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2010. 10. 12  
日頃フォローさせていただいている方のリツイートで、とても印象的な名言を見た。
思わず私もリツイート。
こういう内容である。


驚くべきことに、われわれは自分を愛するように隣人を愛する。

自分自身にすることを、他人に対して行う。

自分自身を憎むとき、他人も憎む。

自分に寛大なとき、他人にも寛大になる。

自分を許すとき、他人も許す。

自分を犠牲にする覚悟があるとき、他人を犠牲にしがちである。



凄い。まさにビリビリ来た。
言うまでも無いが、最後の一文が肝だろう。

自分を犠牲にする覚悟があるとき、他人を犠牲にしがちである。
大事なことなので2度記す。

自分を愛するごとく他者を愛し、自分を憎めば他人も憎み、自分を許すように他者を許す。
こういうくだりまでは、ドラマやエッセイやその他のメディアでしょっちゅう見かける「深い良い話」のたぐいだろう。人間の特性として誰もが頷き共感できることだろう。
その構造を明らかにしておいてからのラストの一文である。巧い。見事すぎる。意表を突かれたが、頷かざるを得ない。当たり前のことであるのに気づきにくい事実であり、心理の真理なのだと思う。

私たちは、自己犠牲にロマンを見る。
今まで、自分を感動させてきた、様々なドラマを思い返してみてほしい。
特に「男のロマン」と呼ばれる物語の多くが、そのテーマを「自己犠牲」に拠っていることに、気づかれる方も多かろうと思われる。
男の生き様そのものとして、自己犠牲を高く掲げる方もまた多かろう。
ヒーロー、というのはそういうものである、と。
そんな方々にこそ、心に刻んで欲しい名言である。

かねがね、度の過ぎた正義感ほどはた迷惑なものも無い、と私は感じて生きてきた。
ヒーローは確かにカッコイイ。
自己犠牲の精神は、麗しいものに、見える。
だがしかし。
ヒーロー的な思想を打ち出し生きる御仁の中に、汚臭紛々たるオーラを纏う者が居るのもまた確か。
行き過ぎた正義感。押しつけがましい自己犠牲。ヒロイックというものは、ギリギリの尖りの上の、崩れやすいバランスの中にあるのであり、ひとたびそれが崩れればたちまちのうちに転落する。
ヒーローを気取りながら、あるいは夢みながら、僅かでも物事が思い通りにならなかっただけでたちまち平静を喪い逆ギレを起こし
「なぜこの俺様のこの価値をこの美学をこの真心をこの努力を判ってもらえないのか!」
とばかりに周囲に当たり散らし暴れ狂っては自身も周囲もズタズタにしてしまう、そんな輩をどれほど見てきたことだろう。
「自己犠牲を払っているのだから、他者も己に相応の払いをするべきだ、それなのに!」
と、意識の下でふつふつと怨念を煮えたぎらせている存在をどれだけ見てきたことだろうか。
迷惑だ。迷惑そのもの。
だが、なぜ迷惑なことになるのか、モヤモヤと不快を抱えるばかりで、私は今までその迷惑の構造を見ようとしていなかった、ということなのだろう。

自己犠牲を美とすること。
それは、人間の心が陥りやすい、実に危険で、しかも巧妙に秘め隠された罠の上にあるのだと、明確に悟らせてくれた名言だった。
エリック・ホッファーという人の言葉であるらしい。
無学な私は、この人の名も知らなかった。
エリック・ホッファー氏のWikiへ

なんと凄まじき人生。
名言との出逢いに、感謝を。

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知らなかった。
エリック・ホッファーか、、
カッケーな。
Re: タイトルなし
まんもさん>
実にカッコイイですよね! クールです。機会があれば著書を読もうと思います。
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プロフィール

星 ゆう輝

Author:星 ゆう輝
人生50年、オタク歴40年弱、母親業四半世紀。老眼とボケが迅速に進行中。麗しいロボ執事をはべらせるのが老後の夢。

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