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2010. 09. 08  
台風迫る土砂降りの中、行ってきましたよBECK観に。

ずいぶん前のエントリで書いたように

『「人気漫画に人気イケメンぶっこんでカレーライスに仕立て上げりゃぁ客がバカスカ釣れまさぁ」てな代物』

なのだろうと、なんの期待もせずに観に行ったわけだったのだが、意外にもこれが

「そう捨てたモノでもないかも? 監督した人は、実際にロックがそうとう好きなのだろうな」

と感心して観ていたわけだが、けっきょく最後まで見終わって当初の予想どおりでしかなかったという次第。

イケメン展示会としてはなかなかのモノなので、そこだけ欲しいという方は大画面での鑑賞をお薦め。
ヒロ、健、ムカイリーがとにかく贔屓だった私の脳内ツバメ箱に、新たに桐谷健太というヤンチャ色気系イケメン追加。松田賢二もそうだけど、私はこういう傾向の押しの強そうな、野性のフェロモンむんむんタイプに弱いようである。実際、彼は一番BECKのメンバーらしい気がした。腰のしっかり入った力強い演技、確信に満ちたその風情は、すでに完成された実力を感じさせて実に結構だった。

そして主役であるところのヒロ君の演技は……うううん、微妙。看板としてはどうにも。主役はやっぱり佐藤健演じるところのコユキであって、これはもう原作どおりなのだからむしろ当然の流れと言うべきことだとは思うのだけど。
付け焼き刃でしかないギターアクションは、どんなにカメラワークを駆使しようとも誤魔化しきれるモノでもなく、このハンデをひっくり返せるほどの圧倒的な演技力がもとより望めるはずもなく。
だがそれでもアップになったときの雰囲気というか、カリスマチックな眼差しにはやっぱり独特の光があり、その異様なまでの孤高のムードは、独善的で傲慢で強引で時に冷酷な竜介のキャラにフィットはしていたと思う。あと英語を使うシーンは流石の流暢だった。日本語より活き活きしていたのではなかろうか。未だ彼にとって、日本語の方が外国語なのかもしれない。

ネタバレなので伏せ字にするが、コユキの○○が○○であったことについては素直に驚いたと書いておく。
英断だったと思う。これがこの監督の選んだ「たった一つの冴えたやり方」なのだろう、と。

佐藤健のコユキは良かった。青春の鬱屈、激変の中少しずつ成長していっても、なかなかぬぐえぬか弱さのようなものがずっとあって、どこまでもピュアなコユキそのものだった。

そしてコユキにギターを一から指導する中年オヤジを演じるカンニング竹山氏がとても良かったのだった。意外にもメチャクチャ格好良かった。イケメンを見にいって、デブっちょブサメン中年に感心して帰ってくることになるとは予想外のことだった。
ヘボヘボの初心者ギターが中年オヤジの指導によって、すこしずつ、薄皮を剥くように形になって行く様の演出は、はるか昔観た「キャプテン」というアニメで、地味ながら着実に野球の技量が上がっていくところを丁寧に描いて私を驚嘆させた、あの美しくも一般的共感に満ちたシーンを思い出させ、ことのほかシミジミしたことであった。

とにかく前半は地道で丁寧な、あるある感に満ちた良い青春物語なのである。
ところが、だ。急転直下、物語は馬鹿馬鹿しいまでの茶番と化してしまうのだ。
これはもう、仕方がないことだろう。そもそも映画1本の尺に収まる原作では無かった。あの後半のグダグダを回避するためにはシナリオを原作から大幅に乖離させて変貌させるしかなかったろうし、営業上の理由でそれはできなかっただろう。企画そのものに無理があったのだ。だが無理を通してナンボが大人の商売、というものである。金の為にまかり通る無理。現実。忌まわしく低俗な汚濁。
ある意味、徹底的なメタフィクションであったかもしれない。皮肉なほどに。


もしかしたら、この作品が、類い希なまでの美貌と翳りをもって登場し、たちまち私の心を捉えてしまった水嶋ヒロという少年の、俳優としての見納めなのかもしれない。
だがそれも仕方ないことと、私は思っている。
彼に、役者、俳優としての人生は無理である。演じることそのものに喜びを感じられる人間でなければ、アクターなどという、過酷な茨の道を歩み続けることなどできるものではない。それは人間として生まれながら、人間でしかない存在でありながら、人間であることを捨てる生き方だからである。シンガー、ロッカーというのも同様。音楽の喜びが何にもまさる人間でなければ、歩めぬ道である。
彼にはきっと別の道がある。別の生き甲斐がある。そちらを選んで生きることが彼の幸せに繋がるだろうと私は勝手に信じているし、だからこれにて当面のお別れだとしても、辛くはない。

この先がどうあれ、水嶋ヒロ(あるいは天道総司)という存在は、私の「永遠」であり続けるだろうから。


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Comment
初めまして。BECKの、というより竜介の感想に共感してコメントがどうしてもしたくなりました。

私もこれが水嶋ヒロの最後の作品だと思い、噛みしめてBECKを鑑賞しました。竜介という役は、天道に近い役。しかし、BECKではその天道の時のような輝きも感じられず、演技も微妙で苦々しい気持ちで帰ってきました。本来ならもう少し出来るはずなのに、とか、ギターテクニックさえ完璧にこなせば形になったのに、とか色々残念でありました。

>彼に、役者、俳優としての人生は無理である。演じることそのものに喜びを感じられる人間でなければ、アクターなどという、過酷な茨の道を歩み続けることなどできるものではない。

私も常々そう感じていました。水嶋氏を初めて観た時、様々な可能性を感じました。しかし、水嶋氏は演じる事を楽しんでいないのも感じとられ。水嶋氏のファンとしてはこれからも水嶋ヒロの演技を観て行きたいと願う。と同時にいつまでも演技が上達せず、どんどん後輩に抜かれていく演技力。限界も感じていました。突然の幕引きは正直ショックを隠しきれません。しかし、彼の将来を思うなら、原因がなんであれこれで良かったような気がします。ただ贅沢を言うなら、実質主演の作品を残して欲しかったです。一作ありますが、今の水嶋ヒロで一作。

暖かい記事、ありがとうございました。心に染みました。
Re: タイトルなし
ふくろうさん、初めまして。

BECKを観ていて、ふと思ったことがあるんです。
私には信仰、というものがありません。信じる神様が居ない、という意味です。もし神と呼ぶべきなにかを想定するとしたら、それは「天」すなわち、人間などという存在となんの関わりも持たない、「理(コトワリ)」の集大成のようなものだと思っています。0が無で、1が有、というたぐいの、絶対的な法則のようなものの集積という意味で。

そういう意味では、人間が人間であることにも理があってのことで、人間が人間を超えることもまた理のなせることであって、俗に言われる「神が降りてきた」というたぐいの、名演、怪演というものを果たせる存在というのは、神が人に寄ってくるのではなく、人間がおのれを高め抜いて、ついには捨ててようやく、そこに近づく、という意味なのだろうな、という想いでした。コユキが歌うシーンや、バンドメンバーがすべてを忘れてセッションだけに集中し、ケミストリーが生まれて見事な音楽になっていくシーンなどが、そういうことを想わせたのでした。

人間はほんらい、人間であることに固執します。これは「自分が自分である価値」にしがみつく状態、ということです。
ですが、俳優、役者、というのは、この「自分が自分であること」をかなぐり捨てて「自分では無い者」になることで、お金を貰う職業のことなわけです。
人間にもいろんなタイプがありますから、ごくたまに、この「自分を捨てて他者になること」という、本来人間が忌避する、怖れる、とうてい普通はこなすことのできない技に適応した人がいて、様々な人間に変化し、いろんな気持ちを代弁したり表現したりして、「自分を捨てることの出来ない、普通の人たち」の代わりに夢を叶える役割を背負うことになるのだと考えています。

天道総司に扮したヒロ君を初めて見たとき、あの名乗りを上げた時、彼のあの独特の眼差しとおもむきに、野望に満ちた、渇望を秘めた、なにか格別の餓えに満ちたような強烈な輝きを見たような気がして、私はいっぺんで心奪われてしまった、あの時のことを未だにまざまざと思い出します。
彼はなにかを強烈に追っていた。おそらくは、「自分自身」を。もっと言うなら、人間が人間として何より欲しがり大事にする「己の価値」、あるいはその証明のようなものなのだろうな、という意味のことをずっと想っていました。
つい先日、バラエティ番組でタモリ氏と話していたときこぼれた言葉が、それを裏付けてくれたような気がしています。
「だって必死でしたもん、名を上げようと」
つまり、彼にとって役者であることは、彼が彼自身であることの価値のためのこと。演じることそのものが目的ではないということなのだろうな、だから演技者として突き抜けることが難しいのだろうな、などと想ったりするわけです。

もちろん、こんなぐだぐだとした繰り言も、水嶋ヒロという存在を通して私が得手勝手にこねくった妄想妄言のたぐいに過ぎないのでして、万が一彼本人に読まれたりしたら「俺とはなんの関わりもないこと」と笑われたり嫌がられたりするかもしれない、無意味なことでもあります。
どこまでも、個人的な、想いでしかないんです。

それでもだからこそ、「天道総司(天の道を行き総てを司る)」、あるいは「理人」でもあったヒロ君のイメージを通して、共感を持っていただけたことが、とても嬉しいことでした。コメントありがとうございました。
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星 ゆう輝

Author:星 ゆう輝
人生50年、オタク歴40年弱、母親業四半世紀。老眼とボケが迅速に進行中。麗しいロボ執事をはべらせるのが老後の夢。

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