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2012. 09. 15  
ジュエルペットサンシャインの最終回にて、ペットのヒロイン・ルビーと、人間のヒロイン・かのん、両方に愛されて、最終的にルビーを選んだ御影くん。
なんとなんと、人間を卒業してジュエルペットになってしまったという衝撃の選択。

まさかその御影くんと新シリーズのキラデコで再会できようとは!

スレ立ってますね。

この二人の距離感が、なんか、良いのだ。
ごく当たり前の存在として、ボーイフレンドが居るのだと告げるルビー。舞踏会で逢うのだと。
ショックを受ける乙女のピンク。なにげに、ルビーを見下していたのかしら、この子は?

そして現れるボーイフレンド。紛れもなく、最終回であらわれた、ペット化した御影くん。隣町のグラナイトです、と名乗るのだった。


そしてルビーと息ぴったりで踊りまくって

「じゃ、また来年!」

とあっさり別れていく。

なんとも円熟した絆を感じるではないか。

御影くんの存在が今のシリーズでもちゃんと生きていることも、ルビーとの大人っぽい雰囲気も、妙に嬉しかった。

そして、舞踏会でも様々なキャラ模様を通して、人間側のヒロインのピンクちゃんが、やっぱりさりげなくジュエルペットたちを見下している、という性根も垣間見せる。

相変わらず、この作品に関わるスタッフの力量の深さを感じたのだった。

と言うことは、大きい流れとして、このほのかな差別意識の解消を目指してキラデコの終盤は動いていくのかなぁ、とぼーっと予想してみる。期待、期待。

2012. 07. 08  
サンシャインに引き続いて「きら☆デコッ」もほぼ毎週視聴しているジュエルペット。

女子二人(?)によるイケメンの取り合いという、わかりやすいドラマが主軸だったサンシャインと比べると、キラデコの方はやや焦点が曖昧な感もあるのだけど、その分アイディアが量的にパワーアップ。あれよあれよで30分が終わる。スピード感が凄い。

特に最新話はつくづく感嘆。
話の流れとしては
「ミスコンで優勝してみんなにチヤホヤされたい!」
と意気込むライバルキャラ(オパール)の野望の顛末。

大体、こういう始まりの場合、ヒロイン(この場合はルビー)とライバルのそれぞれの努力だの挫折だのを描いて、あわやライバルに優勝を掻っ攫われる、と思いきや、思わぬ形でヒロインの方に勝利の女神が微笑んでエンド……という流れが定番って感じだろうなぁ、と判断して、アバンから退屈感をおぼえていたのだけど。

何が凄いって、話の流れは、まったくもってこの当初の予想通りなんだ!
それなのに、そこにまつわるエピソードの数々が意外過ぎる!
想像をはるかぶっちぎった斜め上の流れに、めまぐるしく翻弄されているうちにオハナシが終わる。
かくて、骨子は定番そのものなのに
「こんな話見たことも聞いたことも無いわ!」
という感想を持って見終えるという、およそ奇想天外な内容。

そして一番の感嘆ポイントは
「絵で見せるクライマックス」
が徹底されていることだった。

ジュエルペットの作画レベルは毎週、実に高い。キャラの可愛らしさも、ギャグのための表現も、洗練されたキャラ描写と描画が支えている。
そしてこの週の作画力は
「どういう理由でミスコンで評価を勝ち得るか」
というアイディアに沿うべく、スタッフの力量が遺憾なく発揮されたもの。

そのアイディアがどういうものかはあえて書かない。是非見て確認していただきたい。
「そんなアホな!!!w」
というセンス・オブ・ワンダーを是非堪能していただきたい。
美、というものの判断を人間はいかにして下すのか、ということについて哲学的なまでの感慨を持ってしまうかもしれないほどのネタだった。
そしてそのとんでもないアイディアに完璧な説得力を持たせていた作画と演出、すなわちアニメとしての力の真髄みたいなものを感じ取っていただければ幸いである。
いやもうホンマにエライモン見せてくれますわマジで。




「きら☆デコッ」のオパールちゃんは、サンシャインの時のオパールちゃんとは全然違う性格になっている。おとなしくて上品で優等生だった前作とはうって変わって、高慢ちきで尊大でワガママで冷酷で、そのクセ勘違い同然の片思いに舞い上がってオバカ言動を繰り返したりして、実に複雑な可愛らしさに満ちている。
ヒロインのルビーの、悪意が無いがゆえの酷さってのも実は相当なものなんだけどね。



Twitterにも書いたけど、今期始まったばかりの「じょしらく」のEDに一発でドハマリ。嗚呼これもやっぱり前山田&ももクロだったか、と納得。素晴らしいノリ。明朗なのにじわっと泣かせる味わい。最高。
そして素晴らしいノリの音に、最高の職人芸のコンテで応える水島監督。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm18288035

なんだって水島努氏はこんなに音楽とのマッチングが巧いのかなぁ。
日本アニメはミュージカルがずっとずっと苦手で、音に合わせた絵は作れるけれども、音楽と動画が一体化して融合して、さらに上の快楽的なステージまで突き抜けられるケースはあまり無い。本当に水島監督は稀有な才能の主だと思う。

2012. 06. 24  
大好きだったFate/Zeroのアニメ、ついに完結。終わってしまうとはなんと淋しいことだろう。しばらく当分、これほど心に響く、心に叶う、私の個人的な多くの理想を満たしてくれる作品には出逢えないだろう、そう思う。

特にライダーとマスターとの関係の推移のドラマは一部の隙もない完璧さで、物語とはこういうものなのだよ、とお手本としてばら撒きたいくらいのものだった。

とは言っても、阿呆な私自身が、あのエピソードの完結を見てようやくそのことに気づいたのだけど。ああ、物語ってなんだろうってずっと思ってきたけれど、そしてどうしても掴めなかったけど、やっと納得したわあ、みたいな。

そして、言峰綺礼の開眼後のドSっぷりがサイコーだった。中田譲治氏の底深い熱演が、とんでもない悪徳に華やかな色を添えていて、この上ない美酒のようなキャラになっていた。渋みが強すぎて、とうてい万人向けとは言えない魅力の酒だけど。

さて、これも今日ネットで拾った拡散希望のネタ。ただし、Fate/Zeroを最後まで視聴した方限定ですが。

海外の感想をまとめたサイトらしい。
「素晴らしいアニメの素晴らしいラストだった」

スレッドの半ばほどに貼られているコママンガがこれまたなんとも。
夫婦揃って狂ったようにワロタ、秀逸過ぎるw

2012. 01. 26  
今期アニメでもう一つのお気に入りは「男子高校生の日常」

身も蓋も全く無い、夢も希望もおよそ無い、ましてや美しさなんぞカケラも無い、あきれるほどに空回りばかりの、やみくもな熱ばかりがある、そんな生臭くもアホな日常。
期待はある。行動力もある。でも、けっきょく大したことは起きない。
願いはある。欲望もある。出会いもある。なのに、碌なことにならない。
バカばかりやって過ぎていく青春の日々。それが貴重なものであるとは判っていても、何故か大事にすることが出来ない。
物語にならない日常。冗長な日々。なにかやりたいのに、なにもやり遂げられない、突き抜けられない平凡。
そんな、イヤになるほどリアルな、むなしくも馬鹿馬鹿しい日常。
それがなぜこんなにも可笑しいのだろう、ダラダラしてる若者なんぞ説教の一つ二つくれてやらねばならないのになぁ、と思いつつ、なぜこんなに可愛いのだろう。

そう思いながら毎週笑って観ている。

アニメの少年少女の日常モノというのは、なんだかんだ言ってもやはり「物語」を目指して作られていることがほとんど。
美少女というのは、その存在の成立だけですでに物語であったりするもの。
もちろん美少年も同様だし、普通に「少年」というだけでも物語なのかもしれない。

だがこのアニメに登場するのはあくまで「男子高・校生」なのだ。
待て、そこなゴフジン。「男子校」に「全寮制」とか付けるでないぞ。そーゆーのじゃなくて。

あくまでも、どこにでもあるありふれたドラマ性の無い、そして異性の無い、ベターっと精彩を欠いた高校生の日常が描かれるだけなのだから。
そして、このドラマ性の欠落にこそ価値を感じるのだった。この作品の男子たちは、物事からドラマをあえて排除してしまう生き方をしている。うまく立ち回りさえすれば、いくらでも面白くも感動的にもなりそうな事態を、過剰な自意識や照れで片っ端から潰していく。
なんて勿体無い青春。
だが、この無為、この空虚、この実りのなさ、そんなものをそのままアニメにしてしまうとは、なんと大胆な企画だろう。

テレビに映るものなんてのは、どっちを向いても過剰な物語、ドラマティックに満ちている。アニメだったらなおさらだ。だからこの作品はとても稀少な魅力を持っている。
だが、むしろアニメだからこそ、こういう内容でも見るに耐える魅力を持つのだろう。
こんな生々しすぎる日常を、実写なんぞでやったりしたら単なる退屈の再現になるだろうから。


*****************


今朝方、踏切が開くのを待っていたら、背後がやたらとやかましくなった。
甲高い、浮ついた落ち着きのない少年の声が聴こえてきたのだ。
聴こえる、というよりは、いきなり耳に刺さる感じの響き。
なにもそんな大声で喋らなくても良いではないか少年よ、振り向いてでも欲しいのか? それとも演劇部か何かか? はたまた放送部? もしかしてナントカ専門学校声優科?
いや、違う。オタク婆の耳は鋭いのだぞ。ちゃんと訓練された発声かどうかなんかすぐ判る。まっとうな意思をもって鍛えられた声というのは、通る。抜ける。響く。「刺さる」ようでは素人だ。

で、聴く気が無くても聴こえてしまう大声で語っているのは、
「なにやるにしても基本からみっちりしないとならない」
という趣旨の内容だと汲み取れた。
そしてもう一人が問いかけた。
「んでさぁ、じゃあけっきょく、何がしたいっつーか、やりたいワケ?」
刺さる声がさらに鋭くなってこう言い放った。
「だからね、だからぁ、オレはさ、とにかくさ。なりたいんだよ、何か、表現者ってやつにさ」

ブーーーーーッ!! ごめんね、おばちゃん、思いっきりリアルで吹いちゃったよ。丁度目の前を電車が轟音立てて通過中だったんで遠慮しなかったよ、ごめんね。

表現者? 表現者ねぇ。
君がなりたいのはなんでもいいから何か表現して生きる人のこと?←1。
それとも、表現することで金を稼いで生活できる人のこと?←2。
あるいは、そうやって夢や理想をかたりつづけていれば、周りがなんとか都合よく動いてくれて自分を満足させてくれるような生き方のこと?←3。

踏切を渡ったらすぐに君たちは道を曲って行ってしまったね。まさに男子高校生というしか無い横顔だったね。
きっと君の中では、上に挙げた1,2、3の区別はついていないのだろうね。

でも、ごめんね、おばちゃんにはなんとなく判っちゃうんだよ。多分、3でしかないってことがね。それほどに、声や語り口調ってものに、人格や気持ちみたいなものは反映されちゃうものなのよ。
そういう自己顕示欲の塊みたいなものばかり磨いていたら、そりゃぁ声も刺さる鋭さしか持たないわけよ。
でも実は、それだけ明確な表現力をすでに持っている、ということでもある。才能は皆無じゃない。
君の人生が実り多きものになるように祈ってます。

2012. 01. 23  
モーレツ宇宙海賊3話を遅ればせながら視聴。

うーむむむ。
3話にして女子高生たちのEVAが描かれるのだが、船外の星々がま~見事にまたたいている。
(リアルならありえない。またたきは大気の揺らめきが起こすものだから)

そして、宇宙服を着込む指導のシーンで、髪をちゃんとしないとヘルメットをかぶった後で目に髪が入ったら大変、というアドバイスがキッチリなされるのだが、直後のカットで、少女たちの前髪は相変わらず目にかかり放題だった。

これはどういうことなのか。
おそらく、そういう齟齬は、スタッフは百も承知なのだと思う。
判ってて、あえてやっているのだと感じた。
SFとして要求される事実設定と、商業アニメとして要求される表現とが相反した場合の落としどころ。
そこがどこにあるべきか、というビジョンと判断。それを明確に定めた上で製作に臨んでいるのだろうと思う。
これはアレコレわきまえた上で、相当の覚悟が無いと実行できないだろう。

だとしたら、私のツッコミなんぞ野暮天でしかない。

宇宙そのものにワクワク出来る、そんな稀有さに期待して今後も観たいと思う。

2012. 01. 23  
今季開始のアニメでは「モーレツ宇宙海賊」が気に入り。

遠い未来、ある植民星で育った女子高生が突然に海賊の船長権を持っていることを知るところから始る話。
美少女がいかにも古風な船長帽子をかぶってミニスカ履いてる絵を見た時点では何の興味も持てなかったのだが、いざ始まってみるとこれが実に良い。演出のキメが細かく、判りやすい。
なにをやりたいのか、なにを描きたいのか、そしてなにを見ている側に伝えたいのか。
それを叶えるために、なにをすべきなのか。
それらが明確に整理されていて過不足が無い。丁寧で老練だ。そして手堅い。こういうのは実に観ていて心地よい。
そしてさらにありがたいのは、それで描かれているのが宇宙SFネタだ、ということだ。
SFというのは一見アニメとは相性が良さそうな印象があるかもだが、実は全然そんなことはない。
アニメという手法も、SFというジャンルも、共に危険要素を孕むからだ。
どういうことかというと、どちらもある種の「逃げ」のために利用されがちだからだ。
実写じゃ無理だから絵で描くしかないとか、実際的なことが書けないから空想的な架空設定に逃げるとか。
特に後者はどえらく多い。別になにもかも現実的であるべき、などとは言うつもりもないけれど、それでもなお
「てめえらSFとかファンタジー舐めてんじゃねえぞオラァ」
としょっちゅう言いたくなる。
勘違いすんじゃねーぞ、と。
SF、そしてファンタジー、つまり架空世界を描くということは、現実世界を描くよりよほど難しく、苦労が多く、努力や工夫が要ることなんだぞ、極私的な脳内自慰妄想開陳のために都合よくジャンルを利用してんじゃねーぞ、と。
頭抱えて嘆いたり唸ったり怒ったりがしょっちゅう。それがSFおよびファンタジーアニメというものだったりするのだ。

SF、それも宇宙が舞台となると、描写のハードルは特に上がる。取り扱うべき事項が膨大だからだ。
きっちり細部までそれらを描こうとすると大変な労力だ。
諸々の基礎知識を、息をするように取り扱える素養も必要だし、それらをスタッフにキチンと伝えるのも一苦労。

だから、この作品のように、真っ向から真面目に宇宙モノに取り組んで、しかもそれを心地よく見せてくれるという稀有な丁寧さはとても有り難いのだ。

2話で、女子校の宇宙ヨット部の活動で、早々にヒロインは宇宙旅行に出かけるのだけど、ここで登場する宇宙船のデザインが、ハードな無骨さと流麗さを兼ね備えていて、ステキだった。
また、内部構造や自由落下状態の動きの描き方もリアル志向で、観ているだけでゾクゾクする。
「これこれ! こういうちゃんとしたのが観たいんだよ~」とニコニコなのだった。

嗚々、だけどひとつだけ不満があるとしたら。
それだけそこまで宇宙っぽさを生真面目に描くのだったら、その無重力状態の中に居る女子高生たちも、もちっとだけリアルにやっては欲しかったんだけどね。
ロングヘアーがまったく崩れないってのはあり得ないですよ。制服のスカートも然り。
髪が舞い上がってバッサバッサと邪魔になることくらい判り切ってるんだから、そこは女子たちは、必死でまとめるのが当たり前じゃないですか。そこで、思い思いに趣向や工夫を凝らして。
わーそれ素敵ー、どこで買ったのそのゴム~、ほらほらもっとここを注意しないとほどけちゃうよ、えーやだー、とかキャッキャ言いながら。
あるいは結うとか、ワックス固めとか、キャップまとめが常識とか。なんにしても、そこでオシャレや趣味を発揮して差異をつけたがるところを見せること。
女子高生を描くってのは、そういうことだと思うんだけだけどね。

なまじ宇宙船の描写が良かっただけに、細かいことがかえって気になってしまった。とはいえ、良作なのは確かだと思う。いささか地味な作品でもあるので、なおさら応援したいと思うのだった。


2011. 12. 31  
今年最後のエントリは「ジュエルペット サンシャイン」。
見始めたのはつい最近だ。ネットで「とにかく凄い、とんでもない」という評判を目にして、興味本位で観てみたらもういっぺんでハマってしまった。
お話はどうやら懐かしのヒット映画「フラッシュダンス」のパロディ。名シーンのなぞりっぷりが丁寧過ぎたり、シナリオの生々しさに感心したり。
そしてなによりキャラクターの可愛らしさ。ただ可愛いだけじゃない。設定が奇妙で異様なのだ。マスコットキャラのジュエルペットは小動物サイズの二頭身であるにもかかわらず、普通に人間たちと対等な存在として社会で生きているらしい。どれくらい対等かというと、異種族間恋愛が当たり前に成立しているのだ。ぬいぐるみみたいなマスコット的ジュエルペットと人間がガチでラブなのだ。それがあくまでごく自然に描写されるので、脳みそがぐるーっとねじれる感覚があった。

気づけば軽く依存症にでもなったかのように毎週チェックするようになった。

作画はいつもクオリティが高い。そして演出が何気に高度だ。シナリオはかなり野放図で、毎週方向性がバラバラだったり、シュールだったり、
「いったい誰に向かって発信してるんだ!?」
と画面に向かって叫ぶくらいに徹底的にマニアックなパロディに徹していたりする。

特に今日放映の回は無茶だった。一本丸々、「イージーライダー」のパロなのだ。そりゃあもう細部までこだわって凝りまくった画面に口あんぐり、そして爆笑。どこへどう転がるかまったく読めない謎展開。
ああこれ、懐かしい。「うる星やつら」だ。それもスタジオぴえろ時代の、押井・伊藤コンビの脂がノリまくっていた頃の、あの感じだ。
そしてたまたま登場キャラが、今私が一番ご贔屓の女性声優の豊崎愛生ちゃんと沢城みゆきちゃん演じるラブラとエンジェラペア。もうこのペアの幼くて切ないくらいの高音ボイスで埋まる時間の幸せと言ったら。無上の我得。

そして、可愛さだけじゃない、実に身も蓋もない生臭い少女のエゴイズムがボロボロっとこぼれ出てきてしまうくだりが毎回あるのが、この作品の一番の価値と魅力だと思っている。



人生通して、サンリオキャラクターを愛好したことは一度も無かったのだが、ジュエルペットに逢えるならピューロランド行こうかしら、と妄言を吐くくらいにハマっている。
ただ、商品に印刷されたジュエルペットたちは妙に魅力が褪せているように感じるのだ。
やはり、動いてナンボ、アニメの中で生きていてこその存在か。

主題歌も、OPED共に良い。カラオケで練習したりしているが、流石にあの高音は出しかねる。だからと言ってキーを下げてしまうと、主題歌としての魂、「乙女心」エッセンスが台無しになってしまう。難しいもんだね。
ババア歳を考えろ自重しろ、とかいうツッコミは受け付けんぞよ。来年も、歌いたい歌、歌いたいように歌っていくもんね!

2011. 12. 25  
とっても稀な絆の物語だよ。

地味で目立たない、日本の青年。
あまりに独特な心を抱えて、誰にも理解されない孤独な青年。

片や、遠い過去に生きた異国の貴族。
人生に破れ、悲嘆と渇望の果てに狂死した魂。

摩訶不思議のさだめに惹かれて、はるかな時間と因果を超えてめぐり合った二人。

友情、ってものじゃない。そんなありふれたものじゃない。
昨今よくあるBLとも違う。愛とか恋とかそんなじゃない。

他の誰にも通じない、彼らだけに通じ合う、響き合う波長。
なんの齟齬も無い。無理矢理の迎合も要らない。媚びも嫉妬も羨望も無い。
総てがしっくりと噛み合い、なめらかに沿って行く。
もちろん、お互いに知らないこともあるけど、そこに無理解は生じない。
語り合えばすぐにわかりあえる。他の誰とも分かち合えない思いも気持ちも、二人の間だけには共通なんだ。

二人共が、相手をこの上なく尊重する。理解し、敬い合う。称え合い、頭を下げ合う。
平等で対等であるけれど、礼節を忘れない。
そして、同じ夢を見る。世界中で他の誰も見ない夢を。二人だけの理想を。
それを一緒に見てくれる相手を、どちらもこよなく信頼してる。たった一人のパートナーとして。
二人して夢をやりとげようとする。
世界中が彼らを認めず、許さず、磨り潰そうと迫るけど、独りじゃ出来ないことも二人なら出来るからと、協力し合って世界と神に挑むんだ。


そんな二人は、お互いを「マスター」「旦那」と呼び合うんだよ。
こんなにも麗しい、円満な調和の関係を、私はほとんど知らないねぇ。





……っていう滅多には無い至高の絆の二人組を、石田彰ファンのJKマイミクちゃんに紹介してあげたいと思ってるのだけど、私なんも間違ってないよね?www





というわけで、Fate/Zeroといったんのお別れ。
地獄のヒキというべき中断で、とにもかくにも再開が待ち遠しい。征服王が恋しゅうござります。

2011. 12. 24  
終わった終わった。というわけでクリスマスイブである。狙ったかのごとし。

ウテナ以上にわけわからん、意味不明、伏線ほっぽり出し、けっきょく何がどうなって、アレとかソレは一体なんだったんだ説明しろハッキリさせろ理解できないからクソ二度と観ない等々、ちゃぶ台ひっくり返してキレておられる向きもあろうかと思うけれど。
こと幾原監督に限っては、「合わなかったのなら仕方ないですね」としか言い様が無かったりする。
基本、私は不明瞭で伏線バラマキほっぽり出しのお話は大嫌いだ。
だが、幾原監督の作品は、暗喩や寓意だらけではあるけれど不明瞭だとはあまり思ったことが無いのだ。凡百のクリエイターがやったことなら激怒する曖昧も、逆に大好きになってしまう。幾原作品は、わけわからなくても、伝えたい事はハッキリしていて、迷いが無いと感じるからだ。

ただ、それを判りやすく形にしてしまうことを避けるのがスタイルなのだろうと思う。
判りやすくすることで、逆に伝わらなくなるもの、こぼれ落ちてしまうものがあまりに多い。
描きたいことや伝えたいことがあまりに多い場合、並の方法ではどうしてもやりきれないことがあるのだ。
だから幾原監督は演出に徹底的に凝る。その上で、謎と装飾を積み重ね、イメージから真意を汲んでもらおうとするのだろう。

言葉にしてしまった瞬間、崩れて失せるものがある。
目に見えた瞬間、固定されて吹き飛ばされる残滓がある。
イメージ主体で伝えること、受け取った側がそれぞれの人生の中から意を取り出して益とすることで、それらのこぼれ落ちを救済すること。
その「それら」が作り手の中で明確に指向され把握されているならば、私は不明瞭を愛せるのだ。
だが、その手腕だけを利用して己の甘えや低能の誤魔化しにする輩もたまに居るので、そういう場合は私は激怒するのだけど。


ウテナは、女の子たちへの捧げ物だったと思っている。
「こんな風に生きて欲しいです」
というお話だったのだと思っている。

ピングドラムの終盤、私はこっちのお話は男の子たちへの捧げ物になるのだろうと思った。
「そろそろそんな生き方はやめて、こうしませんか」
というお話になるのだろうと。

その予想は的中したと感じた。物語は綺麗にたたまれて見事に完結した、と感じた。何の不満も無い。
ただ私は男の子ではなく、ウテナの薔薇はもう受け取り済みであり、今回の最後は少しばかり蚊帳の外、とも言うべき一抹の寂しさも味わった。
そして、この話が伝えたかったことをどうにも受け入れられないまま「わけがわからないよ!」と踏みにじって忘れ果て、相変わらずのままでしか居られない餓鬼がいっぱいなのだろうな、と思うと暗澹たる気持ちになる。
まさに今、この世は餓鬼のすみかなのだ。餓鬼は餓鬼を増産し、奪うこと、貰うこと、得すること、そして自分の価値が上がることばかり思い暮らし、それが叶わぬ世に怒り恨み憎む。
さて、ピングドラムのリンゴはそんな世の男の子たちの心にどれほど届いてくれるだろうか。



さてここからは私なりのある受け取りであり解釈。最終回、特に面白いと感じた点。
ラストがそのまますんなり第一話の冒頭に繋がっていること。その上で主人公の部屋を見比べると、凄すぎる差異にもう笑うしかなかった。
気の狂ったような色彩感覚と、ごく常識的な範囲の簡素に収まった色合いと。
「私はずっと小さな罰を受け続けてきたよ」と語られたこと。
あのてんこ盛りの極彩色こそが、「小さな罰」の積み重ねだったのだな、と解釈した。
別に好きでも欲してもいないアレコレを、勝手な解釈で良かれ良かれと押し付けられ続けたこと。
「こういうの好きだろう? こういうの嬉しいだろう? こういうのを、あげたいんだ」
と降るように注がれ続けたこと、それを拒めなかったこと、それどころかニコニコと喜ぶさまを返さねばならなかったこと。怒る権利も嫌がる権利も無かったこと。
それが「愛」であり「正当」であり「アリガタイ」であると縛られていたから。
嫌悪も不自由もひっくるめて飲み込み続けていなかればならなかったこと。
否応なく降り注がれる愛情に窒息しかけてそれでも笑って居続けたこと。ずっと、ずっと。
それこそが罰を受け続けてきたと感じたことなのだろう、と。

そして思い出したのは、萩尾望都さんの「残酷な神が支配する」で描かれた、とあるリンゴのことだった。
独善的な母親の庇護と干渉のもとで息苦しさに死にかけていた少女が見た夢、そこに現れた魔女の姿の母親が泣きながら娘に差し出した「ママの愛で味付けした毒リンゴ」をカプっと齧るシーン。

愛の名を騙る暴虐。
餓鬼の見るロマンの正体の大抵はそんなところだ。



2011. 12. 22  
2011年はムチャクチャな年だった。
50年足らずしか生きていないので、これほど凶事に満ちた年を知らない。
で、今日はそのことについては書かない。気軽に書けることではない、と思うので。

そういう社会的、世間的なこととは離れた、極私的な趣味の範囲の今年のこと。
TVアニメを昨秋からそれなりに見始めた。何年も離れていた趣味だったけれど、やはり色々と面白い。観ていなかった期間にどれほど多くの名作傑作を見逃してきたかは計り知れないのだけど、それでも今年という一年に視聴をしていて良かった、と心から思う。

その理由の一つとして「虚淵玄」という脚本家を知ったことが挙げられる。
魔法少女まどか☆マギカの衝撃は凄まじかった。天地を鮮やかにひっくり返してみせる豪腕。構造の緩みを見せない繊細な周到さ。

私は、こういうタイプの書き手を何人も知っている。ずっと昔から知っている。そして、それが大好きだ。
そういう人たちはもっぱら「SF」というフィールドに群がって生息しておられた。
TVアニメとして高水準であるのも勿論なのだが、とにかくも物語そのものがSFの真髄的な魂を明確にあらわしていて、SF好きの私にとってはたまらなくありがたかった。
果たして、今年度のSF大賞の候補作品ともなっている。受賞は叶わなかったが、来年夏の星雲賞メディア部門受賞はほぼ確実なのではないだろうか、と予想する。


そして今年最後のシーズン、9月始まりのTVアニメ群の中に燦然ときらめく「Fate/Zero」。
まぁこれがまためっぽう面白い。これは虚淵氏は直接の脚本は書いておられないが、原作としての小説を担当されており、脚本会議にも欠かさず参加してエッセンス提供をなさっていたようである。

これもまどか☆マギカ同様、無理や無駄を排除した状況の流れの構築の上手さと、独特の思想と教養に裏付けられた重厚なセリフのやりとりがとてもエキサイティングなのである。アニメらしからぬ、アクション無用の会話劇が多いのだが、一見地味に見えるドラマの中に潜む示唆や哲学、緊張感溢れる対話バトルの凄みなどは、他の作品ではなかなかお目にかかれないものだと思う。

「王」を名乗るキャラ3名による鼎談、そこでの思想のぶつかり合いの壮絶さは簡単に要約できるものでもないので、是非実際に観てもらいたいエピソードとなっている。
通常の常識、良識、一般的な当然として語られそうな、愛や正義や救済、そして王道という概念が完膚なきまでに木っ端微塵にされるさま。ゾクゾクした。固定観念をひっくり返される快感。私的至高の一品だった。

そんな訳で、私にとってこの一年は「虚淵に始まり虚淵に終わる」という年だった、という気がしているのだ。
来年以降のますますの御活躍、大いに期待してます。


今年はこの他に「輪るピングドラム」という超弩級異色作もあり、これまた語り甲斐のありすぎる一本。
こちらはいよいよ完結が迫っているので、それを見終えてからスッキリ総括できると良いなと思うのだった。

大丈夫。イクニ監督はきっと必ず見事なオチをつけるはず! 
信じてる。
これは、ウテナの薔薇を受け取った者としての絶大な信頼であります。


プロフィール

星 ゆう輝

Author:星 ゆう輝
人生50年、オタク歴40年弱、母親業四半世紀。老眼とボケが迅速に進行中。麗しいロボ執事をはべらせるのが老後の夢。

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