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2009. 10. 25  
世襲の欠点を余すところなく発揮した末に暗殺されたコンモドゥスの後を受けて皇帝に就任したのは、極端から極端に走ったかのような出自のペルティナクス帝。なんと、奴隷の子なのである。
いったい何がどうなって奴隷の子が大帝国の皇帝に?
ここで、ローマ帝国における身分制度についてちょっと解説しておかねばならない。

ギリシャ・ローマ文明における奴隷は、本人の努力によって、その身分からの脱出が可能であった。自分で自分の身を買い取るほどの才覚があった場合、あるいは主人が長年の奉公に感謝する形で解放を行ったケースなどの結果として、「解放奴隷」という身分になることができたのである。
ペルティナクスは、解放奴隷の子であったのだ。
ペルティナクスはごく若いうちに教師になる。ユリウス・カエサルが制定した法により、医師および教師として開業した者は、ローマ市民権を得ることができたからだ。市民権を獲得したペルティナクスは、ローマ軍に志願する。市民権の無い者(属州民を含む)は、ローマ軍団兵になることは出来なかったからである。
そして、軍の中でめきめきと頭角をあらわし、出世していくのである。
元老院入りを果たす(貴族の仲間入り)。
執政官になる。(首相になるようなもの)
あちこちの属州の総督になる。(総督は貴族階級にとっての出世のゴールであった)
要するに、とことんまで自分の実力のみで登り詰めた結果として皇帝位に就いたという、相当の傑物だったのだ。ローマ帝国、ローマ人という人存在が、人間性とほとんど関係の無い、血筋だの身分だの人種だのといったくだらない要素にはこだわることの少ない、柔軟で実際的な気質の人たちであった、という事実の象徴的な一例だと私には思える。

だが、ペルティナクスの治世はごく短かった。元旦に皇帝となって、3月末には殺されてしまうのである。実力者ではあったが、広大なローマには、他にも皇帝を目指した実力ある軍人が多数いたのだった。

この後、ローマは何人もの皇帝候補が入り乱れてスッタモンダする時代を迎える。5年に渡る内乱を制して安定政権を確立したのはセプティミウス・セヴェルス。ローマ史初のアフリカ出身の皇帝だった。妻はシリアの神官の娘、ユリア・ドムナ。この2人と息子たちの家族肖像を見ると、つくづくエキゾチックな皇帝家であることよ、と思わずにはいられない。
590px-Severan_dynasty_-_tondo.jpg
目鼻立ちのクッキリした美少年王子が共に描かれた、皇帝家の家族の肖像。この王子が、今もローマに残るカラカラ浴場遺跡を完成させた、皇帝カラカラとなるのである。

生粋の叩き上げ軍人であったセプティミウスは、軍団兵の賃上げ、婚姻制度の改定など、積極的に軍制改革を行い、軍部の人気は高い皇帝であった。だが、コンモドゥスの暴政による混乱を立て直すための改革であったとはいえ、賃上げと従軍中の婚姻許可は、国庫を圧迫し、軍団モラルの低下をも招くという、国家力の衰弱につながっていくことになるのだった。

ブリタニア北方への遠征中に、セプティミウス死去。長男のカラカラ、1年違いの弟ゲタが共同統治者として同時に皇帝となる。
だが、カラカラはあまりに気質の違う弟ゲタとたいへん仲が悪かったそうな。即位後1年で、母親の面前で兄カラカラに殺されるゲタ。上の肖像画の左下、顔が削り取られた人物がゲタである。弟殺害後、単独皇帝となったカラカラの命令で、ありとあらゆる記録からゲタの存在は抹消されたのだった。
この弟への対応1つとってみても、カラカラという人物が、バランスの取れていない、激情に走りやすい、冷徹さを欠いた皇帝であったことは確かだと思われる。軍人としての適正はなかなかのものだったようで、軍部の支持は高かったようだが。
では、政治家として、為政者として、どうだったのか。
即位後ほどなく、カラカラは1つの大きな政策を打ち出す。
これこそが、大帝国ローマの行く末を決定づけたターニングポイントなのではないか、と私には思えて仕方の無かった「アントニヌス勅令」なのである。

奴隷、解放奴隷という身分格差の他に、ローマにはざっくり分けて2種類の身分が存在した。ローマ市民と、属州民という区分である。ローマ市民権を持つ者は、税制、裁判、生活保護等、その他さまざまな特典が与えられる。属州民には年率1割の税金が課せられ、代わりに蛮族の襲来などからの安全保障を帝国から得る。
肝心なのは、奴隷が解放奴隷になりうるのと同様に、属州民がローマ市民になる道もまたあった、という点である。教師、医師になること、補助兵軍にて勤め上げることや功績をあげること、などなのである。多くの属州民にとって、ローマ市民権は個人が頑張りさえすれば手に入れることの出来る憧れの地位だったのだ。明確で、達成可能な目標があれば、人間のモラル(士気)は上がる。奴隷は解放奴隷を目指し、属州民は市民権を目指し、市民たちは騎士階級や元老院入りを目指し、といった具合に上昇志向を持った流動的な身分制度によってローマ帝国は活力を保ち続けていたのだ、というのが私の見解だった。

だが、カラカラはその身分制度をドバっと改革してしまうのだった。
「帝国に住む総ての自由民に、平等にローマ市民権を与える」
これがアントニヌス勅令であった。

な、なにをするカラカラ! 政治経済に無知すぎる私でも即座にヤバイと判ってしまう、それはやっちゃなんねーことだ! 毎年莫大な国庫収益となっていた、年率1割の属州税がすべて消え失せてしまう! ローマ市民になるために頑張り続けていた属州の人たちの向上心も無くなってしまう! ローマは一体どうなってしまうのか?! 帝国人民皆平等、この改革のもたらした波風の行く末や如何に!


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人生50年、オタク歴40年弱、母親業四半世紀。老眼とボケが迅速に進行中。麗しいロボ執事をはべらせるのが老後の夢。

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