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2008. 06. 10  
 6月8日、秋葉原で起きた大量殺戮事件の被害に遭い命を落とされた方々に心から哀悼の意を表明します。

 ここ数年以上、これほどショックと恐怖を感じた事件はありませんでした。それほど、秋葉原という場所は、私と私の家族、そしてゆかり深い方達にとって馴染み深い、日常と地続きの街であったということです。

 なぜ? なぜこんな悲惨な事件が起きねばならなかったのでしょうか。

 すでにTVや新聞などで数々の報道、推測、コメントなどがなされていると思います。

「なぜ?」と問う皆さん。
 いったんそれら全てをさしおいて、以下を読んで頂きたいと思います。
 これは事件の容疑者自身による、事件直前の数日にわたる記録です。

 6月3日
 6月4日
 6月5日
 6月6日
 6月7日

 この後、事件当日の記録に続きます。
 6月8日

 凶行を引き起こした人物の生(なま)の声がここにあります。
 相当なテキスト量になりますが、文の1つ1つは短く、難解さはありません。
 出来れば、全部読んで欲しい。
 その上であらためて、なぜこんな残酷な事が起きたのか、2度とこんな事件が起きないためにはどうすれば良いのかということを、1人1人真剣に考えていって欲しいと思います。



 私個人の、この事件にまつわるもろもろの思いや考え事、それらはあまりに膨大かつ深刻で、簡単に公表するべきものでも無いと、今は思います。

 ただ1つだけ。

 かくなる本人の手による生の記述などには目もくれず、あるいは他人がまとめて抜粋した僅かな情報のカケラのみで充分と納得し、身勝手な憶測や断定、妄想のみを「事実・真実」として済ませること、さらには、それを自分の都合の良いように解釈し、利用し、流布し、他者を操ろうとする者に対して、私は、7人もの(しかも自分と縁もゆかりもない無実の)人の命を奪い多くの人を傷つけた犯人に向けて感じるのと同等の憤怒と嫌悪を抱く、ということのみです。

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Comment
全て読みました。
なんという孤独な魂の叫びであることよ。ナニが彼をここまで追いつめたんでしょうね。

19の時に失恋し、同じような精神状態で数年過ごしましたが、その時には友人に支えられていたんだと思います。

当時、携帯サイトがあって、友人の励ましをうっとおしく感じ、殻に閉じこもっていたら同じような結末になったかもしれません。
BBSの向こうに人がいるとしても、自分から心を開かなければいつまでも他人なのですね。

携帯サイトが一概に悪いとは言いませんが、(それで心を保っている人は大勢いるはず)匿名ではないもっと心が通い合うような通信環境が、あるべきネット社会だと思います。
似たような人は多いでしょうね。
「まだ実行してない」というだけで。


また模倣犯が出るんだろうなぁ・・・。
(毒ガス自殺テロのように)
夫の人>
鈴木さん>

さくっと結論から言ってしまうと、極刑以外は相応しくない。
「同情すれども容赦せず」
平易で飾り気の無い、どこにでも当たり前にいるような若者の苦悩の叫びが、いかに共感と同情を誘い、情状酌量の余地があるとすれども、それでもなお犯罪の凶悪さを埋めるには全く足りない。

惨劇を繰り返さないために必要な事は数多いですが、なにより優先されるべきは模倣犯を出さないことでしょう。

そういう意味では、事件後即座にこういう形で容疑者の生の声が広く閲覧可能な状態で発見されていた、ということの意義は実は大変に大きいのではないか、と考えています。

得体の知れない、もやもやとした感情、不安のようなもの。
それが言葉という形になって現れているのを知ると、己の中にあるそれらの解明に道筋が付き、解消の手がかりとなることも多いのです。
もちろんそれによって、解消どころかより犯罪への欲求が高まることもあり得ますが、それを抑制するために、あらためて社会のルールと厳しさを皆が確認しあう必要があります。

「わけのわからないヤツ」
と決めつけて認知の外に放り出して済ませてしまうことほど最悪な対処は無い、と言えます。

理解しようとすること。
それとは別に、裁きは行われねばならない、と説くこと。

自分自身が理解されたいばかりで、他人を理解はしようとはせず、あまつさえ他人を自分の満足のためにエサとする人間ばかりが増えに増えたこの国で、しかもそれを愛だの恋だのと讃えて推奨してきたこの国で、もはや欺瞞も限界なのだ、ということを明らかにしていかねばならない、そう思います。

ネットの匿名性の是非については、SNSのようなある程度人となりが保証されているようなシステムもあるわけで、それとはやはり別に、完全匿名で何かを言える場を消してしまってはならないと強く感じます。特に日本という国ではそうです。

この事件の犯人にしてからが、対人関係では別の顔、別の人格を起動させてしまうタイプであったと思われますし、SNSのような場では、こういう心情吐露を行うことは無かったでしょう。匿名性が心の閉塞性につながるという事実もありますが、それはあくまで両面のうちの片面でしかないはずです。今現在の日本で、これほど対人にストレスを抱える時代の日本で、ネットから匿名性を取り上げることは危険極まりないことだと断言します。時期尚早です。世相が変わってからの話だと思います。
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星 ゆう輝

Author:星 ゆう輝
人生50年、オタク歴40年弱、母親業四半世紀。老眼とボケが迅速に進行中。麗しいロボ執事をはべらせるのが老後の夢。

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