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2013. 07. 10  
7月としては異様なほどの猛暑です。みなさまいかがお過ごしでしょうか。

原発事故以来、かたくなに節電を貫いてきた私も、今回ばかりは心が折れました。
すっかり堕落してエアコンに頼っています。

せめて他の方面では電力消費を控えようと、PCにもあまり向かっていませんが、どうにもやめられないのがDQX。
もっとも、ちょこっと立ちあげては、10分くらいでやめてしまうことも多いです。
βですし、レベルも20までしか上がりませんし、行けるエリアもほんのわずか。やれることがあまりに少ないのです。データ引き継ぎもありませんし、やり込んでも仕方なし。

なのに、なぜ、毎日訪れてしまうのか?

つまりは、魅力的なのです。一言であらわすなら

「愛らしい」

これに尽きます。

グラフィックも、音楽も、世界観も、セリフの一つ一つまで、この上なく愛らしい。
昨今のオタクコンテンツに多い、「萌え」系ではありません。
愉快、愛嬌、剽軽(ひょうきん)牧歌的。
英語ならばユニーク、キュート、ユーモラスというところ。
そして全体的に、とても品が良いのです。

この涼やかな上品さはどこから醸し出されるのか?
やはり、作品全体に見いだせる、作り手の「敬意」のようなものから来るのだろうと思えます。

ドラクエという作品世界を心から愛し、それによって育てられてきたことへの感謝のようなもの。
ドラクエをプレイしていた時に感じていた幸福、それによって満たされていた記憶への思慕。
それらを、多くの人たちと同時に味わってきたのだ、という連帯感。

多くの善き思い出から生まれたであろう、愛情と尊敬によるモラルの高さが随所に現れています。気遣いが細やかです。

心をこめて整備された庭園が心を和ませてくれるように、DQXの世界は独特の癒しオーラを放っています。
この雰囲気作りにもっとも貢献度が高いのが、やはりすぎやまこういち氏の音楽なのではないかなぁ、と個人的には感じます。音楽がどれほどイメージ操作という目的に威力を発揮するか、改めて思い知ります。


数えきれないほど多くのネトゲを見て来ました。
その多くが、志の低い、模造品の域を出ないものでした。ヒットしたシステムを丸パクリして安易に金を儲けよう、という卑しくも物哀しい心根が透けて見えるものが多いです。

DQXは、シリーズのイメージや名称を継承した要素が多いですが、他の作品には無い新奇なシステムの追求もあり、独創性という意味でも群を抜いています。

私が一番好きなのは、「相撲」と呼ばれているシステム。
戦闘中に、敵をぐいぐい押すことによって、仲間から遠ざけることが出来るのです。薄い服しか着られない、かよわい魔法使いたちを、この動作によって護ることができます。
この時の、押しまくっている時のモーションや表情が

「一生懸命!」

という感じで実に愛らしい。

これに限らず、どのモーションもなめらかでデフォルメの効いたアニメーションになっていて、見応えがたっぷりです。表情の豊富さも地味に凄い。演出のセンスが良いのでしょう。キャラへの親近感が段違いに高くなります。


つまり、声を大にして言いたいのは、

「自キャラ可愛い!!!」

もう何をやっても可愛くてたまらんです。戦闘してても走っていても鍛冶していても祈っていても、ただ座るだけでも無闇矢鱈と可愛いです。
「CGキャラ」が「アニメーション」に昇華されているからでしょうね。こういうところも、意外とネトゲでは稀有な点です。ポリゴンの細かさ美麗さにこだわるゲームは多いのですが、数値だけがいくら上がっても魅力が上がるわけではない、ということに気付けない人は多いのだろうと思います。

DQXキャラの可愛らしさを伝えるためには絵でも描いてイメージを形にするしか無いのでしょうけど、画力が無さすぎてどうにもなりません。粘土こねてフィギュアにしてみようかなぁ、なんて思ったり。

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2013. 06. 23  
DQX(ドラゴンクエスト10)がPCにやってきます。
ずっと任天堂の据え置き機、Wiiでないとプレイできなかった、あのドラクエ初のMMORPGが。
当初から気になってはいたのですが、いろんな事情で見送ってきたタイトルでした。

ですが、初期投資ほとんど無しでプレイ出来るとなれば、これはもう飛びつくしかありません。

まずベンチマークテストを堪能。とてもよく出来た、絵本のようなストーリー仕立てのベンチです。運営のセンスの良さが伺われます。

幸い、数年前に購入したロートルマシンでもそこそこの数値が出ました。クライアントのダウンロードも、パッチ当ても、MMORPGとは思えないほど素早く終わりました。とても軽快に作られたプログラムなのでしょう。

操作も簡単です。迷わずにサクサク動かせます。
画面は一見は簡素に見えますが、モーションがとても凝っていて、キャラデザインへの尊敬が感じられます。漫画らしさが生きていて、よくまとまっています。

キャラメイクをするにあたって、自分自身だけでなく、兄弟姉妹を一人設定するよう指示されます。
しばらく考えて、「兄」を選びました。
名前は、若くして逝ってしまった実の兄の名にしました。
顔も、超絶美男だった兄になるべく寄せてみました。


物語が始まります。

兄が、なにやら大きな動物の背に乗って現れて、一緒に乗るよう手招きします。

dqx1.jpg

この画面を眺めて、数分ほどもボーッとしてしまいました。
泣けます。
はるか昔に喪われた可能性が、目の前にあるのです。
同時に、なんとドラクエらしいのだろうと思いました。
ドラクエ4を初めてプレイした時のことを思い出します。
あの頃、私は乳飲み子を抱えて、母親業に忙殺されていました。僅かな隙を見つけて立ち上げたファミコンソフト。
そこでは、私はまだ10代なのだと告げられます。なんの運命も始まっていない、無限の可能性を持った存在だというのです。

気づけば、ボロボロと涙がこぼれていたことをはっきりと覚えています。
この先、いつ終わるともしれない育児。24時間営業で、一日の休みも許されない日々。確定された人生。
だけども、画面の中の私には、とっくに消えたはずの可能性が蘇っているのです。得体のしれない、白紙の可能性が。二度と戻らないはずの少女の日々が。

「誰がなんと言おうと、ドラクエには大いなる夢がある! かなわぬ夢を生きるもう一人の自分、という夢が!」

あれから四半世紀。
ドラクエ、というタイトルが提供しようとする夢。それは少しも変わっていないのだなぁ、ずっと貫かれているのだなと、感慨ひとしおでした。



ひとしきり、オフラインモードで初心者向けの手ほどきを兼ねた軽いクエストが続きます。
正直、フィールドでの戦闘は、かなり退屈でしかもスローモーで、キツかったですが。
ひたすら簡素なので、ゲーム慣れしていない人には丁度いいのかもしれません。

いろいろあって、オフラインモードという名の導入が終わります。イベントシーンはなかなかの迫力。良い演出というのは画質のスペックの影響なんぞ関係ないのだな、という感じです。


そして、再びのキャラメイクです。
今度は人間以外の、五つの種族から選ばねばなりません。どのレイスもそれぞれ魅力的です。

ですが、何を選ぶかはとっくに決めていました。それがあまりにカワイイのが、DQXをやる動機の一つでしたから。

dqx2.jpg

というわけで、プクリポはじめました。
名前は「ビビデナ」ちゃんです。
およろしく♪


とはいえあくまでβなので、本サービス前には消えてしまう子なのですけどね。


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2013. 06. 17  
子供が親の思い通りに育つわけないでしょ!? 

今日は、そういうお話。


熱量と文字数の最新更新トークで

「3歳になる娘がいます。プリキュアが大好きな彼女が、プリキュアを卒業したら、その後なにを見せてやればいいでしょうか?」

という相談を受け、いろいろ考察するという場面がありました。

プリキュアは人間関係の深い話も普通にやるので、ずっと見せていて良いのでは? というところから、親のオタク趣味に寄せていくべく萌え系の作品も見せたいとか、いろんな思惑に沿った提案がいくつもあって、実に面白かったわけです。

私がまず脳内に挙げたのが、おジャ魔女どれみシリーズ。プリキュアよりもリアルな方向性なので、プリキュアアフターには最適かと。

次に浮かんだのが
「とにかくアルプスの少女ハイジと赤毛のアン、この二作こそ、もうてっぱん中のてっぱん!」
ということ。

そして、なぜこの二作がてっぱんかを考えますと。
すなわちそれは高畑勲氏という至高の演出力とこだわりを持った監督の仕事が素晴らしすぎるから、ということになります。
なら、氏の他の作品も同様の価値を持つはず。
パンダコパンダはもちろん、セロ弾きのゴーシュもマスト、ということになります。

「ん? だからといって「太陽の王子ホルスの大冒険」はじゃぁアリなのか? んん? なぜだろう、純然たる子供向け漫画映画のはずなのに、ありゃぁもちっと青春くさくなってからだろう、とか思ってしまうのは?」

さらに考察が進んで

「そもそも、オタクとして育って欲しいならば、先に見せておくべき作品群があるはずじゃん? アニメーションという虚構を本能的に愛する人になるべく、より原初的快楽に訴えかける作品を。アニメーションの本質が骨身に沁みる作品群を! そう、ディズニーのシリー・シンフォニー・シリーズやフライシャーを! 言語の壁が存在しない、観ているだけで万人が理解できる、まさに映像の根本を示す古典の数々を! 音楽と動きが一体化したアートとしてのアニメを! これこそまさに情操教育としてまず必要な道でして……」


などと考えているうちに、ハタ! と気づきます。
古い作品ばかり。
これじゃあ「年寄りは引っ込んでろよ」と言われても仕方なし、であります。



私はテレビアニメ鑑賞を再開したのがここ2、3年でしかないので、20年ほどに渡っての知識がすっぽり欠落しているのです。
古いものしか紹介できないのは問題です。

なので夫の人にもこの話題を振ってみました。
いろいろとトークが沸騰し、それはそれは楽しかったのですが。
意外にもやはりタイトルがそう多く挙がるわけでもなかったのです。

「これが『男の子』なら、もっといくらでも見せたいタイトルは浮かぶんだけど。うーん、女の子だし……」

と夫の人が言った瞬間、私の脳裏に幼児期のトラウマが蘇りました。

アポロ計画ブームの時代、宇宙やロケットやSFなどの記事ばかりだった「小学○年生」という雑誌を買ってきた私。
それを母が取り上げてパラパラとめくってこう言ったことを。

「ロケットだのロボットだの、こんなもの、女の子のためのページなんてほとんど無いやないの。本屋に返してらっしゃい。お金返してもらってきなさい」

私はまさに、その、ロケットだの宇宙服だのの本が読みたかったのに。
女の子のための本じゃない、といって取り上げられてしまった。
女に生まれたばかりに、自由を奪われる。意思をないがしろにされる。
そんな世間の理不尽を初めて押し付けられた記憶。



「……いや、よく考えたらそれっておかしいよ。女の子だからって、作品を選り好みとかおかしいよ。どんな作品だって、観せてあげるべきだよ!」

「だよなぁ。どんなものを好きになるかはその子次第なんだし。なんでも観せて、何が好きかは自分で決めさせるべきだよな」

「あ、後さぁ、出来の良いものばかりじゃなくて、上品なものばかりじゃなくて、そうじゃないモノも同時に観せた方がいいのじゃないかな」

「グダグダな、ユルユルなダメ作品も観せようってことか?」

「そうじゃなくて、出来は凄いんだけど、下品なネタもやる作品を。だってね、良識的なものばかり観せて育てたら、成長したころに反動が来て、「よろしくないもの」の魅力にハマってしまって抜けられなくなってしまうかもだから」

「あー、それはおおいにあるね」

「なので、ハイジやアンなどと同時に、クレヨンしんちゃん劇場版などを激推しします。特に初期のやつ。雲黒斎とかヘンダーランドとか」

「おおいに同意する」

などと話が進んだあたりで、フッと嫌な予感のようなものがよぎりました。


「……いろいろ出たけど。結局さ、何をどんだけどんな意図で観せようが与えようが、やればやるほど、いつか子供はそこから反発していくものじゃないの? 反抗期ってのは来るものだし、そうしたら、親のやることなすこと嫌で嫌で仕方無くなるわけだし。

『あのクソみたいなガキ親のせいでアニメなんか死ぬほどキライになっちまったよ、ムシズが走るよ! バッカジャネーノいい歳こいてあんなクダラナイものゾッとするよ! そんなものより世の中にはもっと大事でイイものがいくらでもあるってゆーのに! 金だよ、ヤクだよ、男だよ、生でリアルな刺激だよ!』

てなこと言いながら、ロックだダンスだアングラだーって、素人バンドや演劇集団の追っかけのために家出しちゃって、くだらない男の語る夢とやらに騙されて貢いだり、あっというまに破綻した結婚で生まれた赤ん坊抱いて出戻って来たりするようなギャルに育つ可能性とかが出てくるじゃん、逆に?」



というわけで、結論。

子は親の思い通りにはなりません。
むしろまったく逆であります。
そして、それが自然なのです。

親としての思惑、意図、理想。
それを押し付けたくなるのは大人のサガのようなものです。
ですが、それがいつか裏切られることもある、という覚悟を、常に大人は持っているべきだと思います。



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この会話をした後日、爆笑問題のラジオに虚淵玄氏がゲストに来た回を聴きました。

虚淵氏の御父君は「宇宙戦艦ヤマト」がお嫌いだったそうで

「これ(ヤマト)を最後まで観て、泣かなかったらオモチャ買ってやる」

と仰り、でも虚淵少年はやっぱり泣いてしまい、オモチャは貰えず、敗北感を抱いたとか。

あるいは、アニメのサントラを聴き込んでいたら

「そんなものは音楽じゃない! これを聴け!」

とご自身の好きな音盤(頭脳警察などだったそうな)を渡し、虚淵少年はイヤイヤ聴いて

「わっかんねーなー……」

と思っておられたと。

アンチオタク教育と言うべき薫陶を受け、いまや虚淵氏はバリバリ売れっ子のアニメライターに大成なさいました。

そういうものなんだなぁ、としみじみ再確認した次第です。


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2013. 06. 11  
TV放映中の「ヤマト2199」。夫の人と一緒に毎週観ています。
夫婦揃って50歳ですから、初代ヤマトブームの直撃を食らった世代です。当然ながら旧作ファンならではのこだわりも多く、時にはちゃぶ台返ししたくなる瞬間もありますが、それでも毎週楽しんではいます。


旧作でも活躍していた、ゲールというキャラがいます。
昔からなんとも難儀な性格のイヤなオッサンだったのですが、2199においては更にイヤさに磨きがかかり、下司というか下衆というか、とにかく「ゲス」というしかない、判りやすいおひとです。
私は基本的にこういう、私利私欲にまみれた下品で騒々しい御仁は大嫌い。

ですが、キャラクターというものの奥深さとでも申しましょうか、特徴があまりに尖り過ぎるとかえって突き抜けてしまい、逆流のようなことが起きることがあります。

人気を取ろうとしてカッコよさを強調し過ぎると、かえってバカみたいになったり。
悲劇性を打ち出し過ぎて、シリアス転じてお笑い系に流れたり。

2199のゲール君の場合、ゲスさが極まり過ぎて、もはや愛嬌の領域に突入し始めたように思えて来ました。
このまま話が進めば、ほぼ間違いなく「ゲス可愛い」という珍奇な魅力でもって結構な人気を獲得することになるでしょう。
なにせ、旧作の流れを踏襲するのであるならば、この先ますます彼の見せ場(?)や活躍(??)が派手になっていくはずだからです。

無闇矢鱈と美しい青年や少女、渋くてカッコいいオヤジなど、素敵キャラばかりで満ちている2199ヤマトですが、やはりこういう汚れ役と言うべき存在が居てこそ、世界が味わい深いものになれると思うのでした。


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デスラー総統を讃えるシーンを観ていて、

「なんだかガミラスがローマ帝国っぽい?」

という気がしたのですが、ちょっとネットを調べてみると、2199ガミラスとデスラーの設定として

『ガミラス統一の立役者であった叔父の亡き後、内乱を鎮めて権力を掌握、軍事独裁制を布いて帝国を拡大、その政策の基本は寛容……』

などとあるのを見ると、ああもうこりゃマジもろにカエサル後のアウグストゥスなんだなぁ、と。

アウグストゥスというよりオクタヴィアンと呼んだほうが、私と同じくらいの年代のオールドオタクな方々におかれましては

「ああ、あの、『クレオパトラ』で野沢那智が声やってたキモいやつ」

と、即座にご理解いただけるので、話が早いんだか早くないんだか。


さらにネットを漁ると、実は旧ヤマトのプロデューサーだった西崎義展氏が

「デスラーはローマ時代の皇帝のイメージ」

と語っておられたそうなので、2199のガミラスの設定はそこから発展していったのかもしれません。


旧作には無かったオリジナルエピソードも増えてきました。なかなか目が離せない展開になってきて、ますます今後が楽しみです。

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2013. 06. 06  
「進撃の巨人」のコミックス売り上げがドエライことになっているそうです。

4月からアニメの放映が始まり、原作本が飛ぶように売れ、

「2カ月で750万部の重版は、講談社史上最大の数字ではないか」

ということだそうな。

「こりゃぁ遠からず進撃ビルが建つな!」

と一瞬は思ったのですが、それよりも出版事業をネット新時代に対応させるためのインフラ開発に利潤はお使いになるのかもしれません。

本の売れないこの時代に、ただでさえ原作本は1200万部というとんでもない数字を出していたわけで、そこにアニメ放映という最大規模の広告効果が重なり、もうドエライというしかない事態であります。
そして恐ろしいことに、この勢いはしばらく続き、数字はもっと伸びるでしょう。



始めて書店で原作の1巻を手にとった時。
正確には、試し読み用の薄い冊子をめくった時。
あの衝撃は未だに鮮明で忘れられません。
とにかく、物凄いシロモノでした。なにが凄いって、とんでもなく絵がヘタだったこと。

「こんな稚拙な状態でデビューさせるなんてほぼあり得ないはず、何が起こっているのか?」

数ページほども読み進めて、『何が起こったのか』はすぐさま理解できたのですが。

そこに溢れていたのは、独立独歩の感性と、破格の意思力。
何が何でも、己の内に沸き上がってくる、人と世界と物語を描き出して形にするのだ、というがむしゃらの挑戦。
混じりっ気無しの、それは金無垢の才能の輝きでした。

これは間違いなく化ける。超絶な作品になる。その明確な可能性の前には、画力が追いつかず修行不足であることなど、何の問題にもならない。
ド素人の私ですら雷に打たれたようにそう感じ取るほどなのですから、プロの編集がどれほどのインパクトを受けたのかは計り知れません。

かくしてうら若き新人のデビュー作はたちまち世に登場し、破格の扱いで書店に置かれ、あっというまにセンセーションとなりました。

巻数を重ねるごとに、稚拙だった画力がメキメキと上がっていき、物語のテンションも上がり続け、謎は深まり、物語の勢いもとどまるところを知らない激しさ。

そして満を持しての映像化です。
このアニメ化の見事さが、世にも稀に見るクラスのハイクォリティだったわけです。

普通、人気マンガが映像化された場合、たいていは悲惨なことになります。実写であれアニメであれ、どうにも平板にぺったりと原作をなぞっただけになるか、激しく劣化するか、あるいは原型をとどめない改変がなされます。

原作を忠実に再現し、なおかつ映像としての魅力に満ちている、などという理想的なケースは滅多には成立しない、稀少例なのです。

ですが進撃の巨人は素晴らしいスタッフに恵まれたようです。
また、おそらくは予算も破格なのだろうと思います。演出、作画、美術、どれをとってもテレビアニメの枠には収まらない手間暇と力量が注がれています。



結果、今何が起きているのか。
それは、破格の浸透です。
進撃の巨人は、原作の持つパワーとアニメの迫力とが合わさって、マンガ・アニメというポップカルチャーの世界の壁をやすやすとぶち抜いて、普段そういうものに目を向けない一般の人々のところまで飛んでいき、ハートを貫いて行っているのです。

放映開始後たった二ヶ月。
ネットには次々と「進撃の巨人ごっこ」で遊ぶいろんなネタがアップされ、テレビやラジオの一線で活躍するタレントの方々が「誰にでも通じるネタ」として「立体機動」などと口走る。

アニメ、マンガ、ゲームがどれほど素晴らしい作品を生み出そうとも、それが一般の老若男女にまで浸透するまでには、かなりの時間がかかります。
長らくオタクをやってますが、これほど素早く世間に認知されていったケースを私は他に知りません。
「進撃の巨人」は、売り上げという数字的な意味でも、作品という文化的な意味でも、空前絶後のスケールのものを残すことになるでしょう。
個人的には「ポスト・エヴァンゲリオンと言うべきものがやっと出てきたなぁ」と思うのでした。

ポップカルチャーの裾野が広がり、数限りないほどのファンタジーやSF、フィクション性の強い作品が次々と世に生まれ続けています。
その膨大な作品群の中で、進撃の巨人がこれほどまでに抜きん出ているのは何故か。

理由は数多くありますが、今一つだけ挙げるとするならば

「『世界』を描こうとしているから」

だと思っています。

そしてそのために、

「好ましいものを一、描くために、その数十倍、数百倍を勉強し吸収し消化し、己の手足の如く使いこなせるための武器となるまで身につけなければならない、ということを原作者が骨身で知っているから」

だと思っています。

自分にとって都合の良いもの。
都合の良い設定、都合の良いお話に都合のよい人物ばかり描こうとするクリエイターには決して辿りつけない境地を、原作者の諫山創さんはおそらくは生まれながらにして持っておられる。まだ大変にお若いのに驚くべきことです。

ですが、正真正銘の才能というものは、実はしばしばそういうものなのだろうとも思うのでした。

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2013. 06. 03  
日本国憲法第19条。


思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。


さて、最近思い出したあるエピソードがあります。
アイザック・アジモフ氏の自伝で紹介されていた、とある一幕です。

御三家と讃えられた3人の偉大なSF作家。
ハインラインとアジモフ、そしてクラーク。

このうちアメリカ在住だった2人、ハインラインとアジモフは、軍関係の業務に共に従事していた時期がありました。
ハインラインの方が歳上でもあり、リーダーシップもあり、いろいろ提案をしては周囲を巻き込むことが多かったそうです。

そのうちの一つとして、

「なぁみんな、我が国の勝利のために我々もさらなる貢献をすべきじゃないかね? 差し当たっては、食堂で我々に饗される食事をほんの僅か質素にして、浮いた経費を軍のために役立ててもらおうと思うんだ」

というかなり強引な提案がなされ、その結果、食堂の食事はたいへん粗末になってしまったのだそうです。

ですがそのことに不満を漏らすとたちまちハインラインに睨まれてしまう。
国のために困窮を受け入れるという美徳の無いヤツとしての烙印を押されかねない。
そんな窮屈な空気が場を支配してしまい、アジモフたちは言いたいことも言えぬまま、鬱憤を溜め込む日常だったそうな。

ある日、別の部隊から派遣されてきた兵が、その食堂で劣悪なランチを一口食べるなり

「なんと、酷い食事だ!」

と大声でわめきました。

即座にアジモフが立ち上がり、こう叫んだそうです。

「諸君、私は彼の一言一句に反対だが、彼の言論の自由は命をかけて守るものである!」


****************************


さて、児童ポルノ規制改定法案が提出されました。

ありとあらゆる児童ポルノの単純所持を禁止し、しかもその範疇に「マンガ・アニメ・CG」などの創作物も含める、という点が反響と反発を呼んでいます。

なにしろ持っているだけで法律違反となるわけですから、誰も彼もが犯罪者になってしまうかもしれないという、そら恐ろしい法案と言えます。

自分の子供、あるいは孫、親戚の子供。
単に可愛いからと撮影した、プールや入浴、着替えなどのシーンのフォトや映像ですら、規制の対象たりえます。

また、自分の息子や親しい少年が思春期を過ぎる頃、突然に

「彼の部屋を捜索します」

とドヤドヤと警察に踏み込まれ、家中をひっくり返された挙句に

「自己の性欲を満たす目的の児童ポルノがありました」

と、彼らを前科者にされてしまいかねない法案なわけです。
ただ、「ドラえもん」のマンガを持っていた、というだけで。
あるいは妹や従姉妹の幼い頃の写真がアルバムにあったというだけで。

また、私自身も突然に警察の襲来を受けるかもしれないわけです。

「児童が性的虐待を受けている画を所持なさっていますね?」

と。

はぁ。それってこの「テレプシコーラ」のことですか。
それともこの「残酷な神が支配する」のことですか。

どちらも、親権者による児童の虐待を描くことで、その罪悪を明確にし、非難糾弾するためのこころざしでもって描かれた、まさに芸術の名に相応しいクオリティの傑作です。

ですがこの法案がまかり通れば、これらの作品も焚書にすべきものと見做されかねないわけです。

悪を悪として描くことすら「悪」として抹消すべき、というのであれば、一体全体、誰がどのようにして悪を裁けるというのでしょう?

そもそも、なぜ、描くことが罪悪なのでしょう? 
描かれたものを見ること、読むことまでもが罪悪なのでしょう?

それが実際に行われる児童虐待と等価とされる根拠はいったいなんなのでしょう?

誰にも迷惑をかけることなく心の中で空想を繰り広げること、それを絵空事として書(描)き表すこと。
それまでもを規制の対象として処罰することの意味は、これすなわち

「思想及び良心の自由の保証」

を明記した憲法を踏みにじる行為そのものだと思います。




この法案を推進するという方の発言をネットで見ました。(すでに件のページは削除されているようですが)

「性的欲望を満たす目的、そしてそのことで利益を得る目的でかかれたマンガやアニメなどというものを、文化であるなどと私は絶対に認めません。認めさせません」

という趣旨でした。


私は、この発言の一言一句に至るまで反対します。絶対に認めません、という言葉はそっくりそのままお返ししたい。

ですが、この発言者の言論と思想の自由は日本国民として守るものであります。
日本は憲法をいただく法治国家であり、民主主義国家であり、そこに生まれ育ち守られて生きてきた者の誇りをもって、そうするべきだと考えます。


これを読んで下さった皆様にも、憲法第19条の意味と、この児ポ法改定案の意味と、そしてこの改定案が法律として制定された場合、この国に何が起こるのかということを、どうか考えて欲しいと願います。



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2013. 05. 23  
猪瀬東京都知事が、日本の標準時間を現在より2時間早める提案をし、政府が検討に入ったそうです。

提案書をネット上で見ましたが、つまりは金融市場の活性化および日本市場の優位性獲得が主な目的で、省エネとゆとりあるライフスタイル実現、という狙いもあるようです。

省エネやライフスタイル改造については、過去何度もサマータイム提案が受容されなかった例でも判る通り、およそ日本人の意識に沿わないことと見なすのが大多数の見解ではないでしょうか。


2時間早めることによる、金融の優位は納得できる話です。
ならば、金融業界だけが変貌すれば良いことではないのでしょうか?
なぜ、それ以外のすべての国民までもが金融業界に従って不自由を我慢せねばならないのでしょう?


24時間、休みなく従事する立場の人たちというのは数多く居ます。

その最たる例が、命に関わる人たち。
四六時中、世話が必要な対象をケアする人たち。
すなわち、乳児を抱えた保護者や、重篤患者の看護、介護に携わる職の方々。
他にも、警護や通信やインフラ保持、それが途絶えれば人命に関わるシステムに携わる方々。
命と社会のために24時間休みなく戦い続ける人々は数え切れないほど居ます。

そういう業態の人たちは、主に三交代などのシフト制で不規則に働くことが常態化しているはずです。
(乳児の母にはそんなシフト交代すらありませんがね)

金融業界がそういう制度になってはいけない、という理由は私には思いつきません。


「いやいや、それよりも全国いっせいに時間を変更した方がロスが無くて良いはずです」

ということですか?

冬の朝を2時間も早めたらどうなりますか?
様々な事情で遠くの学校に通わねばならない小学生を、寒い暗闇の中、通学させるのが国のためだと?
ただでさえ通常の生活に困難のある障害児と保護者が、適した学校が不足してるばっかりに、毎日遠距離通学せざるをえない現実を肌身で知っている私にとっては、なんと馬鹿げた提案か、と思ってしまうわけです。

まだサマータイム制導入の方がよほど現実的だ、という気すらします。

もしかして、アレですか。
交渉術の一つ。
とうてい無理! という要求をまず出して、それよりは少し低い水準の要求をのませるというテクニック。
落とし所というか、狙いどころはサマータイム制度?
個人的にはサマータイムにはさほど嫌悪感を持ってはいませんので、試行くらいはあっても良いかと感じます。

ですが、全国的に標準時間を変更するという案件は、これこそ国民投票レベルの民意確認が必要な事項ではないかとも思うわけです。



とは言え、都知事はご自身のTwitterにおいて

「そういう考え方もあるのか、ということから議論が深まっていくこと」

を重視なさっている意味のことを述べておられるので、そういう意味では無駄な提案ではないかな、と。




実際、24時間金融市場というのが実現した未来というのは結構ワクワクしないでもありません。

「兜町は眠らない」

なんて、映画か何かのタイトルみたいじゃないですか?

あっ、ぜんぜん省エネじゃないw
ダメかやっぱ。

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2013. 05. 11  
ドル円の為替相場が100円を突破したそうです。
政権交代が起きた昨年末からこっち、円は下がり続け、株や不動産は上がり続け、金融に関わる方々はずっと狂騒状態。
終わらないラプソディを踊り続けているように見えます。

新しく日銀のトップになられた黒田総裁は

「物価の2%上昇を目標に」

と、思い切った金融政策を実行なさったとか。



相場などに手を出したこともない我が家。
株だの為替だの、とても恐ろしいもの。
バブルとその崩壊を目の当たりにした身としては、そういうたぐいのモノに手を出せば必ずや酷い目に逢う、という気がしてならないから。


お金は銀行に預け、無駄遣いはしない。
ただひたすら、毎日つましく倹約で生きる。
それ以外の身の処し方は知らないわけです。



倹約方法の一つとして、食材を安いスーパーでまとめ買いする、というのがあります。
月に2、3度は、自転車で遠くの肉専門スーパーまで買い出しへ行きます。

一昨日、そこでいつもの買い物をしようとして、びっくり。
ほぼ底値の、輸入物のブタコマ肉が無いのです。

いや、よく見るとちゃんとありました。でも値段が違っていたので、ぱっと見、同じものとは思わなかったのです。
100g59円が69円になっていました。

「うわっ、円安のせい? 仕方ないんだろうけど、一気に10円も上がっちゃぁ、お値打ち感もほとんど無しやん」

同時にいろいろと、いっぺんに思い出しました。
最近、食品がかなり値上がりしていることを。
一見、値段が変わらないように見えても、分量が減っていたり、品質が下がったりしました。
1kgの小麦粉が700gになったり。
砂糖・食塩不使用だった野菜ジュースが、パッケージを変えて、食塩添加になり、味は水っぽくなったり。


日銀総裁、黒田さん?
物価上昇2%の目標達成には日数がかかる、と仰せのようですが、その物価というのは、何処のなんのお値段のことでしょうか? 
私の身の回りでは、2%の壁なぞとっくに軽々突破しておりますよ?



結局、円安や株価上昇などと言って好景気を報じても、世の中の隅々までお金が行き渡るわけで無し。

そのくせ、もっとも身近で底値のものほど素早く値上がるものだということでしょうか。


株が上がる→お給料に変化無し。
円安になる→食品が即値上がり。

いやはや、実体経済という言葉を最近覚えましたが、報道の言葉の上っつらとは激しく掛け離れるものなんですねぇ。
億ションが良く売れるようになっただの、車の売れ行きが伸びただの、パズドラの会社の評価額が1兆越えだの、そんな報道のなんと虚ろで無意味に響くことか。

人間が生きるために何よりも必要なモノ。
食料と、エネルギー。
この最優先度の2つがどんどん高価になっていくこと。それが大多数の庶民の生活を容赦なく損耗させる社会が、『景気が良い』『豊か』などとは到底考えられないのです。

ですが「資本主義社会とはそういうものなんだから」ということであるならば。
庶民もまた、これからは変わらねばならないのでしょう。今までの生き方、つましいやり方、身を処するそれなりのやり方が通用しなくなる世になってきたのでしょう。

では具体的にどうすればいいのか?

勉強するしかないのでしょうね。経済や、金融や、マネジメントというようなことを。

「なんとなく、それなりに、適当に」

という感じでなんとかなってきた時代はもうとっくに終わっていて、文字通りの『油断も隙もない社会』になっていくということ。
正直、こんな歳になってボケ始めてすらいるのに、もっとも苦手だった分野「経済の勉強」をガリガリ囓らねばならないのか、と思うと。

無理ッ! って気しか、しないんですけどね(´д`)

東京はお台場の科学未来館にて、「お金」にまつわる特別展示があるそうで、イロハを学ぶためにも行ってみたいところです。

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2013. 04. 30  
かつてテトリスというゲームがありました。
あまりに中毒性が高く、ハマる人続出で大ブームになり、
「これは西側諸国の生産性を下げ、資本主義を弱体化させる目的で送り込まれた恐るべき陰謀の一環云々」
などという妄言がはびこるほどでした。

テトリスは、似たようなシステムの後追いゲームを大量に生み出し、それらはごくざっくりと
「落ちゲー」
と総称されていたと思います。

その落ちゲーの群れの中から、燦然たるヒットが生まれました。

「ぷよぷよ」

です。

落ちてくるアイテムが合体し、飛び散るように消えて、連鎖するほどに派手な効果が生まれる。
キャラ性とゲーム演出が綺麗に噛み合うことで、他の落ちゲーとは一線を画する快感をプレイヤーにもたらし、大ヒットコンテンツとなりました。

ぷよをモチーフにしたスイーツなど、周辺グッズも山ほどあったと記憶しています。
個人的に、もみじ饅頭と同じ素材で作られた「ぷよまん」がとにかく大好きでたまらなかったものです(´¬`)



時は流れ、ぷよぷよブームも沈静化し、開発会社も無くなり、ぷよぷよは大手メーカー・SEGAが権利を引き受けて、それでもずっとキャラゲーの命脈は保っていたようです。



今や、ゲームはスマホの時代。
スマホ対応のゲームも数多く生まれました。
いくつか遊んでみましたが、どうにもどのスマホゲー(ソシャゲと呼ばれるシステムが多いですが)も、私にはとうてい食い足りない、満足には程遠い、わびしいものばかりに思えました。

ですが、たった一つだけ、「こ、これだけは別格!」と眼を見張るような出来のモノが現れました。

「パズル&ドラゴン」

です。

爽快な操作感のパズルゲームと、ダンジョン攻略RPG、そしてキャラ合成という名のカスタマイズ強化。意欲を掻き立てる印象的な音楽。愛らしいキャラデザイン。
いろんなゲームの美点を取り入れて絶妙な配合で仕上げられた逸品。
スマホのタッチパネルという、新奇な入力方式に特化したシステムをきちんと作り込んでいるセンスの良さ。
そしてここがとても重要な点です。

「無課金でもちゃんと遊べる仕様」


ウンザリするほど浅はかで軽薄でゲームの名にも値しないようなシステムと卑俗な集金主義根性ばかりが透けて見える「ソシャゲ」の汚濁の中、唯一そびえ立つ霊峰のごときゲームとなりました。

パズドラが瞬く間にスマホゲーの王者としての地位を獲得していったのも、当然かと思います。



さて、テトリスが数え切れないほどの類似品を産んだのと同じように、パズドラの後追い企画も山ほど出てきたようです。仕方ないことです。


そして、今日、見つけてしまいました。

限りなくパズドラチックな「ぷよぷよ」を。
その名も「ぷよぷよ!! クエスト」。

あの愛らしい、カラフルでツヤツヤしたぷよぷよの姿はそのままに、システムはもうびっくりするほどパズドラそのもの。

「これほど栄枯盛衰という言葉が相応しい心地があるだろうか」

と思いつつプレイしていました。



ううっ。
どうしよう。
ぷよクエ面白すぎる。やめられない。止まらない。懐かしさもあいまって手がiPadから離れない。まるで呪われた装備のよう。

とうとうiPadのバッテリーが切れて画面が真っ黒になってしまったので、仕方なくパソコンでこれを書いています。
またぷよぷよブーム、来ないかしら。
いえ、あの思い出の「ぷよまん」を、もう一度食べてみたいなぁ、と……。


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2013. 04. 21  
昨日は、埼玉にある理化学研究所の施設公開日でした。

ここ数年、毎年のように見学に行きます。


どんより寒い日でしたが、今年も大盛況でした。制服姿の学生が今年は特に多かったように思います。
そうです。女子高生がワンサカワンサと来ているのです。授業の一環だろうとは思いますが、心底楽しそうにしている子も多いです。実に華やかです。

小さな子供向けの実験展示も多いです。子供向けと言っても、そもそも理化学のことがよく判ってない私のような大人にとっても魅力的な展示だったりします。

電気で踊る水、というのがありました。

お菓子の四角い空き缶。その上に、透明円筒に入った黒い水が置いてあるだけ。円筒には、銅線がグルグルといっぱい巻いてあります。

銅線はアンプのような機械につながっていて、科学者さんがスイッチを入れると、黒い水がユラユラ踊り出します。
同時に、空き缶が音楽を鳴らし始めます。とてもかすかな音ですが、スピーカーになっているわけです。

黒い水に見えるのは、実は砂鉄を溶かした油。その周囲に電流を螺旋状に流すと振動し始め、振動が空き缶に増幅されて音に聞こえるという仕組み。

電気とは、なんと不思議なものでしょう。



子供の頃からどうしても理解出来ないことがあります。

「電気って、何? なぜ生まれるの?」

銅線をグルグル巻いて、磁石と組み合わせる。
電気を通せば回転する。
回転させれば電気が生まれる。
鉄を銅線でグルグル巻いて電気を通せば磁石になる。

不思議すぎる。そういうものだということは判る。でも何故? そのエネルギーはどこから来るの? 

事あるごとに、いろんな人にこの質問をしてきました。
みんな一生懸命に説明してくれるのですが、どうにもなかなか納得出来ない私。

踊る水があまりに面白かったので、思わずそこの科学者さんにも質問してしまいました。

「それは、こうすればそうなる、そういうものだとしか言えないんです」


そ、そんな。
そういう

「スイッチを入れればテレビが点きます、そういうものなんです」

みたいな答えは私の欲しい答えじゃないんです~~(´;ω;`)


じゃ、私が欲しい答えは一体、何なのでしょう? 結局「エネルギーとは何か?」という事になってしまうのかも。


踊る水の隣では、何本ものパイプを女子高生たちがキャッキャウフフと見ていました。パイプを上からスマホで撮影する子も居ます。

科学者さんが指でなにかつまんでいます。円筒を短く切ったモノです。

「これは強力な磁石なんです」

それを、銅で出来たパイプに落とす。すると、磁石はとてもゆっくりと落下していきます。それも、グルグルと回転しながら。
これが鉄のパイプなら、すぐひっついてしまって落ちないはず。
銅に磁石はつかない。
でも不思議なことに、なにかに絡められているかのように、螺旋を描きながらゆうるりと落ちていくのです。

「こちらはアクリルのパイプです」

透明な樹脂のパイプに同じような磁石を入れても、なんの抵抗もなくストンと落ちるだけ。

なんでなんでなんでーーー?!

種も仕掛けもない、銅で出来たパイプと磁石。それだけ。
それだけで、重力に逆らってフワフワと不思議な動きをするモノ。

「磁石は鉄にひっつく。銅にはつかない。反応しない」

という固定観念がひっくり返った瞬間でした。

「銅という金属が、とても電気を通しやすい物質だからなんですね。そこを磁石が通過することによって電気の流れが出来るので、こういう動きになります」

ハッ('Д')! なにか判った気がする!

銅のパイプをクルクル落下していく磁石。

「もしかして、今このパイプが微弱な発電器になってるの?」
「そうですね」

電気は、なぜ生まれるの?

「電子というものが移動することで生まれます。銅は、とても電子が動きやすい物質です。アクリルなど、樹脂という物質では、電子はガッチリ固定されていて、電子は動きにくい。だから同じ動きでも電気は生まれず、磁石はストンと落ちるんです」

「もしかして、私たちは、電子が動きやすい状態のモノを、『金属』と呼んでいるんですか?」
「そうです」

(☆∀☆)←なにかが悟れた目

電気が動きに変わる(モーター)
動きが電気に変わる(発電機)

クルクルと螺旋を描く磁石。
クルクルと巻かれた電線。
延々と続く円環の中を通過するモノ。

「エネルギーとは、『動く』ということ」
「それが減っていくことが『エントロピー減少』ということ」

私の中でバラけていた情報が、やっと繋がりました。なんと美しい円環の理でしょう。

金属という不安定な物質、そこで動く電子をとっ捕まえて、光や熱や音に変換しているんですねぇ、私達。やっと納得できましたよ。



まぁ、それでもやっぱり結局

「エネルギーはどこから来るの?」

というおおもとの謎はまだ解けないんですが。






電気の謎に触れた後、別の棟に行くと液体窒素の実験をしていました。トロ箱に入れられた、モワモワと白いもやが上がる水。軽く沸騰しているかのようにも見える水。

ほうれん草をつまんでそこに浸ける。シュワシュワと泡が出て、あっという間にフリーズドライ。さすがマイナス200度の世界。
科学者さんの手元には、それで釘を打ったとおぼしき穴が開いている凍ったバナナも転がってます。やっぱオヤクソクですよね、液体窒素といえば。

ここでもかねてからの疑問をぶつけてみました。

「どんどん蒸発して消えていくのに、こんなに無造作に扱って、勿体なくないんですか? 液体窒素って、高いのじゃないの?」

若い男性科学者さんが横を向いて叫びました。

「教授ぅ、窒素って、コスト高いんですか?」

隣のテーブルで実演している老紳士が答えます。

「あ~、やっすいやっすい」

「安いの? 空気から作るから? でも作るのは面倒じゃないんですか? 液体窒素って、どうやって作るんですか?」

「冷やせば作れます」
「でもマイナス200度まで冷やすって大変なのじゃ?」


だって、冷房代って凄いですよね。夏の暑い日に部屋を涼しくするだけでとんでもなく電気代はかかりますよね。冷蔵庫は家電でもっとも電気を使うものの一つですよね。
マイナス200度まで冷やすって、なにかものすごくエネルギーとかかかりそうじゃないですか。

「圧力を変えれば温度は下がります。大気を入れて圧力を下げる。すると勝手に冷えて、少しずつ液体窒素が出来るんです。これを見てください」

取り出しましたるは、丸く膨らんだゴム風船。
それを液体窒素に入れる教授。
ゴムがシワシワになりながら、風船が縮んで行きます。

「ほら、液体になったでしょう」

なんと! 空気しか入っていなかったはずの風船の中にタプタプと水が溜まっている! あっという間の出来事でした。

冷やすことで圧力が変わり、気体が液体に。
圧力が変わることで冷えて、気体が液体に。

なんだか不思議な現象ですが、ともかくも液体窒素が意外と安く作れるということはとても納得が行きました。




こういう、見ていて判りやすい実験のたぐいから、世界最先端の科学技術の解説展示に至るまで、理研の一般公開はとても多彩で広大で、面白いです。毎年この時期にやっているので皆様も足を向けてみませんか。もちろんあらゆる展示が無料です。不織布製のシャレたバッグや、素敵な絵葉書などなど、ちょっぴりお土産も貰えますよ!

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プロフィール

星 ゆう輝

Author:星 ゆう輝
人生50年、オタク歴40年弱、母親業四半世紀。老眼とボケが迅速に進行中。麗しいロボ執事をはべらせるのが老後の夢。

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