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2010. 08. 26  
原恵一監督の最新作「カラフル」。
さすがは原監督、当代トップクラスと私が信じてやまない技量の高さは健在で、ごくごく地味で無惨でしかない中学生の日常生活が、この上ない臨場感で描かれ続ける。このリアリティの凄みだけは、筆舌に尽くせるものではない。実際に観ていただいたうえで、「ハッ!」と気づくヒマも無いまま画面の中の世界が自分のそれと同一になっているかのような体験として捉えてもらう他は無いだろう。
明らかにどこかで観たようなビジョン。質感。空気。
作り事でしかないアニメの画面が、自分の生きる世界のそれと同一化したかのような感覚。

実に、演出というものは。
「よそごと」でしかない創作(フィクション)の世界に、観ている側の心を如何に引き寄せのめり込ませ、あたかも自身が体験しているかのように感じる境地に至らしめるためのことではなかろうか。

などと言葉で定義するのは簡単でも、実際に行うのは至難の技である。
本当に一握りの、ごく限られた突出した才能の持ち主だけが、それを行える。
作り事を作り事と感じさせない、受け手自身の世界や経験と同一化させることのできる魔法の力。
いかなる試練をクリアすれば、あるいはカギを持てば、あるいは約束を守れば。
その魔法は手に入るのか?
私には未だにさっぱり判らない人心の秘密の一つなのだ。


原恵一氏ほど、この摩訶不思議な力の存在をありありと示してくれる人もそうは居ない。
絶対にあり得ない、起きえない状況や設定、ファンタジーあるいはSFとしての要素や設定を、リアルそのものの日常世界に見事なまでに融合させる手腕。
どういう視点で世界を見れば、ここまでの日常再現力を手に入れることが出来るのだろうか?
河童のクゥを観たとき、私が切実に感じた疑問がそれだった。もしかして、この人は人間では無いのではないだろうか、ひょっとしたら星の王子様なのではないか? とまで。

だから、ある登場人物の口から「星の王子様」というセリフが出た瞬間、クスッと笑いたくなってしまったりしたのだが。


しかし困ったことに、あるシーンを契機に、私は一気に「カラフル」という世界から引っぺがされてしまったのだった。
それがどういうシーンであるかは伏せる。
そこにあったのはポカーンとするような唐突、だった。
そこまで地道に、じっくり、たゆまず積み重ねられてきた、一中学生の喜怒哀楽。地味で、ありふれた、だからこそ誰でもが共感できるような、生きていればこその判りやすい思いと行動の数々であったのに。

なぜ? いきなりそれ? え? と戸惑うほどの唐突で不自然なシナリオ。
残念だった。何かが足りなかったのだろうと思う。唐突で不自然だ、と感じさせないために必要だった段階の何か。

そしてその後は、いかにもそうなってゆくのだろうな、と想像する通りにエピソードが続いてゆき、なんの意外性も無いまま綺麗に終わっていくのだった。

意外性の薄い、当たり前の、ごくありふれた平凡な、みんなと同じの。
普通、の生。
それこそがどれほどありがたい、結構な、幸せなことであるか。
詰まるところ、伝えるべきはそのことだけなのだろうか、とも思う。
だが、ただそれだけのことを、ここまで見事な映像美として描けることこそが希有なのであり、特別な才能を示すことなのだ、と「マイマイ新子」を観たとき同様に強く私は主張する。

夢が無い生は行き詰まる。夢あってこその進歩である。生命の価値は夢無しでは成立しないのである。
だがだからといって、夢の見過ぎは確実に生そのものをダメにしていく、という側面を忘れてはならないのである。どんな薬も栄養も、過剰に摂れば毒なのと同じ。

異なるモノを描き、うんざりするような現実からの逃避となり、それによって癒されてまた現実に戻る力を貯えよ、というコンセプトのフィクションがあまりに多いアニメ映像の世界において、このカラフルとマイマイ新子の2作は「普通の生き様の素晴らしさ」を描く、という構造で高みに至ったという点で、一種のルネッサンス的な意味を持つと思うのだった。

だが私は実は、マイマイ新子とカラフルは、似た部分を多く持ちながら、まるで陽と月のようにも違う、とも思う。
どこにでもある日常。
普通を普通として、それでもなおそれこそが限りなく麗しく素晴らしいモノとして描き通した新子。
普通は普通であるがゆえに、その素晴らしさは秘め隠されたように判然としないモノとして描かれたカラフル。
泣けてくるほどに美しかった新子の風景と、容赦無く陰気で湿気った色合いのカラフルの風景の対比はいっそ見事なまでの陰陽である。これは前者が何十年も昔の田園であり、後者がまさしく今現在の都会のソレだから、という上っ面の事情だけに依る話では無いのだと思う。陰惨な田園があり、光輝溢れる都心があることも私は知っているからだ。如何に描くか、如何に受け取るか、という心映えの話なのであって、光学的分析なんぞクソ喰らえというところだ。


新子とカラフル、できますれば皆様におきましてはどちらも観て頂きたい。対比の妙を是非味わって頂きたく思うのだった。


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人生50年、オタク歴40年弱、母親業四半世紀。老眼とボケが迅速に進行中。麗しいロボ執事をはべらせるのが老後の夢。

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