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2010. 04. 24  
メディチ家、という名を聞いて、私ごとき無知無教養なオタク婆が思い出すのは、ゴーショーグンのレオナルド・メディチ・ブンドルくらいのものだったわけなのだが、現実のイタリアはフィレンツェにかつて存在し、大いなる権勢を誇ったメディチ家のざっとした説明はWiki参照
うん、つまりフィレンツェ史についてはまだほとんどさっぱり私は知らないのだ。てか、今コツコツと「わが友マキアヴェッリ フィレンツェ存亡」を読みながら勉強中なので許してたもれ。



小国フォルリの実質上の女王として冷徹かつ非情な統治を続けていたカテリーナ・スフォルツァのもとに、花の都・フィレンツェからメディチ家の大使がやってくる。ジョバンニ・デ・メディチ。「イル・ベッロ(美男子)」の名で呼ばれた男。

4歳下のこの青年と、いまだ麗しかったカテリーナとの間にたちまち恋が芽生える。
だが諸国の情勢はますます緊張を増しており、惚れあった独身同士とはいえやすやすと結婚できるものでもなかった。統治者という存在にとって、婚礼は外交政策のための貴重なカードである。恋だのなんだのといった個人的な欲望や感情などというものよりも、政治的配慮がなによりも優先されるべき要素なのである。

だがしかし、情熱の女・カテリーナにとって、恋は至上の正義であった。
カテリーナはこの青年とも正式な婚姻を結ぶ。そして、ジャコモの時同様に、公式にはこの結婚を隠し続けた。
だが、子供の誕生の後、実家でもあり後見でもあったミラノ公国の伯父、イル・モーロには公的関係として報告をし認知させた。
時期を同じくして、フィレンツェは、カテリーナとその子供たちにフィレンツェ市民権を与えている。ただし、この時の書類には夫・ジョバンニの名はどこにも明記されていないそうである。微妙な政治的配慮が感じられる処置といえるかもしれない。

フォルリの城塞で、密かに、静かに蜜月を過ごすカテリーナ。だが運命は非情。3番目の夫ジョバンニはあっけなく病死してしまうのだった。カテリーナの腕の中で。産まれたばかりの息子・ルドヴィーゴを残して。
カテリーナは、息子に洗礼を再び施し、夫の名をそのまま息子に与え直すのだった。
ジョバンニ・デッレ・バンデ・ネーレ。「黒隊のジョバンニ」。
フィレンツェの名家・メディチの血とミラノのスフォルツァの魂を色濃く受け継いだこの息子は、後年、「イタリアの盾」と讃えられる存在となってゆく。



1499年夏。
枢機卿の衣を脱ぎ捨て、還俗して軍人となったヴァンレティーノ公爵チェーザレ・ボルジアが動き出す。
カテリーナの実家であり、伯父のイル・モーロが支配していたミラノは、チェーザレの妻の血縁、フランス王の軍勢の前に陥落する。時を移さず、チェーザレ本人による、ロマーニャ征服が始まった。フランスの強大な兵力を従えて、破竹の勢いであちこちをたいらげてゆくチェーザレ。その矛先は小国フォルリにも容赦なく迫る。
唯一の後ろ盾であった伯父はとうにミラノから逃亡し、スフォルツァの威光に尻尾を振る理由も無くなった周辺勢力は、誰1人としてフォルリを、カテリーナを救おうとはしなかった。

だがカテリーナは諦めない。早々に降伏して平和のうちに事を収めるなどという発想は彼女には無かった。襲い来る敵は迎え撃つのみ。力ですべてを押し通す野武士の末裔、スフォルツァの烈火の魂は、端から見れば絶望的でしかない闘いを彼女に貫徹させるのだった。
単身馬を駆り、迎撃準備を自ら進めるカテリーナ。糧秣、武具、重火器、馬の確保。農業用水はせき止められ、見通しをよくするため城塞周辺の立木は切り倒された。農民たちを農地から市内に強制退避させ、市民たちの家に寄宿させる。戦火に巻き込まないためである。だが、ただでさえ圧政に不満がたまっていた民衆は、この処置に怒りと抗議を爆発させる。だがカテリーナは意に介さなかった。男物の地味な身なりに抜き身の剣をひっさげ、兵士たちに配る金貨の袋を握りしめ、あちらこちらと馬を飛ばし激励と指示を飛ばし、チェーザレ軍を待つのだった。
フォルリの城塞にカテリーナと共に立て籠もる兵力、わずか2千。チェーザレが率いる教皇傭兵とフランス連合軍の兵力は1万5千。
最初から勝ち目の無い闘いである。

フォルリ城塞の堀の向こうに、チェーザレがあらわれた。
「公爵は伯爵夫人との話し合いを求む」

戦いの前に、まずは説得を試みる。口八丁手八丁の鬼才・チェーザレの行動様式である。武力による対決なぞ、せずにすむならそれに越したことはない。大事なことはまずスピード。そして効率なのだから。

堀を挟み、城壁の上と下とでカテリーナとチェーザレは相まみえた。時にカテリーナ36歳、チェーザレは24歳。
当代一と讃えられた美女と、今世紀生まれた中で最高に美しいと言われた男との対峙である。城壁の高さは10メートル。さして声を張り上げずとも対話は可能であったろう。11月の寒風吹きすさぶ中、宮廷儀礼の優雅と品位を持って説得は開始された。
カテリーナの教養と勇気を讃え、聡明さに期待すると語り、世の評判がどうであろうと法王の名において名誉と今後の生活の自由を保障する、と言い切るチェーザレに、カテリーナが応える。

私は恐れを知らなかった男の娘。
いかなる難事にも、断固として我が人生を歩む所存。
運がいかに儚かろうと、我が心の支えである、祖先の名を汚しはしない。
世間では私を愚かな狂女と呼んでいるかも知れない。
だが、ボルジアの名と振る舞いもまた、世では不信と非難の的であること、ご存知か。
我には我が身を守る力があり、貴男もまた、それに対抗できぬはずも無し。
誇りを守る決意をもって、好意に対する答えとせねばならぬ事は残念なり。


言い放つと、カテリーナは身を翻して城塞に消えた。
この後、さらに会談は2度もたれた。だが、最後の会談は、チェーザレの足元めがけて放たれた大砲の炸裂によって終わった。ついに戦端は開かれたのである。

数倍以上の戦力があるというのに、チェーザレ軍は城塞を攻めあぐねる。カテリーナ側の砲撃は正確であった。立木の伐採による見通しの確保など、カテリーナの周到な準備が功を奏したのである。さらに、チェーザレ軍の戦意を削ぐ要素もあった。カテリーナ側から打ち込まれた大理石の砲丸には、こう書かれていたのだ。

「大砲はそっと撃つべき。さもなくばキンタマがちぎれ飛ぼうぞ」

あまりに意外なことを目にすると、呆然としたあげく、意気をくじかれてしまうのが人間というものである。かつて息子たちを人質に取られたときに、股間をモロ出しにすることで敵を手玉に取り、時間を稼いで勝利を得たカテリーナの攪乱再び、なのであった。

戦線は膠着した。
戦いに倦み、士気の下がったフランス兵たちのもとに、チェーザレがやってきた。酒を酌み交わしながら、賭けを持ち出す。
「明後日には、カテリーナの城塞は堕ちているだろうことに、300デュカーティ賭けるぞ」
そんな馬鹿な、と言いながら、フランス軍の隊長たちも、我も我もと賭けに乗る。噂はたちまちフランス全軍に広まった。だらけまくっていた兵たちに再びやる気がみなぎった。
チェーザレはここぞとばかりに総攻撃を命じる。事前に、ありったけの薪を集めさせ、堀を埋め、その上に船を渡して繋ぎ、簡易橋を作っておいたのだ。準備は周到、仕掛けるときは電光石火。これこそがチェーザレ式なのだった。
一斉砲撃で城壁に突破口を開け、フォルリ城塞にチェーザレ軍がなだれ込む。カテリーナは自ら血刀を振るいまくって白兵戦を繰り広げたが、手傷を負い、傭兵たちの裏切りにもあい、ついに中央塔の天辺まで追い詰められ捕らわれる。
両脇をチェーザレと、フランス軍司令官イヴ・ダレグレに支えられ、カテリーナは城塞から連れ出された。チェーザレはそのままカテリーナを自分の宿舎に連行し、その夜と、次の夜が明けるまで、彼女と二人きりで自室に籠もったのだった。
この振る舞いは、チェーザレの悪名をさらに高めることとなった。自由を失った貴婦人の誇りと名誉をさらに傷つけるとはと、騎士道精神を重んじるフランス兵たちの怒りは特に激しかったと伝えられる。
後に、ボルジア勢力に拘禁されたカテリーナを自由の身にするべく、この時彼女と剣を交えたフランス軍司令官のダレグレは尽力することになるのだった。数倍以上の敵に一歩も退かず、最後の最後まで闘い続けた美貌の女傑に、この軍人はすっかり魅了されてしまったのかも知れない。

チェーザレはどうだったのだろうか。
魅了はされたかもしれない。だが、そこに恋だの愛だのなどという甘やかなものがあったとは私には思われない。征服と強奪という戦いの図式が敷衍されただけのことと思う。たまさか、相手が美女であったからゆえの延長。だが、チェーザレは後にこう語ったともされている。
「城塞の兵すべてが彼女ほどの勇気を持っていたら、城塞は落ちなかったろう」

カテリーナが、自分のすべてを破壊し奪い去っていった若き美公をどう思っていたのかは、塩野さんの本には書かれていない。


法王の元に護送され、入れば生きては帰れぬといわれたカステル・サンタンジェロの牢に繋がれたカテリーナは、徐々に衰弱していった。上の二人の息子は薄情にも、資金不足を理由に彼女の釈放運動を早々に打ち切ってしまったのだ。かつて剣を突きつけられて脅迫されうえに、「子供などいくらでも生めるのだ!(だからどうでも良いのだ)」と目の目の母親に宣言されてしまった息子たち。薄情も、無理からぬ事だったのかも知れない。囚われの彼女を救い出したのは、かつての敵・フランスの軍人ダレグレであった。

だが自由の身になったとはいえ、領地は喪われ、政局はどこまでも不利であり、カテリーナが女領主の地位に返り咲く日はついに来なかった。法王が熱病で世を去り、同じ熱病に冒されたチェーザレが瞬く間に凋落して死を迎え、世が塗り変わっても境遇は変わらなかった。亡夫の故郷、フィレンツェで幼い最後の息子とともに貧窮の中に生き、宗教書をひもとき聖職者と対話する晩年であったと伝えられる。チェーザレと死闘を繰り広げた9年のちに、カテリーナはフィレンツェで没した。享年46歳。

恋と美と戦いに生き、ほぼすべてを喪い、敬虔さだけが残った人生だったろうか。

だが彼女の血と魂を受け継いだ最後の息子ジョバンニは、軍人として成長し、名声を上げ、その子孫は全ヨーロッパの王室に流れゆく、素晴らしい系図となったのだった。



***********************

政治的に見れば、彼女がチェーザレ軍に挑んだことなど、まったくの無駄であったのかも知れない。
真に領民のことを思う主であるならば、無益な戦闘などするべきではない。
マキアヴェッリですら、「彼女は砦を強化することなどよりも領民の心に沿うべきだった」と書き残しているのである。
だが彼女は闘った。
そして伝説となった。
3度の結婚。すべての夫は彼女を置いて先立った。「命など、なにほどのものか」と思いつつチェーザレ軍を待っていたのでは無かろうか、と思えて仕方がない。
波乱と、悲嘆と、憎悪に満ち、だが一筋の歓喜もあったろう一生。
その混沌を、憎しみも苦しみも、愛したがゆえの悲哀も、ただひたすらに激しかったその人生を、だが彼女は、他人の如何なるそれとも引き替えようとは思わなかったであろうと、私は勝手に確信するものである。


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人生50年、オタク歴40年弱、母親業四半世紀。老眼とボケが迅速に進行中。麗しいロボ執事をはべらせるのが老後の夢。

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