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2011. 10. 11  
久しぶりにガンダムの新作初回をじっくり観た。
昔のガンダムっぽいこともやりながら、およそガンダムらしくない簡素な構成。かなり思い切ったことをしてると思う。新鮮でも革新でもないが、なるべく刷新してみました、という感じ。
そして明らかに対象年齢が今までのガンダムより低いはず。問題は、この内容で小学生が夢中になるのかどうかなのだけど、どうもそのへんは私には判らない。

個人的視点からは全く感心出来ない、ありふれた薄っぺらい駄菓子みたいな話だったのだが、割りと手堅く作ってあるのでさほど嫌な感じもしなかった。
何より、ゲイジングシステムという、チップとパーツを組み合わせてカスタマイズ対戦、という新しい玩具遊びの提案にワクワクしてしまった。およそ20年ほど前「こんな遊びがあったらいいな」と夢想したシステムにどこか似ているのである。自分だけのロボットをカスタマイズできて、それを対戦ユニットにしてどこかの誰かと競わせる、という感じの漠然とした夢。対戦ゲームといえばスト2が大流行、ネットはパソコン通信という形の、マニアだけが知っているマイナーなお楽しみに過ぎなかった頃の夢。

詳しく調べてみると、ゲイジングシステムは色んなデバイス玩具を組み合わせる、バラエティに富んだ遊びっぽい。素材になるガンダムの形状もスッキリしていてカッコいい。だが、結果的には容赦なく子供たちからお小遣いを搾取するシステムになるんだろう、とも思ったけどね。


さてさてまぁまぁそれにしても、同年代オタクの夫の人の不興なこと、不興なこと。気持ちは、判る。私だって、なにより誰より、ファーストガンダムのあの革命性に激しく揺さぶられて生き方を決定された世代である。「こんなのガンダムとしてどうよ?!」という中年の嘆きは本当に良く判る。どうやら同様の感想を抱いた人は多かったらしく、ネットのアチコチで不満が噴き上がっているらしい。

そういうのを見ていると、「ドグマ」という言葉がどうしても思い出される。
「ガンダムってのあぁ、こういうものでなくちゃダメだろうがーー!」みたいな決め付け。思い込み。こだわり。
そういうのをこそドグマって言うのだろうな、と。

ガンダムっつったって、色々あるでございましょうに。
昨今のガンダムの弄られっぷりをウンザリしながら横目で見ていた私にとっては、今更どんなガンダムが出現しようがガタガタ言うような事じゃない、と思う。
それくらい、私にとってのガンダムのイメージはもう散々に食い散らかされ好き放題に荒らされまくられ見る影も無いほどに原型も留めぬほどにムチャクチャにされ個人個人の自慰のネタと企業論理に則った金稼ぎの道具に成り果て、夢の残骸も残っちゃいなかったのだ。
私にとってガンダムは過去の思い出以外の意味は無く、興味も縁も無くなっていた。

だからこそなのだろうか。すっかり虚心でガンダムAGEを観た。確かに面白くも無かったけれど、妙に興味が惹かれる。
こんな薄っぺらなまま、終わるものでもないのじゃないか? という逆転した楽観。
何より、対象年齢が小学校低学年であろうことを考えると、これくらいすっきり枝葉を切り落としたところから始めるのはむしろ有りだろう、と感じる。

リアリティの薄い、御都合主義優先の、騎士道ロマンのようなガンダム。別に良いのじゃなかろうか。むしろ、大いにやってみて欲しい。このコンテンツは、アニメ作品だけを売る企画じゃないだろうし。アニメを軸にして、各種オモチャとゲイジングシステムを絡めた総合娯楽の提供と利潤を目的としているはずなのだから、アニメ作品そのものが濃厚である必要は無いのかもしれないし、逆に簡素な方がコンテンツ全体の利益は上がるかも知れないのだ。

とかなんとか夫の人と喧々諤々とやっているうちに聞いた情報。
「これで親子3代、100年分の話をやろうってってんだから」



は? (゚д゚)



なにそれ。
このガンダム、主人公が3代にわたって入れ替わるってのかーーーーーーー?!

「今そこですか? そんなことも知らずに、今、そこぉ?」(ドヤァ)


相当ビックリした。
3代、100年を描く。
それはもう、歴史を描く、ということになる。

改めてファーストガンダムの革新性について思い起こそう。
それまでのテレビまんがというものは、ヒーローが居て、その活躍を描くだけのシンプルで荒唐無稽なものであるのが常識で、それ以外の発想なぞほとんど無かった。
そこに破格の規模のロマンとストーリーと設定を展開して世間をアッと言わせたのが宇宙戦艦ヤマトであり、この頃より「テレビまんが=子供向け」という業界のドグマが決壊する。
テレビまんがはアニメと呼ばれるようになった。
ガンダムは、そこからさらに躍進して、リアリティのあるシリアスな世界を描くことに挑んだ。
世界戦争、という状況そのものが内容だったのである。
ロボットアニメといえば巨大メカがタイマンでガッコンガッコンするだけの、ロボットプロレスと揶揄されるものばかりしか無かった時代に、いきなりリアルな戦争である。兵器としてのロボットである。
どれだけ驚天動地の革命だったか、想像していただけるかどうか。まるで、地下の洞窟だけで生きていたところにいきなり海と大地と天空が与えられたようなものだった。
これが世界なんだよ、と。

戦争という状況を描く、ということ。
これが、世界という横軸に、円盤状に広がっていくイメージで捉えてみよう。

さて、世代という歴史を描く、ということ。
これを、時間という縦軸に長く伸びていくイメージで捉えるならば。

さらに付け加えて、アニメというメディアの限界を意識して。
何事にも可能性、リソースというものがある。どんなメディアにも限界はある。アニメにしか出来ないこともある反面、アニメながらのリソースの限界というものはどうしても発生する。テレビアニメならばなおさらである。

今ここに、1アニメ作品のリソース、という塊がある。
それを細長い金太郎飴のように伸ばして、ワンパターンの断面を見せながら積み重ねていたのがガンダム以前のテレビまんが。
金太郎飴が突然ド太くなって、しかも絵柄が大胆に変わっていったのがヤマト。
塊をいきなりドバーッと広く展開して、世界というものに変えて見せてのがガンダム。

そのリソースを、縦の方向に延ばさねばならないとしたら? 歴史という時の流れに沿って。
細く、狭くなっていくのはやむを得ないことなのではないだろうか? かつての金太郎飴のように。
ガンダムAGEの初回が、かつてのガンダムのような重厚さや広大さ、リアリティというものをほとんど持っていなかったことについての私なりの解釈がこれである。
だがまさか21世紀の今、いきなり昭和のどん臭いワンパターンアニメに回帰するわけもないだろう、と思う。
なにか、仕掛けてくる。現時点での見かけどおりではないなにかを。

好きになれない初回だったが、とにかく3話までは観ようと思う。なにせ一年間の長丁場だ。いろいろ潜んでいる気がする。第一話で切り捨てる気にはならないだけのものはあったとも思うし。得体の知れない外宇宙生命体のように言われている敵が、どうみても人間のボディランゲージを使っていたり、ね。


フィクションの100年を描くこと。
生半可で出来ることじゃない。
見事な歴史物になってくれるよう祈りを込めて。








****************

今日、夫の人が思いついたらしいこと。
「もしかしてこれ、100年進むのじゃなくて、遡るのじゃ? その方があの1話、しっくりくる」
またまたビックリ。
あり得るかも。
公式サイトの、3代分の主人公の画像を確認する。
左が現行の主人公。
……言われてみると、右に行くほど服装が古びているような気がする……('Д')??

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Author:星 ゆう輝
人生50年、オタク歴40年弱、母親業四半世紀。老眼とボケが迅速に進行中。麗しいロボ執事をはべらせるのが老後の夢。

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