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2010. 12. 16  
毎朝8時半に家を出る夫の人を駅まで送っていくのが私の日課だ。
駅前には書店があって、いつも9時前から開けている。開店準備の荷出しをしながら営業もこなしているのである。
そして、「KAGEROU」が一番目立つ位置に平積みになっていた。
私よりやや若い感じのご婦人が、1冊抜き出してレジに持って行くところだった。
で、気づくと私も1冊手にとってレジに向かってしまったのである。Amazonに注文してあるのに。ダブり確定なのに。
ところが、レジ直前で、ご婦人、おサイフを覗いて、千円札を握りしめて、本は元あった位置に戻してお店を出て行ってしまわれたのである。「ど、どうしたの? もしかしてお金足りない? 500円くらいなら貸しましょか?」と声をかけるヒマは無かった。

とまぁこんな次第で、朝一番に購入してしまい、一気に爆読みしてしまったのであった。
危惧していたほどハラホロヒレハレではなく、かといって昔書いていたコラムのようにガッチガチの硬さがあるわけでもなく、キチンとしていながらも読みやすい文章だった。すらすら読み進められる。しかも楽しい。

だが、問題はお話の展開なのである。特に後半、一気にグダグダ化してしまった。あっちゃー、なのである。
一応、筋は通って終わるのである。破綻はしてない、のである。だから、グダグダ、という表現は適してないのかもしれない。
だがしかし。
これはあまりに……なんと言ったら良いのだろう。ご都合主義、というのとも違う気がする。甘い展開、と言うべきなのか。スイーツ(笑)ともまた違うような。
自分で自分の感想を掴みかねて困惑するはめになった。
そうだ! このぶっ飛び具合は、子供の発想なのだ。それこそ思春期もまだ遠い、頑是無い童子の思いつきのような。
だがしかし……。

言葉を探しあぐねながら夫の人に違和感のようなものをウダウダ語っていると、夫の人が言った。
「メルヘン?」

いやそりゃ違うだろう(この時私の頭に浮かんだイメージは『詩とメルヘン』という雑誌)

いや、待てよ?
そもそも、メルヘンってなんだ? 私は、この言葉の意味をちゃんと理解しているのか? してない気がする。

メルヘン 意味 検索結果

夫の人の言葉が的確なのだ、と悟った。
KAGEROUは、ずばり、メルヘンなのである。

ファンタジーではない。ましてや断じてSFではない。童子の魂を抱えたまま、大人の世界を普通なら行けない深部まで冒険してしまった異色の青年の手による、大人のためのメルヘンなのである。

だけど、メルヘンで収まりきれない、納めるべきではない要素も含まれており、そのあたりは洗練がまったく足りない、ということになるのだと思う。
いわば習作のレベルであり、文章が普通に上品で丁寧であることと一応のまとまりがある完結を見ている点から、最終選考までは残りうる作品だとは感じるが、大賞の名に相応しいか、という点については疑問を持つ。
だが、考えてみたら、ポプラ社というのは長らく児童書を出してきた出版社だ。「我が社が売り出します!」と、メルヘンを推進することは別に奇妙なことではないのじゃなかろうか。

……というのは極大好意的解釈、というやつで、ヒロ君、もっと修行しましょう。
この愛すべき小品は、おそらくは多くの好意と賞賛を得るでしょう。
同時に、それに数倍する量の悪感情による反発、非難、罵倒に晒されることになるでしょう。

(とか思っていたら、それこそ夜も明けないうちにネットのアチコチでえらいことに早くもなってる。ああもう。まったく、もう。オロオロ。どうしよう、オバチャンはオロオロヽ(´Д`;≡;´Д`)丿)


初版に校正ミスがあったらしく、あわただしくシールを貼って修正してあった。長年、山のように本を読んできたがこんなケースはほとんど知らない。どんだけ突貫工事だったのやら。
また、ノンブルが手書きになっているページもあった。
やれやれ、と思っていたのだが、今思い返すと、あのページ。
一応内容に関係しているのかな。それともただの偶然なのかな。関係をもたせて意図的にやった手書きノンブルなのだとしたら、しゃらくさいイタズラだと思うのだが。

*****************

とまぁ、ここまでが客観的論評というやつ。
こっから先はどこまでも個人的な想いを綴らせていただく。興味と御用の無い向きはどうぞとっととお帰りあそばせ。

******************

読めば読むほど思った。さすがは、ヒロ君だと。私が思っていたとおりの、いやもっと斜め上にそれを超えていく、純粋さとクールさを兼ね備えて物事を見ている子なのだと。
普通の人が見ていない、見ようともしない世界の細かいアチコチを、またはどこにも存在しないはずの何かを、「なんだろう? なぜだろう? こんなふうに思うのは自分だけ?」と、じーっと見つめて生きてきたんだね、と感じてしまうような部分が多々あった。
そして、その視点は私のそれと、実に近くて良く似ているのだね、と。
だから私は読んでて楽しかった。愉快だった。痛快とまで言って良い。
「僕は物事の、こういうところが気になるんですよ」
と言わんばかりに、あちこちに挿入されるツッコミ防止のためのガード。
「だから、こう避けますよ! そういうところを、オロソカにはしませんよ!」
カン! カン! カン! 短剣を跳ね返す盾のように。
その盾の構え方があまりに判りやすいので、度重なるうちに愉快のゲージが溜まっていき、ついに私は喉をのけぞらせて大笑した。止まらなかった。共感ゆえに。
この愉快ツボを共有する人なぞほとんど居ないだろう。ほとんどの人にとって、それらはどうでも良いことなのだろうから。どうでも良い、細かいことに目がいってしまうということ。気になって仕方がないということ。だけどそれらを判ってくれる人はほとんど居ない、ということ。
だから私は、そういうことが通じそうな相手が好きなのである。世の他の人には見出しようがない安心を見るような心地になるからである。

KAGEROUを読んで一番嬉しく楽しかったことはまさにこのことだった。

次に嬉しかったのは、まさにこれが、ただただ書きたくて書いた物だ、という気がしたことである。
先日、評論家の竹熊健太郎氏のとある談話の動画を観た。
そこで氏はこう語っていた。
「創作を志す人というのには、2種類あると思うんです。1つは、とにかくただ書きたくて、描きたくて、作る人。もう1つは、「先生」と呼ばれたい。偉い、スゴイ、と思われたい。そういう、評価や賞賛を求める動機がまずあって、そのための手段として創作を目指す人、です」

前者の数は少なく、後者の数は大変多い。
そして天才と呼ばれるタイプは前者に多い。こういうタイプはほっといても書く。誰になにを言われようが言われまいが、書く。作る。表す。息をするように創作する。それが生き甲斐であり、その為に生きる。そうしなければ生きてゆけない。あるいは生きるのが辛い。誰のためでもなんのためでもなく、どんなに忙しかろうが誰にも省みられ無かろうが、創作する。表現する。そういうふうに、自分自身で自分を満たし、癒し、派生として他人をも幸せにしていくのである。
まことの創作者とはそういうものであると私はかねがね思っていた。だから竹熊氏のその言葉に深く頷いていたのである。
なお竹熊氏は後者のタイプにも寛容であられるようだが、私はまるでそうではない。卑しい存在だと思っている。こういうタイプの手による創作物は総じて自己顕示や誇示が剥き出しになっていて、実に易々と書き手創り手の裏の目的をさらけ出しがちだ。私はそういうものに不快を覚える。臭気を嗅いだように苛立つ。

ありがたいことに、KAGEROUからそういう類の臭気を嗅がずに済んだのだ。善哉、善哉。彼は本物である。いまだ卵の殻がひっついたままのヒナの段階ではあるけど、純粋であることが感じられて、私を幸せにしてくれた。
ついでに言うなら、形骸じみたマッチョイズムの臭気も綺麗サッパリ存在しなかった。ますますもって有り難い。

そして純粋かつ幼くあっても、甘いばかりでは無いところがまた嬉しかった。怜悧で乾いたリアリティでもって、曖昧さをバッサリ切って暴くような、身も蓋も無いと言いたくなるような冷徹さもあるのだった。これまたたまらなく小気味良かった。

結局要するに、作品として評価はしかねるけれども、私はKAGEROUが大好きである。イケメン・水嶋ヒロも大好きだが、作家・齋藤智裕はもっと好きになれそうだ。
願わくば、ああ願わくば。
怒濤のごとく押し寄せる悪意にどうか折れることなく、書いて、書いて、書きまくって欲しい。どんどん成長していって欲しいし、その可能性はたっぷりあると信じている。これからの君の人生はますます大変なものになっていくかもしれないけれど、どんな苦難もいつかきっとすべてが肥やしになる。折れない、めげない、へこたれない。書くことそのものが必ずや、君の支えになり救いになっていくはずだ。
齋藤智裕の次の作品、今後の活躍に心から期待する。


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Comment
大体の感覚としては私も似たものを感じました。
作品自体のレベルとしては凡から下の上あたりでしょうか。
すごいわかりにくい例えをすると角川スニーカー文庫学園小説大賞佳作みたいなイメージだったと思います。
短い話だったのになぜか中盤中だるみした印象を受けました。
ポプラ社のメインターゲット層である小学生中学生、普段本を読まない人あたりにはわりと良い感触が得られるのではないでしょうか。
Re: タイトルなし
キョウちゃん>
ラノベとも方向性が違う気がするよね。
ラノベは中二病、高二病で書かれることが多いけど、そういう感じが、無い。
やはりかなり不思議な内容だと思います。
描写のための基礎力はしっかりあると思うので、今後どれだけ書き続けられるかが勝負になりそう。おそらくは書けば書くほど上昇していくんじゃないかな。
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星 ゆう輝

Author:星 ゆう輝
人生50年、オタク歴40年弱、母親業四半世紀。老眼とボケが迅速に進行中。麗しいロボ執事をはべらせるのが老後の夢。

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