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2011. 06. 25  
今季ノイタミナ枠の2本、「C」と「あの花」を熱心に観ていた。
色んな意味で両極な作品で、それぞれが独自の魅力を持っていた。
見たこともない世界、予測もつかない展開、愉しくも快くも無いのに惹きこまれてやまない「C」。
よく知っている風景、ありがちな青春、初回からくっきり見えるゴールデンロードの「あの花」。

見慣れた日常が着々と崩壊していく恐怖と不安を「C」で味わい、最初から崩壊していた関係性がじっくりと修復に向かっていく「あの花」でメーターが振り戻される、それが今季の金曜のアニメ鑑賞のパターンだった。(その後たいてい「まりほり」で程良く脳裏をシェイクして良い塩梅になるんであった)

私は新奇珍奇を好む性癖があるので、それはそれは「C」に執着していた。いったいどんな意外な収束を見せてくれるのだろう、と。だが残念なことに壮大な空中分解の果ての必死の着陸、といった感じに終わった。
経済を哲学する、というアニメとしては前代未聞のテーマは、けっきょく、ごくありふれた凡庸な「普通の哲学」に収まるにとどまった。
そういうまとめ方は実は善いことなのだろうし、判りやすくもあるから文句をつける筋合いではないのだろうが、やっぱり私としては、「どっひーーーーーーーーー!」と眼をひん剥くような驚き桃の木コペルニクス的転回が観たかったのだった。
ベッタベタで凡庸な嬉し恥ずかしラブシーンだの、どこぞのロボットアニメみたいな罵り合いながらのチャンバラ勝負だのは、このハードで深遠で容赦の無い「経済社会の限界と崩壊」というテーマにはまったく相応しくないばかりか、興を削ぐばかりの無粋な要素でしかなかったと思う。
「金融街」と呼ばれたヴァーチャルな世界がけっきょく何だったのか? という構造のようなものはついに曖昧なままだったが、「未来ある限り金融街あり」という返答が最期に存在した以上、こりゃもう「寓話」として受け止めるしかないのだろうな、と自分を納得させる。不満は残るけれども。



翻って「あの花」の物語の見事な〆には、理屈も構造も吹っ飛ぶ感動があり、もう完全に脱帽。
初回を観た時点で
「バラバラになってしまった青春が、なんだかんだで成長してまた纏まり合ってメデタシメデタシの大団円なんだろうなぁ」
と予測が立ってしまい、あまり興味が惹かれなかった。パターン化された物語性のゴールデンロードのようなもの。この場合、それが裏切られることはないだろうし、激しく歪曲することもないだろうし、良作、名作というラインからぶれることもないだろうし、要するに「お行儀の良い一本」になるんだろうな、と思っていた。
そして、その予測から見事に半歩たりともずれることが無かった。
それなのに。
ブレること無い王道は、些細な疑問をことごとく吹っ飛ばし、遥か高みを目指すロケットのごとき推進力を見せつけて、盛大な花火となった。

「C」の金融街と同様に、不明瞭な点はあった。リアルに反する「異質なもの」。なぜ、それがあるのか。いかにして、あるのか。理屈や構造といったもの。
それは謎としてそのまま放置された。明かされなかった。
いや、正確には「なぜあるのか」は最期に示されたのだけど。
「いかにして」は、どうでも良いこととしてほったらかしであり、こういうやり方は本来私が好むところではない。さらに言うなら、過剰な演出と過剰な泣きで観客の涙を誘おうとするやり方も、凡庸で無粋で、通常ならドン引きの要素でしかないのである。
それなのに。
「普通ならこんなので感心なんかしないのになぁ、マイッタなぁ、やられたなぁ、脱帽してひれ伏すしかねーわな」
と全面降伏せざるを得ない、力と技のハイパー作品となって完結したのだった。
細かくエピソードを連ねて、繊細に演出を重ねて、じっくりと関係性を醸成させ、望ましい大団円へ導くこと。
これは当たり前のようでいて、実はとても難しい。
脚本においても、作画においても、演技においても、あらゆるところで、きっちりと人間が描かれていなかればならないからだ。
そしてそれが出来る力量の持ち主は限られる。
あの花という作品は、稀有なスタッフに恵まれた。隅から隅まで、凄まじい力量のオンパレード。ほんの僅か足りないだけで、ほんの一歩踏み外すだけで、お行儀が良いだけの凡作に堕したであろう青春群像劇が、奇跡のブレイクスルーを果たした。
キャラ萌えやご都合主義やセンチメンタリズムに特化せずに(つまり、逃げずに)中庸と王道を貫いたこの作品は、アニメという枠を飛び越えて広く人気を博するだろう。


とにかく唸らされたのは、脚本の力である。
心理の描き方がとにかく上手い。
複雑で厄介で度し難い「心」を、暗部まで含めて容赦なく描く。結果として、ひとりひとりが大変に生々しい。
人間とは麗しい反面、なんと恐ろしいものでもあることか。それを、この描き手はよく判っておられるのだと思う。
特にクライマックスで、みんなの心が一つになっていたあの瞬間を観ながら、私は実はまるで方向違いの裏をも観た気分になったことに戦慄した。

「おい! そこ、そこの約二名! それ、本心じゃないだろう、本心のはずが無いんだ、そうする理由は君たちには欠片もないはずだよなぁ……でも、本気でいってるんだよなぁ、本気でいってる「つもり」になってるだけなんだよなぁ、だってそういう空気なんだもんなぁ、その場のノリってやつで、人間てのは本心でもなんでもないことを本気で演じてしまうことがあるんだよなぁ、そしてずっと後になってその齟齬にのたうちまわったりしなくちゃならないわけで、でも今その瞬間にはそんなことトコトンどうでも良いことでしかないよなぁ」

もしかしたらこんな「裏」なんぞ、私独りの妄想でしかなくて、そんな後ろ暗い視点なんぞ脚本担当の岡田麿里さんはまったく想定なさってないかもしれない。
だが、もしそういうことをお判りの上であのシーンをお書きなのだとしたら、まっこと恐るべき才能である。今後のお仕事にさらなる期待をしたいと思うのだった。

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Author:星 ゆう輝
人生50年、オタク歴40年弱、母親業四半世紀。老眼とボケが迅速に進行中。麗しいロボ執事をはべらせるのが老後の夢。

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