまちハインラインに睨まれてしまう。
国のために困窮を受け入れるという美徳の無いヤツとしての烙印を押されかねない。
そんな窮屈な空気が場を支配してしまい、アジモフたちは言いたいことも言えぬまま、鬱憤を溜め込む日常だったそうな。

ある日、別の部隊から派遣されてきた兵が、その食堂で劣悪なランチを一口食べるなり

「なんと、酷い食事だ!」

と大声でわめきました。

即座にアジモフが立ち上がり、こう叫んだそうです。

「諸君、私は彼の一言一句に反対だが、彼の言論の自由は命をかけて守るものである!」


****************************


さて、児童ポルノ規制改定法案が提出されました。

ありとあらゆる児童ポルノの単純所持を禁止し、しかもその範疇に「マンガ・アニメ・CG」などの創作物も含める、という点が反響と反発を呼んでいます。

なにしろ持っているだけで法律違反となるわけですから、誰も彼もが犯罪者になってしまうかもしれないという、そら恐ろしい法案と言えます。

自分の子供、あるいは孫、親戚の子供。
単に可愛いからと撮影した、プールや入浴、着替えなどのシーンのフォトや映像ですら、規制の対象たりえます。

また、自分の息子や親しい少年が思春期を過ぎる頃、突然に

「彼の部屋を捜索します」

とドヤドヤと警察に踏み込まれ、家中をひっくり返された挙句に

「自己の性欲を満たす目的の児童ポルノがありました」

と、彼らを前科者にされてしまいかねない法案なわけです。
ただ、「ドラえもん」のマンガを持っていた、というだけで。
あるいは妹や従姉妹の幼い頃の写真がアルバムにあったというだけで。

また、私自身も突然に警察の襲来を受けるかもしれないわけです。

「児童が性的虐待を受けている画を所持なさっていますね?」

と。

はぁ。それってこの「テレプシコーラ」のことですか。
それともこの「残酷な神が支配する」のことですか。

どちらも、親権者による児童の虐待を描くことで、その罪悪を明確にし、非難糾弾するためのこころざしでもって描かれた、まさに芸術の名に相応しいクオリティの傑作です。

ですがこの法案がまかり通れば、これらの作品も焚書にすべきものと見做されかねないわけです。

悪を悪として描くことすら「悪」として抹消すべき、というのであれば、一体全体、誰がどのようにして悪を裁けるというのでしょう?

そもそも、なぜ、描くことが罪悪なのでしょう? 
描かれたものを見ること、読むことまでもが罪悪なのでしょう?

それが実際に行われる児童虐待と等価とされる根拠はいったいなんなのでしょう?

誰にも迷惑をかけることなく心の中で空想を繰り広げること、それを絵空事として書(描)き表すこと。
それまでもを規制の対象として処罰することの意味は、これすなわち

「思想及び良心の自由の保証」

を明記した憲法を踏みにじる行為そのものだと思います。




この法案を推進するという方の発言をネットで見ました。(すでに件のページは削除されているようですが)

「性的欲望を満たす目的、そしてそのことで利益を得る目的でかかれたマンガやアニメなどというものを、文化であるなどと私は絶対に認めません。認めさせません」

という趣旨でした。


私は、この発言の一言一句に至るまで反対します。絶対に認めません、という言葉はそっくりそのままお返ししたい。

ですが、この発言者の言論と思想の自由は日本国民として守るものであります。
日本は憲法をいただく法治国家であり、民主主義国家であり、そこに生まれ育ち守られて生きてきた者の誇りをもって、そうするべきだと考えます。


これを読んで下さった皆様にも、憲法第19条の意味と、この児ポ法改定案の意味と、そしてこの改定案が法律として制定された場合、この国に何が起こるのかということを、どうか考えて欲しいと願います。



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プロフィール

星 ゆう輝

Author:星 ゆう輝
人生50年、オタク歴40年弱、母親業四半世紀。老眼とボケが迅速に進行中。麗しいロボ執事をはべらせるのが老後の夢。

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