--. --. --  
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2011. 02. 27  
Google急上昇ワード
君らどんだけググってるねん! あ、私もかw

ともあれ、QB=九尾狐であって欲しい、という私の願望は見事に外れ。だがそんなことはとことんどうでも良いくらいに激しい展開となったまど☆マギ8話であった。巨大掲示板やPixivなどネットにおける盛り上がりと波及は凄まじいものがある。徐々にうねりが高まっていくかのようなこの雰囲気は、かつてのエヴァンゲリオン放映時のそれをありありと私に思い起こさせる。コードギアスの時は私はストリームから離れていたので見当がつかないけれど、やはり似たような感じだったのではあるまいか。(某乱射シーンでは2chアニメ実況板が飛んだ、と聞いた記憶がある)

インキュベーター。孵化、孵卵器。転じて、起業に関わるサポーター。「産み出させしめる者」

「この国では成人する前の女性を少女と呼ぶんだろう?(略)」
このQBのセリフでもって、彼奴の行動の真実が明らかになったわけだが、その行動の目指す目的は未だ不明だ。

いったいこの話はどうなっていくのだろう? 
スリリングで、謎めいていて、キリキリと緊張が高まり続ける稀有な流れ。ここまで展開が読めず、それゆえにあれこれと多くの可能性の検討で頭がいっぱいになってしまうアニメも珍しい。

だが、インキュベーターという単語一つで、おぼろに見えてきたような気がする。
まず確信したのは、ファンタジーではなくSFとして描かれている物語なのだろう、ということ。それもかなりにハード(厳格)な形でもって。

2話放映直後の日記にも書いたのだが、魔法を使う少女たち、あるいは魔女たちを描くのであれば、それはファンタジー、である。
少女ならではの魔法を描く、ということならばそれはSFとなりえるのである。
それはすなわち、魔法とは何か、少女とはなにか、魔女と魔法少女とはどう違うのか、そもそも魔とは何であって魔で無いものは何なのか、魂とは結局何なのか? などと際限なく問い続けることでもある。
疑問を辿り続けるだけでどんどん生まれてくる謎と思索の数々。それらすべてを破綻の無いよう位置づけるべく考察し、概念として形を与え示すこと。
そうすることによって、曖昧で漠然とした混沌に等しい意識しか持っていなかった者に、
「そうか、そういうことだったのかーっ!」
という開眼や発見や覚醒の快感を与えること。
この「そうだったのか!」と目からウロコがボロボロっと落ちる快感や感覚のことを「センス・オブ・ワンダー」と呼ぶ。すなわち、SFの目的でありテーマである。

従来の昔話の群れが成す「人間を堕さしめるモノ」すなわち悪魔と呼ばれるべき概念であったろう存在に「インキュベーター」という名と枠組みが与えられていると知らされた瞬間に、まどか☆マギカは私にとってSFと成った。そして語り部たる虚淵玄氏が目指すところがうっすら見えてきたように思う。


この日に紹介したブラウンの短編(『スポンサーから一言』収録の『至福千年期』)、及びこの日に紹介したグイン・サーガの短編、どちらも突き詰めればテーマは実は相似だったりするわけで、まど☆マギも同様の結論に辿り着いてくれるだろう、と勝手な予測と願望を抱いているのだった。

根拠となるのは、まどかの魔法少女としての才能、である。
QBは言った。神にもなれるほどだと。宇宙の法則をねじ曲げることもできる、と。
一少女でしかない鹿目まどかという個人の中にいったい何があるというのか。

ここで逆に考えてみよう。
ロクに何もないからこその、可能性なのだと。
夢を見る力。願う力。希望する力。ああなればいいのに、こうであればいいのに、こうなれたら良いのに、と欲する力。
こういう力というものは、溢れるばかりの何かに満ち足りている人間はかえって持たないものなのである。
無いからこそ、足りないからこそ、人間は望み願い欲するのである。
巴マミは命を喪おうとする瞬間に、存続を願った。
佐倉杏子は家族の不幸を除こうとして願いを決めた。
美樹さやかは片思いの男子の不幸を除こうとした。
「死にたくない」「不幸はイヤ」「好きな人の不幸はイヤ」
彼女たちはみんな、幸せではなかった。大いなる欠落を抱えていた。欠けていたもの、それは「安心」である。
不安や不幸や哀しみ苦しみを取り除こうとするからこそ、希望や願いは生まれてくるのである。

まどかの欠落とはなんだろうか。
8話の時点では親友のさやかが不幸になっているので、当然彼女も不幸であるわけだが、言っちゃなんだがその程度の安心の欠落は平凡の極みであり、どこにでも誰にでも普通に有るものであり、到底神にも匹敵する力の可能性足り得るものではない。

では何が彼女の可能性か。
無欲であることか。無私であることか。欠落が可能性なのだとしたら、論理として合致する。親友を助けるために自分の命と魂を引き換えにしようとする、気高い自己犠牲の精神、すなわち
「愛」(とかなんとか世間じゃ呼ばれちゃったりカタられちゃったりするナニカ)
の大きさ強さこそが鹿目まどかの才能なのか。

だがしかし!
そんなありきたりの正義感だの愛だのなんてものがまさに木っ端微塵となったのが8話のラストだったというわけだ。

語り部・虚淵玄氏は従来から善とされてきた、愛、正義、希望、純粋、救済、そういう類の概念が落ち着くべき先に片っぱしから大穴を穿ち罠を張り、虚飾と化した善のハリボテ、うわっつらをバリバリに破壊して、その奥にある本質を剥き出しにしようとしておられるのではないか、と私は思っている。

まどかの才能、可能性の根拠。
それは実は「自己評価の低さ」なのではないか、というのが私の推測だ。自信の無さ、と言ってもいい。
その欠乏があまりに大きいからこその格別の可能性だと、QB(もしくはQBの上位機構)が判断しているのだろう、と。

さぁその大いなる欠落は何を望むや。
低きを高きに変えることか。欠落を埋めんとするか。どうやってそれを為すや。友を、他者を、世界を救おうと欲することでそれを果たすか?

賭けても良い、それを選べば間違いなくこのお話はバッドエンドになるだろう。


「契約せずに指をくわえて観てるだけでもバッドエンドじゃないですか、完全に詰んでますーっ!」

その通り。契約しなくちゃ文字通り、話にならない。

でも大丈夫。きっと、まどかは最良の道を選んでくれる。契約はするだろう。するかしないかが問題なのではない。如何なる契約であるか、がキモなのだ。
キーになるのはおそらく「逆」。
希望と絶望は差し引きゼロ。
ならばそれを逆に考えれば……?
計り知れない魔力、つまりは「無限」はなにと引き換えになるだろうか、ということ。
鹿目まどかだからこそ出来ること。
それを示すためにこそ暁美ほむらが居るはずなのだから。
ほむらはおそらく、契約を止めたくてQBをボコっているわけではないのだ。まどかに気づいて欲しいのだ。だがそれを他者の立場から教えたところで本人が納得しなければ意味が無いだけなのだ。
まどか自身が自分でそれに気づかねばならないのだ。

このお話は必ずや、グッドエンディングを迎えてくれる。全然、詰んじゃいない。大丈夫。

関連記事
NEXT Entry
02/28のツイートまとめ
NEW Topics
初めてなのに懐かしい  Fate stay night
さらば上石神井
過ぎ行く2013
現実はドラマティックを狙わない
新生ライフ
アイウエオの歌
文は人なり
曲線美
風立ちぬ
ぜろせん!
Comment
Trackback
Comment form
 管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

星 ゆう輝

Author:星 ゆう輝
人生50年、オタク歴40年弱、母親業四半世紀。老眼とボケが迅速に進行中。麗しいロボ執事をはべらせるのが老後の夢。

カレンダー
06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
月別アーカイブ
ブログ内検索

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。