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2013. 04. 10  
アニメの新番組「惡の華」の第一話を鑑賞。

事前にあれこれ物議をかもしているという話を聞いていたわけですが、思ったほどの衝撃は受けませんでした。
信念や意思に基づいた、まっとうな意欲作だと思います。

とはいえ、非難の声の意味ももちろん判ります。

この作品は、硬直化しガラパゴス化しようとしている、日本のアニメ文化に対する果敢な挑戦であり、ひいてはオタク文化そのものに対する挑発でもあるからです。
アレルギー症状にも似た悲鳴が上がるのはむしろ当然かもしれません。


惡の華の作画に使われている技法は、ロトスコープと呼ばれる、実写映像を加工したものです。
これはアニメーションの世界では、およそ100年ほども前から使われている古典的な手法です。
フライシャーやディズニーの作品でも多用されているので、見慣れた方も多いはず。

かつてのロトスコープと惡の華との違いは、アナログ手法がデジタルに置き換わったという点でしょう。
そのためか、古典ロトスコープ表現に比べて、ややおもむきに欠けた風情が漂っているとは感じます。
人間が手描きで転写したタッチと、デジタル的に転写されたタッチに相違が出るのは当たり前のことです。
肝心なのは、そのタッチの違いを如何なる表現に結びつけていくのか、という創作側の意思でしょう。


惡の華。
舞台は学校。どうやら地方都市。なんの変哲も無さそうな、地味な文学少年の日々。
目立たず、争わず、親にも学校にも逆らわず、誇りと憧れを胸に秘め、古本屋通いで気に入りの詩集を読み耽る。
でも心の奥底ではたぎるマグマのような得体の知れぬ衝動が蠢いている。
ほんの些細なきっかけで、少年の心の中に一つの思いが形になる。
凶々しい花が咲くように。


学園モノです。青春そのものです。
そして、そういう舞台や状況を描くアニメは数え切れないほど日本にあります。
ですがそのほとんどが、日本特有の画風で描かれた、美少女美少年の群れが登場人物になります。
いわゆる「萌え絵」です。

アニメもマンガも、理想化されたイメージを表現する形で進化発展してきました。
現実の要素を削ぎ落とし、描きたいものを絞り込む。
受け手は、簡素化された絵に、己の望ましいイメージを投影して重ねることで、イメージを強化します。
この構造によって、作り手と受け手、双方の幸せに繋がる文化。それがオタク文化の本質の一つです。

「理想を思い描くことによって幸福感を得ること」

この目的、大原則こそが日本のオタク文化をここまで発達させてきたのです。

美貌のキャラしか登場しない。汚いものは極力出さない。大人が邪魔なら家庭から排除する。次から次へと都合の良いことが起きる。楽しく、愉快で、賑やかなことばかり。
そして、ここが一番重要。
「どんな問題も最後には丸く収まる」

美しき好都合と、予定調和。
アニメはそれらの権化です。
もちろんアニメに限ったことでもなく、ドラマであっても、ハリウッド映画であっても似たようなものだとは思いますが。


翻って「惡の華」。
実写から起こした画面。
背景だけなら、なんの変わり映えも無い、リアル指向の丁寧で美しい絵です。
非難が集中しているのは、キャラの描き方です。なんとも生々しい。従来のアニメの絵なら削り捨てて顧みない、現実のきたならしさがありありと現れているのです。
少女の身体は、美しいとは限らない。
生の肉が発する存在感。下駄箱に入れる靴の独特の臭いまで漂ってくるような、執拗なリアルの追求。
だぶついた脂肪があること、臭気を放つ粘膜があること、陰鬱な表情や仕草があること。

理想を夢見て幸せでいたい心が、目をそむけてなきものにしたい「現実」そのものが、これでもか、これでもか、と叩きつけられた絵になっているのです。
アニメファンに、「現実見ろよ!」とアニメの形で見せること。
これが挑戦でなくてなんでしょう。



このリアル描写、個人的には心安らぐものを感じます。
美しいもの、好都合なものしか存在しないマンガ・アニメ表現の世界。それに対する微かな反発を、私は思春期の頃から抱いていたからです。

「そこに私のような存在の居場所は無い」

奇妙なことに、そういう想いが強いほど、現実をさらに否定し、理想を追って快美を得たいと願う心も強くなるもので、反発しながら耽溺するという、心理のねじれ構造のようなものがさらなるオタク文化追求を深める、という人生になったのでしょう。

アニメに堂々と「ブス」が描かれる時、思春期の頃の反発がかすかに宥められるような心持ちが沸くのです。

「ああ、私の存在は消されていない。なき者にされてない。居ても良いんだ」

と。



なお、「アザゼルさんZ」初回のブス表現まで行くと、安らぎを通り越してもはや「爽快」になりますが。
この作品においては、第一期の学校描写や、「セーヤ編」でのホステスの群れなどに、容赦無きドブス描写が嵐のように吹き荒れます。
美少女も醜女も等価でしょ、という視点がそこにはあるように思いますし、その視点あってこその深い人間観察であり、それがガルパンという作品での数十人もの女子高生のキャラ描写のそれぞれを際立たせるという偉業に結実したのだろう、という見解を付記しておきます。


人間は、見たいものしか見ようとしない。
オタクは、その意味ではさらに先鋭的です。
鋭くなるほど狭くなる。
結果、日本のテレビアニメは呆れるほど視野の狭いものが増えました。
同じような絵柄、同じような内容のものが増えました。
不景気による商業主義への適応によってそうなっている事情もありますが、この方向性が極まることは文化の発展と存続のためには、大変危険です。

「そういうものでしょ」

という、固定化した狭量な視野しか育たなくなるからです。
豊穣であるべき可能性が否定されるばかりだからです。


「惡の華」の、既存のイメージに挑んだ姿勢を、心から称賛し今後の展開を見守りたく思います。

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Comment
NoTitle
ロトスコープなんか絶滅した技術とおもってましたが、デジタル化して生きているとは。ゼロから開発してたらトンデモナイお金がかかってるでしょうから、どこぞでひっそり生きていたのでしょうかね?背景画の作り方も知りたいです。

悪評はおそらく「企画よく通したのぅ」というクリエータの方々のやっかみが含まれてると妄想。低予算が故に外注に丸投げした糞動画に悪態ついてる方からすれば、どうやったらアンナ萌え要素ゼロの無理筋アニメに企画通せるのか、その金引っ張ってこれる手法が知りたいかと。
Re: NoTitle
svetlanaさん>

発想は同じでも、デジタル技術で手間は減らせてるんでしょうかね、ロトスコープ。ただやはり、並のアニメよりははるかに大変らしいです。それをあえてやるからには、相当な覚悟も必要だろうと思います。

確かに「よく企画が通ったなぁ」とは思いました。懇切丁寧な仕事で高い評価を得てる監督だとも聞いてますので、やはり実績なのでしょうか。それでもハイリスクな賭けでありましょう、成功して欲しいものです。こういう珍奇さ、野心的挑戦は個人的にとても好きなのです。
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プロフィール

星 ゆう輝

Author:星 ゆう輝
人生50年、オタク歴40年弱、母親業四半世紀。老眼とボケが迅速に進行中。麗しいロボ執事をはべらせるのが老後の夢。

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