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2009. 12. 17  
ここ数日、ボイスチャットにはまっている。
もともとのきっかけはツイッターであり、その後いろいろ過程を経た上で、ずっとボイチャで毎日親交しているコミュニティにお邪魔させてもらうようになったのだった。
みんな主にオタクであり、話題に困らない。楽しい。
ただ、年齢層が大変に若く、稀に話が通じ合わなかったりするのだが。
どれくらい若いかというと、息子よりちょっと年上くらいのレベル。
なお、私が親の年代(ヘタすりゃもっと上)の婆である、ということは伏せてあるのだった。あばばばばw(リーダーさんにだけは明かしたけど)

そんなこんなで、持ち前の七色声を駆使して、ネカマならぬネワカ再びの日々なのだった。逆に言うと、親子ほど離れている年代なのに、話がそれなり破綻なく合うところが、オタク文化の素晴らしさだと思う。共通言語があることの偉大さを改めて確認中だ。

何年か前にPSUやモンハンなどのMORPGをやってるときにボイチャは活用していたが、今回のコミュニティは最大20人くらい居るという大所帯で、たいてい数名以上の発言が飛び交っている。にぎやかさのスケールが違う。しかもPCを通したボイチャの音声品質は大変に高いので、臨場感も半端じゃない。どうにも楽しすぎる。アニメ会のラジオを聴いてる方なら、雰囲気があれに近い、と言えばなんとなくイメージできるのではなかろうか。

連日ワイワイやっていて、ふと思い出すのは、レイ・ブラッドベリの「華氏451度」だ。
数人のグループで壁面モニタを通して仮想人格を演じ続ける遊びに没頭する人たちが描かれたりしている作品。書かれた年代の古さを思うと、ブラッドベリ氏の先見に感心せざるを得ない。ただ、氏は、こういう交流およびプレイを、良い物としては描かなかったのだが。本が禁じられ、人々から叡智と思慮が喪われ、ひたすら感覚的快楽ばかりを追い求めるようになっていった、というTV社会に警鐘を鳴らす内容なのだ。

じっさいには、仮想現実的な交流を可能にしたネット文化の勃興によって、TVの勢いはどんどん削がれていき、若い人たちの間では読書熱が戻って来始めているわけだ。なぜならネットの情報は未だにその多くがテキストである。一昔前には「子供たちが読まなくなった、マンガすら読んでくれなくなった」と出版業界を嘆かせていたというのに、長じてネットに触れた彼らは、「読む」必要性を自力で獲得しているわけであるようだ。善いことである。

でもやっぱり、この集まりが局地的なだけなのかなぁ。最近、私の目には、世の中の人、「オタクな人」と「オタクでない人」に二分されちゃってるもんな。オタクならではのコミュニケーション成立であり、これが無作為の混然だったら、まったく違う雰囲気になっているかもしれない。

オタクというのは実はたいへん広義なのである。人としての生き方、在り方そのものであり、決して趣味の一つ二つを指すのではない。ずいぶん前から私はオタクの定義を固めようと試みているが、そろそろゴールが見えてきても良さそうな気が最近、してきているのだった。


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Author:星 ゆう輝
人生50年、オタク歴40年弱、母親業四半世紀。老眼とボケが迅速に進行中。麗しいロボ執事をはべらせるのが老後の夢。

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