--. --. --  
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2011. 12. 28  
アジモフ先生の歴史解説、ゴート族やフランク族、イスラム教の発生と拡張などなど読んでいて、特にビンビン来てしまったのが、メロヴィング朝における二人の女性の対抗のくだりだった。

女性が歴史に名を刻むのは珍しいことなので、この二人のエピソードはよほど当時の人々にインパクトを与えたのだろう。

その名はブルンヒルデとフレデグンド。後に物語として改変され、「ニーベルンゲンの歌」として語られ、ワーグナーのオペラにもなり、崖の上のポニョにまでその名を表す。

だがもちろん、史実は物語とは大きく異なる、ロマンもへったくれも無い、どこまでも泥まみれの凄惨な諍いだったようだ。


時は6世紀半ば。
西ゴート王国に二人の王女が居た。姉の名はガルスヴィント、妹はブルンヒルデ。
キリスト教アリウス派の教育を受け、妹は特に知性と意思力に恵まれ、すくすく育つ。

当時、西ゴートの隣国・フランク王国は4人の王子のために4つに割譲されていた。
そのうちの一つ、アウストラシアの王シギベルトのもとにブルンヒルデは嫁ぐ。
他の兄弟たちは正妻・愛妾入り乱れるルーズな婚姻をしており、隣国の教養深い姫を妃にしたシギベルトは世間の賞賛を勝ち得、鼻高々であった。

やがてシギベルトの弟、ネウストリアの王キルペリクは兄の立場が妬ましくなったのか、自分も同様の妃を得ようとし、正妻を離縁してブルンヒルデの姉ガルスヴィントを娶った。
ところがこの婚礼には問題があった。
キルペリクには特に情けをかけていた愛妾が居たのである。名はフレデグンド。元は身分も財も無い召使だったのだが、大変に麗しかったのか押し出しが強かったのか、名も無き妾の一人として済ませられない存在にまで上り詰めていたようだ。
キルペリクが正妻を離縁した時、フレデグンドは正妃の後釜には当然自分が座れるものだと思っていた。
だがやってきたのは西の大国ゴートの長女姫である。
そしてこのガルスヴィント、敬虔な宗教教育のためなのかはたまた王女の誇りのためか、夫となったキルペリクに断固とした身辺整理を迫った。
「不潔よ! 淫らよ! あのいやらしい妾たち一人残らず叩き出してくださいまし!」
と言ったかどうだか知らないが、ともかくも窮地に陥ったのはフレデグンドである。自分のものになるはずだった正妃の座、王の愛、様々な特権、総てが奪われようとしていた。
フレデグンドは唯々諾々と運命に従うような女ではなかった。あの忌々しいゴートの姫さえ居なくなればそれで良い、とばかりに暗殺者を雇ってガルスヴィントを殺してしまう。ガルスヴィントのことを女としてイマイチ好きになれなかったらしいキルペリクはその後すぐにフレデグンドを正妃に迎えたのだった。

怒り狂ったのはもう一人のゴートの姫、ブルンヒルデである。
ここに、フランク王国を引っ掻き回す女と女の闘いの火蓋が切って落とされた。二人の正妃は夫の武力を利用して争い続けた。幾年もが過ぎ、ついにシギベルトがキルペリク軍を破り、シギベルトとブルンヒルデ、その3人の息子たちはパリに意気揚々と入城した。
だがフレデグンドはまたも暗殺者を用いてシギベルトを葬り、ブルンヒルデたちを捕らえにかかる。3番目の王子キルデベルトだけをなんとか逃し、ブルンヒルデはネウストリアの虜囚となった。

シギベルトを殺し、妻子を捕らえ、これで夫の国土も倍になる、後はあの憎ったらしいゴート女を亡き者にして、このアタシがフランク随一の女王に。オホホホホ……と調子に乗っていたはずのフレデグンドの見通しに大番狂わせが生じた。
なんと息子がブルンヒルデと結婚するというのである。

息子と言っても義理の息子だ。キルペリクの最初の正妃、アウドヴェラの子息メロヴィク。なんとしてでも己が腹を痛めた息子に王位継承をさせたいフレデグンドにとってまさに目の上のたんこぶのような男。

だがメロヴィク王子の立場からしてみればフレデグンドこそ厄災そのものだった。母は離縁され、自分の立場はどこまでも弱い。暗殺という手段をためらいなく使う継母にいつ寝首を掻かれるか判らない。
敵の敵は味方。メロヴィクはブルンヒルデが監禁されているルーアンの地に向かい、ブルンヒルデを救出して求婚した。未亡人になったばかりの彼女はこれを受け、二人は手に手をとって逃亡し、司教の元で正式な婚礼を挙げたのだった。

キルペリクとフレデグンドの怒りは甚だしく、メロヴィク王子とブルンヒルデは追われ囲まれ引き裂かれ、各地を転々とした挙句にメロヴィクはついに自死を選ぶ。息子を捕らえそこねた父王は罪もない従者3名を散々に拷問した末に処刑して憂さ晴らしとしたようである。


だがブルンヒルデは逃れ切った。亡夫の兄であるブルグント王グントラムを頼り、生き残った息子キルデベルトが成長するまでアウストラシアの摂政として統治を試みる。それなりの教養と経験を積んでいた彼女は積極的に行政改革に取り組み、街道整備や教会及び要塞の建築など、辣腕を振るったようである。

キルデベルトが成人し、アウストラシアのみならずブルグントの王とも成り、ブルンヒルデの人生も安泰かと思われたが、ほどなくしてキルデベルトはあっけなく死んでしまった。
ブルンヒルデの疑いはまっしぐらにフレデグンドに向かった。暗殺という手段で政治を動かしてしまうような振る舞いは、それが事実であろうとなかろうとその後の行動を疑われ続ける。これは一生背負わねばならない穢れのようなものである。
かくしてブルンヒルデとフレデグンドの醜い争いは延々と続いた。ブルンヒルデは孫たちの摂政となって国政を操り、ネウストリアとの戦争は終わることが無かった。それはフレデグンドがついに死んでも変わらなかった。

徐々に冷酷さを増していくブルンヒルデの統治。やがて孫王にすら疎まれ追放されるが、今度は別の孫の後見に付き、やがて孫同士が血で血を洗ういがみ合いを始めてしまう。

統治と支配に取り憑かれたブルンヒルデの生き方は、孫が曾孫の代になっても変わらなかった。フランク王国は乱れ続け、国力は疲弊する一方。多くの苦難と動乱と怨嗟の中で、彼女は70歳まで生きた。当時としてはかなりの高齢である。だがついに彼女の支配も打ち倒される時が来た。曾孫たちは殺され、彼女自身は荒馬に繋がれ死ぬまで地面を引き回されて(四肢を複数の馬に引き裂かれた、とも)死んだ、と伝えられる。

ブルンヒルデに引導を渡したのはクロタール2世。
かのフレデグンドの息子であった。



この後もフランク王国は内乱による無益な削り合いを続け、王権は弱り、やがて宮宰と呼ばれる実権者のお飾りと成り果てて、メロヴィング朝は滅びていく。この地が力強く勃興するには卑しい出自ゆえに「カール(最下層、農奴、賤民の意)」と名付けられた男の活躍を待たねばならないのだった。




**********************

暗黒時代の解説本の中でもっとも楽しみだったカール大帝(シャルルマーニュ)の項に移る前にこの凄まじい女の闘争をまとめておきたかったのだった。下賎な話でしかないとも思うのだけど、ビンビンきちゃったものは仕方ない。

それにしても3人の子持ち、しかも夫が死んだばかりの中年女王に速攻で結婚を申し込むメロヴィク王子パネェ。熟女か!? 熟女好きだったのか?! はたまた宿命の熱愛か? これは当時としてもかなりのスキャンダルだったようで、政治的計算のみの行動とも受け取りがたいのだな。欲得ずくとは言え、このくだりにはやはりドラマチックを感じてしまうのだった。


関連記事
NEXT Entry
ジュエルペットサンシャイン
NEW Topics
初めてなのに懐かしい  Fate stay night
さらば上石神井
過ぎ行く2013
現実はドラマティックを狙わない
新生ライフ
アイウエオの歌
文は人なり
曲線美
風立ちぬ
ぜろせん!
Comment
Trackback
Comment form
 管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

星 ゆう輝

Author:星 ゆう輝
人生50年、オタク歴40年弱、母親業四半世紀。老眼とボケが迅速に進行中。麗しいロボ執事をはべらせるのが老後の夢。

カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
月別アーカイブ
ブログ内検索

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。