--. --. --  
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2011. 11. 09  
江戸東京博物館で開催中のヴェネツィア展へ行ってきた。

のっけから、足元に広がるヴェネツィアの航空写真の巨大パネルにギョっとする。
小さい。パネルは巨大だが、そのぶんヴェネツィアの国土の狭さがはっきり判るのだ。小さな島にひしめく建物。ギチギチと詰め込まれた建築。そのディティールが見て取れるほどの低空写真であることがすなわちヴェネツィアの小ささをあらわす。
「これほどまでに小さな国が、世界の経済を牛耳り、世界最強の海軍を持ち、国家として1000年存続したのか」
およそ信じがたいほどのミニスケールだった。

塩野さんの「海の都の物語」を読んで以来、ヴェネツィアは私の尽きせぬ憧れの地だった。
地、というと語弊がある。場、あるいは存在というべきか。
島ですらない、儚い干潟に膨大な手間暇をかけて作られ維持されてきた国なのだから。海にぽっかり浮かび上がる都市。奇跡のような風景。アドリア海の真珠。海運と経済支配で栄えた異様の国家。ある意味、この世でもっとも文明的な国だったと言えるかも知れない。

博物とは良いもの。今はもう無い歴史の栄光、過ぎ去ったその時その世界を切り取ってリアルに蘇らせてくれるのだから。
他国の王への献上品だったという巨大な地球儀が圧巻だった。直径1メートル半ほど。これでも実物の4分の一のレプリカだというのだから恐れ入る。本物の偉容はいかほどか。その頃、ロシアという国はまだ無かった。「タタール人の地」という意味の語句が書かれている。日本列島はそれなりの形で描かれていたが、まだまだあやふやな描写だ。いっぽう、中国やインドの形状は細密そのものだ。当時のヴェネツィアの情報収集能力の高さが伺われて、ずいぶん長時間見入ってしまった。

書類をまとめて書籍にしたものがあって、これがまた随分と贅沢な、美麗な造りであり、どれほど豊かで贅沢な社会であったのかを端的に示している。雑貨、美術、家具や衣類。なにもかもが隅から隅まで贅沢、豪奢、そしてとても品が良い。色味の渋さと厚み、そのくせ重くならない洗練度。こればかりは言葉を尽くしても伝えるのは無理であり、是非足を運んで自身の目で確かめるべきである。

経済力、軍事力、政治力、そして文化の度合い。
高みを目指して磨きぬかれた圧倒的な国力。
展示品数はさほど多くは無いのだが、一つ一つの価値があまりに高いのでじっくりと見入りすぎてしまい、常設展まで観られるチケットを買ったにもかかわらず、そちらまで回る余力が残らなかった。いささか勿体無かったが、それほどヴェネツィア展覧が充実していたということなんである。

文化の度合いというものは、美術芸術に端的に顕れる、と私は思っている。
さしものヴェネツィアの国力も18世紀になると相当に衰えたようで、それは絵画にはっきり出ていた。当時のヨーロッパでは男性が仰々しいカツラをかぶる流行があり、ヴェネツィアでもそれに倣ったらしいのだが、そういうカツラが登場する絵にはなにやらどんよりした退廃の空気が濃かったりする。表情や構図にも生気、オーラが足りなかったり、妙に淫蕩だったりする。清潔でキッパリとした短髪スタイルの男たちが描かれていた16世紀あたりの雰囲気とは大いに異なるように思えた。男性の身やつしや長髪を嫌う私の思い込みかも知れないが。

ヴェネツィアという国家が、いかに栄え、なぜに衰亡していったかという歴史は、ことさらに今の日本には重要なものだと思える。立地条件も国政のあり方もあまりにも違うのだが、それでも私には共通点と学ぶべき点が多くあるように見えるのだ。日本が大きく変わろうとしている今、ヴェネツィア探求はお薦めである。

関連記事
NEXT Entry
「虐殺器官」と「ハーモニー」
NEW Topics
初めてなのに懐かしい  Fate stay night
さらば上石神井
過ぎ行く2013
現実はドラマティックを狙わない
新生ライフ
アイウエオの歌
文は人なり
曲線美
風立ちぬ
ぜろせん!
Comment
Trackback
Comment form
 管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

星 ゆう輝

Author:星 ゆう輝
人生50年、オタク歴40年弱、母親業四半世紀。老眼とボケが迅速に進行中。麗しいロボ執事をはべらせるのが老後の夢。

カレンダー
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
月別アーカイブ
ブログ内検索

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。