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2009. 10. 21  
ローマ人の物語X「すべての道はローマに通ず」、XI「終わりの始まり」をコツコツ読んでいたのだけど、ツイッターに思わずハマりまくってしまい、ブログを書くパワーが残らなかったのであった。「どうせ流れてすぐ消える」、この無責任さゆえの気楽さや手軽さはブログには無いものであり、本来激しく無責任な性格である私はどんどんのめり込んでしまったのだが、本当に、長文を書く気持ちが無くなってきたのでもうさすがにヤバイ。無責任な人間は無責任な楽しみに耽溺すべきじゃない。それは奈落に堕ちる真っ逆さまの罠である。というわけで、今後ツイッターの使用制限を自身にかけるつもりである。
だが、iPhone(ツイッターと相性がすこぶる良い)の売れ行きも順調らしいし、無責任で気軽であることがまさに時代の要求に合っていると思うので、日本でますますツイッターは普及していくのではないだろうかと見ているのだった。

それはさておき、ローマ史である。古代ローマの驚異の文明、そのインフラについて細かく解説されているX巻は異色とはいえやはり面白い。だが、ここで詳細は述べない。
ローマ人は「インフラ」などという言葉は使わなかった。「人間が人間らしく生きていくために必要な諸々のこと」という意味合いの認識だったらしい。そのためにもっとも重要だとされたのは、街道網の整備、水道と下水道整備による水と清潔の確保だった、ということ。「かいどう、すいどう、げすいどう」がローマインフラ三兄弟、ってことで。なお2000年前の水道のうちの一本は未だにちゃんと稼働中で、美味しい水が誰でも汲めるそうな。

「終わりの始まり」、不吉なタイトルだが、もう本当に、頂点を極めたあとは衰退していったのだから仕方がない。五賢帝に護られ、繁栄を極め尽くした古代ローマ帝国だったが、賢帝の誉れ高き慈愛皇帝アントニヌス、その後継者だった哲人皇帝マルクス・アウレリウス、2代に渡る平和で豊かだった時代に、すでに衰亡の種は蒔かれていた、とするお話なのである。
そう、心優しく清らかで、常に国と民のためだけに粉骨砕身、なにより平穏と安らぎを重んじた皇帝2人の治世。
長きに渡る平穏と安らぎ。
これこそが、帝国の崩壊につながる腐敗の種だったとは。社会とは、人間とは、なんという皮肉なものなのだろうか。
そして、その経緯は、現在日本が抱える問題と無関係ではあり得ないのだ、と私には思えるのである。

ハドリアヌスは、帝国全土をめぐり、すべての防衛機構を手直しし、強化した。
それは、覇権国家のもっとも大事で重要なこと、すなわち「安全保障」のために、やらねばならないメンテナンスだったのである。
あまりに広大な国土であったため、彼の治世の大半がその諸国めぐりに費やされた。首都ローマに、皇帝は不在だったのである。「我々をほったらかして、皇帝はどういうつもりなのか」こういう反感が根深くローマ市民に根付いていったとしても何の不思議も無い。
元老院にも、民にも嫌われ厭われながら死んでいったハドリアヌスの後を継いだアントニヌスは、この点に特に留意したのかも知れない。
「皇帝は、ローマを離れない」を掲げ、実行したのである。
そしてそれを、自らの後継者、マルクス・アウレリウスにも継がせたのだった。
前線に行かず、遠征も行わず。大都会ローマで、ローマが誇る街道網と郵便システムを駆使したひたすらの情報伝達によって為された統治。
ローマ皇帝は、インペラトールと呼ばれる。ローマ全軍の総指揮権を持つ者でもある。
にもかかわらず、軍事軍才と関わり合うことのない皇帝の治世が何十年も続いたわけだ。
ごく乱暴に要約すると、ローマはものの見事に平和ボケを起こしてしまっていたのである。

アントニヌスが病没し、哲学と思索を好み、それゆえに強烈な責任感と自己犠牲の精神に満ちていた、この上もなく善良な人物アウレリウスが、皇帝となった。
だが、この皇帝の気質をあざ笑うかのように、ローマに次々と国難が襲いかかる。飢饉、水害、疫病、そして宿敵・パルティアの侵攻。必死で対応するアウレリウスであったが、平和がもたらした弊害としての、国家そのものの機能的衰退と、軍事と外交に馴染むヒマも無かった首都暮らし一辺倒の皇帝の手際の悪さ、そして弱みを見るやいなや襲いかかって来る荒々しい蛮族の群れと、煩悶の尽きない日々。
アウレリウスは、ローマ史上初の、前線のさなかで命を落とす皇帝となるのだった。
そして、アウレリウスの血を引く唯一の男子、18歳のコンモドゥスが直ちに皇帝位に就く。

さぁ、このコンモドゥスがローマ帝国史上最悪最凶、ちょいとこれ以上の悪さも思いつかないほどのブチ壊れ青年であったのだ。
もともと、ローマの皇帝というものはあまり血統にこだわらない。特に五賢帝の時代は、世襲はまったく無かった。皇帝として相応しい、優秀な人物が継いでいったからこその繁栄だったのだろうと思える。だがそれは、皇帝がたまたま男児を得なかった時代でもあったから、という事情もあったのだ。アウレリアスは終生愛し合った唯一の妻ファウスティーナとの間に14人もの子をもうけ、1男5女が成長をみた。
嫡子がいる限り、その子が後継者にならねば、内乱の可能性は大である。そして、なにより平穏を重視したアウレリウスにとって、その可能性は絶対に潰しておかねばならないものだったのだ。未曾有の国難に陥ってる時代だからこその、当然の判断でもあったろう。
そしてコンモドゥスは、「皇帝の資格無し」とまで判断されるほどの暗愚でも無かったのだ。少なくとも、ごく若いうちは。父との共同統治という形で、それなりに経験も積んでいた。
だが、即位して2年後、実の姉に暗殺されかかる、というショッキングな体験を経て、皇帝としての責務も誇りもなにもかも放り出して、勝手放題好き放題の暴虐皇帝に変じていくのである。心か脳か、とにかく人間としてのもっとも大事な何かが盛大に壊れてしまったかのような狂乱ぶりであったようだ。
政治は側近に投げっぱなし。外敵の侵攻もほったらかし。皇宮に引きこもって遊びに遊び、趣味の剣闘に耽溺し、自らをヘラクレスと称して神のコスプレをして悦に入り、闘技場に自らが出場して残虐を振るうこと数知れず、無慮1万2千人以上の人間が皇帝自らの剣で屠られたという。

コンモドゥス皇帝の存在そのものが、ローマにとって厄災の極みだった。何度も暗殺計画が練られ、ついに実行された。愛妾と侍従と近衛隊長が下手人だったというから、どれほど他人に見限られていたかが良く判るというものである。
カリギュラなんか可愛いカワイイ、ネロだってこれに比べればはるかにマシな皇帝だ。
私がもう何よりも心に深く「ダメだこいつ本当にどうしようもないヤツだ」と思った話がある。
ローマのインフラの最重要が、街道だったということを思い出していただきたい。
街道をこまかく張り巡らせてネットワークとし、替え馬などの補給拠点をこまめに設置し、帝国全土に情報の行き来が素早く可能になるように、郵便のシステムも大切にされていた。体が弱く、自身で辺境にすっ飛んではいけないアウグストゥスやクラウディウスが特に発展に力を注いだ、ローマが誇る偉大なインフラの1つ、それが郵便なのである。
広い帝国を皇帝が治めるために、帝国各地との郵便による連絡は不可欠のものだった。細かく書面でもって報告・連絡・相談を行うからこそ、帝国の維持は可能だったのだ。
ゆえに、毎日大量の手紙(書類)に目を通し、それに返事を書くことが皇帝の業務の多くを占めたのだ。
だが、狂乱の果てに、コンモドゥスの身近からは代わりに業務をこなしてくれる側近がいなくなってしまっていた。
「しょうがないから自分で書くか」
そのころの皇帝名義の書面には、ことごとくこう記されていたそうである。

Vale

これだけ。たったこれだけ。4文字。
Vale、ヴァーレとは、健康や良い状態を祈る言葉であったり、別れの挨拶であったりするらしい。
日本語に置き換えるならどうなるだろう。
順当に考えるなら、よしなに、とだけ書いてある、というところか。「万事良きにはからえ」の省略形。
だが私にはもっと悪質な怠慢が感じられた。字面といい、響きといい、ざざっと流してやっちまえ、みたいな。なので、もうざっくりとネトゲ風に「乙」あるいは「よろ」てな風に読めてしまうのである。
おにょれコンモドゥス! アウグストゥスもクラウディウスも、こんな短い手紙のために郵便制度に力を注いだわけじゃねーんだよ!!('Д')バーローッ

……映画「グラディエーター」での彼は、暗く燃える炎のような瞳の持ち主で、それなりに萌えキャラだったんだけどなぁ……(´・ω・`)

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Comment
vale
いやぁ、カエサルの「来た、見た、勝った!」
かと思ってますたよって、、、あ、カエサルは
皇帝ではなく、執政官ですたっけ?
「Vale」は現代のスペイン語でも数百年を経ても尚、
使用されておりまつ。「ぉK/OK!」の意味でつネ?

連中が、
「Vale? /コレ、どーよ?」
親指立てて
「Vale! /おk!」 みたいに。
恐らく伊、仏(ピレネー山間部)でも
疎通可能なはず。
Re: vale
まんもさん>

なるほど、スペイン語で「OK」で残っているんですね。
英語もラテン語由来が多いのを知り、ラテン語って面白そうだなぁ、と思いつつあります。

逢ったときの挨拶でもあったようで、この場合Vale? となって元気? という感じだったようで、別れのValeも、達者でな~、みたいな感じなのでしょう。
だからといって、手紙にこれだけってのはやっぱりふざけすぎw

来た見た勝った、は内乱時代後期だったと思います。クレオパトラと蜜月中だったので、何事もとっとと終わらせたかったのかも知れないですね。
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プロフィール

星 ゆう輝

Author:星 ゆう輝
人生50年、オタク歴40年弱、母親業四半世紀。老眼とボケが迅速に進行中。麗しいロボ執事をはべらせるのが老後の夢。

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