--. --. --  
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2010. 08. 29  
見事なフィナーレを迎えた仮面ライダーW。
毎週々々、安定した面白さと格好良さを見せてくれた、平成ライダー屈指の名作だったと思う。

ただ、こういうフィクションでしばしば多用される「死んだと思わせ泣かせておいて実は生きてた」パターン、すなわち「死んだ死んだ詐欺」落ちというのは、私がもっとも忌み嫌うシナリオであり、そこには不満が残るのだけど。


でも、いい。
私は、Wが大好きだった。
もっと言うなら、左翔太郎が大好きだった。
つらつら思い返してみても、翔太郎ほどのドヘタレライダーなんてのは他に居ない。
史上最弱は電王の良太郎、ということになっているけど、彼はその性格の根っこに驚くべき強靱さを持っており、出しゃばらないというだけで決して弱いわけでも貧相なわけでも無い、ある意味誰よりも強いライダーだった。キバの渡は相当なヘタレではあったけど、一応あれは出オチ的弱さであって、恋をしたりなんだりで、最終的には王族の血を引く者としての覚悟に目覚めて成長したりしている。

だが、翔太郎ときたら、最初から半端なハーフボイルドとして登場して、最後の最後までハーフボイルドで終わるのだ。「完成された」という称号は付くけれど。

で、私は思う。君は、そのままで良いのだ、と。
ハードボイルド、というジャンルや、そういう思想にかぶれて粋がってる男性たちの実際性の欠如を嘲笑し続けて来た私だけど、翔太郎たちを見ているうちにどんどん考えが変わっていった。
ハードボイルドヒーローというのは、悲哀を力に変えて闘う奴らのことなのだ、と。
そしてその悲哀とは、実は自分の内にあるもののことではなく、自分の隣人のソレを自分のもののように捉えることのできる、共感能力から来るものなのだ、と。
こういうことを、上っ面の言葉ではなく、声にならない表情や背中や仕草、すなわち風情だけで私に納得させた希有な存在。それが左翔太郎だった。
あらためて、彼を演じた桐山漣君の力量の大きさに舌を巻く想いである。本当に巧かった。何をやっても巧かった。哀しみも、カッコ良さも、カッコ悪さも、間抜けぶりも。桐山君については、この先の役者としての成長が楽しみだのもっともっと伸びるだろうだの、そういう事はあえて言わない。
完璧だった。完全に、左翔太郎だった。これ以上何を望めるだろう、というほどに。揺るぎない、確固たる存在としてのライダー。どことも知れぬ風の街で今日も彼は頑張っているのだろうと、ここまで確実に私に思わせるヒーローはかつて居なかった。

そもそも変身ヒーローなどというものほど、リアルから遠い存在もあるまい。あり得ない設定。あり得ない世界。見たことも聞いたことも実際には無いような状況だの能力だのでもって、破格の正義を示し続ける。それがフィクションのヒーローというものだと思う。闘い続ける。敵はどんどん強くなる。自分もどんどん強くなる。当たり前のように世界の危機が来て、当たり前に解決される。

だけど、仮面ライダーWはそれとは少しばかり違っていたのだ。
2人で1人の仮面ライダーが守ったのは、たった一つの街だけ。彼らが住まい、彼らが愛した「風都」のみ。夫の人なんぞは「ご当地ヒーロー」と揶揄したものだ。
そして私はそのちっぽけさをこそ評価する。
偉大なヒーローは、確かにカッコイイしロマンに満ちる。でもそれは、結局、かけ離れた遙か彼方の存在、まったくのよそ事、ヨソの人のことでしかないことでもある。しょせん、自分たちとは関わりのない存在でしかないということである。だからこそ、憧れの対象としての器も大きくはなるのだけど。

私は翔太郎の在り方に、今までのライダーには見いだせなかった夢を見たのだ。
我が愛しき隣人。
無理なく手が届くかも知れない存在。どこかですれ違うかも知れない隣人。
ヒーローと呼ぶにはあまりに弱いヘタレの泣き虫だったのだけど、それだからこそ、彼は私にとって特別のライダーとなった。
「ハードボイルドだなんて、けっきょく馬鹿野郎どもの痩せ我慢に過ぎないじゃんかギャーハハハハ!」
とバカにしていた私を
「痩せ我慢するってことがハードボイルドなの?」
という少年の科白に、まったく別の意味で爆笑できるようにしてくれた。
今日も、そしてこれからも、私の生きるこの世界のどこかで、キザで優しいハーフボイルドさんが、クールな相棒やホットな刑事と一緒に探偵を続けているのだろうという、継続的な夢。
終わらない物語、というのも良い物だ。


さらに特筆するなら、左翔太郎、という存在はどういうわけだか、「物語」から疎外されていた主人公、という意味でも珍奇なライダーだった。
Wの物語は、家族を巡るそれでもあった。
相棒フィリップの出生の秘密と家族のこと。
古風で由緒正しいヒーローとして、翔太郎に無い要素を補う存在として、V3そのままの「家族喪失」テンプレートを背負って現れた照井竜のこと。
翔太郎を導き、魂の継承を示す者として、親子二代で彼に関わる所長たちのこと。
このすべてに翔太郎はほとんど直接の関わりを持たなかった。どこまでも傍観者でしかなかった。
そして奇妙なほどに、翔太郎本人は己の家族のことを語らなかった。匂わすことすらなかった。
あるいは、誰よりも孤独な存在だったのかも知れない。だからこそそこで育った風都すべてが彼の家で、それ以外に拠り所も無くて、何よりも風都を愛していたのかも知れない。生まれて初めての相棒、天涯孤独(と信じたろう)のフィリップをあまりに愛し執着したばかりに、彼の消滅に雄々しく立ち向かうこともできなかったということなのではあるまいか。
終盤の彼のヘタレっぷり、なにも出来なさっぷりは非難の対象でもあろうけど、私はやはりあの不埒さまでも一種の美だと思っていた。このままヒーローらしい見せ場が無くてもそれはそれで良いや、と感じるほどに。
あえて彼の過去をほとんど封印した脚本家、三条陸氏のセンス、美学には脱帽する。

ハード(ハーフ)ボイルドとは、哀しみを抱えて生きること。しかし愚痴はこぼさぬこと。すべてを呑んで、静かであること。
良い指針をもらったことであったよ。
これからは、純金とメッキ野郎の真贋判断に迷うことは無いだろう。
気取ってばかりのまがい物、自己アピのためだけにハードボイルドのガジェットを利用するような「構ってちゃん」&「頼ってちゃん」の馬鹿阿呆どもに、これからはこう言ってやれるのだ。

「翔太郎の爪の垢でも貰って来いや!」




***********************

しかし思った。
一年もの間、ずっと独りぼっちだと腐っていた翔太郎にとって、照井&所長はどこまでも空気だったのかねぇ、と。ちょいと、気の毒(´w`)






関連記事
NEXT Entry
FFXIVオープンβ参加希望各位へ
NEW Topics
初めてなのに懐かしい  Fate stay night
さらば上石神井
過ぎ行く2013
現実はドラマティックを狙わない
新生ライフ
アイウエオの歌
文は人なり
曲線美
風立ちぬ
ぜろせん!
Comment
Trackback
Comment form
 管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

星 ゆう輝

Author:星 ゆう輝
人生50年、オタク歴40年弱、母親業四半世紀。老眼とボケが迅速に進行中。麗しいロボ執事をはべらせるのが老後の夢。

カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
月別アーカイブ
ブログ内検索

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。