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2012. 05. 12  
疲労困憊して寝付いたアナハイムの夜。
が、あまり熟睡できない。ベッドの寝心地は最高なのだが、なんとも外がうるさいのだ。夜中なのにひっきりなしに車が走っていく。カーテンを開けて窓の外を見ると、すぐそばに高速道路。うーん。こりゃ参ったね。窓から道路までには大きめのガーデンや駐車場があってけっこう距離はあるのだが、なにせ車線が多いから交通量も多く、その分音も大きいのだろう。そして一晩中車の量が減ることは無かった。さすがアメリカ、車社会。

時差もあるし、空腹だし、6時前にはもうとっとと起きて、朝食の調達に出向く。ホテルマンにデリはどこか、と訊くと、「こっちの方が良いよ」的に、もうオープンしているダイニングを示される。
いや判ってるけど、そういうところで本格的朝食を食べると高いじゃん?
それに、デリに何が売ってるのか、興味あったのよね。

で、デリに入ってみてびっくり。広い。品目が多い。カップラーメンもある。食べ物だけじゃなくてお土産コーナーもある。当然ながらディズニーグッズばかりだけど。

そして、並んでいるファストフードの類の豊富なこと。デニッシュ、ドーナツ、ベーグル、サンドイッチ、マフィン、スコーン、カットフルーツ、サラダ、ケーキとパイ。パフェと称して、たっぷりのヨーグルトにシリアルとフルーツを重ねたもの。各種ソフトドリンク。ケーキだけでも何種類もあるし、目移りして困ってしまった。
思い思いに買い込んで、部屋に戻って朝食。
どれもこれも美味しかった。特にアップルパイはけしからぬほど美味だった。ドッサリつまったリンゴ、濃厚で香り高いパイ生地、独特のスパイスたっぷり。う~んう~ん、もう一回食べたーい、と夢に見てうなされるレベル。
実はボリュームに負けてしまって食べ残したから、後でもっかい食べたんだけどね。部屋の冷蔵庫に入れて。

朝食後、ツアコン様が来て下さったので、ロビーにてチケットの受け取り。チケットだけでなく、ロスのお薦めスポット案内、ディズニーリゾートの効率良い回り方指南など、とても詳細だった。

「本当に昨夜は申し訳ありませんでした。明日お帰りになるまで、もし緊急の御用などありましたら、この電話番号は24時間対応しておりますのでご連絡を」

と、ナンバーを書いた書類もくれた。

えーっとね。
24時間対応してくれるナンバーがあるならば、なぜ最初にもらっていた旅行パンフにそれが記載されてないんですかね? それさえちゃんと記していてくれれば、昨夜あんなことにはならなかったんですけどね? 今更教わっても、遅いんですが。言いたくないけど130ドル、相当でかいのよ?

ともかく、タクシー代については日本側の担当ともよくよく話をしますので、とのこと。

ともあれ、ディズニーランドの通しチケットは無事ゲットした。明日の夜21時に、ホテルに間違いなくツアコン様がまた迎えに来てくれて、空港まで送ってくださる。
それまでは、遊び放題なのだ! さあ行くぞ、夢のディズニーリゾートへ!

ここで、ホテルが出してくれるシャトルバスにあと一歩で乗り遅れ、「ええい徒歩でも行けるさ! 30分も待つよりそうしよう!」と、バタバタ走り出したら見事に方向を見失って道行く人に案内を乞う、などという無様を演じつつ。

着いたよ! ここが世界最古のディズニーランドだよ!

anahaim016.jpg

実は、アナハイムのランドをそのままコピーするようにして東京のランドは出来上がっているので、基本構造はあまり変わらないのだった。
もちろん、細部はいろいろ違う。東京ではシンデレラ城のある場所には、かなりデザインの異なる「オーロラ姫の城」が鎮座在している。ピンクが基調で、でも上品で落ち着いた感の可愛い城だ。


anahaim018.jpg

天気がイマイチなのが残念だった。カリフォルニアの青い空はどこ(涙)

そして、ここ、城前の中央。ランドの心臓とも言うべき場所に、もっとも重要なモニュメントがある。
「あっ、ウォルトさんだー!」
叫んで駆け寄る息子。
そして私。
ウォルト・ディズニーその人の銅像である。

anahaim022.jpg

ウォルト・ディズニー。←wiki。

かつて遊園地というものは、猥雑で、騒々しくて、後ろ暗い部分も抱え込んだ自堕落的なお楽しみの場であった。お酒も売るし、食べ物は粗雑で不潔な割にボッタクリであるし、大人も子供も押し寄せて大混雑、悲鳴と阿鼻叫喚と嬌声の入り交じる、いかがわしい見世物もある場。良識あるセレブリティが眉をひそめて敬遠するような、そんな場所だった。
なので、ウォルト氏が遊園地を作るつもりだ、と言った時、氏の細君はこう非難したという。
「なんだってあなたが、あんな下品でやかましい、不潔ないやらしいものを作らなくてはならないの?」
ウォルト氏はこう答えた。
「だからさ。僕は『そうでない』遊園地を作るんだよ!」

そしてディズニーランドは、それまでの遊園地の常識をひっくり返し、完全に塗り替えてしまう一大演出空間として出現した。アトラクションや噴水、花壇、林や茂みの配置、清掃の手順に至るまで、完全主義のウォルト氏の思想と演出が幾層にもなって積み上がっている。日本にもディズニーランドが上陸し、たちまち人々を魅了し、雪崩を打つように他の遊園地もヨチヨチと追随を開始して、成功したり失敗したりの悲喜こもごもを量産していった過程を私はハッキリ覚えている。

ミッキーマウスと手を取り合う銅像。その表情は明るく、開放的で闊達で、まるで生きているようだ。氏がどれほど多くの人に愛されていたか、感謝されているかが伝わってくるようだった。
そういえば、ほかならぬミッキーマウスの声も、当初は氏は担当していたのだった。どんだけ出たがり? いやいや、ウォルト氏にとって、ミッキーはすなわち自分自身の分身、分かちがたい相棒でもあったのだろうと思う。

日本が誇るオタク文化、その源流を遡れば、氏に行き着くのだという事を、今どれだけのオタクが理解しているだろう。
手塚治虫氏が、日本のマンガとアニメに革命を起こした。ビッグバンのようにそれは始まり広がった。間違いなく、オタク文化の源流は手塚氏に集約される。
そして、その手塚氏が若き日に心から私淑し、耽溺し、「ああなりたい、ああいうものを僕も作りたい」と激しい羨望と執着でもって追い続け真似続けていたのがウォルト・ディズニーの仕事だった。
アメリカのディズニーによってアニメーション映像が革新的発展を遂げた。
その影響を受けた手塚氏によって日本のマンガ文化が革新された。テレビアニメも推進された。

だから、ウォルト氏はすべてのオタクの父の、そのまた父なのである。手塚治虫が漫画の神様ならば、そのまた上に一柱の神が居るようなもの。始祖なんである。拝みこそしなかったが、そういう感慨に浸りつつ、銅像を眺め続けた私であった。

ここに来られて良かった。
この銅像のある場。他の誰に理解されずとも、そこは私にとって神聖な場なのだった。


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星 ゆう輝

Author:星 ゆう輝
人生50年、オタク歴40年弱、母親業四半世紀。老眼とボケが迅速に進行中。麗しいロボ執事をはべらせるのが老後の夢。

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