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2009. 11. 18  
モラルという言葉がある。
これには二つの意味がある。
1つはMoral。道徳、倫理という意味。
もう1つはmorale。士気、やる気、という意味。

崩壊寸前のローマ帝国を保持するため、ディオクレティアヌス帝が行った改革によって、ローマのモラルが二つながらとめどもなく低下していった、という、そういうお話。

四方八方から攻め寄せられ、帝国としての体もなさなくなっていたローマ帝国をなんとかかんとかでもとりまとめ、国大な国土を4分割して4人の皇帝を置くことによって安定させようとしたディオクレティアヌス。
国家としての最優先事項が、民の生活の安全と安定であった以上、これはやむをえないことではあったのかもしれない。
だがすでに、何人もの皇帝の失策と混乱の果てに、ローマをローマたらしめていた精神的な支柱のようなもの、ローマン・スピリッツたるものが喪われる一方だったのだ。
ディオクレティアヌスは、かなりの現実主義者だったと見えて、とにかく目の前にある現実、困難、問題の数々を解消するためにはどんな手段でも打たねばならない、という信念を持っていたのではないだろうか。
それが長い目で見て、どんな悪影響を及ぼすか、という考察よりもなによりも
「今、目の前で死にかけているものを助けねばならない」
そういうせっぱつまった世界で、やれるだけのことをやった。
だが、その結果は、ローマ人をローマ人でないものにしてしまうことだった。
ローマ人をローマ人たらしめていたもの。
それは、理想化され洗練された「モラル」そのものだったのだ。もちろん、二つの意味での。

ローマ人の物語、ここに至って、なぜこれほどの巻数をかけて、ローマのそのものの成り立ちから、戦争、文化、インフラ、詳細に渡って細かく細かく綴られてこなければならなかったのか、その理由がはっきりしてくる。
まずは、ローマそのものを理解しなければならなかったからだ。
そして、どれほど多くの崩壊によって、ローマが喪われてしまうことになったのかを、それが喪われたことによって、どれほどの怖ろしい事態が来ることになったのかを。
暗黒の中世と呼ばれる状態が、なぜ来なければならなかったのか。その暗黒がどれほど長く続いたのかを。
興隆を極めたローマ帝国の歴史は1000年。
崩壊後の、暗黒時代が1000年。
この、壮絶な重みを、読者は理解せねばならない。そういうことだったのか、と。


帝国が4分され、その結果、防衛にかかるコストは増大した。まかなうためには、今までに無い規模の増税が必要になった。
かつて、国力が強大であった時代は、破格なまでにシンプルで安い税制で防衛やインフラ整備、生活保障や娯楽の提供までまかなえていたのだが、これが可能であったのは、ローマ人独特のモラルの支えがあったからこそである。富める者は公共事業やイベントの主催に私財を投じることが当たり前であり、政治や軍事や神事のトップを務めることは「名誉あるキャリア」と呼ばれ、有能者がボランティアでそれをこなすこと、これもまた当たり前のことだった。
前者はMoral(公徳心)、後者はMorale(士気)が大いに関わることだったろう。
いずれも、本質は「名誉心」をくすぐること、自己を犠牲として公に尽くすことで得る満足が何より大事とされる精神文化あったればのことだったろう。

だが、外敵に耕作地は荒らされ、都市は難民で満ち、過密になっても仕事が増えるわけでもない。そこに次から次へと課される重税。とにかく金を集めねば、国家の防衛が維持できないのである。ディオクレティアヌス帝は、課税を増やすとともに、その徴収と管理をする人員も増大させねばならなくなった。「税金を払う者より税金を取り立てる者の方が多くなった」とまで揶揄されるほどに。職業的官僚の制度膨張である。

税制の変化によって、インフレが進んだ。対処として、貨幣の価値変更や、価格統制が実行された。だが、状況は好転するどころか悪化する一方。地租税と人頭税の重さもまた、人々のモラルを低下させ、重税から逃れるために民衆はあれこれの知恵を絞らねばならなくなった。
その結果、親の仕事を継ぎたがらなくなる若人が増えた。親の経済基盤を継ぐ、ということが財産ではなく重税を継ぐことになったからである。
ディオクレティアヌス帝は、この傾向に歯止めをかけるべく、ほとんどすべての職業に世襲制を義務づけたのだった。もはやローマ市民は、職業選択の自由すら失ってしまったのである。かつてのローマならば、たとえ奴隷に生まれようとも努力次第で出世できたし、その子が貴族になることもあったし、属州(元外国)出身であっても皇帝に登り詰めることも可能だった。流動的で自由度の高い身分社会、これもまたローマのモラルを支えるパワーの源だったのだが、その流動性も根こそぎになってしまったのだった。


そして、皇帝という訳語であっても、その実は、貴族と民衆の推挙による代表者、としての意味合いの存在だったインペラトール・アウグストゥス・カエサル・プリンチェパスは、その立場の脆弱性ゆえに、ことある事に殺され続け、それがますます国を乱すことになった。国のトップが安定しない、ということはすなわち国が安定しない、ということに他ならない。長期展望の無い政策では成し遂げられることも少ないからだ。

ゆえにディオクレティアヌス帝は、皇帝の立場の強化をはかる。
どこまでも民意の反映であった存在を、絶対的権威の君主にすることによって。
だが、人間が人を選んでいた時代の皇帝を超えるために必要な権威とはなんだろう?
そこには、どうしても人間以上の権威が必要だったのだ。つまり、神である。
ローマ古来の数々の神、その中でももっとも有名で高位の神であったユピテル信仰を高めることで、権威の裏付けにしようとしたわけなのだった。
だが、この政治的配慮にとって、たいへんに厄介な存在がローマに広がっていたのである。つまり、唯一神信仰者であるキリスト教徒たちであった。

こうして、ディオクレティアヌス帝によるキリスト教徒の大弾圧が開始された。
なにしろ、皇帝の側近く、国を支えるトップの層にまで、すでに相当数の信者がいたのである。皇帝の権威を高め、それによって帝国の存続を固めねばならない立場のディオクレティアヌス帝にとって、これもまた、どうしてもやらねばならないことの1つだった。
だが、ディオクレティアヌス帝の死後ほどなく、ローマはこの弾圧の手痛いしっぺ返しを即座に喰らうことになってしまう。

四頭政の崩壊と、キリスト教の解放者たる「大帝(マーニュ)」、コンスタンティヌス帝の登場である。


**************:
ああ辛い。読んでて辛い。
何が一番辛いかって、この四頭政(テトラルキア)時代の、同時4人皇帝の彫像の頭部を見るだけで、もう本当に、ローマンスピリッツの真髄たるものがどんだけ酷く崩壊していたのかが、直感的にわかってしまうほどだったからである。
顔の作りがどうのこうの、という問題ではない。
神懸かりなまでに写実的で迫真的であった、ギリシャ・ローマ文明の美術水準が、この時代になるとすっかり劣化しきっており、出来の悪いマンガのキャラをさらに適当に立体化したかのような表現に堕してしまっているのだ。

そういえば、とことん世界史ギライだった私がなんとか食い付いてみよう、と思った理由の1つとして、アーサー王物語について調べていたときに見た、当時の絵画のあまりの稚拙さに呆れたから、というのがあったのだった。まるで小学生の絵みたいながさつな構図や平面的な表現。「おかしい、古代ギリシャの彫像とかって、なんか凄まじい迫力じゃなかったっけ(ラオコーンとか)? どうしてこうなった? どうしてこうなった???」という疑問。

歴史、というものは、国の興亡だけを追っていては足りない。
戦史、だけでなく、文化史(主に美術史、端的に表現がなされているから)、そして経済史、そして宗教史。多彩な方面から追わねば、大事なことは掴めない。そういう気がしているのだった。


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人生50年、オタク歴40年弱、母親業四半世紀。老眼とボケが迅速に進行中。麗しいロボ執事をはべらせるのが老後の夢。

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