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2011. 12. 16  
立川談志氏の落語は聞いたことが無かった。
ドケチの私は図書館で借りられる範囲のソフトでしか落語に触れなかったからだ。(寄席もほんの2、3回しか行ったことがない)
なので、いったいどんな噺をなさるのかまったく知らなかった。
談志氏が亡くなられて、いろんな人の談話をたくさんラジオで聞いた。
その中で最も印象深かったのは、サンキュータツオちゃんの
「落語は業の肯定である」
という趣旨の談話だった。

例えば講談などの内容に出てくるのは
「業の克服」
であることが多い。
ダメだったり弱かったり幼かったりして、問題を抱えた者が、努力などで変わってゆくこと。
人間は弱点や問題を当たり前に抱えているが、それを抑えたり無くしたり、闘って勝ったりすることで変わってゆくこと。
それが「物語」。そういうものが多く求められる、ということ。

けど、落語は違う。落語は人間の弱さ、ダメさ、愚かさ、混乱、そういったものを否定しない。それは人間の業であり、克服するのではなく、業を肯定するのが落語である。

それが談志師匠の定義だった、ということらしい。

目からウロコが落ちた。
私は落語がけっこう好きなつもりだった。だが、聞いていてしばしば、とてつもなくイライラしたり不快になったりすることも多いのだった。なので、あまり落語にどっぷりハマらなかった。好きな噺家はごく僅か。その中でも、好きな噺はさらに少ないのだった。
私は落語の本質に苛立っていたのかも知れない、と初めて思った。
それはすなわち、人間の本質に苛立たずには居られない私の生き様の反映。
私はごく単調に「業は克服されなければならない」という信念を抱えて生きてきたのだなぁ、と気付かされた。物語も、成長・克服・解決が織り込まれていないと感心できない。むしろ、そういうものを描くために、「物語」というものは存在するのだし、そうあるべきだ、とまで思っていたようだ。
今思えばなんと偏った、一本調子の思想だろうか。そんな杓子定規を自分の中に抱え込んでいたら、どんどん不自由が増していくことにしかならないだろう。

そうでなくても老化で身体の自由はどんどん消えてゆくのだ。
心の自由さくらいはもっておかないと、人生が詰んじまう。

業の肯定。
この言葉を念頭に、談志氏の落語を今度探してみよう。
ライブの魅力には遠く及ばないらしいけど。

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人生50年、オタク歴40年弱、母親業四半世紀。老眼とボケが迅速に進行中。麗しいロボ執事をはべらせるのが老後の夢。

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